チャンネル桜・瓦版:世論(多数意見)の真逆(少数意見)がほとんど正しい・西村浩一ブログ

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 製造業が、順調に発展している:チャンネル桜・瓦版、人は、自分の心を自由に操る(あっち向いてホイ、断酒するぞ)ことは出来ない(cf.心を預ける)

2016-10-20 14:32:48 | 空洞化のウソ

  <先進国で、製造業の仕事が「減っている。」のは、この製造業が、順調に発展している証拠>

 世界中で、失業率も上がり気味だし、正社員より、パートやアルバイトが増えているし、賃金も、なかなか上がらなくなってきました。

 日本のマスゴミは、まるで、日本だけで、そういう苦しい労働事情が、定着してしまったようなことを言っていて、だから「インフレに、しろ。」とか、だから「円安にしろ。」(藤巻健史など)とか、騒いでいます。

 でも、現実には、日本は『マシ』な方で、アメリカやヨーロッパの方が、労働事情の悪化は、ひどいのです。

 それは、なぜだと思いますか? 

 経済が、グローバル化して、世界中の国々が、同じ土俵で競争をしているので、大手企業や工場などを、どんどん「インドや中国のような、労賃の安い新興国に、移しているからではないか?」と言われています。

 確かに、『欧米』では、それも理由になっています。

 ただ、日本の大手企業の場合は、海外での事業に熱心な企業ほど、日本国内の設備や、労働力も「増やす。」傾向があるので、これは、ほとんど影響していません。

 最大の理由は、「経済のサービス化。」、つまり製造業で、モノをつくる仕事が減って、たとえば、理髪店やレストランや小売店のように、さまざまなサービスを提供する、仕事が増えているからなのです。

 で、なぜ、サービス化が、労働条件を悪くするかと言いますと、つくったサービスは、「その場。」で、お客さんに使ってもらわないといけない《製品》だからなのです。

 製造業だと、「作り置き。」が効くから、売れ行きが、変動しても、ずっと、同じ人数の現場作業員を雇いつづけていても、余りコスト増になりません。

 ところが、サービス業では、お客さんがいない時に、大きな労働力を、抱えていても仕方がないから、なるべくアルバイトやパートの数を多くして、お客さんの多い、少ないに応じて、労働力の量も調節しようとし、「サービス化。」すると、労働力の中の正社員の比率が下がり、賃金も低くなります。の、

 だから、世界中どこでも、経済が失業率も高くなるという、『傾向』が出てきたのです。

 その反面、お客さんと同じ時に、同じところにいなければ、商売にならないことが、海外からの競争という面は、あまり大きな影響は、受けずに済んでいます。

 そのように、製造業の仕事が、減っていることが問題なら、そういう仕事を増やすような、政策をとることはできないだろうか? 

 それは、無理でありましょう。 

 もし、製造業に、何か「深刻な問題。」があって、そのため縮小しているとしたら、その問題を『解決』すれば、仕事も増やせるわけです。

  でも、今世界中、特に先進国で、製造業の仕事が減っているのは、「製造業が、上手くいっていない。」からで『なく』て、『順調』に、「発展しているから。」なんです。

 労働生産性と言いますが、同じ人が、同じ時間、同じように努力をして、作り出せるものの量が、どんどん『増え』ています。

 そこで、今までより、小人数の労働者で、間に合うようになってしまったのです。 

 だから、政治の力で、製造業の仕事量を増やすのは、むずかしいでしょう。

 しかし、製造業とサービス業とで、仕事をする時の条件が違い過ぎるのは、何とか、徐々にでも、縮めていかなくてはいけないと思います。

 そのときに、人口が増え続ける社会より、人口は「増えない。」社会のほうが、社会全体で供給される、労働力の『貴重』さ(希少性)を保ちやすいと思います。

 こういう時期に、人口を「増やしたほうが、景気が良くなる。」とか、海外から、出稼ぎ的な労働力を受け入れたほうがいいという、議論をするのは、本当に人を『雇う』側には、「好都合。」でも、雇われる側には、『不利』な提案だということです。

 


 震災や洪水で、生産拠点が世界に広がる:チャンネル桜・瓦版、平和主義が、戦争を起こす!

