チャンネル桜・瓦版:世論(多数意見)の真逆(少数意見)がほとんど正しい・西村浩一ブログ

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 「衆知経営。」で『衰退』と闘え:チャンネル桜・瓦版

2016-06-30 13:56:20 | 戦わない経営
      <「衆知経営。」で『衰退』と闘え>

 企業で大切なのは、『成長』と「エクセレント(秀逸であること)。」を、混同しないことです。

 現実の経験から得られる「実践知。」を重視し、働く人たちが、全員参加する経営を志向してきました。

 それを、松下幸之助氏は、「周知経営。」と呼びました。

 もちろん、それは、日本だけのものではありません。

 米アップルについては、チーム力を生かした周知経営であり、有能な外人部人材を招聘してきて、その力を十分に発揮させています。

 日本企業が、エクセレンスをさらに高めるカギは、先ず、グローバルでの衆知経営が、できるかどうかでしょう。

 日本人だけの経営に慣れているため、衆知の集め方が、どうしても「クローズ(閉鎖的)。」になりがちです。

 オープンとクローズを、どう組み合わせるかが、問われます。

 もう1つは、人材育成です。 企業経営において、「Decision。」よりも、「Judgement。」が、問われる時代になっています。 決定を下すことを意味するDecisionに対して、Judgementは自分の価値観に基づいて判断する、ということです。

 ある経営判断が、求められる場面に遭遇した際、ビジネススクールで勉強した経験があれば、最善と分析できる解は出せる。 

 しかしこれは、Decision です。

 過去の事例をベースにしたものにすぎず、実際の状況を踏まえたものとは限らない。

 経営者に必要なのは、Judgement(判断)であり、それには、周囲との「関係性。」を正しく読むことが求められます。

 『前提』となるのは、経験と教養ですが、今の日本の経営者には、『教養』が不足していると言わざるを得ません。

 深い教養を身に付けたリーダーの育成が、課題です。




 果報は、練って待て:チャンネル桜・瓦版、朝日新聞集団訴訟、廃刊に購読中止を

2015-12-16 07:38:20 | 戦わない経営

    <果報は、寝て(練って)待て>

 事業経営にあたっては、「有望産業。」を見出して、競争して「勝ち進む。」というものがあります。

 一方で、『成す』のではなく『成る』という「考え方。」があります…。

 以前、「病気を『治す』ではなく、『治る』運命。」、「争いを『治める』のではなく、『治まる』運命。」と聞いたことがあるのですが、私の父も「お金は、『貯める』のではなく、『貯まる』というのが、本当なのだ。」といっていたのを思い出します。

 私は、力不足なのか、「他と競い合う。」ことを好まず、「他に類のない(ユニークな)もの。」が好きという、「怠け者。」(何もセンム)であります…。

 「独自の技術。」(オンリーワン)というようなものがあれば、「理想的。」(申し分ない)なのですが、「独自の『考え』方。」というのでも良いと思っています。

 例の天邪鬼なのですが、夏には「スキー場。」へ、冬には「海水浴場。」へ出かけるのが好きであります…。

 『1974年に資本主義は終った』という本(水野和夫氏)が、近年ベストセラーになったのですが、これは、先進国においては「消費需要が、充足された。」ということであり、製造業(第2次産業)は開発国に『転出』して、先進国経済は、「サービス(第3次)産業化。」するというものでありますよ。

 この局面において、日本経済は、断トツの強み(日本的サービス・日本文化)を発揮して「世界の経済覇権国。」になるという意見に賛成しているのです…。

 ところで、「塗装業。」はどうなるのかということになりますが、

 経済進展の法則から言って、経済のサービス産業化に移行するとなれば、日本経済においても、製造業の減退となり、塗装業においてもいわゆる仕事量が減少すると一般的にも考えられます。

 そこで、業界の「環境悪化。」について考えてみましょう…。

 1、仕事量の減少

 2、塗装工の老齢化

 3、若者の塗装工志願者激減

 4、公害規制問題

 5、消防法の規制強化

 6、『溶剤』環境規制強化

 7、近隣の公害苦情増大

 8、塗装業・経営者の老齢化と後継者難

 など、問題山積であります。

 これらによって事業経営の継続が、極めて『困難』となると想定されます。

 ここにおいて、経営者の『思想』(経営理念)が問われることになると考えます…!

