人間の歴史は、産業革命が、起こる200年前までは、どこの国も、宗教の歴史です。 ところが、産業革命以降、科学文明に支えられた、民主主義思想が、神に代わって、主人公になった。
元々、フランス革命の合言葉になった、自由・平等・博愛なんて、ちっとも、珍しいものではなかった。 あんなものは、ただの「いいとこどり。」だっただけなのです。 しかし、『魔力』が、あった。
産業革命以前は、自由・平等・博愛の上に、神がいて、厳しさと道徳の根本を、人間に命じていた。 ところが、科学文明によって、傲慢になった人間が、神と、厳しい戒律を、そぎ落として、民主主義思想を作り出した。
つまり、民主主義思想とは、宗教から、その『核心』ともいえる、『魂』を抜いたもの、「物質主義。」そのものなのです。 いわば、民主主義思想とは、魂のない、物質主義の宗教と言えます。
まさに、似非(えせ)宗教、と言えるでしょう。 この民主主義思想が出てきたのは、18世紀です。 そして、カール・マルクスが現れ、資本主義に支えられている民主主義の行きつく先として、共産主義、つまり全体主義を予言した。
共産主義というのは、物質主義の頂点ですね。 共産主義が、宗教を否定していることは、周知のことですが、それは、共産主義そのものが、宗教だからです。
民主主義という物質主義の宗教を、とことん突き詰めた激越な宗教が、共産主義なのです。
それゆえ、他の宗教を、排斥してしまう。 マルクスは、宗教というものの本質を、よく知っていて、それを、自己の思想を実現するために、悪利用したのです。
つまり、科学文明の宗教を、樹立しようとした。
物質を、神として、仰ぐ宗教です。 宗教の持つ『毒』の部分を、よく熟知していた。 また、その『毒』が、文明を創り上げた本質であることも、よく知っていた。
毒とは、もちろん、単独で、取りだされた、『赦し』や、先ほどの「自由・平等・博愛。」です。
マルクスは、その『へーゲル法哲学批判』の中で、「宗教は、民衆のとって、痲薬である。」と述べています。
悪い方の本質を、よく知っていた。 つまり、痲薬だということは、厳しさを抜きにしたために、与えられる、『快楽』ということである。
ご意見には、「孔子学院(2010年までに96の国と地域に、332校が設置)を、世界に開設している、儒教の国・中国が、そのようなことは、しないだろう…。」とか、
親中ミッションに参加した人や、個人的に、中国と交流のあった人からは、「中国人は、いい人が多く、日本人も、平和を愛する、諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう、と決意するという、日本国憲法の精神は、大事だ。」というものも、ありました。
一方、満州からの引揚者の友人からは、「中西礼の小説、『赤い月』にあるように、実際に、日本人3千人が、『虐殺』された、通化事件(1946年)のような状況は、中国全土で、展開されたものだ。
それにしても、通州事件というのは、どのようなものなのか…?」などという、メールでありました。
今後の、習近平体制による、一層の「反日強化。」が、第3の『通州』事件にならなければ、いいのだけれど、と思うわけであります…。
日本人は、争いが嫌いな、弱い民族で、アフリカから、争いを嫌って、東へ東へ、逃げてきて、極東の日本列島に、吹きだっまった、「平和を愛する、民族。」であるとの説があります。
そのため、人の『欠点』(悪いところ)を、あえて、論う(あげっらう)ことは、「おぞましいこと。」として、嫌います。
そして、自分が、『善意』であるから、日本以外の人も、そうであろうと、考えており、できれば、『譲歩』し、また、「話せば、わかる。」ものと、信じています。
中国の諺にあるように、『騙しても、まだまだ騙せる、日本人: 君は中国人を知らなさすぎる』という、邱永漢の『書籍』があります。
善意の日本人は、平和(ぼけ)を信じて、あの中国に、13万人(米国は、1万人、脱出用に、オスプレイ配備)が、「中華鍋。」に入ったまま、親中、媚中の日本政府は、1人たりとも、救出する策をもたず(法律により、自衛隊の出動は、不可能)、流血・虐殺の惨事が、予想されるといいます。
「そんな、馬鹿なことが、あるはずはないではないか…。」という、皆さんの、良識ある反論を、お待ちしております。
<「通州事件。」の惨劇、日本人皆殺しの地獄絵とは、何か?>
1937年(昭和12年)7月29日。75年前、北京の西の通州において、数百人の日本人居留民が、虐殺されました。 大東亜戦争の一つのきっかけになったとも言われる、通州事件です。
かけつけた日本軍が、そこで見たものは、言語に絶する惨状、であったそうです。 支那人は、南京で、日本軍が大虐殺を行い、妊婦の腹を裂き、胎児を銃剣で突き殺すなど、悪逆非道の限りをつくした、とデッチあげて、日本を非難していますが、通州事件を見ますと、日本軍が行った行為と言っているのは、つまり、支那人自身が行ったことに、他ならないことが解ります。
(小学校のクラスメートは、南京事件が、あった、と言っているそうです…)
通州事件は、殆どの日本人から忘れ去られようとしていますが、日本人居留民の、無情な殺され方を、そして支那人の持つ残虐性を、私達日本人は、決して忘れてはいけません。
東京裁判で、虐殺現場を目撃した証人の、宣誓口供書が受理されており、そこから惨劇の一端を、拾い出してみよう。
日本人の平均的倫理観から見て、尋常ならざる殺害の状況(強姦され陰部に、ほうきを刺された女性の遺体、テーブルの上に並べられていた、喫茶店の女子店員の生首、斬首後、死姦された女性の遺体、腹から腸を取り出された遺体、針金で鼻輪を通された子供など)が、同盟通信を通じて、日本全国に報道されると、日本の対支感情は、著しく悪化した。