2016-09-06 07:21:08 | 空洞化のウソ

   <震災や洪水を機に、生産拠点が、世界に広がる>

 東日本・熊本地震やタイ洪水を機に、リスクを乗り切るため、企業は、世界に拠点を分散させ、果敢にM&A(合併・買収)に乗り出しています。

 三井金属は、マレーシアで、極薄電解銅箔『マイクロシン』の新ラインを開設しました…。

 この素材は、スマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)向けで、世界シェア9割であります。 

 上尾事業所だけで生産してきたが、緊急時だけ動かす海外バックアップ拠点として、30億円を投じたものであります。

 『集中』から『分散』へと、企業が動くことが日本製品信頼性を高め、「長い目で、国内生産を守る。」と各社は考えています。

 半導体生産には、欠かせない回路原版「マスクブランクス。」の世界シェア、8割を持つHOYAも、生産をシンガポールに分散させました。

 ブリジストンは、鉱山・建設車両に使う対屋の工場を、米国(825億円)、タイ(500億円)に建設しましたし、乗用車用でも、ベトナムに新工場を開設しました。

 相次ぐ、大型投資の背景には、災害や事故の際に供給停止リスクにさらされる、という危機感があります。

 同時に需要地の近くの生産で物流コストを削減し、競合に打ち勝つ価格やサービスを提供する、戦略を練ります。

 震災、タイ洪水と、2度の打撃を受けたホンダ系部品メーカー、ケーヒンは、タイだけで生産してきた1部の高機能部品を、宮城県の工場でも生産をしています。

 リスク分散に加え、「革新的な生産手法を編み出し、海外に展開するマザー工場を『国内』に設ける狙いもある。」と説明しています。

 それぞれの地域特性に応じた役割分担で、空洞化を回避します。

 分散は、有事対応を超えた『攻め』の戦略であります。

 震災や洪水が、日本企業の発想を変えつつあるのであります。


 心の交換:チャンネル桜・瓦版、「病気の原因は分からない。」と白状している西洋医学は、病気を治せない

2016-05-07 07:04:10 | 空洞化のウソ

    <『お金の交換』から『心の交換』>

 「人の世の中、心で回る。」と表されており、これが『真理』(世の仕組み)であります。

 また、私たちは、地位、肩書、財産、学問、科学、政治、経済、教育、医療、そして努力などによって生きていると考えますが、実は「人は、心で生きている。」と表されています。

 さて、そこで以下の『知見』を、みてみたいと思います…。

 【 デフレーションとは、『お金の交換』から『心の交換』への社会革命であります。

 この社会革命が進むと、お金の世界は縮小し、貨幣的不況が起きます。 その正体は、精神革命で、主体的、主観的な精神が主役になって、経済の役割は、中世のような脇役に戻ります。 

 こういう時に『経済政策を研究せよ』というのは的外れであり、もっと大きいことが起こっているのです。
 
 何か変化があると、すぐに政策を論じて、政策を発動せよと騒ぎ出すのは『政策研究病』であり、『政府依存病』、『権力崇拝思想』と言い換えてもいいでしょう。

 これは、「前頭葉。」で考えて無理やり答えをひねくり出すとかかる病気で、前頭葉に決めてもらう前に、国民の常識で答えを出した方がいいのです。  

 日本人は、そろそろ分かってきたが、まだ分からない人は、一刀両断に決める首相の出現を希望しています。

 昔、『ゆらぎの理論』がありましたが、生物は、適正値を発見するために、絶えず視線を上下左右にずらして見直しているらしいのです。

 ゆらぎの振幅を少しずつ狭くしていくのが、真理発見の道であり、それができる人が、大人であります。

 イギリス国民もそう考えているようだが、アメリカはまだ、大統領が一刀両断に決めています。 

 日本の場合は、政府が抱えている問題を、対症療法的に解決しようという政策ばかりで、「歴史的。」なスパンを持つ変化にどう対応するかという視点がないため、大きな問題には対応できていません。

