今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「SEASONS CONCERT」

2009年07月31日 21時41分35秒 | ライブ/コンサート
古川展生 チェロ /鈴木理恵子 ヴァイオリン /北村聡 バンドネオン /中島周 バレエダンサー

先月は思いがけず12本もの舞台を観て、そのうち8本は「女信長」でしたけど、その他の舞台にしても、受け取るものはたっぷりと受け取った感がありました。
それできっと、心が飽和状態になったのかもしれません。
なんとなく、舞台でも小説でも、私自身の中にでも、もう「物語」はしばらく見たくない、心静かに休んでいたいような、
そんな気分になった週末に、音、香り、美術…五感で楽しむ「SEASONS CONCERT」へ行ってきました。

弦楽器では、アコギとチェロが好きです。
アタマの中を空っぽにして、目を瞑って、半分寝てしまいそうなくらい音楽に気持ちよく身をゆだねていると…時折、心の琴線にふれるフレーズが届き、静かに涙がこぼれます。

ああ、どうしてだろう。
こんなところで、今日も私は泣いてしまっている。
けれどもそれは激情でなく、少しも心乱されることはなく。
静かに、穏やかに、平らかに。
ただ心のすこし柔らかな場所を、優しい指でそっと撫でられたような、そんな音楽を聞かせてもらいました。

……たまにはこんなのもいいわね(笑)


チェロ奏者古川展生さんは、映画「おくりびと」のテーマ曲を演奏した方です。
「おくりびと」を観た時、主人公の本木雅弘さんの美しい所作に「あのような心も体も美しい人に、大切に大切に体を扱ってもらってからこの世を旅立てるならばどんなにか幸せだろう」と思ったことを思いだしました。
そして、それにふさわしいような「美しいひとになってみたい」と思ったことも…。
「おくりびと」のテーマ曲は、アンコールでチェロとバイオリン、バンドネオンの三人が合奏してくれましたが、改めてとても優しく美しいこの曲に、心癒されました。

そうそう、
このコンサートには、きっとバレエダンサーの周くんお目当てのお姉さま方もたくさんいらしたはずです。
その周くんは、バッハの「プレリュード」で、上半身裸、下は白のコットン・パンツ。筋肉がくっきり見えて、ダンサーらしい引き締まったお体です。ダンスは、私はバレエには疎いですが、クラシックとは様子が違う気がしました。もっと現代的な感じ。
静かな中にも躍動感があり、なるほど、バレエのダンサーはある部分、俳優さんのようでもあり、内面を表す踊りを踊るものだなと感じました。
台詞があるわけでもないのに、一挙一動、指先にまで心があり、語られているようです。
美しい音楽に無駄な音がないように、ダンサーの無駄のない動きもまた美しいと思いました。

周くんは、あとは最後のほうでガルデルの曲の後半を少しだけ踊り、きっとファンの方たちは「もっと踊って!」と思ったことでしょうね。
私ももう少し見たかったです。

音楽はどの曲も良かったですが、私が楽しみにしていた「アヴェ・マリア」は、予定ではカッチーニと聞いていたはずなのに、バッハ/グノーの「アヴェ・マリア」でした。
ほんとうは、最近の私はこのバッハ/グノーのほうが聴きたかったので、聴きたいときに聴きたい曲が流れたこの偶然はとても嬉しかったです。

会場は「天上の世界」をイメージした、爽やかなアロマの良い香りがしていましたが、近くのお姉さまが纏ったコロンの香りのほうが強くて、残念ながらそちらはあまり楽しめませんでした。
このコンサートのコンセプトをご存知なかったのでしょうか?
バカやろ~っ!空気読めよ!なお姉さまだと思いました。

あ、最後までお上品に書こうと思ったのに(笑)

いさらい香奈子さんミニライブ

2009年07月31日 21時39分11秒 | ライブ/コンサート
今宵も誰かが歌っている。

世界中で、
日本中のどこかで、
東京の片隅で。

良い夜だったなぁ…
ほんとうに。

今夜はお友達に誘ってもらい、立川のお客さんが十数人も入ればいっぱいになるような、こじんまりとした居心地の良いお店で、シャンソン歌手でもあり役者でもある、いさらい香奈子さんという方のライブに行ってきました。
大人の夜のライブです。

シャンソンといえば、エディット・ピアフね、やっぱり。
シャンソンには物語があります。
役者さんでもある彼女が歌うからか、その物語が映画のように見える気がします。
台詞が入るとなおいっそう、女がそこに生きている。
ありふれた恋も、一人の女にとっては特別な恋に違いないという。
そうね、
人生もまた、そうよね。
ありふれた恋も、ありふれた人生も、全てはそれぞれにとって特別で愛おしく、
そしてみな夢のようだと思うわ。


30分のライブを3回とも全部楽しませてもらいましたが、
シャンソンだけじゃなくて、いろいろな歌も歌ってくださいました。
八百屋お七の歌は好きだわ。狂女の恋。
いさらいさんの創った歌も好きだと思う。
ユーミンの「雨のステイション」は久しぶりに聞いたけど、十代の頃と今では聞く耳が違うかなぁ、やっぱり。

