物凄い情報量が詰め込まれたお話しだったのですが、物語全体の起承転結の「転」として、また第3クール全体としてはどちらかと言うと「結」に近い位置づけとして、色々と世界観に対するヒント、そして物語の終着へ向けたヒントが提示された、という感じがしますね。
整理していくとポイントは3つくらいかな、と個人的には感じたのですが、それにプラスしてここでようやくエウレカとアドロックの話へつながる、ここがポイントかなと。
今回は難しめの話に振り回されることなく、全体をシンプルに捉えるのが「吉」だと思います。
エウレカセブンはSF的な要素を説明するとき、つまり物語りの外郭を語るときは割と難しめの表現をしているんじゃないかと思います。
しかし、物語のテーマ部分、中心部分を語るときは割りと分かりやすく、ストレートに表現している、というのがエウレカセブンの表現スタイルなのかなと思っているところがあって、今回はそれが顕著に出たんじゃないかなと思います。
そういう意味で、僕が思うポイント3つとは、1つ目が物理宇宙の崩壊の話。これはまさに外郭の話。
2つ目はニルバーシュが複座である理由のもうちょっと本当の理由。
3つ目はトラパーと信じる力の話。
最初の外郭の話は非常に難解になっていますが、後の2つは今回割りとストレートに表現されていました。
■物理宇宙の崩壊
科学面から見たグレッグ博士と、宗教面から見たノルブ師の対談という観察者ストナーのインタビューですが、これが結構お話としては難解なんだけれども、構図としては面白くて、グレッグ=科学から観た側面と、ノルブ師=宗教から見た側面が同じ結論に達するというのが面白くて、そしてそれを必ず世に伝えなくてはならないと感じるストナー、というこの3者の構図が非常に秀逸というか、上手いなと感じるポイントでした。
この対談は多分にSF的要素を含んだ話になっていましたが、極論すると意思を持っている生命体が1つの星に増えすぎると、生命体の想い(主として負の想いなのかな)も同じく増加し、その力が溢れることで物理宇宙が崩壊してしまう、そういう世界観、そういう設定だということですね。
その証拠がグレートウォールだ、ということだったと。
#多分このあたりは海外系のSF小説にそういう設定があるんじゃないかと思います、多分。
#一つの星の中に抱えきれる生命体の数には限界があって、それを超過するとパンクするっていうのは何かの本で読んだことあるんだけど、何だったか忘れました(笑)。
ゆえに、増殖しすぎたコーラリアンは休眠期に入っていた、ということなんですね。
これは第7話「アブソリュート・ディフィート」のラストシーンでデューイが、
彼らは進化などしていない
なぜなら彼らは目覚めてもいないのですから
彼らコーラリアンはねぇ
と言っている伏線の回収にもなっていたんですね。
ふおぉぉ、そうだったのか。
詰まるところ、デューイとしてはコーラリアンが目覚めてしまえば、物理宇宙=この世界が崩壊してしまうので、目覚める前に本体を叩く、ということなんでしょうね。
では、翻って同じことが実は人類にも言えるんじゃないか?人類もいずれ、そういう現象に立ち会っちゃうんじゃないか?
という問題は残っちゃいますね。
個人的には、絶望病とのリンクはその辺に来るのかな?なんて、今回のお話を聞いていて思ったんですが、絶望病=コーラリアン化かなぁ?と思っていたところに、プラスして、絶望病=休眠状態と考えると、コーラリアンが物理宇宙の崩壊を危惧して、人類側に働きかけた、それが絶望病なんじゃないか?とも思えました。
と、脱線をしましたが、この辺が難しい話をポイントとしてまとめるとこんな感じだったのかなと。
■ニルバーシュが複座の理由
前述の物理宇宙の崩壊の話とは対照的に、こちらは非常にストレートに語られました。
ニルバーシュによって何が実現されるのか?というところはまだ伏せられていますが、何かをするために必要な条件、それが提示されました。
それは、人間とコーラリアンが一緒にニルバーシュに乗ること。
ここって実は物凄く重要なことを示唆してるんじゃないかと思うんですが、それってここまでエウレカの変化を素直に喜んでいた僕なんかにはかなり衝撃的でした。
これまでエウレカの存在については第19話「アクペリエンス・2」あたりから、コーラリアンサイドにも人間サイドにも振れることができる存在なんじゃないか?と考えてきたので、今回のノルブ師の「コーラリアンとしてはの力を失い始めている」という言葉はそれを裏付けるものになりました。
確かに、エウレカは一度第19話で自分の変化に戸惑い、変化することを拒絶してコーラリアンサイドに振れる=スカブ・コーラルに取り込まれるんですが、その後の展開はご存知の通り、レントンとの初々しいコミュニケーションにつながって、徐々に、いや、急速に人間サイドへ振れていってます。
#ここ最近、エウレカが戦闘に対して極端に恐れを抱いたりする描写を入れていたのは実は計算だったということですね。
詰まるところ、ノルブ師が急いだ方が良いと言っていたのは、エウレカが人間化しつつあり、コーラリアンとしての属性を失いつつある、つまり、ニルバーシュに乗って「何か」を実現するためには、エウレカは人間になっちゃいけない、コーラリアンのままでいなくてはならない、少なくとも「何か」を成すまでは。
#何か?というのはグレートウォールの先、すなわち「未来」を繋ぐことじゃないか、と思っているんですがどうでしょう。
これは僕にとっては結構衝撃というか、いくつか考えていたエンディングのうちの一つにこれがあったんで、どうなるんだ?とドキドキです。
ここからは僕の完全妄想範囲なんですが、
最後の最後の瞬間で、エウレカはレントンを生かすために、もしくは何かを成すために自分の意思でコーラリアンであることを選択するってことになるんじゃないか?
