Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

謡蹟巡り~「安宅」、「実盛」を偲んで②~多太神社(謡曲奉納)

2019-10-27 | 能楽

 私が所属するお謡の会「蒼山会」(山崎健先生主宰)では、毎秋かならず謡蹟巡りの旅に出ます。日帰りと一泊旅行が一年おきです。よほどのことがない限り毎年参加しています。 今年は日帰りの年、いつも能楽を聴きに来てくださる友人を3人お誘いし、一緒に行ってきました。

 越中の国は万葉の時代に、大伴家持が高岡伏木にあった国府へ赴任しています。源平の時代には、木曽義仲が木曽から都へ上る時に、また、義経が奥州へ逃れる時に通過しており、戦国の世にはいくつかの戦いがありました。江戸時代には、芭蕉が「奥の細道」の旅の帰りに北陸道を歩いています。今年の謡蹟巡りは、お隣の石川県で能「安宅」と「実盛」にまつわる史跡を訪ねます。

 10/20(日)、朝8時に大門を出発し、最初の目的地が小松市「安宅関」。能「安宅」、歌舞伎では「勧進帳」の舞台です。次に向かったのが「多太(ただ)神社」。創建は約1500年前、武烈天皇の時代(503年)です。

 源平合戦の時(1183年)、木曽義仲将軍が斎藤別当実盛公の兜、鎧の大袖などを奉納した。実盛公は、かつて幼い義仲の命を救った恩人だが、俱利伽羅峠の合戦で大敗を喫した平家軍に加わっていた。そして、加賀の篠原の合戦で総崩れになった平家軍の中で、実盛は老いの身を侮られまいと白髪を真っ黒に染めて戦い討ち死にした。首級を洗わせた義仲は涙の対面の後、懇ろに弔いその甲冑を多太神社に納めた。

 👇 「宝物館」に収められた兜(重文)は撮影禁止なので、ネットから。

 👇 「宝物館」には、誰かの寄贈の兜も展示されている。

 👇 境内には、誰かが奉納した兜も…。

  👇 芭蕉の句 「むざんやな 甲の下の きりぎりす」

  👇 髪を染めている実盛公。

 多太神社本殿で謡曲などを奉納。 最初に、素謡「橋弁慶」。

 👇 次に、仕舞「安宅」。

 👇 素謡「吉野静」。

  次に、独吟で「勧進帳」。 👇は、仕舞「実盛」。

  最後に、素謡「巴」である。演目と謡と舞を奉納した人の名前をかいた額を奉納した。

 👇は、かつての奉納額。私たちのも掲げてくださるだろう。