グインの何巻目かのあとがきで、聖書の「愛するに時があり、」という言葉が引用されていましたが、
きっと、歌うに時があり、聴くにも時がある。
ふと、そんなことを思いました。
今月に入って雨の歌を耳にする機会が多いように思うけど、なんでかしら?
あれ?、今月ももう終わりか。
もう8月よね。早いなぁ…


誘ってくれたお友達は静かな聞き上手の人だから、
しゃべってよし、黙っていてもよし。
なんか、気持ちの良い夜でした。
そ~れ~は、かなり酔っ払ってるからか(笑)

最初はね、ここ一年で好きになった日本酒の、冷酒を頼んだら二合瓶がでてきちゃって、「うわ~、これ全部のんだら絶対に飲みすぎ!、そのあとはノンアルコールで…」とか思っていたのに、つい「苺酒」なんて目に入っちゃったのよね~。
苺のほんのり甘い香りが心地よくて、だけど私にはかなり強いお酒で、今もまだ酔いが醒めません。

ああ…
良い夜だったな、久しぶりに。
ほんとうに良い夜ね。
って、同じ言葉を繰り返すところが、酔っ払い(笑)

歌があって、美味しいお酒とお料理、
そして、友がいる。

大人になるってわるくないな。
ちょっとなりすぎちゃった気もするけれど(笑)

「ブラックバード」2009/07/18 

2009年07月18日 22時50分25秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)
改めて言っておきますが、私の観劇記は基本的にネタバレします。
でもって、話は大きく飛ぶし、たいがい長文です
そして念を押しておきますが、私はこの劇に限らず、今まで見た数々のお芝居で、その中に生きる女性達のようなどのような経験も、それに良く似た過去もありません(笑)


かつて12歳の少女を誘拐し、未成年に対する性犯罪で有罪判決を受け、名前も住む場所も変えたレイ(内野)の仕事場へ、ある日、成長したその少女が現われます。
そして二人が当時の話をするというお芝居です。

この少女は…といってももう既に若いお姉さんに育っているのですが、
最初から深く傷ついて何かに怒っているオーラが出まくっています(笑)
どこか狂っているとも…。

二人が語る「それぞれの側の真実」によって、過去の事件は誘拐ではなく合意の駆け落ちであり、互いに恋愛感情があったことがわかるわけですが、この女性ウーナが何に一番傷ついていたかというと、その駆け落ちの途中でレイが彼女をひとり置き去りにしてすぐに戻らず、そのまま捕まってしまったこと、そしてその後の彼女の人生に対して傷つき怒っているのね、たぶん。

私はこのウーナを見て、昨年11月に観た本谷有希子さん演出の「幸せ最高ありがとうマジで!」という舞台で永作博美さんが演じたヒロインを思い出しました。
エキセントリックで魅力的で、強烈なエネルギーを感じるのにポキッと折れてしまいそうな危うさもあり、心のどかで常に何かに悲しみと怒りを持つ、そういった孤独とビョーキの匂いがプンプンする女性。
まあ、こういう女性もある意味「魔性の女」であり、そういった性(さが)というのは、12歳であってもすでにそうだったんだろうと思わせるような、そういう難しい役を伊藤歩さんという女優さんは上手く演じていたと思います。

そういえばね、いきなりな話だけど(笑)BL系の小説(うきゃっ!)などには、
「僕は男が好きなわけじゃない、たまたま愛した人が男だったんだ」という感じの台詞を目にすることがあるけれど、この場合は
「俺はロリコンじゃない、たまたま惹かれた女性が12歳だったのだ」ということになるわけなのね、とりあえず。
だけど、禁断の愛の物語っていうのは、大概はそういう主張(?)が一度は出てきそうな感じで、
「私は○○が好きなわけではなく、愛した人が○○だったのだ」という言葉は、あらゆるパターンで使えそう。
それでも愛するにはそれなりの理由があったりするものよね。

レイがパーティーで、ひとりでいたウーナに声をかけた最初の言葉は、たしか
「つまらなそうだね」。
それは「寂しそうだね」という意味にも取れる。
そうやって始まっちゃったんだなぁ…。
それなのに、この愛と事件の顛末で、ウーナはいっそう寂しい少女になってしまったのよね。
だから彼女がレイに抱き続けた愛と憎しみと求めは、凄まじいほどに根深いのだと私は感じました。

そして後半になり、ウーナはとうとうレイの心の奥でまだくすぶっていた彼女への欲望を引きずり出すことに成功しかけます。
その二人がキスをする直前にレイが言うのよ、
「君は僕に会う前も、そのあとも、ひとりぼっちだった」と。

まあ、このあたりがこの劇の私のツボかなぁ(笑)
その後はね、もしかしてレイってやっぱりロリ? とか、
どうなっちゃうのかわからない、結末の見えない客任せの終わり方とか、
好き嫌いはありそうだけど、私としてはそのどれもが興味深かったです。