つまり、コーラリアンの世界に戻ってしまうんじゃないか?なんて考えたりしていたんです。
もちろん、それまでにエウレカがコーラリアンの属性を保っていれば良いのですが、それはカタルシスを感じるならば、最後のシーンで選択を迫られるとか、あるんじゃないかという思いがずっとあったんで。
これはアネモネについても同じことで、エウレカとアネモネは二人でコーラリアンの世界に戻る、そういうのもありじゃないかなと思っていて、レントンとドミニクがエウレカとアネモネをあのサイドカーで二人を探して旅に出る、そういうのもありじゃないか、とか考えているわけですが、その辺は僕の勝手な妄想なんで、全く信じないで頂きたいのです(笑)。
やっぱり『金枝篇』でいうところの「金枝」にあたるのがニルバーシュなんだろうなぁ。
王と女神を繋ぐ結婚のシンボルとして「金枝」が象徴的に用いられるんだから、やっぱりニルバーシュはそれに該当するのか。
ノルブ師とサクヤの物語は「時機を逸した」とあったように、サクヤが人間化してしまった、もしくはそれに抗うかのように何かをした結果魂魄ドライブになってしまった、ということなんでしょうか。
とにかく、今回のニルバーシュが複座の理由は、ストレートに語られただけに個人的にはかなり衝撃的でした。
■信じる力は現実になる
もう一つのポイントとしては今まで意図的に伏せられていた魂魄ドライブと、トラパーのことについて言及されたことですね。
ここはSF的要素の強い部分なんで、多少難しい表現になっていましたが、「思考や意思は力を持つ」というのがポイントでしたね。
実はこの部分がこの物語の大きな伏線というか、テーマになっているんじゃないかと思っていて、第2話「ブルースカイ・フィッシュ」でレントンは、
あの時 オレはあの子を助けたいって思った
そしてそのことを
その思いを信じろってニルバーシュに言われた気がしたんだ
だからオレは信じてみたんだ
信じることで彼女を助けられるって思ったんだ
それがその証明になるって思ったから
と語っていて、そのレントンが信じたもの、それはダイアンの言葉で、そのダイアンの言葉とは、第1話「ブルーマンデー」で語られた、
信じていればきっとまた会える
本当に、本当に信じることができたら
信じる力は現実になるから
そしたらレントンはきっと空も飛べるし
大事な人も助けられるし
それに私にもいつでも会える
だから私を信じて
私を信じて良い子でいるのよ
につながってきてるんですよ。
トラパーっていうのはSF的に思いが物理的なエネルギーになるってことを今回表現しているんですが、それはやっぱり物語を構成するうえでのギミックでしかなくて、本当のところは「信じる力は現実になる」というテーマ部分に相当していると思うんですよね。
やっぱりこれを観て、エウレカセブンという物語は最初の第1話~第3話のレントンの旅立ちを描いたところに物語として収斂してくるんじゃないかと思います。
#それだけ第1話~第3話は秀逸だったと、僕は思います。
意外と難しい話をしているようで、その実、伝えたいこと、テーマ部分は結構ストレートに持ってくるのがエウレカセブンの特徴。
こういうところを難しい言葉で誤魔化さないつくりがきっと僕はこの作品が好きなところなんだと思います。
■そしてアドロックへ
第3クールの起承転結の「結」にあたるのは、これまでタメにタメられてきたアドロックとエウレカの話になりそうですね。
うわー、ドキドキだ。
実はこれも、第3話「モーション・ブルー」でエウレカがこんなことを言ってるんですよね。
君ってやっぱり面白いよね
君みたいな人間 久しぶりだよ
君みたいな人間に 昔会ったことがあるの
君はその人間にそっくりだね
行こう 早くしないと波が行っちゃうわ
ここで既に伏線を張ってあったんですが、当時はあれはアドロックなのか、ダイアンなのか?と考えていましたが、これでアドロック決定っぽいです。
第1話を振り返ってみると、レントンが父親に対して持っている屈折した想いが分かるんですが、それはこれまで結構色んなところで表現されてきました。
そして極めつけが今回。
これは今までのレントンとは明らかに違う反応でした。
これまではアドロックと比較されることを嫌っていたレントンでしたが、今回のデューイの演説によって、かなり動揺しているんで。
一体父は何をやっていたのか?
