今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

Augusta Camp 2011

2011年07月31日 04時33分29秒 | ライブ/コンサート

Augusta Camp2011
11/7/30(土) 横浜赤レンガパーク 野外特設ステージ (神奈川県)
【出演】 杏子 山崎まさよし スガ シカオ COIL 元 ちとせ あらきゆうこ
スキマスイッチ 長澤知之 秦 基博 さかいゆう
Special Guest:BELAKISS

楽しいね!
楽しいね~っ!!

って、友達にそんなことばっかり言ってた七月最後の土曜日。
楽しいね、素敵だね、カッコイイね、美味しいね、…とか、いちいち口にしたがる、この子供じみた癖はいい加減にしようよ? と、我ながら思わなくもないけれど、だって、ニコニコしながら同意してくれる友達が隣にいるとつい嬉しくて止められないのよね(笑)

さあ、これで夏の本番は始まった!!
去年と一昨年は不参加だったから、私らはなんと三年ぶりのオーガスタキャンプ。
やっぱり、夏はこれで始まらなくちゃ!
今年は横浜の赤レンガ倉庫の脇に創られた特設会場で、開演の頃には朝に心配していたお天気もすっかり晴れて、まさに賑やかなお祭り会場のようでした。

そうなの、晴れていたのよ。最初はね。
私は出掛けにうっかり帽子を忘れてしまい、会場に着いたらあまりの好天気にあせったわよ。
会場入り口の行列に並んだだけで、Тシャツの中の胸の谷間や背中に汗のしずくがツーっと落ちていく。
げげっ! 暑いじゃん、やばいじゃん?! 日に焼ける~!
というわけで、あわててキャップと団扇を買いました。の、写真が本邦初全体公開の私です。
ちなみに髪は後ろに束ねているだけで、ちゃんとありますから(笑)

けれども、このまま晴れ続けるわけがない!
そりゃあもう、なんたって「あのお方」がいるもんね~っ。
屋根がないので、「この際だから土砂降りの雨に濡れさせてもらいます」とばかりに、シカオちゃんの出番近くなると(まだほんの少ししか降ってないのに)用意してきた雨合羽をそそくさと着込む私たち。
だって~! この人って、もはや「雨男」なんて可愛いもんじゃなくて、ほとんど「嵐を呼ぶ男」なんだもの。
そしてみんなの期待を裏切らぬためにか(?)念力で天気まで演出した(??)シカオちゃんは、さすが!というか、そら恐ろしいというか(笑) いよいよ出番の頃には雨ばかりかとうとう雷までピカピカとさせたのは三年前と同じ展開だわ。
雨と雷の神様に、よっぽど愛されちゃっているのね~。
「これも思い出になりますから」と言ったのは山崎まさよしさんだっけかな? 
うん、確かにいい思い出になりました。

前半では、早くも楽しみにしていたスキマスイッチが登場です。
元ちとせさんと一緒に歌ってくれた「雫」は私の好きな曲! 嬉しい! 初めて生で聞いたけど、やっぱりとても好きな曲だわ。
この会場は野外だというのに、想像していたよりもずっと音響が良くて音も綺麗で歌詞も聞き取りやすくてとても良かったです。
デビュー曲の「view」も懐かしくて盛り上がりました。

次に私が楽しみにしていたのは杏子姉さん。
今年も踊るぞ~っ! と、思っていたら、意外や意外! 今年はバラードでしっとり聞かせてくれました。
このバラードがむちゃくちゃ素敵で気に入りました。
一曲目のバラードは大人の女だから歌える切ない歌。ドラマチックでした。
二曲目「青猫」は泣きたくなりそうに好きだわ。何回でも聞きたいです。

なんて、こんなふうに書いているときりがないか(笑)
なにせ、実力派ぞろいのオフィス、オーガスタ。
しかも、なんですか、これ? 今年は何故だか皆さん、それぞれに聴かせるバラードを持ってきた。
三月の大震災の影響かしら?
あの日以降、「歌手として何ができるのだろう? と考え、語り合ってきた」という彼らの、その想いがあってか、時にやさしく、時に切なく、それぞれに想い入れの深いラブ・ソングが多くて、お祭り騒ぎの野外フェスとは思えないほどの聴き応えありのバラードの連続に、私はとても満足しました。
三年前には初々しかった秦 基博さんはもうすっかりとヴェテランぽくて、こんなにも上手くて聴かせてくれる人だったのかとびっくりするほど進化していたし、初めて生で聞いた、さかいゆうさんの声も本当に美しく、何よりも彼の世界が繊細で美しいので、できるならもっと聴いてみたいと思いました。
つくづくと来て良かった~!

でもって、だけど、だけど! バラードといえば、スガシカオよね?!
バラードばかりを集めた今月発売のベスト、15th Anniversary「Sugarless2」はや~っぱ、「買い」よね~っ!
休憩時間にプロモを見たけど、アカペラで歌う姿がめっちゃカッコ良かったです!
ブログによると「この夏は、人生の節目になりそう…」だそうで、このCDは「この10年、感じたこと、思ったこと、言いたかったこと…10年分のバラードが詰まってる」んだそうです。
ん?、デビューして15年なのに、なぜに10年?
という疑問はともかくとして(笑)
その中に入れた新曲の「コーヒー」をいち早く聞かせてくれたのがとても嬉しかったな。

嬉しいといえば、先祖の代から生粋の浜っ子の私はアーティストのみんながご当地の「横浜」を連発してくれたのが、思いのほかにすごく嬉しかったです!
東京に住んでいると、その地のライブなんて当たり前だからか、誰もステージで「東京」のことはほとんど言わないのよね。
土地を親しんでくれることは、そこに住んでいる自分たちも親しまれているのだという、こんなふうな実感はいつも全然味わえなくて寂しかったけれど、オーガスタの皆さんが横浜を好きでいてくれるのなら、浜っ子の私は(今は住んでいないけれど)生まれ育った場所での絆が持てたようで、とても嬉しいと思いました。