 経済政策の目的を根本から考えると、それは、経済的繁栄の先にある国家の威信や国民の幸福にまで話が進みます。

 その時は、必然的に経済以外の学問―たとえば、歴史学・政治学・社会学・心理学・法学―と対峙しなければならなくなります。 

 しかし、経済学者は、他の領域には出ていきません。

 その点、法学は健全であると思うのは、法学の人は、公害問題・環境問題、金融問題、福祉、防衛、医療、高齢者、女性、教育、IT…など何でも扱います。

 『裁判』があるので、あらゆる領域で考えて答えを出すわけで、裁判を持っているから、法学部出身の人は、経済学部出身の人よりも健全でいられると思います。

 経済学にまだしも健全性が残っているとすれば、それは「民間経済。」があるためで、民間のビジネスマンは、ありとあらゆるものを相手にして生きていかなければなりません。

 一方、政策研究が好きな人は、営利活動の『現場』に出るのが嫌いな人だと分かります。

 実際その通りで、サミュエルソンは、『黒板の上の経済学だ。』と批判されたとき、「しかし、それが、理論経済学だ。」と答えました。 

 『技術主義』という言葉がありますが、技術者は、自分の技術で出来る範囲で解決策を考えます。

 しかし技術で解決できないときは、問題が存在しないかのように扱う所に、近代の『陥穽』があります。

 今の『学者』は、「専門化。」して技術主義者になっているから、政治の大前提には「不向き。」であります。

 もっと、『昔に』戻らなければなりません。



 麻布問答45。「何もセンム。」とは「郭公の托卵。」:チャンネル桜、中国進出企業(伊藤忠・イオン)の悲鳴

2016-04-18 22:40:44 | 空洞化のウソ
    <麻布問答(45)。「何もセンム。」とは、「郭公の托卵。」方式?>

 R(麻布老人):K(喜多八)さんは、いつも「何もセンム。」だと言っているが、何にもやらないというはずがないと思うのだよ…。

 それに、「3食食べる(過栄養)。」のが病気の『原因』だと言うが、君だって食べなければ死んでしまうに決まっているではないかいね!?

 それともう一つ、きみのブログは、「何故そうなのか?」(why・原因)とかの「問題提起。」はあるかもしれないけれども、「どうすれば、それが実現するか?」の『方法』(how to・手段)を言っていないのは、無責任であり、いわば『空論』(机上論)にすぎないといわれて、皆に相手にされない(コメントがない)のだといつも思っているのだよ。

 K:う~む、そうだよねえ…。

 そう言えば、貴方と話すことで、何時もいろいろなことを気付かしてもらえるのでとても有難いことなのだが、今回は、そう来ましたか?

 最初の「何もセンム。」というのは、私は他の人が出来ることや、もっとうまい人がいたら、その方にやって「もらう。」という主義だということでありますよ…。

 私のブログがそうであるように、ものごとについてなにでも、「何でそうなのか?」(原因・論拠)ということを知りたいという「問題意識。」を常に持った時も、自分の考えというよりは、他の人の考え(多数購入の本)の中から、これはというものをパクッて「纏めて。」みるということをしているのです。

 そして更に、私のブログというのは、皆さんにお知らせするというものではなく、その「纏めたもの。」(仮説)を皆さんからのコメントで『検証』して頂こうという(郭公の托卵方式)というのが、いわば「何もセンム。」流ということでありますかね…??

 R:う~む、それで海外旅行も私の勧める「個人旅行。」でなく、ツアーでばかり行くということなのかいねえ?

