チャンネル桜・瓦版:世論(多数意見)の真逆(少数意見)がほとんど正しい・西村浩一ブログ

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 女性優位で人類社会は、誕生した(その2):「『日本』を主語とする。」・チャンネル桜をご覧ください!

2016-09-18 09:26:35 | 歴史

   <もともと、女性優位で人類社会は、誕生した(その2)>

 父権社会の時代は、人類史に巨大な足跡を残した。

 それは、剥き出しの軍事力が行使される、「力の文明。」の時代でもあった。 

  近代ヨーロッパ文明は、一段と強固な父権社会に、立脚している。

 宗教改革を興したプロテスタントたちは、カソリックにおける、マリア崇拝を排除した。

 ヨーロッパに残っていた、女性原理の『最後』の象徴を排除したのである。 

 そのプロテスタントたちが、近代資本主義の「担い手。」になった。

 「近代文明。」は、強固な男性原理の上に立っている、と言わねばならない。 

 特に、1800年前後の「産業革命。」で、工業社会が勃興した結果、軍事力は、経済力に支えられ、両者が一体となった「富国強兵。」の全盛時代を迎えた。 

しかし、その限界も明らかになったのが、20世紀であろう。

 20世紀末から起こってきた「女性優位。」は、「父権社会。」及び、「力の文明。」の『終焉』をもたらす可能性を秘めている。

 母権社会から、父権社会への転換が、人類史上の『第1』の革命であったとすれば、「女性優位の流れ。」は、『第2』の革命、あるいは、人類史における、女性のルネサンスの時代といえる。

 『美』を大切にする、女性優位の社会の到来が、長寿という幸福のシンボルとともに、語られる時代に、世界史が「力の文明。」から、「美の文明。」へ転換しつつある。

 女性には、「力の文明。」より「美の文明。」が、よく似合う。

 われわれは、美の文明戦略をたてる『秋』(とき)を迎えている。

 それは、女性とくに、高齢女性の「新しい役割。」を真剣にさぐることでもある。


 古事記:チャンネル桜・瓦版、<都知事選>小池、鳥越氏競り合い 増田氏が追う

2016-07-19 22:49:16 | 歴史

  <古事記。 日本が、世界からリスペクトされるために。 今こそ『古事記』の初心を学べ>

 グローバル社会は、人、物が、自由に流通するのみならず、今では、デジタルハイウェイにより、大金も、様々な情報も、瞬時に流通する。 それは、各国の様々な格差や価値観の差を浮き彫りにし、衝突や摩擦を惹起することもある。

 それを阻止するのは、各国が、誇る歴史、文化などのアイデンティティであり、それを理解し敬意を払ってこそ、真の地球社会のグローバル化が、形成されるものと思う。

 しからば、わが国が、誇るべきアイデンティティとは、何であろうか?

