Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

須坂・仙仁(せに)温泉で同級会②~「岩の湯」洞窟風呂

2019-10-13 | 温泉・小旅行

  1年前のちょうど今頃、心房細動の手術を受けたました。不整脈が治ったのはほんのしばらくですぐ元に戻ってしまいましたが、動悸の症状はかなり緩和され、今年はお囃子と謡の舞台を毎週予定に入れるほど元気になりました。元気ついでに、以前から誘われていた関東卯辰会の温泉旅行に参加を決めました。それが、10/10(木)、11(金)の仙仁温泉です。
 長野駅で下車。駅構内MIDORIの中の「信州そば 草笛」で昼食をとり、タクシーに分乗して仙仁温泉に向かいました。須坂から菅平高原へ向かう途中にある一軒宿です。

 👇は、待合門。

  👇 門をくぐると山のような広い敷地が広がり、川が流れ橋を渡ります。

  👇は、ロビー。抹茶とお菓子の接待を受けました。お風呂の種類、場所、食事の時間などの説明を受けます。

  👇 いくつもの渡り廊下で結ばれた、料亭の離れを思わせる造りです。

  👇 食事場所やお風呂への廊下は庭に面しており、一休みしたり子どもも寛げるようになっています。

  👇 浮かべてあるのは葡萄の粒やミニトマト。

  3階の見晴らしのいいお部屋で女性3人はゆっくりとくつろぎ、名物の「洞窟風呂」に向かいました。ロビーで入浴の仕方の説明をうけたのですが、まだよく飲み込めず、脱衣場で先客の若い女性にまた同じことを聞く始末です。何と言っても、「混浴」、「湯あみ着」を着用する、に抵抗があります。👇は、洞窟風呂の手前の内風呂、外は露天風呂です。

  👇は、ネットからの写真で「洞窟風呂」。奥までの距離が30m、足元が岩や砂利、照明はあるものの薄暗いので柱につかまり慎重に足を運びます。まして、途中で男性に会うかも?(声は聞こえました) 曲がりくねっているので正面からぶつかることはありません。湯温は30℃ちょっとかな? 進んで行ってもよし、途中で岩に座って休んでもいいのです。

                             

 ちょっとした冒険ですね。体がポカポカ温まり、寝るまで暖かでした。「源泉かけ流し」の温泉のトップに輝く名泉です。源泉までたどり着くのはちょっと怖く、途中で戻りました。 


須坂・仙仁(せに)温泉で同級会①~信州蕎麦「草笛」

2019-10-12 | 温泉・小旅行
 
退院祝い & 公園散歩
  今までも何度か書いたが、40代か50代の頃から職場の人間ドックを受ける度に「心肥大」、「不整脈」などと言われ続けた。その他に遺伝の「高血圧」。降圧剤を服用し始めたのは50代後半......
 


 👆は、私の昨年のブログです。1年前のちょうど今頃、心房細動の手術を受けたことを書いています。不整脈が治ったのはほんのしばらくですぐ元に戻ってしまいました。が、すぐに動悸が始まる症状はかなり緩和され、今年はお囃子と謡の舞台を毎週予定に入れるほど元気になりました。元気ついでに、以前から誘われていた関東卯辰会の温泉旅行に参加を決めました。
 それが、10/10(木)、11(金)の仙仁温泉です。北陸からは私だけ、新高岡駅からから長野駅まで1時間余りの一人旅でした。平米公民館のお稽古を休み、その後もぎっしり詰まったスケジュールを控え慌ただしい気持ちで、でも最高の温泉と聞き楽しみに出かけました。

 長野駅で下車。数分前に到着した関東勢が数人改札口で待っていてくれました。すぐ昼食と言うので予約してあったのが、駅構内MIDORIの中の「信州そば 草笛」。

 👆 の暖簾の文字は、「草笛」の理念「吾唯知足」だそうです。       

 京都竜安寺方丈、茶室蔵六庵の前に石造りの手水鉢「知足の蹲踞」(ちそくのつくばい)と呼ばれるものがあり、「口」の字をそれぞれ重ねて「吾唯知足」(われただたることをしる)と刻まれています。このつくばいは水戸光圀が寄進したと伝えられていて、「吾唯足ることを知る(般若心経)」と言う意味。「知足(分に安んじてむさぼらない)の者は、たとえ貧しいといえども富めり、不知足の者は富めりといえども貧し」とある教えをとり入れたものだそうです。草笛の理念は「吾唯知足」。その精神を暖簾に込めているそうです。

