<文明が、依拠する価値について>
アメリカ文明は、『善』という価値に立っている。
アメリカ文明に反するものは、『悪』の烙印が押される。
アメリカが、『悪』を罰するために行う報復の軍事行動に、異論があるのは、「アメリカの『善』は、独善だ。」という危惧と、結びついている。
そこで、文明が、依拠する価値について、一考してみましょう。
『原罪』は、キリスト教の根幹をなすものである。
それは、人間の本質は、『性悪』であるという意識である。
この意識に、『善』と『悪』という「二分法。」が、根ざしている。
善と、同じレベルにある価値を、あげよう。 「真・善・美。」と並べられる。
善のほかに、真と美がある。
善には、悪という負の価値が、対応する。
真には、疑、美には、醜という負の価値が、対応する。
イスラム原 理主義者は、神(アッラー)の真理に、立脚する。
神の真理を信じない邪教徒には、神罰が下る。
アッラーの名のもとに、邪教徒に、天誅』を加えるという行為が、正当化される。
彼らがよって立つ『価値』は、善や美ではなく、『真』である。
「真・善・美のどれが、大切か?」という問いは、『愚問』であろう。
いずれも、大切である。
しかし、力点の置きようがある。
あえていえば、21b世紀の文明が、よって立つべき価値は、真や善にも増して、『美』ではないか?と思う。
それには、理由がある…。
(続く)