 つまり、以前話題とした「会社の目的とは、何か?」というあたりの「経営哲学。」(あるいは人生観)の問題になると思うのでありますよ。

 前途に、「悪条件。」があるなら、それを『回避』して、より安全で、有利な『業種』(商売)に転換を図るというのが「利口な。」人のとる行動であると思います。

 『平時』には強くても、動乱期の『変動』に動じないという「乱世の英雄。」たるには、「しっかり。」とした「ポリシイ。」(理念・哲学)を必要とするのだと思いますね…。

 今年の5月に、GE(ゼネラル・エレクトリック)の新CEO(最高経営責任者)が、「まず、会社の『定義』(とは何か?)から始めよう。」と今頃言っているわけですよ!

 その意味で近年、にわかに華々しく『勃興』した、サムスン・楽天・ユニクロ・ソフトバンクの『倒壊』を述べる理由というのが、その「裏バージョン。」なのですがね??

 「果報は、練って待て。」、ゆったりとしながらも、「虎視眈々。」の気は持ち続けたいものと思っています…。

 


 『戦略』は躓きの石:チャンネル桜、生命には正常を保つ働き(自然治癒力、サムシング・グレート)がある

2015-06-27 22:28:08 | 戦わない経営

   <『戦略』こそ、つまずきの石>

 (私は、「何にもセンム。」と言って居直っているのだが)「行き当たりばったりの、まぐれあたりに依存した経営が、いつまでも持つはずがない。 長期的に見れば、成功するのは、やっぱり、しっかりした戦略を持った企業だろう。」と思う方も多いでありましょう。

 ところが、『戦略を持たない』経営というものが、いかに優れた経営かということが、最近の経営学で、やっと正しく認知されるようになってきました。

 まず、戦後日本の経済史で、『戦略重視』によって、何か良いことが1度でもあったのかということを検証してみましょう。

 振り返ってみると、日本の新聞紙上で、『戦略』が語られ始めた時期というのが、恐ろしいほどの『相関性』で、経済成長率の『鈍化』と歩調を合わせているのです。

 企業も官僚も知識人も、経済成長の鈍化など、まったく懸念していなかった1970年代に入って、突然日本の国会審議で、(成長)『戦略』を語るケースが散見され『始め』ました。

 この(中曽根防衛長官が、1970年に、戦後初めて、国家戦略に言及した)後、70年代は、『国家戦略』に言及されるのは、年に1回あるかないか、80年代、90年代前半は、年数回だったが、『95年』から2桁になり、以後ウナギ登りに増え、2002年には、最高値131件を記録しています。

 まず、政治や官僚、さらにマスコミ、経済界に『戦略』を語る風潮が蔓延して、そして経済成長率の『鈍化』がやってきたのです。

 その『逆』では、ありません。

 戦後日本経済史において、官民一丸となって、総力を結集して「頑張った。」というケースの結果は、どうだったかを検証してみましょう。

 『戦略』を掲げた、経済総力戦の第1回目は、『日本列島改造』でありました。  

 結果は、「ものの見事。」に、日本経済を高度成長から低成長に引きずり「落とす。」ことに成功しました。

 第2回目は、日本経済を内需依存型に作り替えることを標榜した『前川レポート』に書かれた諸政策でありました。

  結果は、ほとんど経済を刺激することなく、巨額の「国家債務。」の山を築いただけでありました。

 『日本列島改造論』が、いかにとんでもない反成長戦略だったかは、何度もノートしていますので、ここでは、1990年代のすさまじい「国家債務。」の膨張について考えてみましょう。