 👇 その横で、職人さんがそば打ち作業をしておられます。「募集」の張り紙が見えますね。

 👇 小諸に本店、上田に支店があるらしく、真田の「六文銭」も見えますね。

 👇 注文したのは「くるみ蕎麦]。ちょっと甘すぎかと、薬味をたっぷり入れたらわさびにむせました…。が、美味しいお蕎麦でした。

 この後、タクシーに分乗して仙仁温泉に向かいます。


平米公民館まつり & 「ふしき苑」訪問

2019-10-11 | ボランティア

 「三派能楽鑑賞大会」の翌日、10/6(日)は平米公民館の「公民館まつり」だった。曇り空だがどうやら雨は落ちず、午後の舞台も順調に進んだようだ。私たち「能楽お囃子教室」は連調連管で「中の舞」を披露した。着替えの部屋が離れていたせいもあり、展示作品や他のサークルの舞台を見られなかったのが残念。これで10月の行事が2つ終了した。

 さて、3つ目が「ふしき苑」のコーラス訪問です。これは10/8(火)の雨の日だった。ふれあい福祉センターに集合し、各車に分乗して伏木まで。国分浜近くの大きな老健施設です。👇は、HPより。

  👇は、入り口ホールの飾り物。かなり大きな3階建て、瓦屋根の家だ。どこの模型だろう?民家のようでもあり、旅館のようでもあり…。

  👇は、ロビーの壁画。

 👇は、私たち「コーラス・いちご」のメンバーがこの日のために新調した赤いブラウス。会長さんは、「私たちは平均年齢70ウン歳ですが、今日のために赤いブラウスを新調して一生懸命に練習しました。」と挨拶された。

   会場の写真は撮らなかったが、入所者の方とデイケアの方たちと職員の方たちが集まってくださり、皆さんの前でまず、「涙くんさよなら」、「ピクニック」を二部合唱。「ピクニック」は動物の鳴き声が入る楽しい歌。「動物は何匹いましたか? 鳴き声が上手に歌えていましたか?」との先生の問いかけに、答えてくださる方も増え和やかな雰囲気になる。

 その後は、大きく歌詞を書いた紙を白板に張り、皆さんと一緒に歌う。「赤いリンゴ」の介護予防版替え歌 ♪ 朝のリンゴは 体によいと 愛しいあなたに ささやけば 通じもよくなる 老化も防ぐ 血液サラサラに なるという リンゴ可愛や 可愛やリンゴ ♪ や、「高原列車は行く」ではスカーフを振りながら簡単な体操を入れて一緒に歌う。そして、「瀬戸の花嫁」、「ここに幸あり」、「ふるさと」、「今日の日はさようなら」まで、先生の明るい笑顔と進行のおかげで皆さんには楽しんでいただけたのではないかと思う。私たちもとても楽しく歌えた。最後に握手をかわしてお別れした。声をかけ盛り上げてくださる入所者さんもおられ、助けられた。

 次は、11月の「ボランティア広場」で歌うことになります。10月3つ目の行事が終了。


ひまわり畑と赤とんぼ

2019-10-09 | 自然・海山草花

 10/9(水)夕方、突然電話が鳴った。明日の同窓会の誰か?と思ったら、ようこ姫さんでした。「6:30の6chを見てね。私、出るかもしれないから」とのこと。「え? もう6時半すぎてるよ!」と言いつつ、すぐテレビの前へ。我が家はこの時間帯はテレビを見ない…。

 画面には、あまり見たくない人の顔が…。アレ、違ったかな? あちこち回し、また6chに戻したころに地方ニュースに切り替わっていた。

 👇 砺波市で”季節外れのひまわり畑”が話題だ。一面のひまわりに蝶が舞う…。 

 👇 ひまわりの向こうを横切る城端線の列車。 スマホで撮影する女性の後ろ姿に見覚えがある。 帽子には赤とんぼのアクセサリー。 

 👇 こちらを向いてインタビュー。あ、やはり姫さんでした。「こんな時期に向日葵が見られるなんて思いもしなかった。オレンジ色の城端線が走り、黄色とマッチしてきれいです。来てよかった」と、歯切れのいい語り口です。

