チャンネル桜・瓦版:世論(多数意見)の真逆(少数意見)がほとんど正しい・西村浩一ブログ

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 英語は、『イエス・ノー』がはっきりした雑な言葉:天才・正岡子規を殺した、過食・美食・暴食

2016-08-10 07:44:49 | 言語

   <英語は、『イエス・ノー』がはっきりしていて、紛れのない言葉。 でも、「アルコール消毒しながらのデート。」みたいで、味気なくない…?> 

 今回の「『内語』(頭の中の思考のための言葉)から、外語(コミュニケーションのための言葉)への転換。」というのは、とても大事なテーマだと思いました。

 とりわけ、企業内においては、このことにいて、『留意』することが、大切なのだろうと同感しましております…。

 そういえば、私は、「内語で、話すことが、大好きである。」(え~つ!)ことに、気がつきました。

 とりわけ、海外に行ったときには、『内語』(日本語?)で話すことが、いちばん相手に伝わること(とりあえず、私自身がよく分かっている。)に、味を占めているのでありますよ…。

 ポルトガル語(外語ですよ、ねえ。)は、『オプリガード』しか知らないし、インドネシア・タイ、マレーシア、ネパール、ブルネイなどは、どこへ行っても、『テレマカシー』しか云わないし、イスラム圏は、『アルムハンド・リッツラー』1点張りで、後は、日本語(内語)で、「儲かりまっか?」とかいって、『チャィ』しているおじさんの横に座って、話しかけると、トルコのおじさんでもアルバニアでも何処でも、「うん、うん。」とうなずいて、お茶をごちそうしてくれたりします。

 それに、味を占めているので、日本でも、やたらに、内語を垂れ流して、周りを辟易させています…。

 ところで、私は、「日本語のあいまいさ。」が、日本国繁栄の『最大』の武器だという、意見に賛成するものであります。

 日本語は、「文脈で、意味を変える。」という、大変な『力』を持っています。

 すなわち、相手は、文脈から、いかようにも話を推察、展開することができます。

 つまり、『蒟蒻問答』が、成立する、大特典を持ちます。

 概念を、『固定』してしまう英語(外語・伝達には良いのかも…。でも荒くて、雑な言葉。)を社用語にする会社(ユニクロ・楽天・サムスン・ソフトバンク)は、どう考えても、駄目でしょう。 (え~つ!)

 会社でも、「内語(言っている、本人が、よく分かっている)を、どんどん使う経営をやるべきだ。」と思うのですがねえ…。 

 英語(外語。言っている本人が、よく分からないのに、どうして相手が分かるのかなあ。)は、「イエス・ノー。」がはっきりしているから、社内公用語にすると、会議が、「短時間で終わる。」んだそうです。

 (そりゃ、そうでしょう。イエス、といって、案件を通しておかなければ、英語で、反対理由を説明するなんて、とてもできるわけがない。)

 しかし、世の中のことって、「イエスとノー。」が、「すぐ分かること、なんかばかりだったら、会議なんかすることないよねえ。」と思っているのであります。

 男女のことだって、「好きか嫌いか、どちらか?」だけだったら、小説なんかにならないし、バーで、お酒なんか(酒屋より、高いでしょう?)、飲まなくたっていいと思うのですけどね。

 (ということで、家で、一人で、ノン・アルコール・ビールを飲んで、オダをあげている、次第でありますますがね)

 ところで、「飛ぶ鳥を落とす勢い。」であった「英語社内公用語・4羽烏。」の倒壊を5年前にブログで述べたのですが、その後も最高益を続けており、孤軍奮闘で例の「五面楚歌。」状態が続いておりました。                 

 けれども、1990年のバブル崩壊後に、「飛ぶ鳥を落とす勢い。」のダイエイ・西武の崩壊を述べた時も同様でしたが、これは10年かかっての倒産となりましたから、「英語社内公用語・4羽烏。」もそろそろ『凋落』の兆しが見え始めるのでは、ないでしょうかね…!??

 


 日本語の不思議さについて:チャンネル桜・瓦版

2016-06-16 10:11:28 | 言語
 <日本語の不思議さ>

 日本語の不思議さについていろいろ考察されているのは素晴らしいと思いました。

 多様な『造語』や「慣用句。」や名字(苗字・姓)についての薀蓄も参考になりましたし、言葉についてこのようにイロイロと『遊ぶ』ことができるのは、楽しいものと思いました…。

 ここで、少しくお願いがあるのですが、日本語と英語など多国語との体系の『違い』とかその『優劣』はどうなのかを教えていただけるとありがたいのですが…!?

