
先日、あるセミナーに参加した方に抽選で、本が当たるという企画があり、応募。
そして本が郵送されてきた。
プレゼントに当たったのは、もちろんうれしかったが、本の内容が表題のテーマがわかりやすく書かれてあって、この本の存在を知ることができて本当によかったと思っている。
それでは、内容の一部を紹介しよう。
「心を育てるとは何か」
心理学者は心ということばは使いたがらない。心は漠としてとらえどころがないので測定しにくいからである。思考や感情、行動というのは心より具象的だから測定の対象になる。
そこで思考・感情・行動を総称して「反応(レスポンス)」といっている。日常語でいう「心」とは、心理学でいう「反応」のことである。
したがって、心を育てるとは反応の仕方を学習させるという意味である。友人をからかっている小学生は「相手はいじめられていると感じているかもしれない」とは考えが及ばない。すなわち相手の身になるという反応がとれないのである。それゆえ教師が「○○君は君にいじめられていると誤解して、明日から学校に来るのがいやだと思うかもしれないよ」と反応(思考)の仕方を教える必要がある。
人間にはよくなる力が内にひそんでいるから、ああせよ、こうせよと教えなくても成長するという思想もあるが(来談者中心療法)、ああせよ、こうせよと条件づけしていかないと反応の仕方は豊かにならないという主張もある(行動カウンセリング)。
戦後の日本の教育は児童中心主義に偏向したので(ああせよ、こうせよと反応の仕方を教わらないまま大人になったので)、心の乏しい人間がふえたのではないかと愚考している。「反応の仕方を教えることは権威主義である」とのイラショナルービリーフが心の貧しい人間をつくってしまったといいたいのである。心が貧しいとは反応の仕方がワンパターンということである。
たとえば誰が死去しても同じ弔電を打つ人が心貧しき人である。恩師の死に対しても団地の碁仲間の死に対しても反応が同じというのは、複数の反応(心の豊かさ)を学習してこなかったということである。つまり、いじめられている子を見ているときも、犬と大が吠え合っているのを見ているときも、反応(感情)は同じということである。
心の教育とはそれゆえに、複数の思考・複数の感情・複数の行動を学習させることであると、まず結論づけたい。しかし、それだけではない。思考・感情・行動の三つが三点セットになっているかどうか。これが心の教育の第二のポイントである。例を挙げよう。
自分が上級生に金をせびられていやな思いをした子どもが、やがて自分の下級生に同じたかり方をする。すなわち体験的にたかりはよくないと思っているのに(思考)、人にたかる(行動)わけである。あるいは、いじめはよくないと思っているのに(思考)・・・(ご興味のある方は「カウンセリング心理学入門」にて)