Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

またまた「バッテリー」

2008-08-15 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 今から思えば、この本も川越のTさんからの紹介でした。
彼女のお嬢さんの推薦だそうだ。

 1巻を読んで、原田巧に魅せられ、あさのあつこって
どんな人だろうと興味が湧き、彼女の故郷の岡山の風景が
好きになった。
 彼女は本を書き上げるまで、机の上に野球ボールを置き、
それを眺めながら買いたそうだ。
 6巻まで一気に読み、映画を見て、その後、続編の
「ラスト・イニング」も読んだ。

 滝田監督は原作にほぼ忠実に、家族とのかかわりを少し
膨らませて映画作りをされたと思われる。原田巧を演じた
主役の林くんは松坂投手の試合を見てピッチングの練習をし、
天才ピッチャーの名に恥じないよう努力したそうだ。

 TVドラマは6回シリーズだったから、原作にない部分も
脚色し、分かりやすく面白く作ってあったと思う。
 そして、先日、TVで映画をやると知り、またまた見て
しまったのだが、何か映画館で見たのとちょっと違う感じ
がした。コマーシャルが入りブツブツ途切れるからか、
時間制限があるからか、大事な場面がいくつかカットされて
いるようで物足りなく思ったのだが・・・。

 2回見た人、どうでしたか。そんな物好きな人はいないか?

 なぜか、「少年の成長物語」的なお話が好きなのである。
「ハリー・ポッター」の最終巻も図書館に予約済みである。
きっと数十人待ちだろう。
 


韓国のお嬢さん

2008-08-13 | 高岡
 瑞龍寺のライトアップの2日目の夜、夕食会に誘われた。
ライトアップそのものは、夏も冬も何度も見たし、まして八丁道
の灯りのボランティアにも出ているので、今年は遠慮した。

 6月の古希の旅行で話が出たらしく、城端の同級生とその奥さん、
向かいのアパートで間借りをしている韓国人のお嬢さん、そして
高岡市在住の同級生3人の計6人の夕食会となった。

 ちょうどライトアップが終わった頃に合流して、まず回転寿司に
入ったら満員、ネタも種切れとか。近くのトンカツやに変更した。
 同級生の奥さんは合唱で何度かお会いしているので話がはずむ。
市内の同級生はハングルの勉強をしていたので会話や単語が
わかる。
 話題はあちこち交錯しながらも、それは楽しい集まりだった。

 さて、韓国人のお嬢さんは1977年生まれでソウル出身。  
たまたま城端にアニメの会社があり、そこへ若い社員が40名
ほど派遣されているそうで、その一人だ。

 日本へ来て3年経つそうだが、日本語はとても上手。日本の
あちこちに行くので富山の方言もヘッチャラみたい。
 漢字は苦手でひらがなの方がいいと。韓国では学校で漢字は
教えないのだろう。

 ソウルのロッテワールドの近く(オリンピック公園の傍)の
「千戸洞」に実家がある。地下鉄5番と8番が交差する千戸駅で
降りると、地図を描いて説明してくれた。
 3人姉弟の長女なので両親からは早く結婚しろ、といつも言われ
ている、と日本の女の子と全く変わらない。

 友達も私も韓国が大好きで旅行もしているので、紙に行った
場所を漢字で書くと、「安東」、「扶余」、「板門店」、「鉄原」などは、
自分も行ってないのに、と驚いておられた。
 そりゃ、そうでしょう、若いもの。もっといろいろ話を聞きた
かったが・・・。

 「私が日本にいる時じゃなく、韓国に帰ってからぜひまた来て
ください」と言われた。これでまた目的ができました!