しとどに濡れた雨のオーガスタキャンプ、夜の宴の最後は福耳の「星のかけらを探しにいこう」で盛り上がり、花火が上がって最高潮のままにフィニッシュ。

あ~、ほんとうに楽しかったね!
また、来年も来ようね!
なんて、最後まで言いながら、雨の中を合羽姿のままで会場を後にした私たちでした。

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「リタルダンド」

2011年07月20日 23時26分00秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

作: 中島淳彦
演出: G2
出演 :吉田鋼太郎/一路真輝/高橋由美子/伊礼彼方/松下洸平/市川しんぺー/山崎一
※この観劇記にはネタばれが含まれていますのでご注意ください。

『最愛の人が壊れてゆく。ちょっと待ってよ、止まれとは言わないから。時間よ、お願い、リタルダンドで。』

「リタルダンド」とは、音楽用語で「だんだんゆっくりと」という意味ですが、この舞台は、「音楽雑誌の編集長」といった働き盛りの中年男性が若年性アルツハイマー症にかかり、次第に記憶を失っていくという音楽劇です。
その編集長役が吉田鋼太郎さんなわけですから、観る前から「この舞台は笑いながら見ているうちに、やっぱり泣かされちゃうんだろうな」なんて予想していました。
それは間違いではなかったんだけど…

困るのよね~、こういう持っていき方されちゃうと(笑)
私はカーテンコールで拍手している時も、それが終わっても、劇場内を後にしても…まだ涙が止まらなくて困りました。
ちょっとばかり想定外に私の最大のツボをキューン!と突かれてしまったので。
もしも私ひとりで観ていたら、ロビーの椅子に座り込んでいたかもしれません。
けれどもなんとか涙を止めることができたのは友達と一緒だったからで、それは良かったのだけど、その代わりに久しぶりに「愛とはなんだろう」「人の幸せってなんだろう?」なんて語り合っちゃったわよ(笑)

「幸せとはなんだろう?」と考えると、何を幸せと思うかは人それぞれだと思うので「他人の目にはどう見えようが」というのが前提です。
たとえば、一見して不幸な状態でも、それは本人にとって「ある意味、幸せ」ということもあるのだろうな、と思うし。
去年に観た「私の頭の中の消しゴム」でもそうでしたが、このアルツハイマーという病気の進行が進み、周囲の者の名前や顔さえも忘れた頃になってくると、患者はまるで幼い子供のようになり、どことなく仏様とか菩薩のような雰囲気になっていくんですよね。
傍からみたら、どこか幸せそうにも見えるその状態は、本当に幸せといえるのか?
自分を客観視できないところまでいってしまえば幸や不幸の概念すらないので自覚もなく、だから少なくとも不幸ではないかもしれません。

まるで幼子(おさなご)のようになってしまったこの雑誌編集長の男性は、周囲からみたら幸せそうにも見えましたが、これはたぶんその人のそれまでの人生に愛があったからで、この病気の全ての患者さんたちがそうではないのでしょうね。
逆に、周囲の者や介護してくれる人に向かって悪態をついたり怒鳴り散らしたりと、鬼のように変貌してしまう可能性もありそうです。
それはもしかしたら、この病気に限らずだけど、それまでに「どれだけ人を愛してきたか?愛されてきたか」で人生のゴールが決まるのかもしれません。

ああ、今これを書きながら思い出しましたが、そういう意味では「RENT」のあとにも私は似たようなことを思いました。
二年前にブロードウェイ版の「RENT」を観た際の感想で、「人生最後の瞬間に愛はあるだろうか。自分のそれにも愛があれば良いと思う。」と書きましたが、この舞台を観た後では、更にそれが「たとえ記憶をなくしたとしても」と加わりました。

ところで、冒頭に書いた私の「最大のツボ」なんですけどね。
手紙が出てくるんですよ、手紙が。
だからね~、これ、やめてよねぇ~、もう! 弱いんだからさ~(笑)。
ここ数年、舞台を観ていていったい何度手紙のシーンで泣かされたことか…。
その中でもこのリタルダンドで読まれた手紙は、私にとっては最大級の武器に等しかったです。
一発で致命傷(笑)

その手紙というのは、アルツになった男性が、その半年前に再婚した奥さんへ宛てて書いたラブ・レターで、彼女の結婚の決め手となった手紙です。
それは、デビー・ブーンの「You Light Up My Life」の歌詞を思い出させるような内容でした。
いかにも音楽雑誌の編集長らしいその手紙を、ごくごく簡単に要約すると
「深い暗闇の中に座り込んでいたら、その暗闇の向こうに光が見えた。それがあなたでした。そして僕の耳に音楽が聞こえました。音楽は光です。」

だから、これは私が一度で正確に記憶するわけないので、ざっくりと要約していますけど、実際の文はもっとずっと感動的です。
そんな手紙をもらっては、女として、いや、人として、大きく心が揺れないわけがない。 
そこまで愛する人に想われたなら誰でも一生を共に過ごしたいと思うのではないかしら?

