蒼穹のぺうげおっと

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ガンダムSEED DESTINY 第50話 「最後の力」 感想

2005-10-02 17:37:48 | ガンダムSEED DESTINY
ガンダムSEED DESTINYという物語も1年という時間を経てここに終着。
純粋にエンタメを楽しんだところもあれば、色々と考えさせられることもたくさん有りましたが、最後の最後に描いたのは救いだったのかもしれないと思った第50話「最後の力」。
全体的なテーマ部分についてはほぼ結論が出ていたので、後は個人視点での帰結を描いてくれれば個人的には満足と思っていたのですが、それがどういう形であれ救いの表現がなされて帰結したことで正直僕も救われたかもしれません。

DESTINYという作品では各キャラに相反する視点に善・悪では判断しきれない部分を持たせつつ、視聴者にその判断を問いかけるスタイルをとって来たと思っているのですが、個人視点レベルでは最後の最後までそのスタンスを崩さずに描いてくれたのは良かったと思いますし、自分自身この感想を書いていく上で楽しむことをベースとしてたくさんのコメントを頂き、いろんな意見が出ていろんな見方ができた、多面性・多様性を何よりも楽しめた、このことが個人的には一番楽しかったかなと思います。
初めましての方も、常連の方も、コメント欄を支えてくださった皆様含めてお礼申し上げます。
本当にありがとうござました。

■ラストバトル
最後の最後でこのバトルエンタメの密度、作画は相当スケジュール的に厳しいという噂は聞いたことはありますが、それを踏まえても十分に手に汗握る攻防を見せてくれた制作陣に感謝を。
このバトル展開が3週くらいかけて描かれたならば・・・なんてことも思ったりしましたが、やっぱりガンダムという作品の性質上、MSの、そして最近の主流(とまではいかないか?)となりつつあるガンダム対ガンダムのバトルは素直に燃えました。
僕が個人的に期待していたデスティニーの最終激燃え出撃が無かったことは残念でしたが、気持ちと気持ちのぶつかり合いがMS戦で擬人化されたかのようなバトルはやっぱり良かったと思います。
願わくばこういった白熱バトル部分が恐らく出るであろうスペシャル・エディション等で「めぐりあい宇宙」ばりに補完されると良いなと思ったり。
お願いしますよ、偉い人(って誰に言ってんだ)。
とは言え、1年間のバトルエンタメ、楽しませて頂きました。

■個人視点での帰結
全体的なテーマ部分についてはオーブ戦が終了したあたりでほぼ提示されていたので、宇宙にあがってからの展開は恐らく個人レベルの着地点をどこに持ってくるのか?ここにポイントを絞って見て来ました。
前作キャラの着地点は早々に描かれていたので、特にポイントとしては今作キャラの着地点を前作キャラと絡めてどう持ってくるのか?ここが非常に気にかかっていました。
ということで最終話感想は今作キャラについて個人視点で書いていきたいと思います。

■レイ・ザ・バレル
特に僕が個人的に感心があった、というか救いを描いて欲しいと思っていたのがミーアとレイだったのですが、ミーアという個人の物語については第46話「真実の歌」で切なく、そして救いのあるエンドでまとめたこともあり個人的には満足していたのですが、ミーアにしてもレイにしても作中の陰の部分を背負うところが大きかったので、ここは何とか小さくても良いから救いを描いて欲しいと思っていました。
#特に第48話「新世界へ」の感想を読み返すと、レイという存在に少しでも救いを与えて欲しいなんて切実に思っていますね、自分・・・。

僕は第49話「レイ」の感想でレイのモノローグこそが、彼自身の存在証明であり救いなのかもしれない、なんて書いたのですが、そうじゃなかった。
その先にもう一つ救いが用意されていたんですよね。

ラストはレイの私怨に近い復讐劇になることを(復讐劇では救いは描かれないので)心配していたのですが、今作キャラの帰結を描くのにそれだけでは終わらなかったわけです。

そこには前作からの継続されたテーマ、ラウ・ル・クルーゼという前作で唯一独り勝ちした男との再戦という部分と、それに対するキラの回答という部分があって、そこが無ければレイにも救いが描かれないという、今作キャラと前作キャラが居てこそ初めて描かれた回答であり、救いになっていました。
この引っ張り方、このクロスするポイント、そこに地味に感動。

でも違う!
命は何にだって一つだ!
だからその命はキミだ!
彼じゃない!!