栂海(つがみ)新道の夏登山

2008-08-12 | 自然・海山草花
 川越のTさんは大学時代からの親友である。
その頃から登山が好きで、私も在京の頃、山梨県の夜叉神峠に
連れて行ってもらった。
 苦しい山道を登り詰めて峠へ出ると、パッと視界が開け、
目の前に広がった南アルプスの美しい山容が今でも忘れられ
ない。

 7月末彼女から次のメールをいただいた。許可をもらったので、
「Rubyの会」のブログで紹介させてもらう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 〔最初のメール〕

 友達と計画していた栂海新道をこの夏歩こうと思います。
新潟と富山の間にある山道です。それでもしあなたのお知り合いで
歩かれた方がいらしたら教えていただきたいのです。
 一本道ですが、迷いやすい注意するところがあるのか、水場は
2カ所、水が無い心配があるか。
 
 富山までバス、泊からタクシーで登山口、その日は北俣小屋、
翌日 朝日岳小屋、それから 栂海新道を歩きます。
 周りの人にまだ行った人がいないので、もし歩いた方がいらし
たらとお伺いします。山頂から親不知の海まで長い行程なので
大変な山旅になりそうですが、歩けたら嬉しいだろうなと考えて
います。

 〔次のメール〕

 ハードでしたが 天気に恵まれ何とか歩くことができました。
 雪渓、お花畑、地塘、ブナ林、そしてきびしい上り下り、
でも、親知らずの海岸にたどり着き、手足を海水に浸し、はるかな
水平線を眺めたときは嬉しかったです!ビールで二人で乾杯。
無事を祝いました。

 行程は次の通りです。

 泊~ 北又小屋~ イブリ山~ 朝日小屋~ 朝日岳~ 栂海山荘
 ~ 親不知 (4泊5日) (30hours)

 栂海新道は、1971年に朝日岳(2418m) から、親不知(0m)まで
小野健さんとその仲間の「さわがに山岳会」の方達が切り開いた
山道です。
 NHKで紹介されてから、1度は歩いてみたいと思う人たちが増えた
ようで、私たちもそうでした。その小野健さんに、偶然朝日小屋で
お会いして栂海新道完成までの御苦労や感動、そして、栂海新道の
楽しみ方を伺がえたのは大きな収穫でした。
 75歳の小野さんは、姿も声も生き生きして、この道を大事にして
後生に伝えたいとおっしゃっていたのが心に残ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 富山県に住みながら全く知らなかった。私にはとうてい無理だけど、
登山のお好きな方に読んでいただきたく紹介しました。
 

台北余話(その2)

2008-08-12 | 旅行
今日は言葉の話を2つ。

個人旅行の行き先を決める時、姫ちゃんが「雲南へ行きたい」など
と言うと、すかさずNちゃんが「中国は無理」と答える。
彼女は中国語を(?)年間習ったがとても難しいとのこと。
中国語を話せなくて中国へは行けないと言うのだ。
その彼女の中国語が台湾では何回も役に立った。

3日目、基隆から台北へ戻る朝。ホテルのフロントでタクシーを頼ん
だ。
タクシーが来て荷物をトランクに積んでいる間に、フロントの男性が
運転手に紙を渡して何か言っていたが気に留めなかった。
誰かが”Keelung Station"と告げて後はのんびりしていた。
しばらくしてNちゃんが、「え?これどこ走っとるが?」と叫ぶ。
あ、ホントだ。市外の広い道路だ。台北へ向かっていたのである。
ホテルの人は、台北の姉妹ホテルを予約した直後だったので、
台北までタクシーで行くと勘違いし、親切心から台北のホテルの場所
を教えたのだろう。運ちゃんにstationは通じなかった!

さあ、それからNちゃんは中国語とジェスチャと紙に漢字を書いて
必死に説明。どうやら脇道へ逸れて基隆まで戻ってもらった。
着いたのが元のホテルだったので驚いたが。
結局、基隆~台北の電車が5分後にあり、タクシーより更に安い
電車で台北駅へ無事に到着、「よかったね~」とホッとした。

駅構内で、順番にトイレに行く間荷物番をしていると、私ら年配の
ご夫婦が日本語で話しかける。奥さんだけ日本語ができるらしく
ご主人は傍でニコニコ。日本語を習っているそうだ。隣の家に日本人
が住んでいるとも。そしてまたNちゃんと私に「親子か?」と。
もう少し話したかったが、そこで別れた。

海外旅行ではその国の言葉を話せると、土地の人との交流が深ま
る、とはよく言われることである。
「中国大陸列車旅行」で関口知宏が、1年前に会った車掌に再会し
「中国語上手くなりましたね」と言われていたが、やはり話せない
と家を訪ねたり、店の人と話したりできないだろう。

ギブアップした韓国語をまた始めてみようかな。


台北余話(その1)