 あんなに、すさまじい金額の公共投資が、だれも何も考えずに偶然遂行されるということはありえません。

 『①内需振興、②東京「一極集中。」の『緩和』ないし逆転、③地方経済のテコ入れ』という一石三鳥を狙って、明白な戦略に基づいて、粛々と築き上げられたのです。

 そして、結果は、言わずもがなの「大失敗。」でありました。

 巨額の公共事業費を用意しながら、東京をはじめとする、大都市圏への投資は抑制して、地方への投資を拡大するというのは、『借金の山を作りながら、日本経済全体の成長率を下げる。』という『最悪』の選択でした。

 実際に投じられた半分か、3分の1の額を、大都市圏に集中投下し、地方から大都市圏への人口移動を促進していれば、日本経済は、今ほど大きな国家債務に苦しまず、成長率も安定的に3、4%台を維持していたでありましょう。


 <新しい経営学理論>:チャンネル桜・瓦版、次世代の党の敗退は、日本人の民度の現われ

2015-01-18 18:51:51 | 戦わない経営

  <新しい経営学理論>

  このところ、学芸大や横浜、湘南の友人たちと電話で話をしていても、すぐ飽きられてしまい話を中断されてしまうことが多いのです。

  矢張りその話題について、こちらに用意がないと、「話しがつまらないというので,中断されてしまう。」ということであろうと反省しております。 (やはり、私には、事前の準備が必要であります。)

  15年ほど前には、日本JCOB会の経営者君たちとのクルーズのときなどでは、時間つぶしに「経営論議。」をしたことがあり、「経営者の職務(ファンクション)は、何だと思うか?」などとつまらないことを言って遊んでいたことがありました。

  しかし、以前から思っていたことですが、「経営学。」、「経済学。」…などが、どうもあまり有効でないのではないか(役に立っていない)というような考えに到っております。

 どうも、管理、計画、科学、技術、計算、計量、統計、専門、分析、戦略、経営理念、専門家、エリート、知識人etc…の言葉が、有効でないように考えているのです。

  従って、貴兄の「新しい経営学理論。」に対しての有効な思案を持ち合せておりません。

  私は、スリランカで申し上げたように、「成り行き経営。」論者で、経営理念は無用、「戦わない経営。」、「意思決定をしない経営。」、「経営戦略は無効であるばかりでなく、『有害』。」とするものです。

   とりわけ、「選択と集中。(=戦略)」と「トップダウン。」は『倒産』要因(サムスン・ユニクロ、楽天の英語社内公用語3羽からす)というのが『持論』です。

  私は、中小企業の這い回り(現場・レアル)主義であるため、大企業のような大きな組織運営の『組織』論にはなじめずにいます。

  ばかりか、軍隊式というか、ピラミッド構造組織は、ゲリラ戦に敗北している(スペイン正規軍のアパッチ族、アメリカ軍のベトナム敗退)例からも、いわゆる経営組織・管理論に「批判的。」であります。

  では、どういう組織が有効かと言うならば、誰がリーダー(頭)だか分からない、「アメーバー型組織。」(バザール・アゴラ型)ということになりましょうか…?

 

            <未完>


 <一利を興すは、一害を除くに如かず>:チャンネル桜・瓦版、朝日叩きではない、懲りない面々の無反省

2014-11-24 12:05:56 | 戦わない経営
  <一利を興すは、一害を除くに如かず>

 『一利を興すは一害を除くに如かず、一事を生むは一事を省くに如かず』。

これは、大モンゴル王朝の太祖ジンギス汗とその子太宗オゴダイ汗に仕えた名臣・椰律楚材が、常に口にした言葉だといいます。

 1つの利益を新しく興しても、1つの損害を取り除くのには及ばない。 1つ新しい事業を始めても、1つの余計な仕事を止めるほどの効果は、ないというのです。  

 さすがに、元朝百数十年の基礎を築いた、内治の名臣の言葉だけに、大いに味わいがあります。 

 特に、今の日本、とりわけ急成長を続けてきた企業にとっては、肝に銘じておきたい言葉です。