今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「オセロ」

2010年08月28日 03時56分37秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)
「オセロ」
脚色・演出:いさらい香奈子
出演:めたちけん一/伊藤イサム/石井啓太/三原和枝/堀ひろこ/なるせこお/大前智/本島孝美/いさらい香奈子


今宵も誰かが嫉妬する

世界中で
どこかの街で
どこかの部屋のベッドの中で


そんな始まりだから、いさらい香奈子さん。
いさらいさんは歌手であり女優さんであり、演出家…だと思ったら脚色もなさるのね。
私はシェイクスピアに疎いからどれほどかわからないけど、近くにいらしたご婦人が「長い物語をうまく短くまとめていた」と仰っていたので、そうなんでしょうね。
私は「オセロ」を観たのは初めてで、でもこの二時間弱の舞台で、しっかりとシェイクスピアを観せてもらったような気持ちになりました。

この物語には二つの嫉妬があるんだけど…
私は正直言って、この「嫉妬」というものがよくわからないのよねぇ…。
もちろん、他人を羨ましいと思うことはよくあるし、それで子どもの頃なんかわりとひがみっぽい子どもだったような気もするけれど、「ひがむ」というのはつまり「どうせ私なんか」と捻くれることで、他人を妬んで憎むのとは違うと思う。
負の感情が自分の内側に向かうか、他人へ向かうかの違いなのかも。

それで「嫉妬」を調べてみたら
1 自分よりすぐれている人をうらやみねたむこと。「他人の出世を―する」
2 自分の愛する者の愛情が、他の人に向けられるのを恨み憎むこと。やきもち。悋気(りんき)。「夫の浮気相手に―する」
[ 大辞泉 ]

ああ、なるほどね。
それでこの「オセロ」にはちょうど、その1にあたる嫉妬と、その2に該当する嫉妬がありました。
そもそもこの物語は、ヴェニスの将軍オセロの旗持ちのイアーゴーという男が、自分の主人のオセロをうらやんで妬んだことから始まったわけです。
それで部下の罠にはまってしまったオセロが、新婚の妻デスデモーナを嫉妬のあまり殺してしまうというお話。

そういえば、先日は女流講談師の神田紅師匠の怪談を聞きに行きましたが、今年は化け猫のお話で、この化け猫に恨みを託したのは男性だったのね。
それで、終ってみると去年や一昨年に聞いた怪談ほどは怖くなくて、その時に友達と「幽霊は男よりもやっぱり女のほうが怖いよね」って話をしましたが、怪談に出てくる女の幽霊には恨みの中に悲しみがあります。
愛を踏みにじられ裏切られた悔しさ口惜しさがあって、その恨みが凄まじく怖いわけ。

けれども嫉妬となると、どうなんだろう。
一般的には女性のほうが嫉妬深そうな気もするけれど、実は男の嫉妬のほうが根が深くて怖いかもしれない。

このイアーゴーという男には、「嫉妬する相手を破滅させてやりたい」というような黒い欲望を感じます。
自分よりもいい思いをしている他人が羨ましすぎて、その人が自分の画策する罠にはまって痛い目に合えばどれだけ溜飲が下がるだろうかと楽しんでいるのね。
それは、心卑しき嫉妬心。
そして、相手を落すことで、最終的には自分がパワーゲームの勝利者になりたいのかもしれません。

一方、オセロが妻のデスデモーナに嫉妬したのは、本人いわく「深く愛しすぎてしまった」からだとか。
愛していればいるほどに嫉妬の炎は燃え上がる……らしい。
どっちにしても、嫉妬する側のほうが被害者意識で勝手に盛り上がり、嫉妬されるほうとしてはどこにも否がないにもかかわらず、自分の預かり知らぬところで相手に恨まれたり憎まれたりしているところが怖いです。

そうであれば、金持ちは金持ちだというだけで見知らぬ貧乏人から嫉妬され、才能ある者はその才能が評価されるほどに凡人に嫉妬され、また、美人は美人で嫉妬され、幸せそうなものは知らずして不幸な者を傷つけてその嫉妬を買う。
そして、愛される人は愛されるほどに、その愛情を独占したい人から嫉妬される。

ああ、なんて、人の心は愚かでややこしいのだろう。

私には嫉妬はわからないと思いつつ、それでもラストで胸がいっぱいになってしまったのは、やはりそこに人の愚かしさと哀れを感じたからかもしれません。
自分の心の中にも愚かしいものがいっぱいあるから。
愚かであることは、時々とても悲しいです。
だからこのラストは観る前に想像していた以上に、ほんとうに胸がいっぱいで悲しくなりました。


ところで、このお芝居は西荻窪の「シアター2+1」という小さな芝居小屋で、今週の水曜日(8/24)から来週の月曜日(8/30)まで上演しています。
全9公演ほぼ満員御礼で、空席があるのは土曜日の夜だけだそうです。

いつも大小の劇場でたくさんのチラシを受け取るたびに思うのですが、東京では毎日毎晩のように、必ずどこかしらで芝居の幕が開いているんですよね。
今さらだけど、役者さんたちも有名無名合わせて本当にたくさんいらっしゃるし。
「それが何か?」と聞かれると、上手く言えないのだけれど、今日のようなこういった東京の街の片隅の、客席に70人も座れるかどうかというような小さな芝居小屋でも、ちゃんとシェイクスピアに感動できるって、なんだかとても感慨深いです。
終演後、オセロ役を演じた役者さんの顔に流れて光った汗に、私には汗だけでなく涙が混じっていたように見えました。
オセロは自分が殺してしまったデスデモーナを、ほんとうに深く愛していたんですね。

良いお芝居を見せていただきました。
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黄金の都 シカン(仙台市博物館)