2008-08-11 | 旅行
 昨日、NHKHVで「世界ふれあい街歩きー台北」の再放送を
見た。中村梅雀のとぼけた案内で台北の街を歩くレポートだ。
台風がなかったらこんな街をこんな風に歩いていただろうに、
との思いがしきりである。

 ① まず地下鉄で龍山寺(ロンサンスー)へ。そう言えば
 我々は地下鉄に乗らずじまいだったな~。参拝者や観光客で
 大賑わい。雷門みたい?受験のお祈りに来ている親子。
 大根などの野菜やお菓子をお供えし、家に持ち帰り食べるそうだ。

 その後、北へ向かって歩きながら、屋台の飲食店や面白い売り
 物店に立ち寄りちょっとインタビューする。

 ② 屋台で薬草を売っている青草巷(チンツァオシャン)。 
 婦人病や肝臓に効く薬草を目の前でジュースにしてくれる。
 店で飲んでもテイクアウトでもよし。料理もあるらしい。

 ③ 死者があの世へ持って行けるように豪華な邸宅の模型
 (結構大きい)を 売っている屋台がある。最新の電化製品は
 もちろん、クレジットカードまでがついている。あの世で便利に
 暮せるように、だって。でも、家の前に大きく英語で"House of
 Hell"と書いてあるのはどうして?

 ④ 屋台の飲食店は数知れず。軒並みである。夕方になると
 両親の店の隅(もちろん屋外)に小さな台を出し電気スタンド
 で勉強している姉弟がいる。雨が降ると「お母さんが傘を
 立てかけてくれる」んだそうだ。常に親の目の届く所に子供
 はいるわけだね~。

 などなど、私たちが一日目の夜、台風の中を餃子を食べに行った
時に通ったようなアーケード。その前にキチンと並んだオートバイ。
 そして、番組の途中に挟まれる地元の人からの「インフォメー
ション」が、なんと九分とかき氷だったので嬉しくなる。
 私たちが「台湾故事館」の店で食べた「かき氷」は、今も流行の
デザートだったのだ。街中の店で食べたかったな。

 姫ちゃんのブログ「折おりの記」に写真が載っているが、トッピ
ングは、小豆、タロイモ、米ウドン、こんにゃくなど、7,8種類から
選べ、それにミルクやジュースをかける。
 メニューのどれが何かわからないと、お兄ちゃんが実物を見せて
くれた。「月見」と書いてあるのは卵?と姫ちゃんが注文したら
生卵だった。

 いつもはこんな番組は予め見てから出かけるのである。
今回は逆になったが、いつかまた行きたいものだ。


    

お墓の掃除

2008-08-09 | 日記・つぶやき
土曜日のスケジュール。
今まではビッシリと満杯だった。

でも、今日は・・・。 太極拳はサボってしまったし、
お茶は8月は夏休み。 夕方からの町内の納涼祭は
食券を持って食べに行くだけ。 何かヒマだな~。

そこで、早めのお墓掃除に行く事に決定。
と言っても隣の墓地なのだ。
我が家の墓は二上霊苑墓地のかなりテッペンにある。
見下ろすと伏木港の船が見え、城光寺球場から野球の
試合の歓声も聞こえる見晴らしの良い場所だ。

20年前に富山のお寺から移して建てた。
ところが隣の区画がまだ空き地なのである。 
2,3年前から草が伸び始め私の背丈を越す高さで
生い茂っている。 名前は知らないがススキのような草。
5月の法事の前にも刈ったのに、また高く太くなっている。
我が家の墓まで覆いかぶさり、倒れ掛かっている。

心の中でブツブツ言いながら、汗だくで伐った。
風が涼しく快い。ゴミ袋は持参したが長くて入らず、
刈った跡地に広げて来た。
これでどうやら気持ちよくお盆を迎えられるかな。 

二上山からの帰りに、街中に百日紅の大木のある家が2軒も
あった。 あのピンクがかった赤い花は夏の暑さによく似合う。

それにしても、隣の墓地のこと、今後どうすればいいのでしょうね。
 

 

ペーパークラフトを楽しもう!