キラとレイ、異なるようでその実似ていたのかもしれない、そんな二人。
そんなキラからぶつけられた言葉。
それは、これまで新世界のために自分で考えて自分で行動してきたレイが、一番自分を殺していたということでもあり、私怨に立って復讐という個人を顕わにしたことで逆説的に、君は君だ、個人を大事にしろ、自分を大事にしろ、というメッセージが届くのが熱い。

でも僕はそれを知っている
分かっていけることも
変わっていけることも
だから明日が欲しいんだ!


望んでそう(スーパーコーディネータ、クローン)なったわけではない二人だけれども、世界を終わらせる道を選んだ自分に対して、あくまで変わっていける「明日」を選んだキラに自身のIFをみたのかもしれない、個人的にはキラとレイの間にも「君は僕に似ている」があったのかもしれない、そんな気がしました。

前作では力には力でしか対抗できず、クルーゼを結局は力で滅ぼすしかできなかったキラが、前作からの呪詛部分を受けて、レイという存在を説得したという部分で呪詛を解放することができた、そんな救いがあったんじゃないかな、と個人的には思うのです。

レイへの救い表現は作品全体への救いにも通じる部分があるんじゃないかなと思うし、今回のレイについてはそれこそ作中ジョーカー的な、自分としては嬉しい誤算だった、そんな気がします。

■ギルバート・デュランダルとタリア・グラディス
僕は第29話「FATES」に議長の行動原理があり、その行動原理の根幹はタリアさんにあるんで、議長、もしくはタリアさんの着地点を描くならこの二人はセットで描かれなくてはいけない、この二人の原点に戻ってこなくてはいけない、とずっと思っていたので、今回の着地については色々と思うところがあるものの、ある意味では納得なところです。
#離反は無かったですね、残念。

最期の最期にタリアさんが皮肉を交えて「運命」という言葉を口にするのですが、それに対して議長も皮肉を分かった上で「やめてくれ」と返す。
運命論者を口にしながらも、運命に抗おうとした議長、最期の最期に運命論を皮肉を交えて否定するあたり切なくもニヤリとする場面でした。
また、表現が難しいのですがラストのタリアさんの存在は、「救い」というより「赦し」、子供を怒り、そして「赦す」そういう存在にも見えました。
最終的にはレイをも含めて「赦し」の表現が描かれたことで、僕個人としても救われた気分になりました。

ただ、ここからは僕の超個人的意見なんで読み流して頂きたいところなんですが・・・。
子を持つ親の立場からすれば、自分の子供を置いてこういう形で死んでしまっていいのか?子供のために戦うと決意したなら、子供の下に戻ることを考えるべきだと思ったんですね、僕は。
過去も大事です。作中でも過去を与えられたから生きていけたというステラたんのメッセージがあったように、過去があるから未来がつながるんでしょう。
でも、その未来を担う子供、しかもわが子が居る中であの行動は、同じ親としてはどうしても解せない、そう思ってしまいました。
自分にも子供がいるからこそ、どうしてもここはスルーできませんでした。

とは言え、3人の着地の描き方としてはある意味美しく、原点に戻るという意味での帰結は描かれた、そういう気がします。

■シン・アスカ
50話をかけてシン・アスカがたどり着いた先、着地点はスタート地点でした。
本当にいろんな意味で長かったですね。

これまでずっと家族との死別、妹マユとの死別から、ステラたんを失ってずっとマイナス面、気持ちの負の面ばかりを先行させてきたシンが、第43話「反撃の声」を境に疑問を持ち始め、第49話では議長に対して賛成を唱えながらもマユの携帯を見て「これでいいんだよな」と自問自答。
そして最終話にきて第43話でのアスランの台詞を引き継いで

なのに未来まで殺す気かお前は!
お前が欲しかったのは本当にそんな力か!


これでようやく殻が割れた、そんな気がしました。
完全なる敗北を経て、初めて自分の中にあった本当の気持ちに辿り付けるというのは微妙に切ないところです。

あのステラたんが登場する幻想シーンですが、これはやっぱりシンの心の奥底にあった本心、ステラたんやマユが望んでいたこと、それが将来であり、それにつながる一番近い未来、明日だった、それにようやく、自分が敗北することでそれに辿りついた、今ようやマイナスからゼロになった。

自分の目の前で死んでいった大切な人たちの想いを受け取り損ねた来たシンが生き残ったのは、やはり改めてその気持ちを受け止めて贖罪を果たす、新たなスタートを切らせる、そういう明日につなげる、そういう着地点だったのかもしれませんね。