けれども、私が手紙のシーンで泣きのツボを押されてしまうのって、実はその手紙の内容よりも、「そんな深い想いで綴られた手紙が、受け取った人の心にしっかりと届いて大切にされていた」と、そこなのかもしれません。
なにせ、こうやって常になんかかんかと書いている私ですものね。
なので、「そーいうことスルスルと書けちゃう人間ってズルいよ、羨ましいよ!」 っていう気もしますけど(笑)

無償の愛は美しいけれど、一方的に尽くすのはどちらにとってもちょっと悲しい。
この病気が治ることはないものの、互いの愛が愛で報われたラストシーンで、私にはこの夫婦が「ある意味、とても幸せ」に見えました。

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梓薫会(しくんえ)

2011年07月20日 00時13分11秒 | ライブ/コンサート

2011/07/17海の日
出演:花木さち子(Vo)、水上まり(Vo)、坂元理恵(Fl)、柚木菁子(Vc)、嶋津健一(Pf)、加藤真一(B)、藤井学(Dr)


あれは何の舞台の時だったか。
赤坂のシアターVで、中島梓(栗本薫)さんの手がけたミュージカルが始まる前に時間があったので、みんなでお昼の腹ごしらえをしようと近所の美味しいラーメン屋さんに行った時のことだ。
つけ麺と煮卵が自慢の店と聞いたので私はそれを頼んだ。
その当時、私は出された料理の中で一番美味しそうな一品を最後に残す癖があったので、煮卵は最後にとっておいた。
ところが食事の途中で携帯がなったか何かで中座して席に戻ると、その楽しみにしていた煮卵が皿から消えている!
え???
すると隣に座っていた中島梓さんが無邪気な笑顔で言ったのだった。
「卵を残してもったいないから、私が食べておいたよ」
え、ええ~~っ?! わたし、わざと残しておいたのに!楽しみにしていたのにぃ~~っ!!
一瞬私は心の中で叫んだが、梓さんの様子があまりにも屈託がなかったので、「ま、いっか~」と思うことにした。
以来、煮卵を見ると梓さんを思い出す。そして、一番好きな料理は一番最初に食べるようになった。

そういえば、こんなこともあった。
あれは神楽坂の小劇場の入り口だった。
やはり開演前に、しばらく隣に立っていた私をちらりと見て梓さんが言った。
「思わずさわりたくなるような胸だね!」
と、いきなり私の胸をパフっ!と触った。パフっと!!
ひぃ~~っっ!! なに確かめてるんですかぁっっ! いきなりそれはないでしょ、普通は触らないでしょ?! おどろくでしょーっ!
その時も私は心の中で叫んだが、梓さんが嬉しそうだったので「ま、いっか~」と思った。
それまで私は他人から胸のラインを褒められて嬉しいと思ったことなどないが、…というわけでもないが(笑)、乳がんの手術をした女性に褒められたならば、これは「誉の胸かもしれない」とまで思うようになった。

中島梓さんとは小説の話や舞台の話、真面目な話からくだらない冗談まで、数え切れないほどたくさんお話しさせていただいたが、最近なぜかそんな妙なことばかりを思い出す。
その思い出の中の梓さんはとても可愛くてチャーミングで、時に人なつっこく暖かく、本当に慕わしい姿のままに、今でも私の胸の中に生きている。
そしてお別れの日から二年を経て、ようやく私はその梓さんとの思い出を書いておきたいと思うようになった。
いずれ私が歳をとってボケてきても、書いておけば、うっかりと夢と混同したり忘れたりはしないだろう。
それに大切な人の在りし日の思い出を語ることは、きっと良いことなのだ。

けれども梓さんとのことは、書けば書くほどに何故かのろけ話や自慢話のようになってしまいそうなのが我ながら可笑しいと思う。
きっと天国の梓さんにならば許していただけるだろう。
私はそれまで家族や恋人以外の存在で、これほどまでに無邪気に開けっぴろげに自分に好意を示してくれる人も、自らすすんで距離を縮めてやたらとスキンシップをしてくれる人も、他には誰も知らなかったのだから。

いきなり脱線話で始まってしまったが、「梓薫会」とは、そんな愛すべき中島梓さんを偲んで開かれた、まるで同窓会のようなライブだった。
青山のマンダラというお店は久しぶりだったが相変わらずに居心地が良かったし、客席には同級生のように懐かしい顔があちこちに見えた。
なによりも、そこで聴けた音楽や歌のことごとくが懐かしかった。
私は二年前の「お別れの会」の時と違い、少しも涙を零さずに聞くことができたのに歳月を感じた。
いつまでも悲しむことはないのだ。
梓さんは私の中でまだ生きているし、同じ想いの仲間たちもこうして一緒なのだから。
けれども、美人ジャズ・ヴォーカリストの水上まりさんが、「誕生日の夜に」の時に、手をこちらに向けて「あなたに会えて良かったと言ってくれる」と歌ってくれた場面では、思わず胸がいっぱいになってしまった。

その美人ジャズ・ヴォーカリストの水上さんは、花木さんとともに梓さんの創られた素敵な曲をいくつも聞かせてくださって良かったが、今なぜか頭の中でぐるぐると離れないのが「支那の太々さんがやってくる」だ(笑)
そのコミカルで可愛らしい歌が、最後にはちょっとばかり不思議で怖い結末の曲になってしまうのがいかにも梓さんらしいと思う。
それにしても、背後にぬっと出た花木さんは美しいだけに怖かった!(笑)

梓さんのピアノの師匠の嶋津さんは、「普通の人は自信がないと音が小さくなるものなのに、梓さんは自信のないところにくると音が大きくなる」と思い出話をしてくださり、「バラードを弾かせたら世界のプロの誰と比べても遜色がないだろう」と弟子の腕前を褒めていたのが、こちらも嬉しかった。

花木さんや奏者二人の女性のチャイナ・ドレス姿も麗しく、梓さんのライブらしいと思ったし、会場に飾ってあった梓さんの着物や、水上のさんがお召しだった形見の「三日月と摩天楼の着物」も本当に素敵で目が釘付けだった。