 👇は、KI新聞のサイトから。おそらく彼女の写真も、こんな風だろうな~。場所は、砺波市一番町の城端線沿いの遊休農地。8月末に種を蒔いたそうだ。今月末まで見頃が続くだろう。


三派合同能楽鑑賞大会 ’19~②

2019-10-08 | 能楽

  例年は9月に開催される「三派合同能楽鑑賞大会」だが、今年は高岡文化ホールの他の行事の関係で、10/5(土)に開かれた。午前中は私たち、能楽会会員の発表会、午後はプロの先生方の仕舞、舞囃子、狂言、能が演じられた。三派とは、能の観世流、宝生流、狂言の和泉流を指す。

 今年の能は、宝生流で「経政」。👇の番組表の表紙は、経政の姿です。面が美しいですね。

  

 この能面は「十六(じゅうろく)」と言い、少年のあどけなさの残る面で、平敦盛(たいらのあつもり)の相貌を表したとされ、敦盛がわずか16歳で源平の合戦において戦死したことに由来する。能「敦盛」、「経政」で用いられる。

                      

  平経政(経正)と敦盛は経盛の息子たちで、経盛は清盛の異母弟なので、経政、敦盛は清盛の甥にあたる。経政は、平家一門の中でも俊才として知られ、歌人として活躍した。また琵琶の名手としても名を挙げた。藤原俊成や仁和寺門跡覚性法親王などの文化人と親交が深く、とりわけ覚性からは、楽才を認められ琵琶の銘器『青山』を下賜されるなど寵愛を受けた。 寿永2年(1183年)の平家都落ちの際に仁和寺に駆けつけ、拝領の『青山』を返上し和歌を残した逸話は有名です。 

 能の演目「敦盛」「経政(つねまさ)」などは、軍記物『平家物語』を題材とした世阿弥の作とされる。「経政」が修羅に落ちた自らの苦しみを語り、その姿を恥じる様を強調するのに対し、「敦盛」は霊となって後に、自分を討った源氏の武将・熊谷直実(くまがいなおざね)と再び出会い、弔いを受け入れるという風雅と無常を表現する。

 「経政」は、中入りのない短い能。経政が一の谷の合戦で討ち死にした後、仁和寺では琵琶「青山」を手向け管弦講の法事を催して経政を弔う。そこへ経政の霊が現れ、修羅の妄執に責められて苦患に悩む姿を見せる。よく仕舞でも舞われる「クセ」や「キリ」の部分が、謡の言葉も美しく、お囃子、舞が見どころとなる。

 作・世阿弥元清
 シテ(平経政):広島克栄  ワキ(僧都行慶)平木豊男
 大鼓:飯嶋六之佐  小鼓:住駒幸英   笛:瀬賀尚義
 地謡:大坪喜美雄 他

 終演が早かったので、その後なはさん、姫さん、SE子さん、SUさんと一緒に「トワイス」でコーヒーにケーキで一休みしてから帰宅した。


前島密さんをご存知ですか ?

2019-10-07 | 日記・つぶやき

 10月なのに半袖?と言うほど暑い日があるかと思うと、暖房を入れたくなるほど寒くて鳥肌の立つ日がある。 今年の10月は天変地異かと思うほどお天気が滅茶苦茶だ。地球温暖化は怖いな~、と実感するようになった。地球もおかしい、人間もおかしい、なんて世の中は嫌だな~と思ってしまいます。

 「三派能楽大会」と「公民館まつり」…土曜日、日曜日と二日間連続で着物を着たら暑くて疲れた。能「経政」の紹介を少し延ばして、ちょっとビックリした記事をアップします。
 👇 さてこの人は誰でしょう? 皆さん、ご存知でしょうか? 私は久しぶりにお会いしました。

 10/1日より郵便料金が値上がりすると聞き、「かもめーる」や古い葉書を整理するため、新聞や雑誌の懸賞問題、クイズなどに投稿を始めた(まったく当選しないが…)。 10円切手、20円切手、2円切手が必要で、それも買いためていたのを使っていたが、いざ10/1日を過ぎるといよいよ1円切手が必要となる。はがき代が63円になったのだ。 2019年10月1日(火)から郵便料金などが変わりました。消費税率の改定に伴い、郵便料金などを変更いたしました。なお、変更後の料金に対応した額面の郵便切手、郵便はがき、レターパックなどを2019年8月20日(火)に発売してします。

 10/7(月)、高岡郵便局・本局へ切手を買いに行った。「1円切手を20枚、2円切手を20枚ください」と言うと、「はい、60円です。」と言って👇のシートを渡してくださった。お馴染みの 🐇の2円切手。もう一枚は? さて、この方は? 

