「オセロ」
脚色・演出:いさらい香奈子
出演:めたちけん一/伊藤イサム/石井啓太/三原和枝/堀ひろこ/なるせこお/大前智/本島孝美/いさらい香奈子
今宵も誰かが嫉妬する
世界中で
どこかの街で
どこかの部屋のベッドの中で
そんな始まりだから、いさらい香奈子さん。
いさらいさんは歌手であり女優さんであり、演出家…だと思ったら脚色もなさるのね。
私はシェイクスピアに疎いからどれほどかわからないけど、近くにいらしたご婦人が「長い物語をうまく短くまとめていた」と仰っていたので、そうなんでしょうね。
私は「オセロ」を観たのは初めてで、でもこの二時間弱の舞台で、しっかりとシェイクスピアを観せてもらったような気持ちになりました。
この物語には二つの嫉妬があるんだけど…
私は正直言って、この「嫉妬」というものがよくわからないのよねぇ…。
もちろん、他人を羨ましいと思うことはよくあるし、それで子どもの頃なんかわりとひがみっぽい子どもだったような気もするけれど、「ひがむ」というのはつまり「どうせ私なんか」と捻くれることで、他人を妬んで憎むのとは違うと思う。
負の感情が自分の内側に向かうか、他人へ向かうかの違いなのかも。
それで「嫉妬」を調べてみたら
1 自分よりすぐれている人をうらやみねたむこと。「他人の出世を―する」
2 自分の愛する者の愛情が、他の人に向けられるのを恨み憎むこと。やきもち。悋気(りんき)。「夫の浮気相手に―する」
[ 大辞泉 ]
ああ、なるほどね。
それでこの「オセロ」にはちょうど、その1にあたる嫉妬と、その2に該当する嫉妬がありました。
そもそもこの物語は、ヴェニスの将軍オセロの旗持ちのイアーゴーという男が、自分の主人のオセロをうらやんで妬んだことから始まったわけです。
それで部下の罠にはまってしまったオセロが、新婚の妻デスデモーナを嫉妬のあまり殺してしまうというお話。
そういえば、先日は女流講談師の神田紅師匠の怪談を聞きに行きましたが、今年は化け猫のお話で、この化け猫に恨みを託したのは男性だったのね。
それで、終ってみると去年や一昨年に聞いた怪談ほどは怖くなくて、その時に友達と「幽霊は男よりもやっぱり女のほうが怖いよね」って話をしましたが、怪談に出てくる女の幽霊には恨みの中に悲しみがあります。
愛を踏みにじられ裏切られた悔しさ口惜しさがあって、その恨みが凄まじく怖いわけ。
けれども嫉妬となると、どうなんだろう。
一般的には女性のほうが嫉妬深そうな気もするけれど、実は男の嫉妬のほうが根が深くて怖いかもしれない。
このイアーゴーという男には、「嫉妬する相手を破滅させてやりたい」というような黒い欲望を感じます。
自分よりもいい思いをしている他人が羨ましすぎて、その人が自分の画策する罠にはまって痛い目に合えばどれだけ溜飲が下がるだろうかと楽しんでいるのね。
それは、心卑しき嫉妬心。
そして、相手を落すことで、最終的には自分がパワーゲームの勝利者になりたいのかもしれません。
一方、オセロが妻のデスデモーナに嫉妬したのは、本人いわく「深く愛しすぎてしまった」からだとか。
愛していればいるほどに嫉妬の炎は燃え上がる……らしい。
どっちにしても、嫉妬する側のほうが被害者意識で勝手に盛り上がり、嫉妬されるほうとしてはどこにも否がないにもかかわらず、自分の預かり知らぬところで相手に恨まれたり憎まれたりしているところが怖いです。
そうであれば、金持ちは金持ちだというだけで見知らぬ貧乏人から嫉妬され、才能ある者はその才能が評価されるほどに凡人に嫉妬され、また、美人は美人で嫉妬され、幸せそうなものは知らずして不幸な者を傷つけてその嫉妬を買う。
そして、愛される人は愛されるほどに、その愛情を独占したい人から嫉妬される。
ああ、なんて、人の心は愚かでややこしいのだろう。
私には嫉妬はわからないと思いつつ、それでもラストで胸がいっぱいになってしまったのは、やはりそこに人の愚かしさと哀れを感じたからかもしれません。
自分の心の中にも愚かしいものがいっぱいあるから。
愚かであることは、時々とても悲しいです。
だからこのラストは観る前に想像していた以上に、ほんとうに胸がいっぱいで悲しくなりました。
ところで、このお芝居は西荻窪の「シアター2+1」という小さな芝居小屋で、今週の水曜日(8/24)から来週の月曜日(8/30)まで上演しています。
全9公演ほぼ満員御礼で、空席があるのは土曜日の夜だけだそうです。
いつも大小の劇場でたくさんのチラシを受け取るたびに思うのですが、東京では毎日毎晩のように、必ずどこかしらで芝居の幕が開いているんですよね。
今さらだけど、役者さんたちも有名無名合わせて本当にたくさんいらっしゃるし。
「それが何か?」と聞かれると、上手く言えないのだけれど、今日のようなこういった東京の街の片隅の、客席に70人も座れるかどうかというような小さな芝居小屋でも、ちゃんとシェイクスピアに感動できるって、なんだかとても感慨深いです。
終演後、オセロ役を演じた役者さんの顔に流れて光った汗に、私には汗だけでなく涙が混じっていたように見えました。
オセロは自分が殺してしまったデスデモーナを、ほんとうに深く愛していたんですね。
良いお芝居を見せていただきました。