そしてルナマリア・ホーク。
彼女自身は福田監督も言っていたのですが、やっぱりもったいないキャラでした。
しかしながら、最後の最後、ゼロに戻ったシンを現実点で救っている、シンに赦しを与えている、そういう存在なのかもと思いました。
それこそ月(ルナ)のマリア像のように。

■終わりに
これまでテーマとして僕個人としては個人の「自立」部分に集約されてくるんじゃないかという感想を書いてきて、それについてはコメント欄での意見交換等を含めても大分満足しているところではあるんですが、この最終話を見て感じたところは最後の最後に自立など、運命を切り開いていく大切さ、強さというメッセージの後に来る「赦し・許し」という部分、肯定されても良いんだという、受け止めてくれる優しさみたいなものがあわせて必要なんじゃないか、そういうものがセットでこの世の中には存在して欲しいんだ、という受け止め方をしました。

これはDESTINYの感想とは関係のないレベルなのかもしれませんが、自立面という厳しさと、それを報いる優しさ、そういうバランスが、そういう多面性、それを許容する多様性がある、そういうことを考えると、やはりSEED、DESTINYを通じて描かれたのは「相互理解」というキーワードに落ちてくるのかなと。

この1年間、いろいろと思うところもありましたが、この作品には楽しませて頂きました。
それはこの作品だけというわけではなく、この作品の感想を書いていくうえで、たくさんの人たちと知り合えましたし、またコメント欄では毎週たくさんの意見を頂いたりして、非常に大きな刺激を受けることができました。
皆さんのマナーの良さもさることながら、相手がどういう意図でこのコメントを残しているかというそれこそ「相互理解」を実践するかのごとく、たくさんの意見が出て、交流して、新しい意見が生まれてきた、そういうプロセスが何よりも楽しかったです。
これもひとえにこのブログを支えて頂いた皆様のおかげです。
改めて御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

このブログはまだ(たぶん)続くと思いますが、縁がありましたらまた他の記事でお会いしたいと思います。
そのときは気軽にコメントを残して頂ければ、この管理人は素直に喜びますので。

それでは皆さん、またお会いしましょう!

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109 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
最後の・・・ (LibertaModificaFine)
2005-10-02 17:55:15
いやー、よかったです。



もっと死人が出まくると思って構えていただけに、ちょっと物足りないような気がしますが(汗)、よかったです。



ラストでレイが議長を撃つところ、あれは完全に想定外でした。まさかそんなことをするとは・・・。最後の3人で締められたことを考えると、やはりあの3人が主役だったのかもしれませんね。



あのキラはキラで最後には戦うことを選らんでいました。あの終わり方だと、続編は間違いなさそうですよね。



長いようで短かった1年間、燕さん。拙い文章で申し訳ありませんでしたが、コメントしていただきありがとうございました。また、通りすがりの者としてコメントするかもしれませんが、よろしくお願いします。
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赦しを感じたラスト (水瀬 涼)
2005-10-02 18:32:53
レイが望んだのは、ただこの世界にいてもいいという赦しだったのかなぁ・・・タリアさんの言葉を聞いてそう感じました。



『運命』に抗いつつ、最後に救われるという皮肉ながら切なさを感じる議長の最後。



殻が破れて柔らかい生身が出てきたように感じたシン。

(月のマリアさま・・・言われてみるとそうですね!)



印象として、燕さんと共感するところがあってひっそり嬉しかったりしました。



ともあれ、一年間お疲れさまでした!ということで。

燕さんや皆さんのコメント拝見できて、視聴する楽しみも増えた気がします。ありがとうございました!!
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Unknown (pipit)
2005-10-02 19:04:37
フリーダムのドラグーン飛ばしてるとき出る光の翼はデスティニーの翼に負けずにカッコいいなと思ったりしました。

なんかの模型でで再現されませんかね?



タリア艦長の行動は子供もちなら本当にそれでいいのかと私も思いました。

彼女は確かに議長の行動のきっかけになったひとつかも知れませんが……



>シン

こびりついていた負の感情がアスランの馬鹿野郎で吹き飛んだようでその後のシンとルナの姿はすがすがしいものがありました。



最後のフリーダム発進は戦うと言ったキラの姿を示すものなんでしょうかね?

