Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

謡蹟巡り~「安宅」、「実盛」を偲んで③~首洗い池・実盛塚

2019-10-29 | 能楽

  私が所属するお謡の会「蒼山会」(山崎健先生主宰)では、毎秋かならず謡蹟巡りの旅に出ます。日帰りと一泊旅行が一年おきです。よほどのことがない限り毎年参加しています。 今年は日帰りの年、いつも能楽を聴きに来てくださる友人を3人お誘いし、一緒に行ってきました。

 越中の国は万葉の時代に、大伴家持が高岡伏木にあった国府へ赴任しています。源平の時代には、木曽義仲が木曽から都へ上る時に、また、義経が奥州へ逃れる時に通過しており、戦国の世にはいくつかの戦いがありました。江戸時代には、芭蕉が「奥の細道」の旅の帰りに北陸道を歩いています。今年の謡蹟巡りは、お隣の石川県で能「安宅」と「実盛」にまつわる史跡を訪ねます。

 10/20(日)、朝8時に大門を出発し、最初の目的地が小松市「安宅関」。能「安宅」の舞台です。次に「多太(ただ)神社」へ。創建は約1500年前、武烈天皇の時代(503年)、能「実盛」の主人公、斎藤別当実盛の兜が奉納されています。最後に、義仲が平氏と闘った篠原合戦場跡にある「実盛塚」、「首洗い池」を訪ねました。

 👇 「実盛塚」。篠原合戦場の中央辺りに位置し、見事な老松が実盛の守った奥津譲の名残をとどめています。石垣の前に参拝用の蝋燭や線香立てが置かれていて、木々の間から「塚」が見えました。 

  👇は、「首洗い池」。篠原合戦場で総崩れになった平氏軍の中にあって実盛は、自らの老いを隠すため白髪を真っ黒に染めて戦いました。手塚太郎に討ち取られ、その首級を洗ったと言われる池。

 池のほとりには実盛の兜を前に、悲しむ木曽義仲と樋口次郎、手塚太郎の3人の像が建てられています。左の義仲は、両手で実盛の首を抱え、天を仰ぎ悲しんでいます。右の手塚太郎の像が撮れていません。

👇 ここにも、芭蕉の句碑が…。 

  2時半、かなり遅くなった昼食です。皆さん、お腹がペコペコ。待ちに待った昼食は、明治14年創業の老舗、すき焼きで有名な「犀与亭」です。玄関、お庭、お部屋も純和風、石川県の食通人は誰でも知っているとか。4人一テーブルでいただきました。 

  この日のお肉は、宮崎県産。その日により変わるようです。旅行記はもう一回、書きますのでお付き合いください。