 「あらぁ、久しぶり! この切手、ずっと変わらないのね~。誰やったかなぁ?」と言ったら、レシートを見て「この人です。”前島密(まえじまみつる)”さん。」 レシートに明記してあるのですね。 「ああ、コレ、”まえじまひそか”さんでは? 違ったかな?」 私もあまりにも久しぶりで自信がない。隣の局員さんが、「はい、”まえじまひそか”です。」と。一円切手だけはずっとこの方なのだそうだ。 後で聞くと、なんと日本の郵便制度を創設した政治家さんでした。


三派合同能楽鑑賞大会 ’19~①

2019-10-05 | 能楽
 
三派能楽鑑賞大会~能「弱法師(よろぼし)」&能楽ちびっこ教室
  👇は、昨年の「三派合同能楽鑑賞大会」の様子です。表紙のお能は「三輪」です。 三派能楽大会’17~能「三輪」  9月17日(日)、今年も高岡文化ホールで、宝生......
 


 👆は、昨年の「三派合同能楽鑑賞大会」の私のブログです。例年は9月に開催されるのだが、今年は高岡文化ホールの他の行事の関係で、10/5(土)に開かれた。午前中は私たち、能楽会会員の発表会、午後はプロの先生方の仕舞、舞囃子、狂言、能が演じられる。

 私たち「蒼山会」は無本で「藤戸」を謡った。お役はシテがSIさん、ワキがMEちゃんです。お二人ともしっかり覚えて、良い声で朗々と謡われた。YAさんが動画を録ってくださりラインで送ってくださったが、このPCには送れないのでいつか取り込めたらアップします。

 👇は、高岡市生涯学習センターの「能楽教室」の子どもたちの発表からです。連調連管「早笛・舞働」、仕舞「紅葉狩」・「羽衣」・「経政」・「半蔀」・「籠太鼓」と、舞囃子「鞍馬天狗」が演じられた。小鼓、大皷、地頭や後見に先生方の助けはあるものの、これだけ多彩に演じられるのは並大抵のことではない。小さい頃から通い続け、先生方の根気強い指導を受け、家族の助けもあって、ここまで立派に演じられる姿をご覧ください。

 👇 舞囃子「鞍馬天狗」。立ち方(シテ)は鞍馬山の大天狗です。

  「一部」と「二部」の間に昼食時間があるのが嬉しい。お弁当を食べた後、「藤戸」の動画を撮ってくださったYAさんが蒼山会の女性メンバーにコーヒーをふるまってくださり、「和庵」でワイワイとお喋りをした。 

 


「三派能楽大会」ちびっこ能楽教室~申し合わせ

2019-10-04 | 能楽

 台風一過の翌日だったが、一日中雨模様の曇り日。夕方にはもう薄暗くなっていた。10/4(金)「三派能楽大会」のちびっこ教室のリハーサルの日だ。いつもは土曜日の午後なのだが、今年は本番が土曜日なので、リハーサルは前日の金曜日、平日だから夜になると言うわけで集合は7時半。

 私たち、仕舞の地謡組も初めて子どもたちと合わせる日だ。長年続けている子どもたちも多く、高校生になるとさすがに辞めていくのだが、小学校低学年から始め今や6年生の子や、受験を控えた中学生など、週一度のお稽古なのに次々とよく覚え、めざましく上達する様は羨ましい限りです。

 当日は写真を撮る暇もないだろうから、何枚か撮らせてもらいました。

 👇 連調連管。けがをして腕を吊っている子の代わりに、KOさんが太鼓で出演です。

 👇 仕舞。

 👇 舞囃子。小鼓と大皷だけは先生方に助けていただきます。曲は「鞍馬天狗」。立ち方は鞍馬山の大天狗です。勇ましいですね。


演劇「野の花ものがたり」 と太鼓申し合わせ

2019-10-03 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 忙しい最中の演劇鑑賞。タイトルと日時を記憶しているだけの状態でこの日を迎えた。10/3(木)、1時半、「野の花ものがたり」。  