 それは、「やまと心。」と「皇室の存在。」ではないか?と思う。

 それを、日本最古の古典、古事記からみてみたい。

  ◇、本居宣長の「やまと心。」

 古事記は、知られているように、ヤマト朝廷、すなわち天皇の系譜を語る、日本で最古の古典文学である。

 本居宣長の結論は、古事記は、源氏物語と並ぶ、わが国最古の古典である日本書紀が、儒教的な「中華思想。」であるのに対し、古事記こそが「やまと心。」であるとした。

  古事記が伝えるところによると、天、土が姿を見せ、そこに七柱の神が、成り出る。 高天原で、イザナキ、イザナミの二柱の神々が、交合し多くの神々を生みなす。

 そのイザナキから、天照大神とスサノヲの命が生まれる。 

 スサノヲは、暴れ者で、天照大神は、恐れをなして、天の岩戸に籠ってしまい、世の中が闇になる。

 それを、オモヒカネ(思慮の神)の智略で、天の岩戸から引き出し、スサノヲを高天原から追放する。

 スサノヲは、出雲でヤマタノオロチを退治し、クシナダヒメを娶り「やくも立つ、いずもやえがき、妻ごみに、八重垣つくる、そのやえがきを。」と詠んで、平和に暮らす。

 その六世の孫、大国主命は、因幡で白ウサギを助け、苦難の末、地上界を初めて統一する。

 天照大神は、高天原から、それを見て、大国主命に国譲りをさせ、直系を日向に天孫降臨される。

 ここまでが、高天原と地上界を跨ぐ神話である。

 その孫が、初代天皇、神武天皇であり、神武天皇は、東征し、畿内にヤマト朝廷を作る。

 飛んで、第12代天皇の子に、倭建尊が登場する。

 父にうとまれるが、命じられるままに、九州の熊襲を平定し、続いて関東を平定するが、帰路、三重で没する。

 天皇になれなかった、英雄伝である。 

 以降、第15代応神天皇、仁徳天皇と繋がるが、武烈天皇に日嗣のこはなく、応神天皇の5世の孫を越前より迎え、第26代継体天皇となる。

 古事記は、以降、第33代推古天皇までの系譜を様々なエピソードと、熾烈な継承の争いを交え語っている。

 女王卑弥呼や邪馬台国など、必ずしも古事記と対応がつかないところも多い。

 中国や朝鮮の文献が語る、古代日本の王たちは、ヤマト王朝以前の国だったのかもしれない。

 ヤマト王朝の歴史の輪郭は、第10代水神天皇からは、実在の可能性があり、第15代応神天皇朝は、中国、朝鮮と深く交流し、第21代雄略天皇は、実在の証拠があり、また第26代継体天皇以降の系譜は、かねがね史実であるとされる。

 本居宣長のいう、「やまと心。」について、古事記が語る神や人の心の有り様から、考えてみたい。

 また、当時の外国、すなわち中国からの使節団から見た、やまとの人々の有り様やらは、聖書、ギリシャ神話との対比からも見てみたい…。

 

                    以上

 

 


 人生読本(3)。歴史:チャンネル桜・瓦版、米国が、安倍総理を大歓迎した理由は何故か?

2015-06-08 10:02:03 | 歴史

          <人生読本(3)。歴史>

 歴史という漢語は、「史(ふみ)で歴(あら)わされたこと。」を意味します。

 歴史とはヒストリー『物語』のことで、過去の出来事との連綿にいかなる物語を与えるか、それが『歴史』だということになります。 

 物語であるからには、歴史に対して安直に客観性とか科学性を求めるわけにはいきません。

 その前提としていかなるものを採用するかは(物語というような形での)主観のはたらきによるのだ、ということを認めなければなりません。 

 論理は感情を前提にしているということが、歴史においてはさらに顕著になるわけです。

 又、人間およびその社会の出来事は、多くの場合、個人および集団の『価値』をめぐって生じます。

 したがって歴史も『価値』についての物語という体裁を取ることが多くなります。 

 価値に関する表現にあっては、否応もなく、主観性の濃度が大きくなります。

 その点でも、歴史に過度に客観性を求めてはならないといっておくべきでしょう。 

 しかし、これは、いかようでも編集できるのが歴史=物語だ、ということではありません。

 出来るだけ多くの人によって納得されうるような物語、つまり価値の時間的継起についての解釈において共通了解を保証できるような物語、それが歴史なのです。 

 換言すると、歴史における客観性はこの了解可能性こそにある、ということです。 この了解にとっての一つの重要な要素、は、現在における人々の共通関心は何かということです。

 その共通関心は、未来への共同の展望にもとづいて過去への共同の遡及を行う、それが歴史にほかなりません。 

 その意味ではどんな歴史も現在史なのです。

 結局、過去の記憶と未来への願望の間の対話が歴史=物語というものだということになるわけです。

 人々の振る舞いにおける慣習という名の実態や、人々の環境における(作品の総体としての)制度といった実体は、人々に歴史を感じさせます。 

 そうした(慣習を含めた意味での)制度が乏しければ、歴史の感覚も貧しくなるに違いありません。

 しかし、そうした実体としての制度そのものは物語ではないのです。

 制度は、過去を振り返っていえば物語の運搬物であり、未来を除き見ていうと物語の刺激剤である、といえましょう。 

 ある事実について納得的な物語を創るためには、その他の出来事の総体を多面多層にわたって把握するという不可能事に挑戦しなければなりません。

 だから歴史は、国家についてであれ世界についてであれ、個人にかんしてであれ、地域にかんしてであれ、つねに未完の物語足らざるを得ず、それゆえしゃべっても聞いても、常に楽しい物語にならざるをえないのです。