2010年08月23日 21時11分58秒 | 美術館/博物館/展覧会
仙台まで二泊三日も何しに行ったかと言いますとね、つまり、「歌って踊る若いお兄さんを見に行きました」という、非常に頭のお目出度い理由が最大なんですけど(笑)、そこで集まる友人達と観光やグルメも楽しみ、ついでに半日ほど一人の時間もあったので、博物館へ行ってきました。

仙台市博物館は、仙台駅からバスで15分程度行ったところ、青葉城址の手前あたりにありました。
上に載せた写真をぱっと見ると緑の建物のように見えますが、この緑の部分は博物館のガラスに周囲の木々の豊かな緑が映っているからです。

この「黄金の都 シカン」展は2009年7月から2011年の5月まで、全国を巡回しているのだそうです。
私は上野の国立科学博物館で開催された時には気付かなかったので、今回の旅行でこれが見られてとても良かったです。
仙台博物館は夏休みの親子連れが多く、この特別展の最終日ともありなかなかの盛況でした。


シカン文化は9~14世紀に南米ペルーで栄えた文化で、インカ帝国のルーツになるそうです。
アンデス地方の、あの有名なナスカの地上絵がある場所よりも北で興り、日本の時代でいえば、平安時代鎌倉〜室町時代頃と重なります。
「シカン」というのは「月の神殿」という意味だそうで、「シカン文化」と名づけたのは日本人考古学者の島田泉教授という方でした。
島田教授がこの研究を本格的に始めたのは1978年で、それまでは誰も調査や研究をしていなかったそうですから、この発掘の歴史はエジプトなどに比べると遥かに浅いんですよね。
それだけに、見ていると謎が謎を呼びます(笑)

シカンの遺跡を見ると、ピラミッドがありミイラもあるようで、だからエジプトを思い出します。
シカン信仰とは「月と太陽を神と崇める」信仰だということですが、では具体的にどのような信仰だったのかというと……それがね、よくわからないんですよ!
私はそれがとても気になって、でもエジプト展なんかでよく見るそれらの解説を探したんですが、本当にどこにもないんです。
係の方に聞いたら、「図録と、館内の全体をみて」(想像してほしい)ということだったので図録を見ましたが、やっぱり書いてないんですよね~。
ここで私がわかったのは、シカン信仰では儀式では、どうやら生贄を捧げていたらしいということくらいでした。
やはり、この文明が解き明かされるのはこれからなんだと思います。

遺跡から発掘された数々のものには、手のひらくらいのサイズの壺が多かったです。
シカン神や動物などをモチーフにした小さな壺はたくさんの水が入らないでしょうから、もしかすると、一人分のコップのような使い方をしていたのかもしれません。

まだほんの四年前の2006年には、ロロ神殿スロープ脇で高貴な女性の墓が発掘されました。
その墓にはたくさんの生贄が埋められ、墓の主は黄金の仮面を被り、胡坐に座した状態で埋葬されています。
これがね~また、その女性がどんな人なのかほとんどわかりません。
ただ、「シカン文化の社会で重要な地位を占める女性がいたことが明確になった」とだけであり、その女性の地位も身分も役割も全然解らないんですよね。
これって、だけどものすごくロマンがありますよね?

この黄金の国にはいったいどのような歴史があったのか。
どのような人々が、どのような生活をしていたのか。
そこにある人生とはどのようなもので、どのような物語があったのか……。


それにしても遺跡発掘で活躍するハイテク技術には感心しますが、やはり発掘の基本はスコップや刷毛を使う人の手なんですよね。
その地道で繊細な作業を、長い年月をかけてずっと根気強く続けている考古学者の方々って、ほんとうに尊敬してしまいます。

素朴なアンデス音楽流れる展示会場を出ると、お約束のグッズ売り場があり、私はまたしてもクリアファイルを買ってしまいました。
クリアファイルは先日のシャガール展でも買いましたが、そういえば、今年の吉村作治さんのエジプト展でも買いました。
どんだけクリアファイルが好きなんだか(笑)
あとは、こういう展覧会限定のガチャポンもしました。なんかやりたくなっちゃうんですよね~。
出てきたのは、シカンではなくナスカの地上絵の携帯ストラップでしたが、それはそれで嬉しかったです。


謎が謎を呼ぶ未知の文明、黄金の都シカン。

私が生きている間にどれだけ解明されるのか、折に触れて楽しみに待ちたいと思います。
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いつかどこかで(5)モーツァルト!で井上芳雄さんを見るなら…

2010年08月20日 19時57分33秒 | いつかどこかで(雑記)
こんばんは、おおるりです。

いつもの方も、初めましての方も、私の観劇記をご覧いただきましてありがとうございます。

え~、実はですねぇ、私は今までに観た舞台の全ての観劇記を書いている…わけじゃありませんけど、書いたとしてもその全部をこのブログに転載しているわけでもありません。
だって、その伏せてある観劇記っていうのは、あんまり頭がイッちゃってて~(笑)

あ~だけどね、この前2007年の「モーツァルト!」の中川晃教さんの舞台の観劇記を追加でいくつか載せましたが、確かヨッシーのは載せてなかったなぁ…と思い出し、それで当時に自分で書いたものを読んでみたら…あまりに阿呆すぎて自分で自分の背中にケリを入れたくなりました(笑)
とはいえ、これは情報のひとつとして読んでもらえれば、なかなか役に立つかもしれないと思うので、その一部を抜粋してちょっとだけ載せますね。

あ、ご注意ですが、コレを読むときっと私の背中に蹴りを入れたくなると思います。
空想上はご勝手に、でももし劇場で私を見かけても決して蹴らないでね(笑)