 「劇団民藝」のお芝居だ。鳥取で小さなホスピスを開いた徳永進医師とその診療所、患者さんとその家族を描いた実際の物語です徳永医師(劇中は徳丸医師)は、総合病院の内科医だったがそこを出て町中に小さなホスピスを作り、「野の花診療所」と名付けます。売り文句は「23時間あらゆる患者さんに対応します。」 助けてほしいと訴える人々を誰でも受け入れ、患者の望むことは何でもしてあげる、そんな場所にしたいと願った。
 人の死は終着駅なのか、死は悪者なのか、あってはいけないものなのか。…。患者とその家族に寄り添い試行錯誤を続ける徳丸医師。

 舞台の上(2階)には4つのベッドが並び、それは4つの病室であり、4人の患者と訪ねてくる家族の生活が描かれる。真ん中は居間のような部屋。テーブルやいすの他に、ピアノ、郵便ポストなどがあり、床は桜の木。病室にも居間にも、野の花が絶えない。看護師さんのほかに、ボランティアで野の花を活け替えたり、床を磨く患者さんがいる。

 徳丸医師は、いつも舞台の隅に座り、ハーモニカを吹いたり、客席に語りかける進行役。が、ユイばあちゃんが、赤い前掛けを作り続けて大切にしてきた家の近くのお地蔵様を、最後に自分の手で撫でたいと言う願いをかなえてくれたり、粘菌研究を行っている会社員の南波さんが、診療所から会社に通うのを許可してくれる医師である。

 ハーモニカの曲は、「ダニーボーイ」、「早春賦」、「夏の思い出」、南波さんの奥さんが弾くピアノは「トロイメライ」。それぞれが心に染みる。ボランティアの真島さんが活ける野の花は、ヒヨドリジョウゴ、ツクシアザミ、リュウノウギク、サザンカ、ナズナ、ノジギクなど。後の3つの花は私も知っている。花の説明をしながら、それぞれの病室で患者さんに語りかける真島さん。楽器と花と…、良いシナリオだな~と思った。

 脚本はふたくちつよしさん、演出は中島裕一郎さん。
 中島さんの話によれば: 「死」は怖い、恐ろしい、悪いイメージがすごくあると思う。僕も、死んだらおしまいだなと、すぐ思ったりします。徳永先生の本を読むと、「死」は自然の一部という考え方。「生きる」の中に「死」は含まれるという考え方。「生きる」ことは無限で、死は無限の半分だと心得たらどうか。誰でも死ぬ。生きるうちの一部だ、自然なものだと考えれば良い。

 自分の周りで、身近な人がどんどん死んでいく。今までと違い、自分の事のように思いがちだ。悲しい、哀れ、それでお終いではなく、まだ生きていると考える。最後の花火のシーンで、生きている人も死んだ人も車いすの人も、その家族も皆一緒に花火を眺めます。

 観劇後、「クラウン」でコーヒーやココアで一休みをして帰宅、夜もう一度「前田町公民館」へ笛と太鼓、お謡の「船弁慶」の申し合わせに出かけました。お笛のNAさんのお陰で前回よりもうまく合わせられました。


映画 と ランチ と 謡の申し合わせ

2019-10-01 | 映画・テレビ・演劇・芸能

  「ふるこはんフェス」の翌日は映画の日。 義理人情で生きる昔気質のヤクザが、経営不振に陥った高校の再建を図る姿を描く「任侠学園」。社会奉仕に目のない組長(西田敏行)は次から次へと厄介事を引き受けてしまい、ナンバー2の日村(西島秀俊)はいつも振り回されてばかり。学校には嫌な思い出しかない日村だが、子分たちを連れて仕方なく学園へ向かう。そこで彼らを待ち受けていたのは、無気力・無関心な高校生と事なかれ主義の先生たち、自分の子どものことしか考えぬ父兄だった。何と言っても学園ドラマは楽しい。彼らが次第に夢を見つけて行く姿は清々しい。挿入歌として西田敏行が歌う「また逢う日まで」が心にしみた。演奏は東京スカパラダイスオーケストラだ。 

         