◇、悪獣も及ばぬ猟奇の惨殺劇
中国保安隊は、我が守備隊や特務機関を、攻撃したのみならず、日本人居留民の家を、一軒残らず襲撃し、無辜(むこ)の居留民(多数の老幼婦女子を含む)に対して略奪、暴行、凌辱(りょうじょく)、殺戮(さつりく)など、およそ残虐の限りを尽くした。、
中国兵『特有』の猟奇的な殺害、処刑の場面が白昼堂々、各所で展開された。
当時、天津歩兵隊長で、7月30日午後、通州に急行して、邦人救援に当たった、萱島高証人は、凡(およ)そ次の如く証言した。
「旭軒(飲食店)では、40から17~8歳までの女7、8名が、皆強姦され、裸体で、陰部を露出したまま、射殺されており、その中4、5名は、陰部を銃剣で、刺殺されていた。 商館や役所に残された、日本人男子の死体は、ほとんどすべてが、首に縄をつけて、引き回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった。」
まさに、なぶり殺しではないか。
中でも悲惨を極めた旅館・近水楼での惨劇について、通州救援の第2連隊歩兵隊長代理を務めた、桂鎮雄証人の供述は、次の通り。
「近水楼入口で、女将らしき人の死体を見た。 足を入口に向け、顔だけに、新聞紙がかけてあった。 本人は、相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥(は)がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、4つ5つ銃剣で、突き刺した跡があった、と記憶する。
陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。 帳場や配膳室は、足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡を、まざまざと示していた。 女中部屋に、女中らしき日本婦人の、4つの死体があり、全部もがいて、死んだようだった。
折り重なって死んでいたが、1名だけは、局部を露出し上、向きになっていた。 帳場配膳室では、男1人、女2人が、横倒れ、或(ある)いはうつ伏し、或いは上向いて死んでおり、闘った跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ、上半身は、蜂の巣のようだった。
女2人は、いずれも背部から、銃剣を突き刺されていた。 階下座敷に、女の死体2つ、素っ裸で殺され、局部はじめ、各部分に刺突の跡を見た。 1年前に行ったことのある、カフェーでは、縄で絞殺された、素っ裸の死体があった。
その裏の日本人の家では、親子2人が、惨殺されていた。 子供は手の指を、揃(そろ)えて切断されていた。 南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の死体が、路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」
(注)近水楼を襲撃したのは、武装した黒服の学生団と保安隊であった。 彼らは、女中数名を惨殺、残る10数名の男女従業員・宿泊客に対して、金品を強奪した後、全員を麻縄で数珠つなぎにして、銃殺場に引き出し、処刑したのであった。
その凄惨極まる、処刑場の情況については、当時だれ1人これを知るものもなかったが、当日近水楼に泊まり合わせた、同盟通信特派員・安藤利男氏が、命がけで銃殺場から脱走し、北京にたどり着いた結果、世界はその実相を、知ったのであった。
支那駐屯歩兵第2連隊小隊長として、7月30日、連隊主力と共に救援に赴(おもむ)いた、桜井文雄証人によれば、
「守備隊の東門を出ると、ほとんど数間間隔に、居留民男女の惨殺死体が、横たわっており、一同悲憤の極みに達した。 「日本人はいないか?」と連呼しながら、各戸毎に調査していくと、鼻に牛の如く、針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が、そこここの埃箱(ゴミばこ)の中や、壕(ごう)の中から続々出てきた。
ある飲食店では、一家ことごとく首と両手を切断され、惨殺されていた。 婦人という婦人は14、5歳以上は、ことごとく、強姦されており、全く見るに忍びなかった。 旭軒では7、8名の女は、全部裸体にされ、強姦刺殺されており、陰部に箒(ほうき)を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。
東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせて、それに、8番鉄線を貫き通し、一家6人数珠つなぎにして、引き回された形跡歴然たる、死体があった。 池の水は、血で赤く染まっていたのを目撃した」
実に悪鬼も目をそむける酷(むご)たらしい、淫虐(いんぎゃく)の情景が、次々と証言されて行った。 それは正しく悪獣も及ばぬ極悪無道の所業であった。
(注)お決まりの虐殺方式 上の東京裁判証言に明らかな如(ごと)く、通州事件でも、頭部切り落とし、眼球抉(えぐ)り取り、胸腹部断ち割り、内臓引き出し、陰部突刺など、支那軍『特有』の猟奇的虐殺が、日本人に対して、行われている。 日清戦争以来、お決まりの惨殺パターンと言ってよい。
私の友人たちは、囲碁とか、詩吟をやるとかの趣味を愉しむ、悠々自適のプラチナ人生、のようであります。
もう、「面倒なことを考えるのは、沢山だ。」ということで、「おねんね。」しているのでありましょうか??
しかし、これも当然で、自分の関心(興味)のないことの「メール。」をもらっても、『雑音』にしか、過ぎないようであります。
一方、私のように、あれこれといわれると、子供みたいに、興味を持ち、すぐ、それに関わっていくというのも、いかがなものか?と、思っています…。
まだ、自覚症状が、あるうちは、「いくらか、救いがある。」といえるのでしょうね??
貴兄は、万巻の書を読んでいられるのか、何の話題でも、応対をしていただけるのは、本当に有り難いことであります。(他の人では、そうは、いきません。)
私の場合は、趣味があまりないため、話題が、特定の分野に偏ることが、難点であります。
私は、自己中心で、生きてきました。 けれども、他の人も「自己中。」で、他人の意見などには、まったく無関心であり、当然のこととして「無用の長物。」(雑音)であると思っているのだと思うに至っております…。
今回のテーマは、宗教心についてです。 宗教を否定している、共産主義国家は、別にしても、信教の自由を認める、民主主義国家においても、宗教は、片隅に追いやられ、人々の宗教神は、薄れてゆくばかりです。
人類史とは、宗教史であったことを、知らなければ、なりません。 その心が、何であったのかを、わからなければ、我々は、物事を、正しく判断することが、出来ないのです。
宗教心の衰退が、いま我々を、限りなく、物質的な思考に陥らせ、また矮小化させています。
宗教心が、わからなければ、我々は、人類史から、何ものも、学びとれません。 だからこそ、我々は、宗教心を、呼び醒まさなければ、ならないのです。
それを、妨げている者が、科学思想に支えられている、民主主義思想です。
歴史を振り返ってみると、世界3大宗教と呼ばれる、キリスト教、イスラム教、仏教は、厳しい戒律を持った宗教の中で起こった、民主化運動と、理解することが、出来ます。
シリア文明から生まれた、戒律が、厳しいユダヤ教を中心とした、厳格な、古代宗教の世界で生きる、人々に対して、『赦し』と『情愛』の部分を、大幅に付け加えたのが、キリストであり、マホメットであった。
また、バラモン教の厳しい身分差別と階層社会の中で、暮らす人々に対して、自由、平等、博愛の精神の必要性を説いたのが、釈迦です。 従って、3大宗教は、その出自からして、民主主義的な思想を、含んでいるのです。
つまり、それらが、生まれた時代は、厳しい道徳的なものが、社会を、身動きできないほどに、覆っていた。 だからこそ、人間が、何とか、生きるためには、確かに、3大宗教的なものが、必要だった。
しかし、肝心なところですが、現代の民主主義思想は、その3大宗教の、『赦し』と『情愛』の部分だけを、「思想化。」したものなのです。
このことは、ミルジア・エリアーデの『世界宗教史』や、マックス・ウェーバーの『宗教社会学』などの、理論を持ち出すまでもなく、宗教を、少し研究すれば、すぐに、分かることです。
民主主義の、『たち』の悪さは、ここに『起因』しています。 それは、そこにあるのは、『赦し』と『情愛』だけですから。
神が、命じている、『犠牲』や『献身』は、そこには、ありません。
そして、それらは、人類が、生み出した偉大なる宗教の中にある、思想だということは、つまり、『真理』だ、とうことなのです。
20世紀最大の新学者カール・バルトも、また文明論を創始した歴史家、アーノルド・トインビーも、そういっています。
バルトは、そう感じたからこそ、『原歴史』と、彼が、名付けた、「神の国へ、戻らなければ、ならぬ。」とは、そのような謂いなのです。
また、トインビーも、「宗教の持つ、本源的価値に戻らぬ限り、文明世界に未来はない。」と言っているのは、そのような意味合いなのです。
3大宗教は、すべて、自由・平等・博愛という、赦しの宗教です。 つまり、厳しい戒律に、その『赦し』の部分を、付け加えたものが、3大宗教なのです。
それは、もちろん、人間にとって、必要な精神です。
だからこそ、民主主義は、「たちが悪い。」のです。 自由。平等・博愛は、宗教真理であり、否定できないからです。
本当の宗教というのは、その上に、神がいて、きびしい、『戒律』があり、人間に対して、その生活の隅々に至るまで、検診や犠牲を求めていた。
その厳しい部分を、そぎ落としたのが、民主主義思想なのです。 つまり、「いいとこ、どり。」ですね。
厳しさを除いて、それでいて、歴史的正当性の則した、宗教的真理に根差したことを、実践している気分になれる。
エリアーデやロジェ・カイヨワの指摘を待つまでもなく、「聖なるもの。」を権限できるのは、厳しさのある、宗教だけだったはずなのです。
しかし、民主主義が、神の名の下にあった、その厳しさを、科学思想で、除いた上、その「正しさ。」を保証してくれたのです。