* * * * 
(2007/12/02)
「モーツァルト!」

イイ男と視線が合うと高笑いしたくなるこの癖を、どうしたら良いのでしょう(^^;)
帝劇へ「モーツァルト!」を観に行ってきました。
この日ばかりは芳雄くんデーと決めていたのですよ。
いや、それにしたって、「芳雄くんったら、そんなに見つめないで~」の連続で、思った以上の「芳雄くんデー」いや、「イイ男デー」の刺激にわたしゃやられてしまいました。

え~、『帝劇座席研究委員会』(んなもん、ないよ!)の研究発表。
あの斜めに短くせり出した花道の角度、芳雄くんの身長、視線の向きからして、それ一直線に伸ばすと、「残酷な人生」で芳雄くんの視線は今日の私の席、つまり一階I列28番あたりに直撃することが判明。

だからね~、ママが死んで世の中の不条理を歌う人に見つめられて高笑いしたくなるって、いったいどうすりゃいいのよ!
必死に顔ひきしめるのもつらいわ。
でもって、そこはほぼセンターだからして、芳雄くんがセンターに来た時もど真ん中に見つめられちゃってぇ~…「なぜ愛せないの」って言われても、愛してますよぉ~、あっきーほどじゃないけど……って、いやいや、舞台にゃライトが当たって客席なんか目に入らないだろうというのは分かっているわよ。
でもあんなに頻繁に直球投げられるような席って、恥ずかしいし、嬉しすぎてある意味居心地悪いくらいよ。
井上芳雄くんファンの方、もしお金とチャンスがあるならば、最前列も良いけれど一度はこの席に座ってみてください。壊れます!

しか~も、イイ男は他にもいた!
吉野シカネーダーの身長も芳雄くんとほとんど同じじゃない?
したがって、吉野さんがセンターにくる時、視線を一直線に伸ばすと前述と同様!
吉野さんが私に向かって歌ってくれる~♪

ああ、もうちょっとましな服着て、髪もきちんとブローして、アクセサリーのひとつやふたつも付けてくればよかったきょうの私は暖かさ重視の色気のない格好…っていうのはいつもだけどさぁ……とかねぇ、気が散っちゃって感動どころじゃない……と思いきや、本当に隅々まで堪能してきました。

* * * * 


…というわけで、大丈夫でしょうか?(笑)
芳雄くんを観るなら、I列(9列目)の27,28,29あたりが、幸せな「勘違い席」となります。
熱烈なヨッシーファンのあなた、ここに座るとヨッシーが「あなたのために」「あなたを見詰めて」あの曲とあの曲をほぼワンコーラス歌ってくれる…という勘違いができる確率高し!

ああ、だけどもし「座ったけど、そんなことないじゃん!」ということになったら、私の背中に蹴りをあと二、三発入れて良いからそれで許してね。
もちろん空想の中でよ。暴力はいけません、暴力は(笑)

ちなみに、私は12月に一階の席でまたヨッシーを観ますが、今度はセンターブロックではありませんので、ヨッシーや吉野さん達の視線が飛んでくることはたぶんないと思います。
その時はもしかしたら、あなたの隣に座っているかもしれませんね。


では、では、次にお会いしましょう。
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シャガール展~交錯する夢と前衛

2010年08月20日 09時16分53秒 | 美術館/博物館/展覧会
シャガールの絵がとても好きだと思ったのは、わりと最近のことです。

去年…2009年の2月4日、私はずっと早くから休暇を申請していたにもかかわらず、この日に行くべき場所を失いました。
けれども家でじっとしてはいられず、さりとて代わりにどこかの劇場へ行く気にも到底なれずに、その結果、ひとりで美術館のハシゴをしました。
青山にある小さな美術館に、シャガールの絵は静かに展示されてありました。
まるで貸切のようなそこでたったひとり、私はシャガールと愛妻ベラの二人の愛に包み込まれたように思い、自分の出会いたかった愛をそこで見つけたような気がして心が慰められました。


さて、今年の夏休み二日目は、まずは銀座の「ゲゲゲ展」から始まり、次は上野の美術館でシャガールを見て、そしてさらに池袋へと移動して演芸場で落語と講談を聞いて、最後にその千秋楽打ち上げに参加させてもらうという、我ながら全く統一性のない呆れた強行スケジュールでした。

上野の東京芸術大学美術館は初めて訪れましたが、思ったよりも駅から歩き、ずっと奥のほうにありました。
いくつかの大きな美術館を横目で通り過ぎるうちに、途中で大きな噴水が見えてきて、その白く噴き出す水がしぶきをあげて小さな虹を作り出す様子が、いかにもこの地らしく芸術めいて感じられました。
都会の中でありながら、緑豊かな自然と人の手が調和したこの辺りの一角は、なるほど美術館が立つ場所に相応しいと思いました。
それとも、美術館が立つ場所だから環境が整備されているのか。
鶏が先か、卵が先か…。

なんて、
そんなことはどうだっていいか(笑)

去年見た青山ユニマット美術館も良かったですが、そに比べてかなりたくさんの数の絵が展示されてあり、ここでも見応えがたっぷりありました。
絵には随所に解説がつけられ、シャガールの各時代の生活や、それが描かれた背景なども丁寧に説明され、それを読みながらじっくり絵を眺めているとあっと言う間に時間が経ってしまいます。

私はやはり、シャガールが、一番目の妻ベラと結婚して彼女を失ってから次の結婚をするまでの間の作品が特に好きです。
まるで魂が浮遊しているように夢と現実が交錯し、愛する人にぴったりと寄り添うようなこの世界は、やがてベラの死を経てより一層不思議な追憶の愛の世界へと変わっていきます。
私は絵画のことはまるでわからず、解説を読んでも次々とただ文字を追っていくだけで全く美術には理解がありません。
が、それだけに難しいことも何もかもを抜きにして、ただ自分の目と心のフィルターを通してのみシャガールの世界を感じようと思いました。
シャガールはベラが亡くなり数年間は筆が進まなかったそうですが、その後に描いたという「彼女を巡って」という作品の前で、私は思わず涙がこぼれそうになりました。

美術館の三階では販売しているDVDが上映されていて、生前のシャガール自身が語っている様子なども見られました。
シャガールはなんと97歳まで生きたそうです。
米寿になられた水木さんの展覧会にもありましたが、彼らの年表を前にして、私は自分の歳と同じところで一度立ち止まり、もういい歳なのだから今からでは何を始めるのにも遅いと思いがちな自分へ、叱咤と大きな激励をもらったような気がしました。

帰りに立ち寄った販売店では、この展覧会のおそらく全ての作品が載っていのではないかと思われる分厚い図録を見つけ、迷わず買ってしまいました。
この見ごたえで2,200円とはお安いと思います。
それを皮切りに、私の好きなクリアーファイルやらハガキやら絵のプリントやらと、結局5千円以上も使ってしまいました。
ゲゲゲ展では「私って節約家?」と思ったのに、実は好きなものを前にするとすぐになし崩しになってしまう自分を思い出しました(笑)

その後、予定通りに池袋へ移動し、粋な落語で笑い、トリの女流講談の神田紅師匠の怪談を楽しんだあとでその打ち上げ会のお仲間に入れていただき、しまいには去年にひきつづき紹興酒でヘベレケになるという経路をたどって家路につきました。
かなり充実の一日でした。
三日目はさすがに家で大人しく掃除でもしていたいと思います(笑)


2009/02/04
『シャガールとエコール・ド・パリ コレクション』(青山ユニマット美術館)
感想↓
http://blog.goo.ne.jp/a2836285/e/58ec6c5b8218067e0c66e061e273ff82
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「ゲゲゲ展」水木しげる米寿記念

2010年08月20日 01時52分25秒 | 美術館/博物館/展覧会
水木しげるさんの米寿(88歳)を記念した展覧会です。

「ゲゲゲの鬼太郎」ばかりでなく、「河童の三平」「悪魔くん」などの原画やオブジェなど、展示品は思ったよりもたっぷりで、かなり見応えがありましたよ!

それにしても…
いや~、混んでいるとは聞いてたけど、ここまで大盛況とは思いませんでした。
最初の部屋では行列が止まってほとんど足が進まないくらい。
たくさん展示してある原画を丁寧に見ていると、どうしたって一作ごとに時間がかかるのよねぇ。
原画は漫画の一ページというより、それ一枚で立派な作品とも思えるものがたくさんありました。
よく見るとかなり緻密なもので、草木の葉の一枚一枚までもが丁寧にリアルに描かれていて、その一枚にかけられた時間とエネルギー、イマジネーションはどれほどのものなのかと思うと気が遠くなりそうです(笑)

作品のほかには水木さんご自身のことなども詳しく紹介されていて、子供の頃は毎日のように学校を遅刻していたことや、大きくなってからは退学や退職ばかりしていたこと、戦争にいって負傷したことなど、その人生の軌跡がよくわかりました。
水木少年は動物の骨など、人には理解されないものを集める蒐集癖があった変わり者だったそうです。
そりゃ、そうでしょうよ!
これだけのものが書ける人が、そこらにいるような凡人であるわけがない(笑)
ところが、妖怪は本当にいるかどうかわからないものなので蒐集できませんよね。
けれども、水木さんには妖怪の気配が感じられます。
だからその気配から心に映ったものを描くことが即ち妖怪たちを蒐集することだったのだそうです。
つまり、すべては空想や妄想から生み出されたものと言えるのでしょうが、絵によって具現化されたことで彼ら妖怪たちは本当に生きているのかもしれませんね。
そこにいると思えば、いる存在。
妖怪たちはそれを信じる人の心の中で生きているのでしょう。

ところで、なんでこんなに混雑するほどこの展覧会が盛況だったかというと、テレビで水木さんのことがドラマになっているんですって?
私はテレビに疎いので知りませんでした。
展覧会の最後のほうでそのドラマが紹介されていて納得しました。

お土産品は、かつて展覧会でこれほど品数が多いのって私は見たことがありません。
文房具やお菓子などの定番はもちろんですが、ほんとうにいろいろあって、それを眺めているだけでも面白かったです。
でも私は買わないで見るだけにしました。

入場券は友達にいただいたものだし、お土産品も買わなかったしで、「私って、案外と節約家(ケチ?)かも」と自覚しました。
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「宝塚BOYS」

2010年08月19日 04時06分11秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)
浦井健治/杉浦太陽/黄川田将世/東山義久/藤岡正明/瀧川英次/石井一彰/
初風 諄/山路和弘

東京會舘「М!」の制作発表終了時刻が13時。
そのあとすぐに13時30分からクリエで「宝塚BOYS」が始まる!ってことで、炎天下の中、汗だくの強行移動でした。

「宝塚BOYS」は一昨年に一回観ているし、他にも観たい舞台がいっぱいあるし…だから今年はパスしちゃおうかな……と、思っていたら!
友達が言うのよ!
「浦井くんが出るよぉ~! 見たいでしょ?、ゆるゆるっと癒されたいでしょ? 
あの浦井くんだよぉ~っ!」ってね。

ええーーっ、それは確かに見たい! ゆるゆるっと癒されたい!
あ、どうしよ~、え、でも! なにこれ、なんと!センターブロック四列目の超良席が開いてるよ、もしかしてこの舞台が私を呼んでいる~?!

……というおバカなノリで(笑)ボチっ!としたのは、やっぱ大正解でした!!

いや、だから、舞台の話としてはちゃんと真面目に見てましたけどね、この際だから私は浦井くんのことしか書きたくないのよぉ~!
どうせ、どう取り繕っても所詮私はミーハーだも~ん(笑)


ああ、そうそう、前に「サ・ビタ」の観劇記かどこかで「今年はピアノを弾く男性の後姿を見る年のようだ」と書きましたが、今回はピアノを弾く浦井くんの背中が見られましたね~♪
浦井くんの背中は実は大きいです!
でもって、脱ぐとすごいです、腕の筋肉とかが。
だけど、ややなで肩のところや、お顔が小さくて可愛いからか、な~んかこの人って華奢に見えるのよね。
本当は背なんか高くて大きいのに。
そーいうところも、なぜか浦井くんらしくていいんだわ~。
それにヘタレですぐにべそをかいたような顔がまた可愛いし(って、もちろん役のうえでよ)、ニコ~っ!って笑われるとこっちもつい頬が緩んでニコニコしたくなっちゃうの。
もう、私は大階段のレビューが楽しくってぇ~!!
他のメンバーもそうだけど、浦井くんは特に嬉しそうに楽しそうに踊るので、私もすごーく楽しい気持ちになりました。
ゆるゆるって癒されて、「よぉ~し、明日からまた頑張って仕事するぞぉ~!」って気持ちね。…って、今は夏休みだから仕事はしないけどね(笑)


で、そのラブリーな浦井くんですけどね。

いきなり話は変りますが、人間魚雷って知ってます?

私の身内に本物の特攻隊上がりの人がいますが、特攻隊が自分の命を犠牲にして空から敵に突っ込んでいくのに対して、人間魚雷とは海の中でたったひとり、魚雷の中に入って敵の軍艦に突っ込んでいく攻撃のことです。
特攻隊も人間魚雷に乗った兵士も、実は誰でもが志願すれば加われるというわけでもないようで、実はそれなりに優秀な若者達であったようです。
私は見たことがありませんが、前に両親がそういった資料館に展示された彼らの手紙を見てみたら、どの手紙も達筆でしっかりした文章でとても感心し、それだけに彼らの若い命を思い、胸がしめつけられるような思いをしたそうです。

浦井くんの役は、終戦間際まで、そんな人間魚雷に乗るために訓練し続けていた青年の役です。
(あ、人間魚雷のことはこの舞台では言及していません)
他の仲間たちも皆それぞれに戦争の傷跡を心に持ちながら、散っていった多くの命や家族を思い、戦争が終った時代だからこそ「青春の夢を掴みたい」と必死に夢を追いかけています。

そんなわけで、彼らが宝塚に見た夢とその顛末は決して甘いものではありませんでしたが、やるだけやり尽くした彼らはとても輝いて見えました。



おおお、ミーハーなりに、なんとかマトモな方向に纏まったかも(笑)
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「モーツァルト!」製作発表レポート

2010年08月18日 22時53分16秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)
夏休みの第一日目は、東京會館ローズルームで行われた「モーツァルト!製作発表」にオーディエンスで参加させていただきました。

まず、私はこの作品が好きなんです。



……って、

「だから??」

あ、ごめんなさい、
思わず遠い目をしそうになった自分に、自分で突っ込みいれてしまいました

もといっ!(笑)

私はまずこの「モーツァルト!」という作品自体が大好き
これに応募したのは、締め切りのほんの数日前、偶然目にした知らない方のブログで「製作発表申し込みはここ↓」なんていうのを見かけてついクリックしちゃったからなんだけど(笑)
普段は製作発表なんて、平日のまっ昼間のイベントには縁のない私。
たまたま今日から夏休みで、たまたま4500人中から選ばれた300人の一人に入れたのよね。
そして行ってみたら、端っこながらも前から三例目。
二列目までは報道陣だったので、オーディエンスとしては相当な強運ぶりを発揮しちゃいました。
またしても「ああ、こんなところで運を使ってしまって良いのだろうか?」と、うっすら思わなくもないんだけど(笑)
強運は強運を呼ぶ! よぉ~し、この夏休みは幸先が良いぞ~っ!おーーっ!!

…ってなわけで、運が良かったときは、ちゃんと人におすそわけしなきゃね。
記憶力は鈍いし、レポートは苦手だけど書けるとこまで頑張ります!!

まずは会場の様子ね。
上手には大きなスクリーンがあって、中央は写真のひな壇です。
この写真は上手の私の席から撮ったもので、上手から市村正親さん、島袋寛子さん(って、いつの間に名前が漢字になったの?)、井上芳雄くん、小池修一郎さん、山崎育三郎くん、山口祐一郎さんの六人が並びます。

最初のその大きなスクリーンで2007年の舞台映像が流れます。
たぶん、今日の午後にクリエで見たのと一緒だったと思う。
育ちゃんは最初に写真でちょこっとだけ、あとはヨッシーヴォルフやその他の主なキャラが少しずつ映った短いビデオです。

そのビデオが終ってキャストが登場。
芳雄くんと育ちゃんは二人とも黒に近い濃いグレー(?)のスーツ姿で、よっしーは中に黒のカットソー、育ちゃんはワインレッドに似たエンジ色のシャツを組み合わせて、二人ともスラっとした長身に細身のスーツがタイリッシュで良く似合います。
ヒロちゃんはオフホワイトの肩を出したロングドレスでした。
まあ、そのあたりは東宝さんのМ!サイトで確認してね。

会見はそれぞれの挨拶なんだけど…ああ、これも東宝さんのサイトで見たほうがずっと正確よねぇ~!
って、おいこら! ってな、超いい加減なのが、私のレポの特徴よ(笑)
だって、重複したものを書くのは骨折り損だけど、読むほうもおなじようじゃ面倒なだけでしょ?

だから、この際ぜんぶひっくるめて、総じて言うと、印象深かったのは、この四回目の公演をどう思っているかという、それぞれの想いで、芳雄くんは初演からずっと演じているからこそ「もっと役を練り上げたい」という想いがあると感じました。
小さなアマデに対しても、その子が持っている箱にしても、その解釈に毎回「解りかけてきたような、解らないような」(笑)
そして、今年31歳になる芳雄くんは、若い時にこの「大役すぎて荷が重かった」というヴォルフを、いろいろと経験してきた今だから、今の歳だからこそ表現できるものがあるんじゃないかと…、まあ、そんな話ね。
育三郎くんとの違いは「自分はいぶし銀の大人のヴォルフガングで」(笑)
年取るとさすがに肌のハリ(艶だっけ?)が違うとか、ほうれい線がちゃっと…だとか(笑)まだまだ若いのに、なぁ~にを言ってんだか! というような顔をした隣の市村さんをよそに、相変わらず楽しいヨッシーでした。

育三郎くんは、初演を客席で見たときはなんと!高校性だったとかで、今は大きなプレッシャーを感じるものの、舞台ではフレッシュさと「夢が叶った」姿を見て欲しいって。

そんな育ちゃんとは、小池さんはまだそんなに親しくはなっていないそうで、だから小池さんは育ちゃんを現在は観察中とのことです。
「そんなに憧れていたのなら、彼なりに解釈があるだろうから」とか「お坊ちゃんな感じだけど、彼にもひと皮むいたら隠された一面もあるだろうし」とか、これから育三郎くんがヴォルフガングをどう創っていくのか見せて欲しいという話でしたね。
それから、とにかく小池さんとしては、「より進化した舞台を観て欲しい」とのことでした。

報道陣の質問コーナーでナイス!だったのは、スポニチの記者さんで、
「(不況の)このご時勢で、二回も見られないという人が一回だけ観るのなら、ぜひ自分のほうを観て欲しいというアピール合戦をしてくれ」というもので、
「すごい質問をありがとうございます」という芳雄くんは、だから35歳でこの世を去ったモーツァルトの歳にやや近づいた31歳の自分を見て欲しいとのこと。
それから「身長は同じくらいだけど、僕のほうが足が長い」ので、足の長い姿を見てくれなんて冗談を言ってましたが、でも「僕のほうは安い席でもいいから」ぜひ「二人のヴォルフで二回観て下さい」と言ってました。

ええ、二回は観ますよ、私はね。
実はこの演目は初演の時は見逃しましたが、再演、再々演と、合わせて十何回か観ています。
芳雄くんヴォルフは再演で二回、再々演も二回観ました。
今回は今のところ、芳雄くんヴォルフで運良くトチリ席(いろはに…と数えて「とちり」席とは7から9列目の良席)が当たり、育ちゃんヴォルフはまだ未知数なので二階の一番奥のリーズナブルな席を買いました。
このチケットが増えるかどうかはお二人次第です。

歌のお披露目は、一曲目が二人のヴォルフの「僕こそミュージック」。
育三郎くんは、普通に上手く歌う人だけど、まだ役の心を歌に込めるところまでは練ってないみたいでした。
芳雄くんのほうは歌いだしたとたんにМ!の世界がこっちに流れ込んできたような気がして、私はにわかにこの舞台がとても懐かしくなりました。

二曲目の「愛していれば分かり合える」は育三郎くんヒロちゃんのデュエット。
育三郎くんはこっち歌のほうが良かったです。
ラブソングは得意かもね。甘かったです。
ヒロちゃんは前にこの役を観た時よりも声が出てなかったようでした。
私は彼女の、心細そうな幼い心を持つコンスタンツェがわりと好きなので、ボイトレに励んで頑張って欲しいと思います。

市村さんはね、「うちのアマデは歌を聞くと踊り出す」と子煩悩ぶりを披露し、
山口さんは囲みの記者会見で「僕だけ家族じゃないんです」と言って、それぞれベテランたちらしく会場を笑わせてくれました。


ああ、なんか話がだらだらしちゃった。
や~っぱ、レポートって苦手だわ~!
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「W~ダブル」

2010年08月17日 22時52分00秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)
作:ロベール・トマ(原題『DOUBLE JEU』) 
演出・上演台本:G2
出演:橋本さとし/中越典子/堀内敬子/コング桑田/山西惇 ほか

やったーーっ!! 
夏休みがようやく始まりました!

18日から24日までが私の今年の夏休み
ガッツリ働いたら、そのぶんガッツリ遊ばなきゃ!
さてさて、いったいどんな夏休みになることやら……。

というわけで、17日の今夜はその前夜祭です。

「W~ダブル」はいわゆるコメディー・サスペンス。
コメディーはともかくとして、サスペンスを観るのって、私は珍しいかも。

不安とか緊張とか恐怖を煽られるのは小説ならまだ良いけど、映画とかお芝居で見せられるのは苦手~!
…な、筈なんだけど、これは面白かったです。
最初はね、橋本さとしさん演じるリシャールという男が、ほんとにろくでなしの嫌な奴なんで、「こんな男、死ねばいいのに~」とか思って見てたわけ(笑)
女を食いものにしながら怒鳴って脅すし、暴力振るうしで、私の一番嫌いなタイプなんだもの。

それでまあサスペンスだから、あ~んなことや、こ~んなことまで色々あって「ほら、やっぱり思った通り?」なんて油断してたら、終いに「うほ~!」ってな感じ。
この結末は流石です!