 私は、こんなに面白くてすぐれた日本語を学び深めることをさておいて、小学校3年からあの劣悪なる英語教育を始めることの意味がよく分からないでいるのです…!??

 欧米経済が衰退に向かている今、日本が好まざるとも世界経済の覇権国になるだろうという意見に賛成しているもので、「日本語が、世界の公用語。」になるだろうと考えているのです…。

 何かアイディアを伺えればありがたいのですが…!?



 考えるとは概念ころがし:チャンネル桜・瓦版、私たちはマスコミのマインドコントロールにリードされている

2016-05-07 15:49:11 | 言語
  <人は、物を考えるとき、頭の中で(言葉)(概念)を転がして考える>


 「人は、物を、考えるとき、<誰かと、話す>か、<文字を、書く>ことでしか、考えることが、できない」と、聞いたことが、あります。

 確かに、ソクラテスも、弟子のプラトンとの対話集ですし、釈迦の仏典も、孔子の論語も、弟子との対話です。

 『子日(のた)まわく、子貢よ、…』とか、始ります。
 
 ハイデルベルグやサンモリッツなどに行くと、『哲学者の道』というのが、あります。(日本にも、倉敷かなんかに、ありましたっけ?)

 アリストテレスは、『逍遥学派』と、いわれています。 (坪内逍遥)

 歩くことは、頭脳の活性化になるのですが、アリストテレスは、きっと、歩きながら、『ブツブツ』と、ひとりごと(もう一人の自分との対話)を、云っていたんだと思います。
   
 皆さんは、ウォーキングをしながら、『ブツブツ』と、独り言を云って考え事をしていることは、ありませんか?

 「あれ、無いんだ。」(ないですよねえ。 私は、有るんです。 今後、気をつけて、止めるようにします―笑い。)

 話が、あちこちと、飛ぶので、ついていくのに、『目が、白黒してしまう。』(沖縄のスーパー・サンキュウの真栄田社長や横須賀の山林主の黒田さんなどから、言われています。)と、思われるでしようが、『孤独な友人』を助けると思って(高齢化社会にもなることですので。)、懲りずに、またお誘いください。

 『友あり、遠方より来る。 また、楽しからずや。』といった思いです。
 

 言葉。保守(コンサヴァティヴ):チャンネル桜・瓦版、「食べないと筋肉が落ちる。」は、ウソだった

2015-08-30 07:56:03 | 言語

    <言葉。保守(コンサヴァティヴ)>

 「保守と革新。」という言葉は、それ自体としてはほとんど無内容です。

 つまり、「何を保守するか?」。そして「どんな革新を起こすのか?」について、一言もありません。 

 しかし、相対比較でいえば、「プログレッシヴ。」(革新)の方が内容への示唆が多いようにみえます。

 というのも、2つの理由があって、1つに、創出可能な『変化』はごく限られているので新たな内容を特定しやすいということです。 

 企業経営を例にとると、コンピューターの導入、不定期雇用の採用、中国への市場開拓といったふうにです。

 そしてその変化には「現状の『破壊』。」が不可欠ですので、「失うもの。」の内容がほぼ確実に勘定できます。

 ただし、『変化』は、未経験であればこその変化ですから、変化によって「得られるもの。」は大いに「不確実。」で、それを割引いて考えれば、革新の内容は相当に希釈されましょう。 

 「コンサヴァティヴ。」は、すでにあるものを『保守』するのですから、その内容は確実なように思われましょう。 

 しかし、その「すでに。」は過去の全域に及ぶのであって、必ずしも「現状維持。」のことではありません。

 過去の状態は、一応は記憶・記録されておりますので「確実性。」が(未来の変化と比べれば)高いかもしれません。

 しかし、それらの記憶・記録の内容は『解釈』次第のところがありますので、その分内容が曖昧になります。 

 とはいえ、どの変化・革新を選ぶかの選択基準は過去からやってくるのである以上、保守の側に言い分が多いことは認めなければなりますまい。

 確認さるべきは、保守は「現状維持。」のことではない、ということです。

 これこそ、わが国の保守思想が見逃しがちであった点です。 

 保守は革新に『反対』しているのではありません。 

 保守が『問う』ているのは「何のための革新か?」ということについてです。 

 バークは「リフォーム・トゥ・コンサーヴ。」つまり「保守するために『改革』せよ。」といいました。

 変化の選択基準を示す『伝統』を守るため、またその伝統を内蔵しているはずの『良習』を守るため、それを抑圧したり排除したりしている現状がありとせば、それを改革しなければならないということです。 