脚色・演出:いさらい香奈子
出演:めたちけん一/伊藤イサム/石井啓太/三原和枝/堀ひろこ/なるせこお/大前智/本島孝美/いさらい香奈子
今宵も誰かが嫉妬する
世界中で
どこかの街で
どこかの部屋のベッドの中で
そんな始まりだから、いさらい香奈子さん。
いさらいさんは歌手であり女優さんであり、演出家…だと思ったら脚色もなさるのね。
私はシェイクスピアに疎いからどれほどかわからないけど、近くにいらしたご婦人が「長い物語をうまく短くまとめていた」と仰っていたので、そうなんでしょうね。
私は「オセロ」を観たのは初めてで、でもこの二時間弱の舞台で、しっかりとシェイクスピアを観せてもらったような気持ちになりました。
この物語には二つの嫉妬があるんだけど…
私は正直言って、この「嫉妬」というものがよくわからないのよねぇ…。
もちろん、他人を羨ましいと思うことはよくあるし、それで子どもの頃なんかわりとひがみっぽい子どもだったような気もするけれど、「ひがむ」というのはつまり「どうせ私なんか」と捻くれることで、他人を妬んで憎むのとは違うと思う。
負の感情が自分の内側に向かうか、他人へ向かうかの違いなのかも。
それで「嫉妬」を調べてみたら
1 自分よりすぐれている人をうらやみねたむこと。「他人の出世を―する」
2 自分の愛する者の愛情が、他の人に向けられるのを恨み憎むこと。やきもち。悋気(りんき)。「夫の浮気相手に―する」
[ 大辞泉 ]
ああ、なるほどね。
それでこの「オセロ」にはちょうど、その1にあたる嫉妬と、その2に該当する嫉妬がありました。
そもそもこの物語は、ヴェニスの将軍オセロの旗持ちのイアーゴーという男が、自分の主人のオセロをうらやんで妬んだことから始まったわけです。
それで部下の罠にはまってしまったオセロが、新婚の妻デスデモーナを嫉妬のあまり殺してしまうというお話。
そういえば、先日は女流講談師の神田紅師匠の怪談を聞きに行きましたが、今年は化け猫のお話で、この化け猫に恨みを託したのは男性だったのね。
それで、終ってみると去年や一昨年に聞いた怪談ほどは怖くなくて、その時に友達と「幽霊は男よりもやっぱり女のほうが怖いよね」って話をしましたが、怪談に出てくる女の幽霊には恨みの中に悲しみがあります。
愛を踏みにじられ裏切られた悔しさ口惜しさがあって、その恨みが凄まじく怖いわけ。
けれども嫉妬となると、どうなんだろう。
一般的には女性のほうが嫉妬深そうな気もするけれど、実は男の嫉妬のほうが根が深くて怖いかもしれない。
このイアーゴーという男には、「嫉妬する相手を破滅させてやりたい」というような黒い欲望を感じます。
自分よりもいい思いをしている他人が羨ましすぎて、その人が自分の画策する罠にはまって痛い目に合えばどれだけ溜飲が下がるだろうかと楽しんでいるのね。
それは、心卑しき嫉妬心。
そして、相手を落すことで、最終的には自分がパワーゲームの勝利者になりたいのかもしれません。
一方、オセロが妻のデスデモーナに嫉妬したのは、本人いわく「深く愛しすぎてしまった」からだとか。
愛していればいるほどに嫉妬の炎は燃え上がる……らしい。
どっちにしても、嫉妬する側のほうが被害者意識で勝手に盛り上がり、嫉妬されるほうとしてはどこにも否がないにもかかわらず、自分の預かり知らぬところで相手に恨まれたり憎まれたりしているところが怖いです。
そうであれば、金持ちは金持ちだというだけで見知らぬ貧乏人から嫉妬され、才能ある者はその才能が評価されるほどに凡人に嫉妬され、また、美人は美人で嫉妬され、幸せそうなものは知らずして不幸な者を傷つけてその嫉妬を買う。
そして、愛される人は愛されるほどに、その愛情を独占したい人から嫉妬される。
ああ、なんて、人の心は愚かでややこしいのだろう。
私には嫉妬はわからないと思いつつ、それでもラストで胸がいっぱいになってしまったのは、やはりそこに人の愚かしさと哀れを感じたからかもしれません。
自分の心の中にも愚かしいものがいっぱいあるから。
愚かであることは、時々とても悲しいです。
だからこのラストは観る前に想像していた以上に、ほんとうに胸がいっぱいで悲しくなりました。
ところで、このお芝居は西荻窪の「シアター2+1」という小さな芝居小屋で、今週の水曜日(8/24)から来週の月曜日(8/30)まで上演しています。
全9公演ほぼ満員御礼で、空席があるのは土曜日の夜だけだそうです。
いつも大小の劇場でたくさんのチラシを受け取るたびに思うのですが、東京では毎日毎晩のように、必ずどこかしらで芝居の幕が開いているんですよね。
今さらだけど、役者さんたちも有名無名合わせて本当にたくさんいらっしゃるし。
「それが何か?」と聞かれると、上手く言えないのだけれど、今日のようなこういった東京の街の片隅の、客席に70人も座れるかどうかというような小さな芝居小屋でも、ちゃんとシェイクスピアに感動できるって、なんだかとても感慨深いです。
終演後、オセロ役を演じた役者さんの顔に流れて光った汗に、私には汗だけでなく涙が混じっていたように見えました。
オセロは自分が殺してしまったデスデモーナを、ほんとうに深く愛していたんですね。
良いお芝居を見せていただきました。