私にとって、中島梓さんとのことは何もかもが楽しく良い思い出だった。
作家・栗本薫さんは、その膨大な著書を世界中の読者たちに読み継がれることでいつまでも生き続けていくだろう。
そして、音楽家であり舞台人であり、愛すべき一人の女性であった中島梓さんは、在りし日に出会った者の皆がこうしてそれぞれの思い出を語り、音楽を奏で、歌い続けることで生き続けていくに違いない。

この日、私はピアノのすぐ脇に座ったが、2ndステージ目から置かれたピアノの上のお写真が嬉しかった。
まるで、あの日のように梓さんが隣に座って微笑んでくれているかのようだと思った。


お会いしたみなさん、ほんとうにありがとう。

来年も会えますように。


おおるり@あらぱん


1st

OLD DIARY(花木さんVo)
大正ワルツ(インスト)
上海哀歌(花)
大正ラプソディー(花)
ヴァンパイア・ワルツ(花)
お定ホンキー・トンキー(水上まりさんVo)
ララバイ・イン・ザ・モーニング(水)
浅草オペラ(インスト)

2nd

センチメンタル・ワルツ(インスト)
ニテロイの浜辺(畑路子さんの英語詞による歌唱)
誕生日の夜に(水)
支那の太々さんがやってくる(水)
Fly me to the chicken(花)
蜃気楼の恋唄(花木さん・水上さんによるデュエット)
Dream Again(水上さんメイン、花木さん・いまおかさんコーラス)
Tender Road to Heaven(嶋津さんのピアノソロ)

アンコール

モーニング・ライト(花木さんメイン、水上さん・いまおかさんコーラス

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「ミヤとハジメ&ユウコ ライブ~未来ポスト~」

2011年07月10日 22時43分01秒 | ライブ/コンサート

【出  演】 宮川 浩/ 駒田 一/ 土居 裕子

やっぱり歌っていいなぁ~、と、しみじみ思う。
♪カラスなぜなくの…という童謡「七つの子」は、こんなにも心に染み入る美しい歌だったのか…。
「故郷」は、先日チャリティーライブで聴かせてもらったゴスペル調も私はかなり好きだと思いましたが、土居さんの透明感のある美しい声で聴くとまた、改めて原点に帰っていくような郷愁を感じました。

このステージはライブなんですけど、ただのコンサートではなくて芝居仕立てになっていました。
もし、「未来の人と手紙のやり取りが出来たなら」というお話で、最初に手紙だったやり取りはすくにPCのメールになり、リアルタイムのチャットになります。

宮川さんは現代の今を生きているミュージカル俳優という役どころで、駒田さんは第二次世界大戦の終戦間近に生きている19歳の若者の役です。
その二人のメールのやり取りの中に歌が挟まれますが、、土居さんは役どころはないものの、随所で登場して歌ってくれました。
つまり、「ただ歌うだけじゃなく、お話の中で歌っちゃえ~! という、俳優さんならではの趣向で、前述の「七つの子」や「故郷」の他には、レ・ミゼの「彼を帰して」をはじめ、「タンピエットの唄」「サ・ビタ」「この森でバスを降りたら」「シャボン玉とんだ 」など、 これまで数々の舞台で三人が歌ってきた思い出の曲などを次々と聴かせてもらうことができました。
改めて、歌だけ聴いても良い曲ばかり。

それにしても、駒田さんと宮川さんは、ほんとうに仲良しですね~。
懐かしいミュージカルナンバーを聴きながら、笑いもたくさん混ぜ込まれて、アドリブだか何だかわからないようなお二人のお話は面白いし、土居さんは可愛いし、とても楽しいひとときでした。

が、この日のサプライズ・ゲスト、畠中洋さんがいきなり客席から歌いだしたところで、、友達と私の二人はひっくりかえった!!
だってぇーーーーーっっっ!!!
私はね、開演前に自分らのごくごく至近距離にどっかでお見かけしたような、素敵な男性が座っているのを実は気がついていたのよ!
けれども、薄暗かったし、まさか、まさか、まさかぁ~?? と思ったので、例によって、思考に至らないことは全部「気のせいだろう」と思う私。
それで、友人と二人であ~んなことや、こ~んなことのトークを開演前の客席でぶちかましておりました。
その、「あ~んなこと」とは、そのぉ、つまり…「男性の体に乳腺なんて要らないのでは?? 」(爆)とまあ、そーいう類の話でして、いや、決してエロトークなんかじゃない! 断じて! 
が、もしかして、畠中さんにもれ聞こえたかもしれない会話の端々には乙女(って、誰が乙女やねん!)が口にしちゃいけない単語が含まれていたことは否めない(汗、汗)
うきゃあ~っ!
聞こえていたら、恥ずい、ちょー恥ずかしすぎる~!
そんなこんなで、畠中さんがステージに上がってからは恥ずかしさで目がそぞろになり、まともに舞台が観れないあたし。

こんなサプライズ、やめてよねぇ~っ!
ってか、はいはい、いけないのは私、私よ。 
なんでも好奇心つよく、質問しまくりの私が悪い。友よ、許してたもれ。

どこにいようが、誰がそばにいるかわからない。
そんな教訓を残したライブとなってしまいました、とさ。

って…、はぁ~(ため息)

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大規模修繕劇団 旗揚げ公演 『血の婚礼』

2011年07月10日 00時38分39秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)

作:清水邦夫 
演出:蜷川幸雄 
出演:窪塚洋介、中嶋朋子、丸山智己、田島優成、近藤公園、青山達三、高橋和也、伊藤蘭

場所は西巣鴨の廃校となった中学校の体育館、「にしすがも創造舎体育館 特設劇場」で、外から見ればどこの町にもある学校の体育館だが、中に入ると立派な中劇場になっている。
数えたわけではないが、キャパは300以上あっただろう。
蜷川さんは、この会場造りのノウハウや機材を惜しみなく演劇界に広く貸し出しできないだろうか?
こういう体育館なら全国にあるだろう。
今は避難場所である東北の各体育館が、いつかこのように本格的な演劇が観られる場になったら素晴らしいと思う。