 「革新のための革新の。」という変化の自己運動ではなく、「守るべきものの『ため』の改革。」、バークが要求したのはそのことです。

 ここで『革新』(イノヴェーションあるいはプログレス)といわずに『改革』といったについては理由があります。

 後者の『改革』には、その後の慣用において、『改良』という意味が強いからです。 

 英語「リフォーメーション。」もそういう使われ方をしております。

 『改革』が「漸次的変革。」だということにこだわっていうと、『抜本』改革とか構造改革とかいうのは言葉の『誤用』だということになります。 

                    以上


 言語力も、日中外交に作用する:チャンネル桜・瓦版、泥沼化する中国・韓国の惨状

2015-06-27 15:37:22 | 言語

     <言語力も、日中外交に作用する>

 国際社会にあっては、秩序は、「ルールとパワー。」の2重構造によって、成り立っている。 

 あっさりいうと、国際法の形成・解釈・運用の各段階において、軍事力が物をいうということだ。

 その端的な証拠として、国連の安保理は、(常任理事国としての)核保有国によって、牛耳られている。

 だが、外交力にあっては、軍事力のみならず、政治力も関係してくる。

 そして、政治力の中心には、その国家の代表者たちが、どんな言葉づかいをするかという点での、「言語力。」がある。 

 この間の、尖閣諸島をめぐる、日中両国のディスピュート(紛争、その本意は「口げんか。」)を聞いていると、戦後日本人の言語録の低さが、外交に如実に現れていると、思われてならない。

 「言路を塞ぐ。」のが、封建日本人の悪い癖だと、福沢諭吉はいったが、その悪癖は、モダン(近代)日本の、モデル(模型)及びモード(流行)となっても、やむことがないようにみえる。

 ◇、国益の判断と長期の展望

 領土の確定を始めとする国益の感情においては、重要なのはエフェクティヴ・コントロール(実効支配)だとされる。

 その通りなのだが、忘れてはならないことが2つある。

 1つは、国益の判断は、国家なるものが、ゴーイング・コンサーン(継続的事業体)である以上、つねに長期的展望の下に、組み立てられるということだ。

 その長期展望が、いかに組み立てられるかと言うと、国際社会の長期未来に関する構図であらかじめ(たとえ、厳密に想定されなくても)大まかに、予想されなくてはならない。 

 そして、その予想が、可能になるためには、長期未来におけるルール(国際法)の概略について、前もって見当をつけておく必要がある。 

 ここで、はっきりしてくるのは、「ルールあってこそのパワーだ。」ということである。

 短期の国益計算では、軍事力のような軽量可能なパワーが、有効であることに間違いはない。

 しかし、その軍事力をいかに使用するかと考えてみると、長期展望に立って、国際法のようなルールが、今後いかに変遷していくかについても、重大な関心を払わねばならないのである。

  ルール化パワーか、協調主義化覇権主義化、という二者択一は、過てるものだ。

 「長期展望あってこその短期決断だ。」という見地からして、ルールとパワーは、「相補的。」だとみなくてはならない。 

 世界は、トーマス・ホッブスのいう)自然状態のジャングルにおける、弱肉強食なのだから、軍備強化にひたすら励めというのは、言い過ぎである。

 同様に、世界とて国際の『社会』なのだから(イマヌエル・カントのいう、世界平和のための)相互強調の話し合いに尽力せよ、というのも誇張である。 

 軍事力を蓄え痛、外交交渉に乗り出す、というニ面的作戦のほかに、国家にかんする、「長期展望と短期決断。」のバランスを取る道は、あろうはずがない。  

 戦後日本の外交が、失態をさらし続けているのは、憲法における平和主義の国是からして、協調主義に傾きすぎたせいだ、と言われている。

 その通りだといえば、そうだが、厳密には違う。 

 我が国は、パワーの問題を無視したのではなく、それを(植民地の宗主国ともいうべき)アメリカに預けっ放しにしたのである。

 だが、アメリカが日本を守ることがあるとしても、そうするのが長期的に見てアメリカの国益にかなうと判断した場合にかぎられる。 

 そんなのは当たり前のことで、自国民の生命と財産を短期的に犠牲とするのは、長期的に見てアメリカの利益となると踏むからなのだ。

 これからのアメリカにとって、「最も重要なのは、中国である。」と、公式に宣言されているではないか? 

 日米同盟などという、『虚妄』にも等しい属国根性でパワーを論じてきたこと、その外交認識の誤謬が尖閣(などの離島領土)問題を解決困難に陥れている元凶である。

 左翼の平和主義を撃って気勢を上げるという反左翼の外交論は、その化けの皮が、とうに剥がれているというほかあるまい。 

                   以上