なんとなくね、「幸せ最高…」もそうだけど、去年の夏に松たか子さん主演の「SISTERS」なんかにしてもこれにしても、結局その手の女性達って、すくなくとも舞台のうえでは救われていないのよね。
それは逆さまに考えてみると、彼女達が精神的に自立し真に救われ前を向いて歩き始めて良かったね!みたいな話は、造り手としては創作意欲がわかず、受け手としても「そんなに観たいわけじゃない」ってことかしら? 
それとも、彼女達が心安らかになる道を見つけるのは架空の物語としても相当に難しいってことなのかな?
もしかして、そういう舞台が創れたかもしれない演出家・脚本家がいるとしたら、中島梓さんだったのではないかという気がする。
たしか幻の名作「ペンギン!」で、あの殺人犯の少年は最期のときに救われていたのではなかったか……。


ところで、長文ついでに話はだらだらと変わりますが、
私は6歳と7歳のときに、今で言う「連れまわし」のプチ体験をしたことがあります。
もちろん事件性はなくって、危ない目には合わなかったし、夕食の時間までには無事に帰ってきましたけど。
一度目は隣の家の叔父さんの弟で、その家には一つ年上の女の子がいたからよく遊びに行ってたのね。
そのオジさん(今思えば、お兄さん?)にある日、隣町まで一緒に行かないか?と誘われて、私はその日友達が留守で遊ぶ子もいなくて暇だったし、ってことで、二人で隣町まで歩いて、お兄さんの職場の近くのアパートでひとやすみして、また家に帰ってきた。という、たぶん二時間か、長くても三時間かそこらの話かな。当時は長く感じたけど。
もうひとつは、小学校一年生の時に、知り合いの息子さんで6年生だかの高学年のお兄さんに、やっぱり隣町まで二人で行かないか?と誘われて、いつも母と一緒に歩く道とは違う裏道なんかを二人でゆっくり歩き、町の裏手の公園のブランコかなんかで夕暮れまで静かに遊んで帰ってきた、ってただそれだけ。

あの当時は、お金目的の誘拐はあったから「知らない人にはついて行くな」という戒めはあったけど、今みたいに異常犯罪だのロリコンだのってなかったから、知っている人まで疑えなんていうことはなかったと思う。
私はけっこうしっかりしている子だったから、そう言われていればついて行かなかったと思うし。
だからね、ほんとうに何があったというわけでもなく、ただ二人で歩いて隣町まで行きましたとさ、という話なんだけど、今でも「あれはいったいどういうことだったのだろう」と時々思い出すことがあるの。
二人のお兄さんは、知らない人ではなかったけれど、実を言えば顔を知っている程度で、それまで一緒に遊んでもらったこともなければ、ろくに口をきいたこともなかった。そしてあの後もそれは同じで、それぞれにたった一度きりの「二人の、ささやかな遠出」だったわけです。
たぶん、小さな私と一緒に隣町まで歩いて時間を潰したところで、結局は何も楽しくなかったんでしょうね(笑)
まあ、それにしても、そもそも大きなお兄さんが、少し面識があるだけの小さな女の子をつれて数時間を共にしたいと思ったということは、いったいどういうことなんだろう?
そんなに私は寂しそうに見えたのだろうか…。

だけど、遊び相手のあてが外れてしまった子どもなんて、たいがいつまらなそうで、寂しそうなものよ。
だから私もそうだったのかもしれないけれど、三つ子の魂百までもとはよく言ったもので、当時から私はひとりで近所をふらふらするのが好きな猫みたいな子だったし、家にいるのも好きで、ひとりだからといって特別に寂しいかというとそうでもなかったんじゃないかと思う。
だからあの時間は、いったい何の意味があったんだろう。

その長年の疑問が、実はこの「ブラックバード」を観たのがきっかけで、なんとなくわかったような気がしました。
たぶん…、あのお兄さんたちはあの日、「なんとなく」寂しかったのよね。
ただなんとなく…。だけど大きいから、「一人ではなんとなくつまらないし寂しいからただ一緒にいてくれ」と言う相手がいなかったのだろうと思う。
そこで、ふと見ると小さな女の子がひとりぼっちでいる。
「一緒に行こう」と言ったのは、その女の子がきっと断らないと思ったから。
なぜならその子もつまらなそうに見えた。
まあその程度だったのでしょうね。

でも、ひとりぼっちが二人で肩を並べても、向き合う気持ちがなければ
やっぱり「ひとりぼっち」が二人なだけ。
私がもう少し大きかったり、大人だったりしたら(って、それだと私も警戒して着いて行かなかっただろうけど)違う展開になっていたかもね。
まあこんな「ブラックバード」な展開になってしまったら大変だけど。


それにしても、大人が子供を性の相手にするなんて、そこにどんな愛情があったとしても嫌だわ。
たとえ合意でも、その子がどれだけスポイルされるかは、この舞台を観なくたって想像に難くないもの。
子供が大人を警戒しなきゃいけない今の時代って、つくづく不幸だと思う。
散歩もできやしない(笑)