けれども、特設会場にも空調設備があるとはいえ、スーパークールビズの28度設定なのか、それとも今日のあまりの暑さのせいか、会場内はやはり暑かった。
その暑い客席とは裏腹に、ステージの上では冷たそうな雨がじゃかじゃかと降り続け、役者さんたちはしとどに濡れながら演じていた。
あの大量の水の排水はどうなっているのだろう? などと、つい余計なことを考える。

蜷川さんの舞台はここ数年時々観ているが、私にとっては毎回が「賭け」だ。
とても面白く感じることもあれば、そうでないときもあり、世間の評判はどうであれ、自分の好みの差が激しく分かれてしまう。
この「血の婚礼」は、例によってほとんど予備知識を入れずに観に行った。
同名の舞台なら、以前に森山未來くんとソニンちゃんのを観たことがある。
今回もガルシア・ロルカの「血の婚礼」だとばかり思っていたら、そのロルカにインスパイアされたという劇作家・清水邦夫の作品だった。
1986年に初演され、それ以来何度か上演された名作ということだ。

ああ、どうしよう。
この作品には普段の私であれば敏感に引っ掛かるだろうという台詞が満載だ。
それなのに半分も消化していない。
もし、二度、三度と観るならば、自分にとって、この作品は後々まで心に残る深いものになるに違いない。

壊れたトランシーバーに往信する少年。
もしもし、もしもし……
会話の中に、「何故、」「どうして、」という男。
自分の店で万引きをする常連客を離れて見つけ、咎めることができず「そういうコミュニケーションはしたくない」と言うレンタル・ビデオ屋の店主。
そして、あの手紙の声は誰なのだろう。遠くから聞こえる声。
何処からか、見えない相手に語る女。
もう手紙を書くのはやめます。返事のない手紙を書くのに疲れました。
電車が通るぞ、電車が……

いくつもの気になる言葉が舞台に計算されて散らかっていた。

ああ、なんだろう。感想が書けない。
感じるにも、想うにも、私自身が足りない。
こんなにツボが満載なのに、私はぼーっとしてただ眺めているだけだった。
散らかった言葉の数々を、頭の中で片付けることがどうしてもできない。
この暑さのせいなのか。
いや、やはり日々の睡眠が足りないのかもしれない。

もったいないことをしたと思う。
きっともう一度観たほうが良いのだろう。そうしたらたぶん、ハマると思う。。

どうしよう。
もう一度観に行くか、やめようか……

どうしよう……

舞台は一期一会だ。
こういう日もある。

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PRAYER ソウルメイツ・ハーモニー チャリティコンサート

2011年07月07日 22時31分01秒 | ライブ/コンサート

7/3 PRAYER ソウルメイツ・ハーモニー チャリティコンサート
~被災地の一刻も早い復興に願いを込めて 
出演:ソウルメイツ・ハーモニー / TAEKO / 境敦生(Key)
   中川晃教 / 大坪正(Key) 

会場に着くとプログラムが手渡されました。
それを見て、何かがひっかかる。
…ん?「FURUSATO」?
「故郷」でなく、「ふるさと」でもなく、「FURUSATO」…ね。

そうだ、「FURUSATO」!
それは今年の一月に見た「FURUSATO~宇宙からみた世界遺産」という3D映像のタイトルと同じでした。

『この星が僕たちの故郷だ』
それぞれの国、それぞれの町に大切な場所がある。
けれども宇宙からみたら地球の人々は皆ひとつの星に暮らしていて、だから同じ星空を眺める僕たちにとっては、この星が故郷なんだ。
「宇宙からみた世界遺産」は、そんなメッセージの込められた映像でした。

このコンサートの最後に聞いた「FURUSATO」は、「兎追ひし、かの山…」という詞で誰もが知る「故郷」が原曲でしたが、日本の故郷だけではなく、あの3D映像で見た星…宇宙の空から見た「地球」を思い出させてくれるようなアレンジで、私にはここでのこの曲に、地球というこの星とそこに生きる人すべての平和を願う想いが込められていたように感じられました。
それはゴスペルで聞くにふさわしい「FURUSATO」だったと思います。

って、うっかり最後の曲の話から書いてしまいましたが(笑)
ソウルメイツ・ハーモニーのみなさんね、去年も拝見(拝聴?)させていただきましたが、
なんか今年はとくに男性陣のノリがとても良くなった気がするのは、私だけの錯覚かしら?
去年どうだったか、よく覚えてないんだけど…、もともとでしたっけ?
女性の皆さんが楽しそうに歌ってらっしゃるのは、去年も一人ひとりから伺えましたけど、今年は男性の方々の姿が一層に楽しそうで、皆さんの歌声だけでなく、歌うその姿からも、心明るく楽しい気持ちが伝わってきて、心がとても暖まり、私もまた楽しく元気な気持ちになりました。

TAEKOさんの歌はどの曲も感動しましたが、特に「Never Give Up 」では涙が溢れそうで困りました。
だ~けど、暑さで化粧はすでに泥のようにでろでろと溶けてるし、このうえ涙なんか流したら化け物度が普段よりもアップするので必死に涙こらえましたけど。
それもこれも、この日の席は……という話は、おいといて(笑)