         以下続く

 『鳶目狸耳』の優柔不断:チャンネル桜・瓦版、日本で、医療被曝が横行する理由

2015-09-23 22:45:26 | 空洞化のウソ

      <『鳶目狸耳』の優柔不断> 

 吉川洋氏(元・財政制度審議会会長)の次のような意見に、強い反発を感じていたのです。

 「ロシアの文豪トルストイの末娘アレクサンドラ・トルスタヤは、米国への亡命の途上、1929(昭和4)年から2年近く日本に滞在し、回想録を残した。

 そこには日本人の器用さ、勤勉さに対する称賛と共に、何かを決断しなければならないとき、日本人は驚くべき『優柔不断』に陥るという観察が記されている。

 優柔不断を回避し、ある『べき』方向に国を『導く』もの、それは政治のリーダーシップをおいてほかには『ない』。」というのです。

  この意見に強い反発を感じたのは、なぜなのでしょう?

 それは、どうも、日本的経営の素晴らしさは、「『意志決定』をしないこと。」、「『経営戦略』(方向性)を持たないこと。」と申し上げたことがあることが、1つの理由として関係があるのかもしれません。

 さらに、こじつければ、「日本も、欧米を見習って、強いリーダーシップを持った、『エリート』の育成が急務だ。」という日本の似非知識人の主張に、終始『反論』を述べていることが、第2の理由かもしれません。

 『鳶目兎耳』(えんもくとじ)と云われていましたが、私は、兎ほど俊敏ではないので、『鳶目狸耳』というところでしょうか?

 私は、旅行をすると、高いところ、タワー(トロント・ベルリン・ギネス・シアーズなど各タワー)、ドーモの屋上(ミラノ・フィレンツェ)、鐘楼(ジョット・ピサ)、展望台(クラインマッターホルン・スピルツナウ)、凱旋門など、どこでも登りたがり、ロープウェイには必ず乗り、街を俯瞰するのが好きです。

 「煙と〇〇は、高いところに登りたがる。」といいます。 (あれ? 〇〇って、『山羊』のことですよね? ギリシャでも、スイスでも、『山羊』が屋根に上っていましたし、スペインでは、木に登っているのを見ました。)

 神様(天・自然)は、「人間は、一寸先のものが見えないもの。」と云われますが、私は、分かりもしないのに、「先のことが、とても気にかかり。」ます。

 そのため、まず全体(先の方)を『俯瞰』したがるのでしょう。

 そして、そのくせに、「『戦略』(方向性)を持たず、『意志決定』せず。」、狸みたいにうろうろ、うろうろしてるようなのです。

 いわば、『優柔不断』なのです。

  前回の、学士会の講演会のときも、『意志決定』をせず、うろうろしながら、先生のご本を読んで、おどろいて参加をお願いしました。

 今回の亀井郁夫先生のお話も、さっそく先生のドフトエフスキーに関するご本を5~6冊買い入れたのですが、参加できずに大変残念に思っています。 (縁なきは度しがたし。) 

 私は、動きが、兎のように俊敏でなく、狸のように『愚鈍』なのだと思います。

 このことについては、「『悟性』(現在のもの・ことを受け入れる力)について。」、「『知性』(将来のもの・ことを受け入れる力)について。」、「『利巧』という馬鹿。」などのレポートを纏めたことがあります。 

 私は、吉川氏のような似非・エリートの主張に強い反発を感じます。

 しかし、彼は、財務省の諮問機関として、民主党政権の政策に大きく関与していました。

 民主党(官僚主導政権)は、駄目だったという理由の1つであります。

 しかし、日本は、優れた「庶民の『現場力』」で、「世界をリードしていく。」(アインシュタイン)ことになることは、「間違いない。」と思っています。

 逆に、「何かを『決断』(これが間違いでしょう)しなければならないとき、日本人は驚くべき優柔不断に陥る。」という欧米人の思考に『疑念』を持っているのです。 

          <未完>