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朝日廃刊を目指す:<「通州事件。」の惨劇、日本人皆殺しの地獄絵とは、何か?>

2014-09-02 19:50:24 | 虐殺されるぞ、日本人

<「通州事件。」の惨劇、日本人皆殺しの地獄絵とは、何か?>

 1937年(昭和12年)7月29日。75年前、北京の西の通州において、数百人の日本人居留民が、虐殺されました。 大東亜戦争の一つのきっかけになったとも言われる、通州事件です。

 かけつけた日本軍が、そこで見たものは、言語に絶する惨状、であったそうです。 支那人は、南京で、日本軍が大虐殺を行い、妊婦の腹を裂き、胎児を銃剣で突き殺すなど、悪逆非道の限りをつくした、とデッチあげて、日本を非難していますが、通州事件を見ますと、日本軍が行った行為と言っているのは、つまり、支那人自身が行ったことに、他ならないことが解ります。

 (小学校のクラスメートは、南京事件が、あった、と言っているそうです…)

 通州事件は、殆どの日本人から忘れ去られようとしていますが、日本人居留民の、無情な殺され方を、そして支那人の持つ残虐性を、私達日本人は、決して忘れてはいけません。

 東京裁判で、虐殺現場を目撃した証人の、宣誓口供書が受理されており、そこから惨劇の一端を、拾い出してみよう。 

 日本人の平均的倫理観から見て、尋常ならざる殺害の状況(強姦され陰部に、ほうきを刺された女性の遺体、テーブルの上に並べられていた、喫茶店の女子店員の生首、斬首後、死姦された女性の遺体、腹から腸を取り出された遺体、針金で鼻輪を通された子供など)が、同盟通信を通じて、日本全国に報道されると、日本の対支感情は、著しく悪化した。

 ◇、悪獣も及ばぬ猟奇の惨殺劇

 中国保安隊は、我が守備隊や特務機関を、攻撃したのみならず、日本人居留民の家を、一軒残らず襲撃し、無辜(むこ)の居留民(多数の老幼婦女子を含む)に対して略奪、暴行、凌辱(りょうじょく)、殺戮(さつりく)など、およそ残虐の限りを尽くした。、

 中国兵『特有』の猟奇的な殺害、処刑の場面が白昼堂々、各所で展開された。

 当時、天津歩兵隊長で、7月30日午後、通州に急行して、邦人救援に当たった、萱島高証人は、凡(およ)そ次の如く証言した。

 「旭軒(飲食店)では、40から17~8歳までの女7、8名が、皆強姦され、裸体で、陰部を露出したまま、射殺されており、その中4、5名は、陰部を銃剣で、刺殺されていた。 商館や役所に残された、日本人男子の死体は、ほとんどすべてが、首に縄をつけて、引き回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった。」

 まさに、なぶり殺しではないか。

 中でも悲惨を極めた旅館・近水楼での惨劇について、通州救援の第2連隊歩兵隊長代理を務めた、桂鎮雄証人の供述は、次の通り。

 「近水楼入口で、女将らしき人の死体を見た。 足を入口に向け、顔だけに、新聞紙がかけてあった。 本人は、相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥(は)がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、4つ5つ銃剣で、突き刺した跡があった、と記憶する。

 陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。 帳場や配膳室は、足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡を、まざまざと示していた。 女中部屋に、女中らしき日本婦人の、4つの死体があり、全部もがいて、死んだようだった。

 折り重なって死んでいたが、1名だけは、局部を露出し上、向きになっていた。 帳場配膳室では、男1人、女2人が、横倒れ、或(ある)いはうつ伏し、或いは上向いて死んでおり、闘った跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ、上半身は、蜂の巣のようだった。

 女2人は、いずれも背部から、銃剣を突き刺されていた。 階下座敷に、女の死体2つ、素っ裸で殺され、局部はじめ、各部分に刺突の跡を見た。 1年前に行ったことのある、カフェーでは、縄で絞殺された、素っ裸の死体があった。

 その裏の日本人の家では、親子2人が、惨殺されていた。 子供は手の指を、揃(そろ)えて切断されていた。 南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の死体が、路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」

(注)近水楼を襲撃したのは、武装した黒服の学生団と保安隊であった。 彼らは、女中数名を惨殺、残る10数名の男女従業員・宿泊客に対して、金品を強奪した後、全員を麻縄で数珠つなぎにして、銃殺場に引き出し、処刑したのであった。

 その凄惨極まる、処刑場の情況については、当時だれ1人これを知るものもなかったが、当日近水楼に泊まり合わせた、同盟通信特派員・安藤利男氏が、命がけで銃殺場から脱走し、北京にたどり着いた結果、世界はその実相を、知ったのであった。

 支那駐屯歩兵第2連隊小隊長として、7月30日、連隊主力と共に救援に赴(おもむ)いた、桜井文雄証人によれば、

 「守備隊の東門を出ると、ほとんど数間間隔に、居留民男女の惨殺死体が、横たわっており、一同悲憤の極みに達した。 「日本人はいないか?」と連呼しながら、各戸毎に調査していくと、鼻に牛の如く、針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が、そこここの埃箱(ゴミばこ)の中や、壕(ごう)の中から続々出てきた。

 ある飲食店では、一家ことごとく首と両手を切断され、惨殺されていた。 婦人という婦人は14、5歳以上は、ことごとく、強姦されており、全く見るに忍びなかった。 旭軒では7、8名の女は、全部裸体にされ、強姦刺殺されており、陰部に箒(ほうき)を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。

 東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせて、それに、8番鉄線を貫き通し、一家6人数珠つなぎにして、引き回された形跡歴然たる、死体があった。 池の水は、血で赤く染まっていたのを目撃した」

 実に悪鬼も目をそむける酷(むご)たらしい、淫虐(いんぎゃく)の情景が、次々と証言されて行った。 それは正しく悪獣も及ばぬ極悪無道の所業であった。

 (注)お決まりの虐殺方式 上の東京裁判証言に明らかな如(ごと)く、通州事件でも、頭部切り落とし、眼球抉(えぐ)り取り、胸腹部断ち割り、内臓引き出し、陰部突刺など、支那軍『特有』の猟奇的虐殺が、日本人に対して、行われている。 日清戦争以来、お決まりの惨殺パターンと言ってよい。





 


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