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「心を育てるとは、何か」 国分康孝氏の説明はわかりやすい。

2014年10月01日 02時55分59秒 | シニア産業カウンセラー

先日、あるセミナーに参加した方に抽選で、本が当たるという企画があり、応募。
そして本が郵送されてきた。

プレゼントに当たったのは、もちろんうれしかったが、本の内容が表題のテーマがわかりやすく書かれてあって、この本の存在を知ることができて本当によかったと思っている。
それでは、内容の一部を紹介しよう。

「心を育てるとは何か」

 心理学者は心ということばは使いたがらない。心は漠としてとらえどころがないので測定しにくいからである。思考や感情、行動というのは心より具象的だから測定の対象になる。

そこで思考・感情・行動を総称して「反応(レスポンス)」といっている。日常語でいう「心」とは、心理学でいう「反応」のことである。

 したがって、心を育てるとは反応の仕方を学習させるという意味である。友人をからかっている小学生は「相手はいじめられていると感じているかもしれない」とは考えが及ばない。すなわち相手の身になるという反応がとれないのである。それゆえ教師が「○○君は君にいじめられていると誤解して、明日から学校に来るのがいやだと思うかもしれないよ」と反応(思考)の仕方を教える必要がある。

 人間にはよくなる力が内にひそんでいるから、ああせよ、こうせよと教えなくても成長するという思想もあるが(来談者中心療法)、ああせよ、こうせよと条件づけしていかないと反応の仕方は豊かにならないという主張もある(行動カウンセリング)。

 戦後の日本の教育は児童中心主義に偏向したので(ああせよ、こうせよと反応の仕方を教わらないまま大人になったので)、心の乏しい人間がふえたのではないかと愚考している。「反応の仕方を教えることは権威主義である」とのイラショナルービリーフが心の貧しい人間をつくってしまったといいたいのである。心が貧しいとは反応の仕方がワンパターンということである。

 たとえば誰が死去しても同じ弔電を打つ人が心貧しき人である。恩師の死に対しても団地の碁仲間の死に対しても反応が同じというのは、複数の反応(心の豊かさ)を学習してこなかったということである。つまり、いじめられている子を見ているときも、犬と大が吠え合っているのを見ているときも、反応(感情)は同じということである。

 心の教育とはそれゆえに、複数の思考・複数の感情・複数の行動を学習させることであると、まず結論づけたい。しかし、それだけではない。思考・感情・行動の三つが三点セットになっているかどうか。これが心の教育の第二のポイントである。例を挙げよう。

 自分が上級生に金をせびられていやな思いをした子どもが、やがて自分の下級生に同じたかり方をする。すなわち体験的にたかりはよくないと思っているのに(思考)、人にたかる(行動)わけである。あるいは、いじめはよくないと思っているのに(思考)・・・(ご興味のある方は「カウンセリング心理学入門」にて) 


転職後、182日間の軌跡

2014年10月01日 01時24分29秒 | 自分を磨きましょう

転職して、半年が過ぎた。今年の3月31日まで前職場で働き、4月1日からは新しい職場へ移った。これまで36年間印刷の仕事をしていたが一転、職業相談員となった。良き先輩に恵まれ、とても充実している。また、覚えることが多く、毎日何かと忙しい。自分の欠点が相談業務の視覚となることがあるため、自分自身がどうあるべきなのか?相談者と一緒に、いろんなことに立ち向かう中で学んでいるように思う。

再就職して数日後、ふと考えたことがある。54歳にして再就職できたことを感謝するとともに、この仕事を選んだ気持ちを忘れないため、習慣化している儀式をひとつ決めようと思った。そして業務が始まる30分前までに出勤し、机・椅子・ついたて等を磨き上げ、毎日ゼロの状態からスタートすることを決め実践している。その他にも、決めているという訳ではないが、一日も早く仕事に慣れるため、先輩から教えていただいたことを忘れないよう手引き書をつくった。ある意味、職業資産でもある。この手引き書を印刷してみるとA4で256ページあった。毎日の積み重ねが、こんなにもなるのかと改めて感じた。


(モスバーガーでひと休み)

それでも、この半年で身につけたものといえば、中途半端な知識と技術でしかない。今後何を優先していかなくてはならないのか悩んでいた。カウンセリング・態度・法律・制度・マッチング。しかし今日ようやく、答えがでた。それはマッチング。人材と企業の橋渡しである。その橋を架けるために、できることのすべてを注力し、1つでも多くの橋を架けることだと思った。

社会の厳しさは骨身に沁みている。この仕事が自分の第二の天職と思い、毎日毎日小さな努力を積み重ねていきたいと思う。次の半年、納得ゆくコタエが出せるよう焦らず頑張っていきたい。