今回も星のはざまにのような後日談がほしいところです。

燕。さんの考察と予想は毎回読ませていただきましたが面白かったです。下手なネタバレ以上に的中率ありましたし(笑

ありがとうございました。
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1年間お疲れ様でした ()
2005-10-02 19:49:53
1年間、1度も見逃すことも無く、無事終わりました。

途中参加の身ですが、一応区切りという事で書かせてもらいます。



詳しい感想についてはまたいずれコメントさせていただこうと思いますので、今回は印象に残った部分について。



それはタリア=グラディス艦長についてです。

といっても、最後のシーンではなく、その前の場面。

ミネルバは戦闘不能になり、最後をアーサーに任せて自分が出て行くところで、彼女はアーサーに「ごめんなさい」と言いました。



私はこの一言は結構深いと思うんですよね。

-ここからは超妄想入ってます(笑)-

私はこのDESTINYが始まった初期の頃から、アーサーはタリアに対して“憧れ”“思慕”、もっと平たく言えば“好意”を寄せていたと思ってたんです。

で、タリアも薄々それには気づいていたのではないかと。

この作品中でタリアの夫の描写がほとんど無かったことからも、私はタリアは夫とは離婚or死別(多分離婚)していると考えています。

なので、議長との不倫関係が戻ったのかな、と。



ですから「ごめんなさい」の一言には、もちろん、大変な状況をほったらかして持ち場を離れるコトに対する謝罪もあるでしょうが、「アナタの気持ちには応えられないの」という意味があるようにも感じ取れたんですよね。



両澤千晶さんの脚本・シナリオは、自分自身の心情をあまり語らない、というのが特徴の一つとしてありますよね。

私は(自分自身に理解する能力が欠けているせいもあるかもしれませんが)普段からそれがイマイチ理解できませんでした。

しかし、最終話、ここに来て、初めて「たった一言で全てを表す」という凄さが感じ取れたような気がします。

まぁ、1年間通してそんな風にハッキリ感じたのはここだけってのも何なんですけど(笑)。



そして、最後のタリアのシーンですが、上記の妄想から考えても、最後の最後で「女であること」を取ったのかな、と。

恐らく子供は(離婚だったのなら)夫が育ててくれるでしょう。良い友達も多く出来るでしょう。私がいなくなってもきっと幸せに育ってくれるでしょう。

(もしかしたら、理解し合えたマリューに育てて欲しいとか思ってるかもしれませんけど)



でも、ギルバートには私しかいない。この人の孤独を救うのは私しかいない。

だから私が一緒に行くしかないよね(苦笑

(燕。さんが仰る通り、議長の行動原理の根幹にはタリアがおり、恐らくタリア自信もそれを感じていると思うので・・・)



こんな感じだったのかなぁ・・・と、子供も持っていない身で僭越ですが、考えてます。

#それでも違和感は感じましたけど(笑)



とりあえず1年間、スタッフ及び辛抱強く見続けたファンの皆さんもお疲れ様でした。

最終巻に追加されるという40分に及ぶスペシャルエピソードに期待をかけつつ、とりあえずここで締めたいと思います。



もし続編があるのなら、内容はともかくとして、もうちょっと製作スタッフに余裕を持たせてあげてください(苦笑

観ているこっちもハラハラしますので・・・。
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まずはDVDチェックか・・・ (Japone)
2005-10-02 19:59:55
いやぁ、なんだかんだで個人的に合格点を与えられる最終回でした。もっと描くべき所もあったと思うし、作品全体を通して製作時間に余裕があればできたと思いましたが、まぁ、しかたないか。



バトルエンタメという点では個人的にもう一歩ほしかったところ。キラが圧倒的なのは譲るが、僕の中ではアスラン戦闘力20000でシン28000だったんでシンには互角以上に戦ってほしかったw。あと、デスのシャイニングフィンガーの出番がなかった気がするorz.



ルナ死ぬかと思ったw。つうか、最後までルナって迷子キャラだったなぁ。



やっぱりタリアさんにはちょっと納得いきませんでしたね。美しい散り様でしたが、子供はどうなるんだw。子供テラカワイソス。



レイの開放にもうちょっと時間割いてほしかった。なんか、自分のペースの2倍の速さで事が進んだんでちょっとついていけなかったorz.ギルもキラとタリア相手に自分の哲学を語ってほしかったなぁ。てか、1時間スペシャルにしてくれれば・・・



ギルのデスティニープランが浸透した世界の話とかIf的なストーリーの話をOVA8話構成くらいで作ってくれないかな。最後は夢落ちでw。結構好きだったんですよね、デスティニープラン。サイアーガイルも導入早々なんかしてたしw。