今日は初日だけあって、
「この舞台の上がサスペンスでした」という橋本さん達の緊張感も加わり、ハラハラとドキドキの、ちょっと怖くて面白い舞台でした。
中越典子さんは美しいしスタイルも良くて、お背中も大変にお綺麗で、目にも楽しかったです。

ところでコレは珍しく帰りの電車の中で携帯で書いてます。
だからサラッと書けてちょうどいいわ。 
サスペンスの謎は謎にしとかなきゃね。

あ、ちょうど駅に着くわ!
降りなきゃ!
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「タンビエットの唄」

2010年08月15日 00時00分00秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)
ミュージカル台本・演出・振付◆謝珠栄
脚本◆大谷美智浩
音楽◆玉麻尚一
キャスト◆ 安寿ミラ、土居裕子、畠中洋、吉野圭吾、宮川浩、駒田一、戸井勝海
川本昭彦、福永吉洋、滝沢由佳、島田邦人、小林遼介、長尾純子、久積絵夢、彩橋みゆ


ねえ、

大谷美智浩さんは、どうしてこんな脚本が書けるの?

私は、「今まで観たすべての舞台の中で、一番人に薦めたい作品はどれか?」と聞かれたらこの舞台を挙げたいです。

なんて、これを読む人は「またこの女は大袈裟なことを言ってるよ」と思うかもしれませんが、本当にそう思います。
もちろん、他に好きな作品はいっぱいあります。
今、好きな作品の名を挙げ始めたらあまりに次々と出てきて、キリがなくて途中で削除しちゃったくらい(笑)
けれども、観劇好きな人はもちろん、ミュージカルや演劇をあまり見慣れていない人たち…世間一般の人にも、何を置いても一度は観て欲しいと思うのがこの「タンビエットの唄」です。

中学や高校の歴史の先生は、教科書の上っ面の年表を教える前にこれを生徒と一緒に観たら良いと思う。
いっそ「タンビエットの唄」を必須科目にしたらどうかな?
各地方自治体はこぞって資金を集め、お願いしてでもこの舞台を招聘したらいいと本気で思います。
日本中の人、世界中の人に見てほしいです。


古今東西、戦争やその後の人々を題材にした作品はたくさんあります。
私もいくつか観ました。

私たちは知らないことが多すぎる。

人類が繰り返す、愚かで悲惨な戦争の現実を知るのは必要なことでしょう。
けれども第二次世界大戦後のこの国に生まれた私たちは、生まれながらに自由と平和に慣れすぎていて、いざその悲惨な事実を聞かされても、頭で理解することはできても、心でほんとうに理解するのは難しいです。
だからこそ、頭だけではなく心にも訴えるこの作品に、数多くの人に触れてほしいと私は思います。
戦争に、ただ「悲しい、可愛そう」「二度と繰り返してはならない」と思うだけじゃ、きっとまだ全然足りないのだと思うから。


戦争中、ベトナムに生きる若者たちが歌います。
「もしも自由を手にしたなら…」

私たちは、私はいま、自由です。いろいろと規則や制限はあるにしろ、彼らから見れば大きな自由を生まれながらに手にしている筈です。
その中で今、いったいどのように生きているでしょうか。

「もしも自由を手にしたなら…」

その先はこう続くんです(歌詞は正確じゃないかもしれないけど…)

「もしも自由を手にしたなら、悲しみに傷つく人の肩を抱いていたわりたい」

他人をいたわることは、優しい気持ちさえあればいつでもできそうな気がします。
でも、それさえもできないくらい、地獄のような苦しい日々を彼らは生きていました。
その中で、「尊く美しく生きたい」と願った女性、ティエンは、王族でもなく聖職者でもなく、ごく普通の女性であり、最も強い女性でした。

前回も思いましたが、このティエン役の土居裕子さんはほんとうに素晴らしかったです。
また、そのほかのどなたの役者さん達も皆、それぞれがとても熱演してくださって、この作品にかけた想いを深く感じました。
私は涙が溢れてどうしようもありませんでした。


生きるということ。
この舞台は、戦争を問いながら、日頃の自分の生き方を問う作品でもありました。
そんな重いテーマでありながらもラストに希望の光が射したのは、脚本家の大谷美智浩さん、そして演出家の謝珠栄さんらが、どんな時も決して人間に絶望せずに希望を持つ人だからという気がしました。

「タンビエットの唄」に携わった全ての方にお礼を言いたいと思います。


この舞台は全国を周っていますが、これからの日程を書いておきますので、ぜひご家族や大切な人を誘ってご覧いただきたいと思います。
…って、べつに私はこの舞台の回し者じゃありませんけど(笑)

東京公演:東京芸術劇場 中ホール 8月15日(日)13:00 
兵庫公演:兵庫県立芸術文化センター 中ホール 8月29日(日)13:00
宇和島公演:南予文化会館 8月27日(金)18:30
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「キャンディード」佐渡裕芸術監督版 その二 

2010年08月10日 02時06分53秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)
昨日の感想の続きですけど。

感想といえば、大まかな感想を言うならば、亜門版やケアード版の時とほぼ同じです。
だって原作が同じだもの(笑)

つまり、この前のケアード版でも書いたけど、「この世界は何でもアリなんだ、世の中は善きことも悪いこともあって、人は楽しいだけでも悲しいだけでも生きてはなく、そして何もかもがわからなくても良い、あえて考えるな」…というようなことで、そして更に言うならば、「その時々で、人はつまり今を生きているのだ」という感じかな。

だから、その「生き方」をキャンディードは人生の様々な経験の中で模索してきたわけで、「人生は楽天的でもなく悲観的でもなく中庸だ」と行き着くまでの彼の心の最後の動きには、今回の舞台が最も納得できたし感動しました。

終盤で、お金目当ての醜いクネゴンデの姿を見てしまったキャンディードは、「僕の愛よりも君は金のほうが大切なのか、誰よりも美しく理想だと思っていた女性はこんな女だったのか」と現実に絶望します。
その時の歌「Nothing More Than This」(こんなものだったのか)を歌うキャンディードの足元で泣き崩れるクネゴンデには、私はキャンディードよりもなお痛々しく、傷ついているように見えます。

そして、そのクネゴンデを離れ、絶望したキャンディードが最後に行き着くまでの流れ!
これがですよ、いきなり「世界は善なり」にいき、そして「僕らの畑を耕そう」と来るんです!