あっきーの歌は、どれもが被災地の復興を願うチャリティーコンサートにふさわしい選曲だったと思います。
「赤とんぼ」のアレンジは秋の木漏れ日のように美しく、あっきーの胸の奥にある故郷の夕焼けが目に映るような気がしました。
私は横浜出身なので、今住んでいる東京にも近いこともあり、自分にはあまり郷愁というものがないと思っていましたが、あっきーの「赤とんぼ」を聞いていたら、高校生の頃に住んでいた家の隣町に小さな山があって、その丘を登った先に、夕焼けのきれいな秘密の場所があったことを思い出しました。
秋になると、夕暮れにその丘に登りに行き、西の空にある遠くの山なみを眺めました。
そしてもっと遠くの富士山のあたりまでもが次第に夕焼け色に染まり、やがて日が暮れていく景色を眺めるのが好きだったことを思い出しました。
それから、その秘密の丘を教えてくれた親友が「赤とんぼ」という曲をことのほか好きで、この曲を聞くと涙が出ると言っていたこともまた…。

ソウルメイツの皆さんと一緒の「Again & Again」も、心がひとつに感じられて胸が熱くなりました。
「Amazing Grace」に添えられた日本語の詩は…あれは、あっきーが創ったのかしら??
より、あっきーらしい曲になっていたように思います。
つまり、「熱い博愛」っていうか、なんというか(笑)

ちょっとまたこの感想を書くのが遅くなったこともあり、記憶が曖昧になってきて全ての曲については書ききれないですが、全体的にソウルフルで熱い想いを呼びかけられたようなコンサートだったと思います。

で~!、ここからいきなりトーンの違う話になるんだけど(笑)

このコンサートの感想を書くのに、どうやら避けて通れないらしい衣装の話題なんですけど(笑)
あっきーファンはもうあっちこっちで見聞きしているだろうから、説明はなるべく簡単に書きますが…

第一部は、黒いスーツに白いシャツ。靴はつま先部分がシルバーです。
シンプルだけど、シックで、服の質感も良くてなかなかスタイリッシュな感じ。
私はダーク・スーツ姿の男性を見るのが好きなので、かなり嬉しかったりして(笑)
TAEKOさんの透け感のあるグレーのドレス姿と並ぶと、お二人のバランスも良く、大人っぽくてお洒落でした。

けれども、私は思った。 
節電でクールビズの世の中、この格好は暑いよね? 芸能人って大変なのね。 

そして、第二部。
あっきーはそのスーツの上着を脱いで登場。
すると、中に着ていた白いシャツはノースリーブでした。。
その、肩からのあるべき袖の部分はハサミで肩からざっくりと切り落とされている。
…というだけなら、べつだんどってことないですが。ついでに、左右の脇の下からウエスト近くまでスリットを入れ、思い切って通気をよくしてみました。という代物(しろもの)です。
そのうえ、首には犬の首輪のような、黒い皮のチョーカー、むき出しの左肩から手首にかけても細い黒い皮のベルトがヘビメタちっくに巻きついています。

そこで、私は思った。
これはスーパー・クールビズの極み?? この格好ならば涼しいよね? 芸能人ってやりたい放題なのね。ってのは、もちろん服の話よ。サラリーマンはいくら暑くてもこんなシャツ着ないから。
もひとつは、
あっきーって、時々こういうアシンメトリーなファッションするよね。好きだよね。

とまあ、その程度よ。
なにせ、さっき書きかけた続きだけど、私のこの日の席は「もしかしてこんな席はコンサートでは初めてかも?」というくらいど真ん中で、常にあっきーの真正面だったし。

ところが! コンサートの終演後、あっきーファンのお姉さま方が、皆さん何気に色めきたっているのよね~!(笑)
なんか、左右や斜めから見たら、あっきーの胸の中や脇腹がチラチラと、丸見えに見えたそうで、かなり際どいものだったとか。

へぇ~、そんな気もしたけど、やっぱそうだったのか~。
でも、私、別にそういうのって特に見たかないと思うし、見てなくてもそんなにがっかりでもないや。
ってか、あっきーの胸が見えたからって、なんでそんなに興奮したり恥かしがったりするのかわからないのよね。
ほんと、よっくわかんないなぁ~。
だって、あっきーの半裸なら、前に「エレンディラ」でさんざん見てるじゃん。

などと私が言ってたら、みんなに、
「またまた、そんなこと言って! 自分に素直になりなさいよ」という顔をされるのって、なにそれぇ~っ!?(笑)

やだな~、もう。 
え~とね、思うに、この反応の温度差の違い、というか、趣味の違いっていうのはね…
ああ、そうだ……例えるならば、
これが男だったら、
「黒い喪服の似合う未亡人」と、「裸エプロンのお姉さん」
どっちに妄想が働いて萌えるかどうかの違いよね、きっと(爆)

なんて、やぁ~ねっ! 誰かさんのせいで、清らかなチャリティーコンサートの感想の結末が、思わずこんな話になっちゃったわよ! (と、ひとのせいにする)

なので、お口直しに「FURUSATO~宇宙からみた世界遺産」の動画を載せておきますね。
最後のシーンのニュージーランドの星空に心が洗われます。



セットリスト
第一部  
1. The Prayer
2. High and Lifted Up
3. Jupiter
4. Thou Oh Lord
5. Never Give Up
6. てぃんさぐの花
7.We Shall Over Come

第二部
1. Don't Change My Soul
2. Amazing Grace
3. 赤とんぼ(ピアノ弾き語り)
4. Again & Again
5. Over The Rainbow
6. FURUSATO

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いつかどこかで(18)ただ好きと言ってほしいだけ

2011年07月05日 21時05分11秒 | いつかどこかで(雑記)

こんばんは、おおるりです。

いつもの方も、初めましての方も、私の感想記をご覧いただきましてありがとうございます。

表題の「ただ好きと言ってほしいだけ」というのはね、観てきた舞台の題名でもなんでもなくて、ある見知らぬ方のブログの題名を勝手に拝借したんですけど(笑)
イラストと詩を載せている方で、私のもうひとつのブログに足あとを残してくださったのでお返しに行ってみたら、とても共感したので使わせてもらいました。
「ただあなたに好きだと感じてほしいだけ」
そして、自分もただ好きと言いたい…そんな内容の詩で書かれた日記です。