まったく別のガンダムの話はあくまで噂だったようで。どうやら福田氏のあらたな種シリーズが次?脚本とか頼むから別の人にまかせr(ry



まぁ、DVDについてくる40分の映像を期待してレンタルしてみますかw。次、種シリーズやるとしたらキラ達はあくまで脇役にしてほしい。
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ありがとうございました。 (大和)
2005-10-02 20:15:11
 番組は最終回を迎えましたが、燕。さんのブログを目にすることが出来たお陰で、大変充実した視聴の日々を過ごすことが出来ました。ありがとうございます。



◆ラウと、レイと、キラ



>「君は僕に似ている」があったのかも



 この件を読み、私としては、SEEDでの、ラウとキラのことを思い出されました。



 ラウは、クローンである自分の存在を肯定するためには、自身の『戦士』としての力を肯定する他はありませんでした。「普通の人間」としての生活を望んではいても、それは果たされぬ夢。



 そのため、スーパーコーディネーターであるキラが、「普通の人間」として生きていることが、生きていたことが、妬ましかった。そしてキラに対して、その力を肯定し、『戦士』たることを望んでいたのでしょう。



 キラが『戦士』であることで、その力のままに人を殺すことを厭わない人間であることで、その妬ましさをラウは肯定していた(肯定しようとしていた)と言えます。



 だから、あの大戦の中、ラウは、フレイを攫い、フレイを囲い、フレイを放し、フレイを殺した。そして、キラは、それに応えた。そういうことではなかったかと思い出されます。



 「力だけが僕の全てではない」ことは、キラ以前に、ラウとて、分かっていたことでしょう。が、彼は、捨てられた。それだけに、(スーパーコーディネーターであるがためか、未だ捨てられてはいない)キラへの気持ちが並々ではないことは十分に想像できます。



 そんなラウと、レイ。



 レイは、ラウの優しい面を知っている一人であり、ギルバートに対して同様、ラウのことを大切に思っていた一人。



 だから、現実に即して、ラウを殺めた『キラ・ヤマト』というスーパー・コーディネーターを憎んだばかりか、ギルの求める『ラウ・ル・クルーゼ』となることを受け入れようと努力していた。



 というのも、それが、彼の存在を肯定する理屈だったから。



(続きます)
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ルナ (ALICS)
2005-10-02 20:15:16
こんばんは。



最終回終わってしまいましたね。感慨深い最終回でした。思うところを少し投稿いたします。



・シン

管理人様曰く「自分の目の前で死んでいった大切な人たちの想いを受け取り損ねた来たシン」。私もまったく同感です。

本当の自分の心に蓋をしつづけ、力のみをゆがんだ感情で暴走させてきたシン。とても遠回りをしましたが、これでやっとありのままの自分を取り戻せるのかな、とそんな気がします。最後の涙は、成長途中にある少年の無垢な心が流した涙だったと思います。



・ルナ

戦闘前のアスランへの回想。メイリンを持ち出し、そして「逃げるな!」と銃を向けるルナ・。

メイリンの事にしても、本当はアスランの所為だなんてルナは思ってない。好きな(好きだった)人に銃を向けるために、理由が欲しかったんだな・・・と思いました。

何と言うか・・・恋心にけりをつける切ない気持ちというか・・・個人的には、そう取りました。

だから、最後はシンを止めるように、2機の間に入ったのだと思います。シンのため?アスランのため?好きな二人のため。

確かにルナは描ききる尺が無かったかもしれないけど、個人的には、最終回のルナは、とても良かったと思います。ルナはこれから大人の女性になっていくんでしょうね、きっと。

シンもそうですが、ルナにとっても、最終回からが始まりなんだな、とそんな風に思います。



・MS

欲を言えば、熱いMS戦闘シーンは、理屈を抜きにしたガンダムの楽しみの一つですので、もう少し見たかったかな~、とは感じました(^^)。だって私も”Z~星を継ぐもの~”の新規作画されたMS戦闘シーンとかには、理屈抜き!で熱くなっちゃいます世代ですし(^^))



・SEEDシリーズ

SEEDもDESTINYも、すごくまじめなテーマに取り組んだ、意欲作だと思います。「ガンダム」という世代をまたがる人気怪物ブランドのフォーマット上でそれに果敢に取り組んだ製作者は、確かに大変だったと思います。