2008-08-07 | その他
わが娘の親友(近所なので保育園から大学まで同じ)の
夫君がぺーパークラフトの作家なのだ。

その親友は高校の社会科とカウンセリングの先生で、
一時デンマークの姉妹校に勤務しておられた。
旦那様も一緒にデンマークで勉強されたと聞くが、
その後、徐々に活躍の場が広がり、絵本を出版したり、
展覧会を開いたりしておられたらしい。

彼の名前は、坂 啓典(ケイスケ)さん。 高岡市出身。 
8月、9月のNHK「趣味悠々」の講師である。
毎水曜日の午後10時から10chで放映中だ。(再放送も
あるはず)。

昨日8/6日の初回を見た。 
生徒役はマジシャンのふじいあきらさん。 
まず、小手調べに、NHKのドーモくんを作る授業だった。
展開図を切って、折り曲げ、ノリで貼る。 それだけの
事だが、はさみ、カッターナイフ、サークルカッター、
折り曲げるのに鉄筆、ノリで貼るのに爪楊枝と、手先が
器用じゃないとね~。 でも出来上がると嬉しいし、
かわいい。 最後は自分だけのオリジナル作品を作る
そうだ。

また、目下「富山県こどもみらい館」(太閤山)で
10/5日まで「坂啓典 紙の工作展」という作品展を
開いています。

興味のある方、お孫さんのいる方、ぜひ一度訪ねてください。
「趣味悠々」もぜひご覧になってください。

ウーム、こんな時は写真があるといいんだけど。
姫ちゃんの3回講座を期待しています。







ガラ・コンサート(イオックス・アローザ声楽セミナー)

2008-08-04 | 音楽
福光イオックス・アローザで毎夏声楽サマーセミナーが
開かれて15年目だそうである。 スキー場か保養地だと
思っていた。

一流の声楽家を講師に招き、1週間声楽の勉強をするのだ
そうだ。

その記念コンサートに、今年は合唱が初参加するという
ので、城端の友達に誘われた。
彼女は城端小学校の同級生で、その頃から声がきれいで
歌がうまくいつも先生に褒められていた人だ。
その人と、同じ同級生だった人の奥さんが一緒にコーラス
をやっており、コンサートに出演すると言うわけだ。
 
戦後、庄川、井波、城端など砺波地方の学校では合唱が
とても盛んで、お互いにライバル意識を持ってNHK唱歌
コンクールなどに参加していたものだ。 
城端小学校の同窓生には、今もコーラスをやっている友人が
数名いる。

混声合唱は、「サンタルチア」と「帰れソレントへ」の
メドレーで男声ソロも入り、ステキだった。

先生方のソリストは男女4人ずつで、「世界の名歌」と
「世界で知られた日本の名歌」をそれぞれメドレーで次々と
さすがに素晴らしい美声で聴かせてくださった。
ウットリとしたり、リズムを刻んだり、口ずさみたくなったり
で、それは楽しいひとときでした。

高岡から一緒に行った友達と、帰りに喫茶店で「MiTUも
頑張ろう」と話し合った次第です。

旅の終わり(4日目)

2008-08-04 | 旅行

 30日(水)、5:30にホテルを出発して桃園空港へ。ホテルで用意してくれた朝食を空港ロビーで食べる。残った元を円に換えてもらい、16000円バック。

 ホテルと食事があまりにも安く、台風と私の息切れのためかなりタクシーを使ったのに、両替したお金が減らず、生まれて初めて「お金が減らない悩み」を、味わった。

 関空へは正午過ぎに到着。「はるか」も「サンダーバード」も自由席をとっていたので、すぐ乗れる電車に乗り、連絡もバッチシで、高岡へは1時間早めに到着。姫ちゃんのご主人の車で自宅まで送っていただき、無事帰宅した。

 こんな気ままな個人旅行に誘われたのは、2000年のバリ・ジョグジャカルタ行きが最初である。以降、一番若くまだ現職のNちゃんをリーダーに姫ちゃんと私の3人組で、デンマーク、韓国ーアンドンと河回村の仮面劇、韓国ープヨと板門店、マレーシアと回った。

 デンマークでは初日コペンハーゲンで宿泊予定だったのが、知らないうちに隣国スエーデンのマルメのホテルに着いており驚いた思い出がある。海底トンネルに気づかなかったのである。

