<Ⅿ氏の解(20)。アニメ。『集団』的なヒーローたちが、次々に、育っていった>
日本のマンガ・アニメを貫いて、「ヒーローは、たった、ひとり。」という、アメリカン・コミックスの絶対的な制約を、軽々と突破するヒーロー像が、続々と輩出しました。
『伊賀の影丸』から、『ドラゴンボール』、『ポケモン』への系譜は、説明したとおりだが、『美少女戦士セーラームーン』をはじめとする、日本独特の戦闘美少女の系譜もまた、ヒーロー像について、制約の『少な』い、日本のマンガ文化のたまものでありました。
別にアメリカだけじゃなく、ヨーロッパでも、集団主義的で、男女差別のない、英雄像は、描けていません。
一見、それらしく見えるものも、良く見ると、まったく違います。
たとえばアメリカではなく、イギリスでつくられた、アニメではなく、人形劇の実写テレビ映画だった、『サンダーバード』でありました。
確かに、集団を形成した、英雄たちの話でありました。
だが、サンダーバード1号は、たとえ、地球の破滅というような危機が、1秒の何分の1かという、際どい瞬間まで、迫っていたとしても、絶対に、自分で、敵を攻撃したりしないのです。
サンダーバード2号以下の実戦部隊に、『指示』を与えるだけ、なのであります。
そう、欧米のマンガ・アニメ、あるいは、もっと広くいえば、児童向けメディア全体が、こと『ヒーロー』もの、戦争ものに関するかぎり、例外なく、「ワタシ考える人、アナタ実行する人。」というかたちで、知識人が、『大衆』を統制する社会という、『現実』が、未来永劫にわたって、維持されることを目指して『仕組』まれた、宣伝扇動活動なのであります。
アメリカで、広告エージェント業の草創期に活躍した、ドイツ系移民の大物広告マンエドワード・バーネーズいました。
フロイトとか、ハイエクとかの偉大な思想家たちが、ひしめき合っていた19世紀末から、20世紀初頭のオーストリアの首都ウィーンで、教育を受けた人でありました。
彼は、間違いなく、ゲルマン民族特有の『優越民族』思想の影響を、色濃く受けていたと思います。
彼の一生を縦糸に、勃興しつつあった、20世紀前半のアメリカ広告業界の内幕を、克明に描き出した『PR! 世論操作の社会史』(スチュアート・ユーエン著。 2003年)という本があります。
この本の中で、敏腕広告マンだった、バーネーズは、大ざっぱに言えば、こう主張しているのです。
【 『知識人』は、大人で、男性的で、理知的だ。 『大衆』は、子供で、女性的で、感情的だ。 だから、子供っぽく、女性的な大衆が、感情に任せて、まちがった選択をしないよう、『知識人』は、大衆を『操作』してやらねばければ、ならない。
それが、『知識人』の務めであり、大衆の方にしたって、自分の凡庸な頭で、考えて、自主的に行動するより、『知識人』の統制の下で、生きていくほうが、しあわせなのだ。 (ナポレオンのお母さん)】
だからこそ、『知識人』による統制が、今も、盤石の強みで、社会の隅々に浸透している欧米では、女子どもは、ヒーローにとって、刺身のつまであり、足手まといであり、退屈しのぎの「ラブ・インタレスト。」である、ヒロインにはなれても、ヒーローには、なれないのであります。
だからこそ、子どもたちには、親が与える、減菌・消毒済みで、人畜無害の『良書』ばかりしか、与えられないのであります。