<日本文明(1)。縄文時代からの神々の記憶>
日本文明の特質は、「日本は、陸上文明ではなくて、『海上』文明的な部分を、強くもっている。」ことを、強調したい。
陸上を中心に置いた、文明史観では、向こうから移動してくるものが、敵であるか否か?を、わりとたやすく察知できる。
ところが、『海』というのは、本当に分かりにくい。
一瞬にして、目まぐるしく変化します。 それゆえ、「海上文明。」では変化にたいして、非常に注意を払うのです。
さらに陸上文明のように、強固な構造を作るわけではなく、すぐ解体できる「モバイル文明。」としての側面もある。
日本は、たしかに農耕国家でもありますが、一面で、そういう海上的な移動性を、非常に強くもっている。
島国として、閉じこもっているようでありながら、基本的には、一種の開放系であって、それが、「まれびと。」到来を支える、「文化心性。」にもなっています。
「まれびと。」到来を支える文化は、家屋構造にも出ています。
中国の住居は、基本的に四囲式で、壁で四方を囲んで、その壁に、ちょこっと穴があいて出入り口となり、真中が中庭になる。
ところが、日本の家屋は、縁側や庇が、内なのか外なのか、分からないような、二重性をもったまま、外と内が、連続している。
これは、中国的な家屋とは、全然違って、日々の生活の感覚や移ろいを、周囲から直接に受け入れるものです。
周囲から隔絶して、秩序を保つのではなく、開放系で周囲とかかわりながら、自分のなかに、一種のもてなし、振る舞い、あるいは、しきたりなどという形で、習慣としての節度をもつ。
ここから、たとえば、屏風一枚で、こちら側と向こう側が分かれ、誰でも通れるのに、通らないという構造が、つくられていったのではないかと思います。
そういう構造は、神社のあり方にも、よく表れていると思います。
神社の原型は、やはり、『お宮』ではなくて、『社』(やしろ)です。
社とは、仮の覆い。 つまり伊勢神宮が、式年遷宮で、二十年に一度、作り替えられるように、「仮設性。」を基本構造にしつつ、新しいけれども、非常に古い構造を保つ仕組みを、組み入れていくのです。
「千代に八千代の。」という言葉がありますが、この『代』というのは、「代わる。」という意味を持つ言葉です。
『仮設』が、前提なのですが、その移ろいは、「ガラッと変わる。」のではなくて、何かが、継承・保存されていく。
これが、非常に大事なところです。
そのような構造が、特別な現人神という存在のなかに現れる場合もあれば、もっと一般的に、お茶と客、あるいは、歌舞伎の主役(シテ)と脇役(ワキ)などといった、関係性のなかに現れる場合もある。
根本には、ずっと、その構図が、動いているわけです。
以上