 最終日に、私がパスポートを紛失し、2人の残り財産を借りてコペンハーゲンのホテルに延泊したのも苦い
思い出だ。 昼行った「人魚姫」をもう一度一人で見に行ったものだ。

 今年で5回目。 私の幼なじみのK子ちゃんが初参加。台風で変更に変更を重ねた旅行で、彼女の感想はどうだったか?体力、家庭の事情など考えると、今年で最後かな~と言い合っている。 


旅の3日目(小雨の九分)

2008-08-02 | 旅行

29日(火)
 いよいよ目的地「九分」だ。 ホテルに荷物を預け、ホテルのすぐ前のバス停から「金瓜石」行きバスで出発する。
 台風は台湾を抜けたらしい。 まだ小雨が残っているが4人とも気分はルンルン。台風の後なのに、日本の春雨のように優しい雨だ。

 バスは小さな町をいくつか抜けて九分に着く。「九分」については「旅の準備」に書いたとおり、 
山の急斜面にへばりつく階段と坂の街だ。華やかな時代を思わせる建物が、茶房やレストランになっている。
階段で息切れするので、みやげ物屋や飲食店を覗きながらゆっくり歩く。 海の見える茶房と、最初泊る予定だったホテルの喫茶で2度休憩。 お菓子とお茶をそれぞれ4種類ずつ注文して、味わった。

 二二八事件を背景にした映画「悲情城市」はつたやでビデオを借り、ぜひ見たい。

 午後基隆へ戻り、ホテルで荷物を受け取り、タクシーで駅へ。電車で台北へ戻った。(ここでもハプニングがあったが次回に)

 台北のホテルは基隆の姉妹店「コダック・ホテル」。最後なのでシングル4室の豪華版である。
近くのデパ地下で土産を買い、途中の高級ホテルのDFSでウインドウショッピング。

最後の夕食は、台湾家庭料理の老舗「青葉」へ。 日本語入り写真付きメニューで分かりやすい。 好き好きに注文し、4人で取り分ける。 満腹。 満足。でもまだ、共通財産も私有財産も残っているのだ。

 さあ、明日は早朝出発。 モーニングコールを4:45に頼み、各部屋で就寝。 


旅の2日目(台風の台北)

2008-08-01 | 旅行

 28日(月)外は雨風。
 タクシーで台北駅へ。 今日もほとんどの電車が運休している。それでは、と国立故宮博物院へ向かう。 他の3人は1度は来ているが、初めての私は、どんな宝物にお目にかかれるのかと期待で胸がふくらむ。

 ところが、駐車場は閑散として、入り口には「台風のため閉館します」とそっけない張り紙が・・・。 やっぱりここも、である。

 駅に戻り、荷物をコインロッカーに預け、駅の近くで見る物がないかと探す。 地下道をウロウロして、ようやく「台湾故事館」を見つけた。幸いここは開いていた。 中には、1960年代をイメージした町があり、当時の学校、郵便局、旅館、駄菓子屋などが並んでいる。
 そこで大きなカキ氷を食べ、結局それが昼食代わりになった。再度駅に戻ったが、運休状況は朝のまま。 基隆(チーロン)まで3時に1本あるだけ。 雨だし、バスターミナルは遠いし、荷物は大きいし、電車を待つことに決定。 1時間後チーロン行きの電車に乗った。車内はガラガラで、クーラーが寒いほどだ。 だんだん海に近づき、45分後に到着。

 残念な事にチーロン~九分のバスはストップのまま。 タクシーの運ちゃんが寄ってくる。 日本語を話したそうなおじいちゃんも近寄ってくる。
 ホテルに電話をしているNちゃんを指差して、私に「母子か?」と。もう慣れた! 昨年もクアラルンプールで同じ事を聞かれたのだ。
 ホテルがとれて今夜はチーロン泊まりとなる。

 夕食はホテルのレストランで。 台風のせいか、お客は少ない。夕食後外は小雨なので、夜市まで散策する。 港に船が停泊している。ソウルの清渓川のように真ん中に川が流れ、両側に屋台が並んでいる。
橋がいくつも架かっている。 夜市の店には日本統治時代から続いているのもあるそうだ。 歩いていると海からの潮の香がただよって来た。

 さあ、明日こそ九分だ。