私がネットで本や舞台などの感想を書き始めたのも、それが長年続いているのも、やっぱり「好きだと言いたい」というのが原動力だな、って思います。
だけど、私はただ好きじゃ済ませられなくて、どこが好きか、どんなふうに好きか、どんだけ好きか…と、つい長々と書かずにいられなくて、こんな有様になっちゃってるんですけど(笑)
だから時々うんざりしちゃうんですよね、自分に。
結局はただ「好き」と言いたいだけなのに、どうしていつも、こうも長々と語ってしまうのか…。
くどくどと語りだして、舞台に関係のない脱線話までして、ほんとに我ながらしつこいったらありゃしない!(笑)

なので、「風を結んで」の東京前楽と東京千秋楽の感想を書くつもりだったのですが、もうとっくに大阪の大千秋楽も幕を閉じたことだし、「この舞台、好きでした」の一言で終わらせようかと思います。

とか言ってみたらどうだろう。

すると、きっといずれ忘れてしまうんですよね。
どんなふうに好きだったのか、その時の自分の気持ちを。
十年たっても、好きだった気持ちは覚えているかもしれないけれど、時とともに「振り返る想い」に変わってきて、今の「好き」をきっと忘れてしまう。
だから、やっぱり長くても短くても、少々遅くなっても書いておきたいなぁ、とか思います。

それともうひとつ。
私の書いたものが好きだと言ってくれた友人、
「自分は舞台は観ないけれど、感想記は楽しみにしている」と言ってくれた、かつての仲間、
私の文を読むと、私に会いたくなると言ってくれた、あの子…
それから、書いているのを見て「相変わらず元気だな」と安否確認(笑)してくれる友達…

人数にしたら僅かかもしれないけれど、そんなみんながありがたくて、好きだから、やっぱり私は書き続けているのよね。

ただ好きと言ってほしいだけ。
ただ好きだと言いたいだけ。


まともな舞台紹介や感想の記事なら、演劇雑誌の劇評とか、各マスコミのそれがある。
そういうところに書かれたものは、こんなふうではありえない。ってなものを、あえて書き続けたい。
なので、今までどおり大いに脱線話もするからねっ!!

って、だから、今日のこの文はなによ、なんなの? 開き直り宣言?
というより、なんか遺言しているみたい(笑)
でも、あの震災があったから言うわけじゃないけれど、人はいつ何があるかわからないし。
生きているこの「今」に、好きは好きと言っておかなきゃ。
あなたが好きだと言わなくちゃ。
もし、明日この身に何かあり、ここに私がいなくなってしまったとして(生きているかどうかはともかくとして)、その事情を知っても知らなくても、誰かが私の遺した文を読み、私に会いたいなと思ってくれたなら、その時私はその人に会っているのだろう。

ああ、
え~と…、これは観劇記だけじゃなくて、今まで書いてきた日記とか、創作の文とか、メールだとか…そういうの、全部のひっくるめた話ね。
観劇記だけ読みに来て、たまたまこれだけを目にした人は「何を大げさに言ってるんだ? 」と目を丸くしているかもしれないけれど(笑) 私が好きなあなたならわかってくれると思う。
でも、初めましての方達も含めて、私は自分の書く先の向こう側に「人」が感じられないと書けない人なので、私が書く先に思い浮かぶ顔は一人一人だけど、顔を知らない方もついでに含まれるので(笑) 全体公開で書いてみました。
こういう恥ずかしい文は、思い立った時に勢いじゃなきゃ書けないし、書いておけば良かったと思うときに書けない状況だったりすると、あとできっと後悔するからね。

たとえ間違いをしようとも、なるべく一瞬一瞬を悔いなく生きていきたい。
それは、今まで出会ったたくさんの作品から、そして出会ったたくさんの人から教わったことだから、これだけ遊び歩いて学習したことはちゃんと実践しなきゃね(笑)


読んでくれてありがとう。
できることなら、いつかどこかでお会いしましょう。

では、また。


おおるり

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「ベッジ・パードン」

2011年07月03日 04時06分33秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)

三谷幸喜生誕50周年 大感謝祭第3弾
【作・演出】三谷幸喜
【出演】夏目金之助(夏目漱石) 野村萬斎 / アニー・ペリン(ベッジ) 深津絵里 / 畑中惣太郎 大泉洋 / グリムズビー 浦井健治 / Mr.&Mrs.ブレッド他 浅野和之


世田谷パブリックシアターは立ち見が出るほどに大盛況。
それゃあもう、なんたって三谷作品で、その上この役者揃いですものね!!

「ベッジ」とは夏目金之助(漱石)がイギリス留学中に、下宿先の小間使いアニーにつけたあだ名です。
アニーはロンドンでも下町育ちなのでコックニー訛りがあり、彼女の言う「I beg your pardon?」(もう一度お願いします)という慣用句が、金之助には「ベッジ・パードン」と聞こえます。
それで、金之助はアニーを「ベッジ」と呼びますが、他にもコックニー訛りだと「H」が発音できないので、「はい」が「アイ」になり、「人」は「イト」に聞こえ、二人が親密な仲になってからは、金之助もアニーに影響されて「H」の発音がおかしくなったりします。
ええ、もちろん、日本の舞台ですから、「これは英語だと思ってください」という日本語なわけですけど(笑)
深津さんアニーの「あいっ!」というお返事が、と~っても可愛かったです!

