今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「リチャード三世」2009/01/26 過去の観劇記

2009年01月26日 23時11分25秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)
主演が古田新太さんで、演出がいのうえひでのりさんで、ド派手な衣装に、ロックの音楽。
それでもやっぱりシェイクスピアなのよね。
饒舌な長台詞もそのままに(たぶん)きわめて真面目な劇よ。
お笑いはかなり少な目だけど、小道具が現代的で、その辺りの演出はいのうえさんらしいと思いました。

世の中の大多数の人間は、愛し合うことが気持ち良いわけだけど、このリチャードのように憎みあうことが気持ち良い人間もいるわけだ。
気持ち良いと言っちゃ語弊があるけれど、人はなりたい自分になっていくものよね。
リチャードにはそれなりに協力する人や忠誠心を持ってくれる人もいたし、その舌先三寸でいっときは美しい女性も手に入れられたのだから、その人間関係を大切にすれば、ああも破滅することはなかっただろうに、彼は自分からそのことごとくを裏切ることで恨まれ憎まれて「やはり全ての人は自分を憎む」と思いたがっていたのではないかという気がします。
世界の全てが自分を憎むなら、自分は世界を憎む。
その正当な理由を作るために、ひたすらに突き進んでいたとしか思えないわ。

古田さんのリチャードは、それはそれは徹底的に悪い奴なんだわ。
同情すべき余地は作っていません。
「朧の森」で染ちゃんが見せたような色気も出さないし、カッコよくなんかしない。
徹底的に正しく極悪人のリチャード。
女たちが彼を恨み、憎み、呪いの言葉を浴びせる場面は凄かった。
彼女らの恨みは当然のもの。
そして、母親までもが。
この母親に恨み辛みを言われているときの、古田さんの顔、私は良かったな。
表情がない。もうそういう顔しているしかないでしょう。

私はその悪人の最期がどんなものか期待して、この長い長い劇をそのために見ているような思いでした。
果たして、その最期は、「天保十二年のシェイクスピア」のような、衝撃の滅多刺しではなく、決して涙するような場面でもなかったにもかかわらず、やっぱり涙が流れました。
これも人なのだ。人の生き様なのだと。
まあ、例によって周りで泣いていたのは私だけだったけど。

ところで、ネタばれだから言わないけれど、
この舞台で使われる現代的な小道具に、やはり今の時代を感じました。
世界の全てを恨んで冷笑しているような事件の、なんと多いことか。
リチャード三世のような魂を持つ男は、もしかしたらアチコチに、すぐ近くにも存在しているかも
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「パイパー」2009/01/18 

2009年01月18日 18時49分50秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)
松たか子/宮沢りえ/橋爪功/大倉孝二/北村有起哉/小松和重/田中哲司/佐藤江梨子/野田秀樹/

近年私が注目している女優さんといえば、松たか子さん、宮沢りえさん、ソニンちゃん。
…とくれば、これは見ないわけにはいかないでしょう!

パイパーとは、火星に移民した人間を幸福するためにプログラミングされた存在。
しかし、人を傷つけないはずのパイパーが不気味な脅威となり、幸福を数値で認識する人間たちは、その数値を低め、希望の地を絶望の地へ変えてしまった…その後に……。という話。
宮沢りえさんは、こんな骨太な演技も出来る女優さんだったのね。
惚れ直したわ
声も、一昨年や去年に観た舞台と出し方が違う。
でも、喉はさすがに松さんのほうが強いかな、りえさんの声はちょっとつぶれていたかも。

二人の役どころは、りえさんがお姉さんで松さんが妹。
二人で掛け合いのようにしてセリフを次々と言う場面は圧巻でした。
後半で、場面が変わって、松さんが母親に、りえさんが小さな娘にと、スイッチが変わるところも無理のないどころか、ハマっていて、この二人の女優さんの力や、息のぴったりとした合い具合も感じられましたよ
設定も演出も面白くって、野田さんは面白い人だなぁ~!
八歳で天才巨大児役の大倉さんも面白かったです

幸福の度合いを数値で測る愚かしさ。
数値が上がるとテンションが上がるのは良いとしてもよ?
数値が下がるとより不幸な気がしてしまうっていうのは愚かしいことね。
なんとなく、ニュースに踊らされているような今の世界の状況にも通じるかも。
…なんて、難しいことはわからないけれど、目に見える明確なもので幸福は測れないものね。
たとえ不幸な事があったとしても、その中に幸福を見出す人もいれば、その不幸な事態に囚われてどんどん不幸に陥ろうとする人もいるわけだし。
だいいち、民衆の最大公約数的な幸福値を知らされることにどんな意味があるのかしら?
幸福値がだんだん下がる、そのカウントダウンにより絶望を見る場面は、野田さん特有の皮肉がこめられているようでした。

この絶望の話は火星という地ではあるけれど、地球に置き換えてもいいかもしれない。未来への警告とも見られますね。
「希望は絶望と同じくらい絵空事」であり、それはその逆「絶望は希望と同じくらい絵空事」でもある。でも、その絵空事というのは人が作るもの。
絶望も希望も人が作り出すものよね。
何もない火星にもたらした、人の作る絶望の、その最後に咲いた希望もやはり人の作るものだったということに、救いが残っていました。

で、ますますこの二人の女優さんが好きになりました!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする