【集団的自衛権行使容認実例】 動物はまさに弱肉強食の世界、ちょっと待って実は人間も動物です! |
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動物から教えられる人間が生きる原点、それは何でしょうか。これぞ 集団的自衛権 とくと御覧ください。凄いの一言です。
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【集団的自衛権行使容認実例】 動物はまさに弱肉強食の世界、ちょっと待って実は人間も動物です! |
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動物から教えられる人間が生きる原点、それは何でしょうか。これぞ 集団的自衛権 とくと御覧ください。凄いの一言です。
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<人知の見直し。 すべては、「しあわせ。」のために>
たとえば、我々は、幸福な人生、幸福な生活を望んでいる。
だが、『幸福』とは、2つの側面がある。 1つは、「しあわせ。」という側面、いま、1つは、「さいわい。」という、側面である。
「しあわせ。」(ハッピー)とは、余計な心配、気苦労がない(心が、『穏やか。』な)状態である。
また、そのような形で、心の『平安』(カンフォート、アパディア)が、保たれている状態である。
「アパディア。」とは、ギリシャ語で、心が、騒がない、つまらぬことに、血が、騒いで、カッカ、ポッポしない状態ということ(アとは、かけているということ。 パディアとは、パッションのこと)である。
これに対して、「さいわい。」(ラッキー)とは、『運』のいいことである。
この2つを合わせて、『幸福』(フェリシティ、あるいは、プリス)というのである。
つまり、人間の目標は、『幸福』にある、ということであるが、あいにくなことに、「さいわい。」(運がいい)の方は、ことがことだけに、我々の力だけでは、いかんともしがたい。 (…と考えられているが、しかし…。)
たとえば、万一のときに備えて、力を蓄えておくとか、いい友達をたくさん持っている、ということぐらいが精一杯のところで、それ以上は、どうしようもないわけだ。 (…しかし。)
だが、「しあわせ。」の方は、我々が、その気になれば、いつでも実現できる。 (う~む、そうだろうか? )
すなわち、そのために、『知』をこやすことに、つとめれば、いいからである。 (果たしてそれで、できるのか…?)
その『知』をこやすことを、不精がっていたのでは、知的に怠けていたのでは、「しあわせ。」など、いつまでたっても、くるものでは、ないのである。 すなわち、『知る』ことが、「しあわせ。」への、第1歩だということである。
人生は、努力7分、運3分と言われる。 (果たして、そうか?)
ということは(もしそうであると、仮定すれば…)、努力によって、『幸福』の7分は、手に入れることができる、ということである。 (これは、疑問である。 人生においては、『努力』≠『成功』であり、『成功』≠『幸福』では、ないのか?)
しかも、その『努力』のそもそもは、『知る』ことから、はじまるのである。 『知る』ための努力をしないで、ただ、くそ頑張りの努力だけでは、仮に、一時的には、何とかなっても、それを、「しあわせ。」とはいわない。
『よく』知り、よく学ぶことが、人の「しあわせ。」を左右する、わかれ道なのである。 (なるほど。 この『よく』、というところに、単なる、『知識』ではなく、「生きるための『智恵』。」を知り、『良く』学ぶことが、大切なわかれ道である、というわけで、ありましょうか…?)
だが、『知』(生きる知恵)を求めたから、『知』をこやしたからといって、これで、「しあわせ。」になれるかというと、そうではない。
いくら、ものを知っていても、いざという時に、『対応』(実践)に失敗したり、物をろくにつくれなかったり、「心の『平安』。」(これが、キーワード)を保つことに失敗(感情的になる)したのでは、何もならない。
その意味で、これからの『知』(知恵・生きるための仕組み)は、「哲学主義。」、「教養主義。」を超えなければならない。
また、そういうことで、『知』を生活の中で、上手につかうこと(実践)を、考えなければならない。
その『知』(知恵・真理)を、生活の中で、生かすことを、『実践』(プラクシス)という。
以上
<21世紀は、海の国に対する、陸の国の戦いの世紀>
先進国の人件費は、景気回復下において、増加率が、鈍化するだけならともかく、なぜ、『減少』するようになったので、ありましょうか?
1990年代半ば以降、グローバリズムが、台頭し、「海と陸の戦い。」が、始まったことを抜きにしては、答えることはできないのであります。
1970年代半ば以降、先進国の『成熟』化を原因として、21世紀の「利子率革命。」が、始まり、90年代半ば以降になると、原油に象徴される資源価格が『高騰』し、交易条件の悪化を通じて、先進国の低利潤化に、拍車がかかりました。
そして、株主重視の経営が、持て囃され、一定の利益率の確保が、要求されるようになると、人件費が、変動費化するようになりました。
所得が、恒常的に、増えなくなれば、消費支出が、伸びなくなるのは、当然であります。
利子率と同じ動きをする、ROA(使用総資本利益率)の、趨勢的な低下の根本原因は、日米共に、売上営業利益率の低下であります。
それを打開するために、資産の効率化、すなわちM&Aによる、資産の取得と売却が行われ、巨大企業の誕生を促しました。
1970年代半ば以降、先進国が、成熟化して、利潤率が、上がらなくなったので、利潤を、再び巨大化させようとして、グローバリズムが、新たな『空間』を創造していきました。
その1つは、「電子・金融空間。」であり、もう1つは、「新興国市場。」という、「陸の空間。」であります。
グローバリズムは、新自由主義(ネオ・リベラリズム)、そして新保守主義(ネオコン)と親密性があり、グローバリゼーションとは、人、物、カネの自由な移動であると、多くの人を信じ込ませ、新興国の近代化・工業国を促し、新中間層を生み出していった。
1980年代初めのレーガン政権の誕生によって、「保守革命。」が起き、右派が、左派(リベラリズム)を圧倒しました。
「アメリカで、この20年間にわたって、勢いを増している、右派思想においては、憲法制定者たちが、宣言した『普遍』的原則、アメリカこそが、近代性の『模範』であるという主張、そして『自由』市場制度の3つは、同じものになっている。
この結果、自由市場の拡大は、近代性の最先端であるとされ、アメリカ的価値の伸長と、同一視されるのであります。
保守主義者は、「『自由』市場が、富の創出のもっとも、効果的な手段だというドグマ。」を信奉することで、「保守主義者が、グローバル資本主義の絶叫伝統者になった。」のであります。
1990年代半ば以降、グローバリズムは、新興国・資源国の台頭、即ち、「陸の国の、海の国に対する戦い。」を引き起こしました。
その戦いが、始まったことを象徴しているのが、原油価格を代表とする、資源および、食料価格の高騰であります。
そして、資本が、労働に対して、優位に立つことによって、始めて、原油価格高騰による追加支払いを、人件費の削減で、相殺できるようになったのであります。
そのことは、必然的に、先進国の中産階級を、『不安』に陥れます。
「1980年代に、アメリカで、自由市場を作り出した結果の1つは、中産階級における、新たな経済的な不安である。」から、その不安を除去するために、新自由主義と新保守主義が、『必要』とされたのであります。
即ち、中産階級から、落ちこぼれないように、「努力すれば、『報わ』れる。」と説き、道徳的価値観を重視している新保守主義は、「一方では、階級権力の回復を企画している、エリート階級とビジネス界、他方では、新保守主義派の選挙基盤である不満を抱いた、白人労働者階級という『道徳的多数派』、この両者の連合である。」としています。
グローバリズム、「海に対する、陸の戦い。」、そして、人件費の変動費化は、いずれも、同じ根っこを有しているのです。
すなわち、これら、『3つ』は、21世紀の「利子率革命。」をいかに、克服するかを、『課題』として、生じたのであり、これら3つは、「利子率。」、即ち、資本の利益率を、再び、引き上げようとする、反「利子率革命。」として、捉えることができるのであります。
以上
<PK(ピンピンころり)シリーズ(39)。私の理想とする、「死に方」>
高齢ともなると、自然に食欲が落ち、食べる量も、だいぶ減ってくるはずであります。 肉なども、ほんの少ししか、口にしなくなるでしょう。
さらに、それが、進めば、小食低体温で、仙人のような生活になります。
そういう省エネのステージを経験し、最後は、食を身中から絶って、死を迎えるのであります。 死を、自分で予感して、死というものを、自分で、『実践』したいのであります。
◇、“自分の意志”で、自然に帰る
最期を迎えるにあたって、理想とする、「死に方。」があります。
それは、空海のように、死期を悟ったら、食物と水を、口にしなくなって、恍惚の状態で、死ぬというものです。
少食低体温で、仙人のような生活になる。
そういった、省エネのステージを経験し、最後は食を断って、死を迎えるのです。
死を自分で予感して、死というものを、自分で実践したいというのです。
食を減らしたり、食を絶ったりするという選択を、自分自身で決めること。
周りからの強制や周りへの遠慮からではなく、そういう最後を、自分の意志で、選び取ることが重要です。 そういうことを、「自分で、選択する時代になって欲しい。」と思っているというのです。
◇、死に向かって、成長する
年をとっても、少しずつ、成長を続けて、それが、たとえ途中であっても、最後は、そうして静かに、此の世を去りたいと思います。
動物などは、そうやって、身をひそめて、死んでいくのですから、人間にだって、できないはずがありません。
食べ物も、水も、口に入らなければ、3日もすれば、動けなくなって、寝たきりになると思いますが、「これでいい、楽しかった。」と満足して、静かに死んでいけたら、と思っているというのです。
そして、家族も、そういう死に方を理解し、これが、普通なのだと、共感を持って、「ああ、今、おじいちゃんは、その流れの中に入ったんだ、すごいね。」と、ごく自然に受け入れてくれれば、なお、すばらしいことです。
そういう場面を想像していると、不思議に、死が、怖くなくなってきます。
以上
<「欧州は、衰退するであろう。」(持論)ということについての疑問点?
①、「民族(言語)、人種、宗教など多様な構成要因をもつ国家。」なるものを、『統合』することが可能なのでしょうか?
②、人口が、世界の5%に過ぎない欧州が、GDPで25%のシェアを、今後も維持することが、これ又、可能なのでしょうか?
つまり、そのよって成り立つ、経済(産業)基盤は、何でありましょうか?
③、悪くいえば、そもそも、「働かず、植民地を『収奪』して成り立っていた欧州経済。」において、現在、みるべき産業・工業は見当たらず、欧州各国は、金融(高利貸し)立国を図ったが、イギリス・アイルランド・アイスランドなどにみるように、失敗に終わっています。
④、南欧諸国の財政破綻は明らかでありますが、フランスも、1314<フランス、『国家丸抱え経済』の限界。 危機は加速中>にみるような状況であります。
⑤、ユーロ安のメリットを一手に享受している、ドイツは、「念願である『第4帝国』(経済統合)の達成を成した。」とも言えるが、ドイツ一国で、欧州を維持・補填していくことが、可能なのでしょうか?
(申し上げたように、今回はギリシャの1人勝ちではありますがねースペイン・イタリア・ポルトガルが、『学習』したでしょうねえ)
現在、英国・アイルランド20日間クルーズに参加中ですが、こちら欧州の4週間バカンス・大渋滞の高速道路を見て「人ごと。」ながら心配しておりますのです…。 (「脚下照覧。」ではありますがね!)