それで、ですから、ロンドンっ子のアニーにしたってコックニー訛りのコンプレックスがありますけど、金之助には英語コンプレックスがあるし、英語がぺらぺらな日本人の下宿仲間・畑中惣太郎にしても、日本語となると方言のコンプレックスがあったりします。
それで「言葉」というのがこの舞台の重要な鍵ともなっています。

物語の最初の頃に、下宿先の大家の奥さんが、上手に英語が喋れない金之助に言うんですよね、
「言葉ではなくて、心よ」と。
けれども、その奥さんはいつも他人に厳しい言葉しか言えない人で、優しい言葉や感謝や褒め言葉が言えず、旦那さんはそれに耐え切れずに終盤で家を出てしまいます。
そこで金之助は言います。
「大切なことは言葉に出さなければわからない。」

私はこれはどちらもそうだと思うんですよね。
人の心は見えないからこそ、大切ならば言葉にしなければ本当の気持ちは伝わらないというわけですが、けれども、調子のいい畑中がそうであったように、たとえ言葉が巧みでも、そこに心が込められていなければ何も見えません。

心のある言葉、心のない言葉。
言葉の役割とは、心とは、その力とは、いったい何なのか……。

そこでまたいつもの脱線話なのですが(笑)
十年ほど昔の話ですが、私はある時、大切な人に、「万感の想いをたった一言で伝えた」という、奇跡のような経験をしたことがあるんです。
それは一行ですらなく、本当にたったの一言でした。
意図的にしたわけではないですが、その時私は言葉がみつからなくて、その一言に、感謝と愛情、慕わしさや共感も、感激も、甘える気持ちすらも込めたつもりでしたが、その全てがたった一言で確かに相手に伝わったと感じた時、やはり「言葉とは何だろう、その中に宿る心とは何だろう」と思わずにはいられませんでした。
その最強呪文ともいうべき言葉が何かと言うのは、もちろん秘密ですけど(笑)、けれども何故そのような事が起きたかと言うと、その背景には、それなりの月日をかけて心を込めてきたたくさんの言葉のやりとりがあったという、それまでの経緯ががあったからこそ、そういう奇跡のような瞬間に出会えたのだと思います。
最強呪文は一日にして成らず(笑)
いざという特別な時だけじゃなくて、互いに日ごろから言葉に込めて、ちゃんと形にして伝え合おうとしていけば、たとえその言葉が拙いものでも、きっと大切な想いというものは相手に伝わるものだと実感した、とても貴重な経験でした。
上手い下手でもなく、長い短いでもなく、心なんですよね、やっぱり。
そして、この心を込めた言葉を、「何時、何処の場で、誰に向かって言うのか(あるいは、書くのか)」というのは、私のここ最近の課題のひとつでもあります。
課題といえば、他にも、「抽象と具象」「マクロとミクロ(または、万人と唯一人)」とかもそうなんですけど、何故かというと、こういう感想を書くにしても、、他のものを書くときでも、「人を想うこと」と「自分を思うこと」に繋がるからなんですよね。
あくまでも、私の場合は、ってことですけど。
これらが私なりに解れば、もう少しだけ幸せになれるのかな?? って。
そして、そのヒントがこうして舞台の上に転がっているから、やっぱり私は一つでも多くの舞台を観たいと思わずにはいられません。
ってか、そんなふうに言葉にすると、なんか難しいことを考えているようですが、そんなんじゃなくて、とにかくただひたすら面白がっているだけなんですけど。(笑)

ところで、ベッジ役の深津絵里さんはむちゃくちゃ可愛かったですけど、や~っぱ、浦井くんは可愛い~!!(笑)

大人の女が、同性の、やはり大人の女を可愛いと思う時、そして、大人の男性を可愛く思う時って、赤ちゃんや幼児とか小動物などの「小さき者」を可愛く思うのとは似て非なるものがありますよね?
浦井くんなんて、この舞台では小柄な役者さんたちに混じってかなり大柄に見えたし、不精で汚い髭面に作ってたし(笑) しかも、よく考えても考えなくても、かなりろくでなしな、一歩違えればとても好きになれないような、酷い弟の役だったりするんです(笑) 
それでも、な~んか、「可愛いから、しょうがないよね~」って気がしちゃうから不思議。
やっぱり大人の可愛さって、見た目よりもまず、なんか、つい目が離せなくて放っておけないような、、思わず手を伸ばして何かしてあげたくなるような、大概の我侭も許してあげたくなるような、微笑みたくなるような、そういうもので、内側から滲み出る性格的なものだと私は思うんです。
そういえば昔、カリスマ性を持つ者について、彼らの共通した特徴について説明された文を何かで読んだことがあるのですが、それにちょっと共通したものがあるかもしれません。
深津さんにしても浦井くんにしても、十年後も二十年後もきっと可愛いんだろうな、そうであってほしいな、と思った次第でした。

ああ、本当は、その可愛い深津さんベッジが「夢の話」について語った場面が、思わずキューンとして抱きしめたいくらいに愛しく思えたこととかも書きたかったのだけど、なんかとても長い文になってしまいそうだから、それはまた別の機会にしときます。
希望とかの「叶える」ほうの夢の話ではなくて、布団に入って寝てから見る夢の話なんですけど…、どうせ私は脱線話になるのよね、きっと(笑)

とにかく魅力的な五人の役者さんたちにそれぞれ見所あり、見ごたえありの面白い舞台でした。
生真面目でナイーブな漱石の野村萬斎さんは期待以上に良かったし、テレビでおなじみの大泉洋さんも可笑しかったけれど、浅野和之さんの11変化には脱帽で、その職人技にも笑わせてもらいました。

劇場内で売られているパンフレットが1000円という価格で、しかも読み応えありというのも嬉しいです。
それに、何よりもそのパンフレット代の全額が被災地の義援金として募金されるというのが、太っ腹ですよね~!
透明の義援金箱に、パンフレット代の千円札が次々に放り込まれている様が珍しかったです。
あっちこっちと期待を裏切らない舞台でした。

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