 

                           以上


 4月28日は占領日本から国権を回復した「主権回復記念日」を祝うべき:チャンネル桜・瓦版

2015-05-08 08:58:29 | 歴史

  <4月28日は占領日本から国権を回復した「主権回復記念日」を祝うべき>

 いつもながら興味深いご意見を聞かせていただき有難く思っております。

  さらに、平和ボケしている私にいわゆる「戦争論。」とか、大事な日本のアイデンティティである象徴「天皇制。」などの未経験のクレーコートのラリーに誘われていることに戸惑いと共に感謝であります。

 書物による机上論ではなく、人間の身体的感性(共通感覚)についてのご指摘は興味を持って受け止めています…。

 安倍総理の安保論争が、彼の戦争体験のない世代の発言であり、高々戦後70年で歴史を総括することは浅薄であると言われております。

 これらについて、いくつか思いつくことは

 1、テロルと戦争(国家による暴力)との違いは、ナポレオン時代のスペイン・ゲリラ(非正規軍)の登場以来、次第に曖昧になってきている…。

 2、戦後70年というが、国際法的形式によれば、戦争『終結』は1952年(昭和27年)の4月28日に発行したサンフランシスコ講和条約によってであり、本当は今年で戦後63年であると考えますよ…。

 3、さらに中韓は戦勝70年記念行事を行うというが、各国とも『戦勝』記念日があるのに、なぜ日本だけは『敗戦』を記念(8月15日、12月8日)するのか?分からないことであります。

 4月28日は占領日本から国権を回復した重要な日であり、当然「主権回復記念日」を祝うべきであると考えます。

 国権回復の日に昭和天皇が詠まれた歌

  風さゆるみ冬は過ぎて待ちに待ちし八重桜咲く春となりけり

 4、ということは、当然『日清戦争戦勝記念日』、『日露戦争戦勝記念日』を設けることが、国際標準(グローバルスタンダード)でありましょう!

 5、貴兄は、ビスマルクが“賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ”と言われていますが、真にその通りであると考えます。

 歴史の英知に淘汰された道徳などの「価値規範。」を尊重することの重要性をいつも痛感しています…。

 6、安倍首相の内心は分からないのですが、対米従属姿勢については疑念を持っています。

 けれども、安倍総理は「大東亜戦争。」敗戦時に林房雄の言った「幕末からの『百年戦争』。」のスパン『歴史』認識で、日本国の有り様を考えているのではないかと思うのですがね…!?

 引き続きご意見を頂ければ、ラリーを続けさせていただきます。

 例によって、興味を失われているようでしたら、ゲームオーバーとさせていただきます。

 


 初期人類は、森から離れて「二足歩行。」を『岩場』で獲得したという仮説:チャンネル桜・瓦版

2015-04-30 12:20:20 | 歴史

 <初期人類は、森から離れて「二足歩行。」を『岩場』で獲得したという仮説>

 アフリカ東南部で数百万年前に発生した火山噴火と地殻プレートのずれによって形成された岩だらけの地形が、われわれ人類の祖先が二足歩行を始めるきっかけとなった可能性がある。

 英ヨーク大学の考古学科のイザベル・ワインダー氏は「二足歩行が、気候変動による植生の変化への対応ではなくて、地形への対応として発達した可能性がある。」と話した。

  起伏のある岩場の地形は、捕食動物から逃れる避難場所になり、物陰に身を潜めやすかったのだろう。

 また岩だらけの地形は、より直立した状態でよじ登りながら歩く必要があったため、二足歩行を始めるきっかけになったのだという。

 初期人類はこうして、体重の大部分を脚で支えるようになり、手を岩の上で体を安定させたり、体を引き上げたりするのに使うようになったのだろう。

 結果として、ものをつかむ能力が向上し、最終的に道具を作り始めるまでの飛躍的な進化を可能にしたのだろう。

 ワインダー氏は「変化に富んだ地形は、認知能力やコミュニケーション能力が向上する要因となった可能性もある」と述べている。

  初期人類が木から地上に移動したときに、アフリカの多くの捕食動物からどのようにして逃れて生き延びたかという疑問は、数十年間も科学者らの頭を悩ませてきたが、今回の発見によってその答えが出るという。