作品の中に盛り込まれたテーマと同じに視聴者に対しても多角的なものの見方受け止め方を表現方法として多少強調(強要?)しすぎた面があり、それからの帰結としてとうぜん賛否の多い作品ですが、個人的には、よく頑張ってくれたと思っていますし、良作だと思っています。

私のような1st世代のおっさんも、食わず嫌いだった平井氏キャラ絵にもようやくなじんできましたし(笑)



さて、Destinyも終わりましたので、Z恋人達の公開までは、管理人様お勧めの「蒼穹のファフナー」をゆっくり鑑賞することにいたします(^^)v

管理人様のブログ、ROMってばかりでこの前はじめて投稿いたしましたが、機会があればまた書き込みさせてください。そのときはよろしくお願いしますm(_._)m。それでは、またっ!
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レイという存在の肯定 (大和)
2005-10-02 20:16:14
 元来、彼レイは、ラウと接しており、ラウの傍でギルのことを身近に見ており、そんな彼には、「自分はラウではない。」という意識・無意識の認識があった。



 が、ラウが死亡したことで、ギルは『ラウ・ル・クルーゼ』であることを求めるようになった。『ラウ・ル・クルーゼ』としての役割を果たさなければ、レイとしては、見て貰えない。その現実が、どんなにかレイの心を揺さぶったことでしょうね。



 そして、レイは、その揺さぶられる心を、ギルを熱心に慕い(支持し)、かつキラを憎むことで肯定しようとしていた。



 それを、同じく『結果の子』であり、ラウとの死闘を演じた(ラウと真に向き合った)、「倒すべき敵」であるはずのキラにより、指摘される。



 レイの心中には、キラの言葉が、甚く響いたのでしょうね。だから、ギルに対するキラの言葉を受け(あの展開としては、キラが撃っていたとしても別に問題ではない)、レイとして、ギルを撃ったのでしょう。



 レイも、ギルに対して、本当は言いたかったのでしょうね。「僕はラウじゃない。レイだよ。レイとして見て。」という気持ちを。



 でも、「(背景はどのようなものであれ、)ギルを失ったら、ギルとの繋がりを失ったら、自分を肯定するものは、なくなる。」との認識から、言うことは出来なかった。



 年齢が若いためか、歳経たラウよりも、「愛されたい」という気持ちに素直だったレイ。だから、ギルに対して、「子ども」として、『ラウ・ル・クルーゼ』として、接していた。



 悲しむらくは、ギルが、そうしたレイの気持ちを汲んだ対応をしていることが窺えることです。



(続きます)
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シンは最良の手駒 (大和)
2005-10-02 20:18:07
 シンは、議長の計画にとって最良の手駒になる存在。だから、その手駒であるシンを如何様に懐柔できるかが、議長の信をより得ることになる。その点、議長の計画を知っている(?)レイは有利だった。



 でも、アスランが、フェイスとして、そこには(ミネルバに)、やって来る。アスランは、シンに対して、彼なりの対応をする。そして、ギルに託されたはずの力「セイバー」を無くしたにも拘らず、「レジェンド」という新たな力を託されようとする。



 レイとしては、「自分のやり方が不味かっただろうか?」と、不安になりますよね。そして、ギルの信が遠退くのではないのかと必死になり、ギルを最早絶対視するまでになっている彼にとって、「アスランの脱走」という事態は、アスランを撃つ好機。



 レイは、颯爽とレジェンドを駆ることになります。



 この点において、キサカさんたちの行動(組織的なもので、単独行為ではありませんでしたから、確かな情報に基づいて彼らは行動していたと考えることが可能。)は、アスランが脱走することを念頭に置いたものと判断できます。



 飽く迄も私見ですが、ギルとしては、始めから脱走させる目的があったのでしょう。レイやシンを用いて。



(続きます)
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最終回 (ドルフィン)
2005-10-02 20:20:06
おひさしぶりです。



■シン

シンが「いままでの自分が間違っていた」と気付き、新たな出撃を迎えると展開よりも今回のような、最後の最後にマイナスからゼロに戻った所で終わる方が、見てる側としてはグッときました。



これまでDestinyを見てきて、どのキャラも完全な悪とは見えなったです。この作品は見てる人にとっていろいろ考える部分がたくさんありました。



初めて、この燕。さんの感想を読んでからDestinyが面白くなりましたし、みなさんのコメントもなければまったくよくわからないままこの最終回を迎えていたと思います。

未熟な私ですが、いままでありがとうございました。



エウレカの方にも顔を出させてもらう機会がありましたら、ヨロシクおねがいします。
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