<死ぬ(35歳)まで無類の「大食漢。」だった正岡子規、ガリガリに「痩せて。」死き(しき・子規)>
その男の肖像を見たときの記憶は忘れ難い。
坊主頭の横顔。 蒼浪として沈んだ表情。 「子規晩年の肖像。」とある。 そして「29歳。」と続く。
29歳…!? それで晩年とは! ただ絶句して松山の正岡子規記念館の写真に見入ってしまう…。
●「食い過ぎて、食後吐きかえす。」(『仰臥漫録』)
九月八日 晴 午後三時頃曇 暫くして又晴
朝 粥三椀 佃煮 梅干 牛乳五勺ココア入り 菓子パン数個
昼 粥三椀 松魚のさしみ ふじ豆 ツクダニ 梅干 梨一つ
間食 牛乳五勺ココア入り 菓子パン数個
夕飯 粥二椀 焼鰯十八尾 鰯の酢のもの キャベツ 梨一
ほとんど毎日がこんな調子である。それにしても子規の食欲は大変なものだ。
子規は、食後に、一度に菓子パンを10数個、柿や梨なども10個前後も貪る大の甘党あった。
この糖分の異常なまでの過剰摂取が、脊椎カリエスという業病を若き天才にもたらしたのだ…なぜか!?
とりわけ白砂糖は、砂糖黍からの『黍糖』からミネラル分、ビタミン類などを取り去って精製するために“エンプティ・カロリー(空の熱量)”と呼ばれる…。
この“空の熱量”を燃やすと、大量の酸性物質が生成されて「体液酸性。」となり、進行するとやがて死にいたる。
それを防ぐため、その酸性を中和するために骨からのカルシウム・イオンが使われる…。
すると全身の骨格はスカスカに脆くなり、そして病原菌に侵され始め、これがカリエスである。
死ぬまで、『大食』を続けた子規は、もはや立つことすらかなわず、病床に伏せった日常において、『仰臥漫録』(日誌)を表し、その大食ぶりを綴っている…。
子規は病床で、ときに業苦に悶え、呻吟し、絶叫する。
その頬を伝う涙は、栄養学に対する『無知』から生じたものである…。