 映画の前にランチをとったのだが、この日は久しぶりに「四六時中」。以前一人でもよく入った店だ。おひつご飯が美味しい。

 👇 姫さんは「かき揚げおひつ・小温そば」。お蕎麦はもちろん、つゆの出汁が格別に美味しかったそうだ。

 👇 私が注文した「帆立のバター醤油おひつご飯」。

 👇 最後に出汁をかけて雑炊にしたところ。 会計はシネマ割引きで5%引き、が、この日からの増税10%はしっかり加算されていた。

  映画の後、「サンマルク」でコーヒーを。いつもはもっとゆっくりするが、この日は夜、もう一つ行くところがあり、さよならをする。 

 早めの夕食後、赤祖父の米島さん宅へ。5日(土)の「三派能楽大会」の素謡(無本)「藤戸」の申し合わせがあった。私は、まだ完璧に暗記ができていない。2度通し稽古をした。後、4日で覚えないと…。 


ふるこはんフェス ’19~その2

2019-10-01 | イベント

  高岡市の「市民と市政」9月号で「ふるこはんフェス」の紹介記事を見て、面白そうだな~と思っていた。ようこ姫さんからお誘いがあった時、すぐ「行くよ」と答えた。今年で2回目、新しい行事らしい。

 チラシには、” 地元の人たちから親しみを込めて「ふるこはん」と呼ばれる高岡市伏木にある勝興寺。真宗王国・富山を代表する寺院であり、地元の人に支えられてきた、地域の宝もの。そんな勝興寺の20年余りに渡る「平成の大修理」も終盤となり、かつての壮麗な姿を取り戻しつつあります。よみがえった勝興寺に多くの人に訪れてほしい、もっと地域に開かれたお寺にしたい、そんな思いから生まれた「ふるこはんフェス」。多くの人で賑わった昨年に引き続き、今年も第2回「ふるこはんフェス」を開催します!”

 勝興寺の起こりは、1471年、蓮如上人が越中砺波郡蟹谷庄土山(南砺市土山)に創建した土山御坊(どやまごぼう)で、蓮如の四男蓮誓が置かれたそうだ。土山では今でも地元の人たちが御坊を祀っておられ数年前に「退公連の会」の旅行で訪ねたことがある。その後、蟹谷庄高木場(南砺市高窪)へ移転したり、火災に合ったりして、佐渡にあった順徳天皇の御願寺「勝興寺」を再興、寺号を相続したそう

だ。1519年には安養寺村(小矢部市末友)に移転し、蓮誓の次男実玄が安養寺城を建てた。

 戦国時代は、瑞泉寺と並んで越中一向一揆の中心勢力として猛威を振るったが、1581年、5代顕幸の時に焼き討ちされた。1584年、佐々成政が古国府城の土地を越中一向一揆に寄進し、顕幸が移ったこの地が現在の勝興である佐々成政が富山の役で敗退した後も、加賀藩前田氏の庇護を受けて境内が整備された。(以上ウイッキなどより)

 👇は、「ふるこはんフェス」のポスター。イベント内容は、音楽法要、僧侶DJ、坊主Cafe&Bar、ワークショップ、勝興寺見学ツアー、コンサート、フード&クラフトマーケット、などとある。 

  👇 「こいのぼり食堂」 

 その隣の洋品店。上着にバッグなど。

  👇 境内にはテントのお見えがいっぱい。ここは雑貨屋。

  夏の海辺のような白いテーブルと椅子が並べてあり、そこに座ってから揚げやポテトチップス、コーヒーを飲みながら夕涼みの気分。ほとんどが若者や若い親子連れ。ときどき老夫婦や家族連れも…。法要から流れてきた人たちもいるし、まだ本堂でお参りしている人もいるのだろう。三々五々でまさにお祭り。そこで珍しい方に会った。元の職場で一緒だった先輩で、伏木のお生まれだそうだ。この日は日中は「万葉歴史館」の講座を聴き、その後勝興寺のイベントに参加したそうだ。自分で車を運転し、杖をついて歩いて来られた。もうすぐ米寿と言われるがお元気そのもの。

 帰り道、伏木測候所のライトアップを見せたいと、姫さん。ここで毎日、毎夜の気象観測をしておられる。中に入ると説明をしてくださるようだったが、時間も遅く疲れて断念。この地は、家持の時代の国府跡とも言われている。

  👇 はるか彼方海の向こうに「新湊大橋」が見えた。