亜門版のように民家の老人から一杯のジュースを貰うこともなく、またケアード版のように五人の王の舟歌に出くわすこともなく(このシーンは別の場面だから)、キャンディードは自らの悟りでそこに辿りつくんです!
それが、ものすごく感動的なんです!!

キャンディードが舞台の中央奥にただ一人で現れたその時、マエストロがオケピの指揮台から、オーケストラではなく彼、キャンディードに向かってタクトを振りはじめました。
ライトに照らされた佐渡さんの背中に、この「キャンディード」という舞台にかけた想いと愛情が溢れているようで、私はそれを見ただけで胸が熱くなりましたが、その想いを受けて歌うキャンディードの「Make Our Garden Grow」は本当に素晴らしく、歌に説得力がありました。
この曲、この歌だからこそ、さっきまで絶望していたキャンディードの心がどのように動いたのか充分にわかります。
キャンディードは老人からでもなく、五人の王からでもなく、誰からでもない、自分自身で彼の答えを出したんですよね。
それこそが即ち「自分が自分の畑を耕して生きること」と繋がったような気がして、良くも悪くもあり不条理でもあるこの世界で、それを受け入れ、ただひたすらに「生きる」ということを想い、私はこの時はじめてキャンディードに言葉にならない共感を感じて涙が止まりませんでした。

そしてこの音楽を聞いて、佐渡さんがどうしてこの舞台を愛するのか解ったような気がしました。
音楽とはなんて雄弁で素晴らしいのでしょう!

この荒唐無稽な物語で、思いがけなく心から納得の、そして感動の「キャンディード」が観られてほんとうに幸せでした。
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「キャンディード」佐渡裕芸術監督 プロデュースオペラ2010

2010年08月09日 01時58分23秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)
「キャンディード」佐渡裕芸術監督 プロデュースオペラ2010
【作曲】レナード・バーンスタイン
【芸術監督/指揮】佐渡裕
【演出】ロバート・カーセン

去年からずっと楽しみにしていた佐渡裕さんプロデュースの「キャンディード」です!
私が期待していたのはもちろんその音楽にですが、まさかこんな舞台を観るとは思わなかった!
まさかの設定、まさかの演出、まさかの舞台美術に、このハチャメチャで無茶苦茶な物語にしてまさかの納得! そして、まさかの感動に、ラストでは思いがけなく涙があふれ、帰りの足がふらつきました。

これはね~、いつも私が出向く劇場とはまず客席が違いました。
たぶん佐渡さんが振るバーンスタインを聞きたい音楽ファンと、オペラのファンが多かったと思われます。
なにせ客層の年齢が高くて男性も多かったです。
この前に観た帝劇のジョン・ケアード版とは雰囲気が違いました。
でも、私はそのケアード版や何年か前の亜門版を観たお客さんたちにも、今回のこの舞台をぜひ観て欲しいと思ったし、何よりもあの帝劇の「キャンディード」を出した東宝さんに観て欲しいと思いました。

だってね、ついこの前に帝劇でやっていた「キャンディード」は、なにせオケの楽器が少なすぎるわよ!
あれではチャラチャラと薄く聞こえて、せっかくのバーンスタインの名曲がただの歌の伴奏にしか聞こえなかったもの。
指揮を振っていた塩ちゃんが気の毒だわ。
「キャンディード」という作品において、音楽がどれだけ重要なのか、東宝さんにはそこのところをぜひ認識していただいて、またいつか再演を希望します!
私はあのケアード版も好きなんだもの。
今回、ロバート・カーセン氏が演出した「キャンディード」を観て、またケアード版も、そして亜門版も観たくなりました。

…と、なんか、またもや東宝さんに文句を言ってる私ですが(笑)
それは置いといて…

その、まさかの「キャンディード」は、なんと1950年代からその先のアメリカ(っぽい国?)が舞台となっていました。
この国でもっとも有力な家(=白い家=ホワイトハウス?)に非嫡出子として暮らすキャンディードは男爵の子息マクシミリアンとその妹の美しいクネゴンデと共に、バングロス博士の授業を受けています。

…というような、あらすじを全部書いたりしませんけどね(笑)
クネゴンデと恋をしたキャンディードが館を追い出されてアッチコッチを旅したり、人に騙されたり、たやすく殺しちゃったり死にそうになったり…という物語の基本は他の舞台と同じです。
でも、その旅する先が、フランスに行ったかと思うと船に乗ってアメリカへ渡り、インディオの原住民と遭遇して(ってことは西部?)、その後テキサスで(だっけ?)油田を掘り当てて、そんでエルドラドになっちゃって、テキサス人と一緒に「黄金郷のバラード」歌って「さようなら~」と手を降った相手はなぜかハワイアン?!(笑)
でもって、前半でマリリン・モンローそっくりに成長して(?)腰を降っていたクネゴンデがしまいにはラスベガスのカジノで片尻のオールド・レディーと一緒にキラキラのすんごい衣装を身につけて歌いながら踊るショーをやっている……
…って、って、って~~っっっ??!!(笑)(笑)

もう、ほ~んとにメッチャクャ!!

風刺もたっぶりで、「王様たちの舟歌」場面の例の五人の王なんて、アメリカやロシアとかフランスとか…そんなどこぞの国の大統領や首相そっくりな様子で、そのいい加減さや嘘くささ、胡散臭さがたっぷりなもんで、私と隣にいた友人は最初から最後までクスクスと笑っていましたよ!

なのに、なぜこの「キャンディード」が、まさかの「納得!」で感動的だったのかというと……


あ、やだ!
こんな時間だわ、寝なきゃ!

ってなわけで、この続きは次回へ!!
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