主演が古田新太さんで、演出がいのうえひでのりさんで、ド派手な衣装に、ロックの音楽。
それでもやっぱりシェイクスピアなのよね。
饒舌な長台詞もそのままに(たぶん)きわめて真面目な劇よ。
お笑いはかなり少な目だけど、小道具が現代的で、その辺りの演出はいのうえさんらしいと思いました。
世の中の大多数の人間は、愛し合うことが気持ち良いわけだけど、このリチャードのように憎みあうことが気持ち良い人間もいるわけだ。
気持ち良いと言っちゃ語弊があるけれど、人はなりたい自分になっていくものよね。
リチャードにはそれなりに協力する人や忠誠心を持ってくれる人もいたし、その舌先三寸でいっときは美しい女性も手に入れられたのだから、その人間関係を大切にすれば、ああも破滅することはなかっただろうに、彼は自分からそのことごとくを裏切ることで恨まれ憎まれて「やはり全ての人は自分を憎む」と思いたがっていたのではないかという気がします。
世界の全てが自分を憎むなら、自分は世界を憎む。
その正当な理由を作るために、ひたすらに突き進んでいたとしか思えないわ。
古田さんのリチャードは、それはそれは徹底的に悪い奴なんだわ。
同情すべき余地は作っていません。
「朧の森」で染ちゃんが見せたような色気も出さないし、カッコよくなんかしない。
徹底的に正しく極悪人のリチャード。
女たちが彼を恨み、憎み、呪いの言葉を浴びせる場面は凄かった。
彼女らの恨みは当然のもの。
そして、母親までもが。
この母親に恨み辛みを言われているときの、古田さんの顔、私は良かったな。
表情がない。もうそういう顔しているしかないでしょう。
私はその悪人の最期がどんなものか期待して、この長い長い劇をそのために見ているような思いでした。
果たして、その最期は、「天保十二年のシェイクスピア」のような、衝撃の滅多刺しではなく、決して涙するような場面でもなかったにもかかわらず、やっぱり涙が流れました。
これも人なのだ。人の生き様なのだと。
まあ、例によって周りで泣いていたのは私だけだったけど。
ところで、ネタばれだから言わないけれど、
この舞台で使われる現代的な小道具に、やはり今の時代を感じました。
世界の全てを恨んで冷笑しているような事件の、なんと多いことか。
リチャード三世のような魂を持つ男は、もしかしたらアチコチに、すぐ近くにも存在しているかも
それでもやっぱりシェイクスピアなのよね。
饒舌な長台詞もそのままに(たぶん)きわめて真面目な劇よ。
お笑いはかなり少な目だけど、小道具が現代的で、その辺りの演出はいのうえさんらしいと思いました。
世の中の大多数の人間は、愛し合うことが気持ち良いわけだけど、このリチャードのように憎みあうことが気持ち良い人間もいるわけだ。
気持ち良いと言っちゃ語弊があるけれど、人はなりたい自分になっていくものよね。
リチャードにはそれなりに協力する人や忠誠心を持ってくれる人もいたし、その舌先三寸でいっときは美しい女性も手に入れられたのだから、その人間関係を大切にすれば、ああも破滅することはなかっただろうに、彼は自分からそのことごとくを裏切ることで恨まれ憎まれて「やはり全ての人は自分を憎む」と思いたがっていたのではないかという気がします。
世界の全てが自分を憎むなら、自分は世界を憎む。
その正当な理由を作るために、ひたすらに突き進んでいたとしか思えないわ。
古田さんのリチャードは、それはそれは徹底的に悪い奴なんだわ。
同情すべき余地は作っていません。
「朧の森」で染ちゃんが見せたような色気も出さないし、カッコよくなんかしない。
徹底的に正しく極悪人のリチャード。
女たちが彼を恨み、憎み、呪いの言葉を浴びせる場面は凄かった。
彼女らの恨みは当然のもの。
そして、母親までもが。
この母親に恨み辛みを言われているときの、古田さんの顔、私は良かったな。
表情がない。もうそういう顔しているしかないでしょう。
私はその悪人の最期がどんなものか期待して、この長い長い劇をそのために見ているような思いでした。
果たして、その最期は、「天保十二年のシェイクスピア」のような、衝撃の滅多刺しではなく、決して涙するような場面でもなかったにもかかわらず、やっぱり涙が流れました。
これも人なのだ。人の生き様なのだと。
まあ、例によって周りで泣いていたのは私だけだったけど。
ところで、ネタばれだから言わないけれど、
この舞台で使われる現代的な小道具に、やはり今の時代を感じました。
世界の全てを恨んで冷笑しているような事件の、なんと多いことか。
リチャード三世のような魂を持つ男は、もしかしたらアチコチに、すぐ近くにも存在しているかも