それを知っているのがエウレカ。
もう次週ドキドキだなぁ。
同じく第1話で、エウレカはこんなことも言っていて、
知らないものは信じられないから
それに信じたからと言ってどうにかなるわけじゃないじゃない・・・
信じすぎちゃったことで不幸になることもある
信じることが辛いこともあるんだよ
ここが単なるブラフで終わるのか、それともきっちりとアドロックに重なってくるのか?
この辺も楽しみなところです。
また、少年の成長物語として父親越えはやっぱり熱いストーリーだと思うんで、第4クールはバッチリそれを乗り越えて欲しいなと。
エウレカセブンの第1話~第3話までって、レントンの旅立ちを描いているんですが、物語の起点になっているところなので、第4クールに入る前にもう一度見ておくと良いんじゃないかな、と思います。
やっぱりあの第3話までの流れは秀逸だったと思うんで。
それにしても、ニルバーシュの複座の理由、当たり前と言えば当たり前なんだけど、辛いなぁ。
さあ、どうなるんでしょう?
整理していくとポイントは3つくらいかな、と個人的には感じたのですが、それにプラスしてここでようやくエウレカとアドロックの話へつながる、ここがポイントかなと。
今回は難しめの話に振り回されることなく、全体をシンプルに捉えるのが「吉」だと思います。
エウレカセブンはSF的な要素を説明するとき、つまり物語りの外郭を語るときは割と難しめの表現をしているんじゃないかと思います。
しかし、物語のテーマ部分、中心部分を語るときは割りと分かりやすく、ストレートに表現している、というのがエウレカセブンの表現スタイルなのかなと思っているところがあって、今回はそれが顕著に出たんじゃないかなと思います。
そういう意味で、僕が思うポイント3つとは、1つ目が物理宇宙の崩壊の話。これはまさに外郭の話。
2つ目はニルバーシュが複座である理由のもうちょっと本当の理由。
3つ目はトラパーと信じる力の話。
最初の外郭の話は非常に難解になっていますが、後の2つは今回割りとストレートに表現されていました。
■物理宇宙の崩壊
科学面から見たグレッグ博士と、宗教面から見たノルブ師の対談という観察者ストナーのインタビューですが、これが結構お話としては難解なんだけれども、構図としては面白くて、グレッグ=科学から観た側面と、ノルブ師=宗教から見た側面が同じ結論に達するというのが面白くて、そしてそれを必ず世に伝えなくてはならないと感じるストナー、というこの3者の構図が非常に秀逸というか、上手いなと感じるポイントでした。
この対談は多分にSF的要素を含んだ話になっていましたが、極論すると意思を持っている生命体が1つの星に増えすぎると、生命体の想い(主として負の想いなのかな)も同じく増加し、その力が溢れることで物理宇宙が崩壊してしまう、そういう世界観、そういう設定だということですね。
その証拠がグレートウォールだ、ということだったと。
#多分このあたりは海外系のSF小説にそういう設定があるんじゃないかと思います、多分。
#一つの星の中に抱えきれる生命体の数には限界があって、それを超過するとパンクするっていうのは何かの本で読んだことあるんだけど、何だったか忘れました(笑)。
ゆえに、増殖しすぎたコーラリアンは休眠期に入っていた、ということなんですね。
これは第7話「アブソリュート・ディフィート」のラストシーンでデューイが、
彼らは進化などしていない
なぜなら彼らは目覚めてもいないのですから
彼らコーラリアンはねぇ
と言っている伏線の回収にもなっていたんですね。
ふおぉぉ、そうだったのか。
詰まるところ、デューイとしてはコーラリアンが目覚めてしまえば、物理宇宙=この世界が崩壊してしまうので、目覚める前に本体を叩く、ということなんでしょうね。
では、翻って同じことが実は人類にも言えるんじゃないか?人類もいずれ、そういう現象に立ち会っちゃうんじゃないか?
という問題は残っちゃいますね。
個人的には、絶望病とのリンクはその辺に来るのかな?なんて、今回のお話を聞いていて思ったんですが、絶望病=コーラリアン化かなぁ?と思っていたところに、プラスして、絶望病=休眠状態と考えると、コーラリアンが物理宇宙の崩壊を危惧して、人類側に働きかけた、それが絶望病なんじゃないか?とも思えました。
と、脱線をしましたが、この辺が難しい話をポイントとしてまとめるとこんな感じだったのかなと。
■ニルバーシュが複座の理由
前述の物理宇宙の崩壊の話とは対照的に、こちらは非常にストレートに語られました。
ニルバーシュによって何が実現されるのか?というところはまだ伏せられていますが、何かをするために必要な条件、それが提示されました。
それは、人間とコーラリアンが一緒にニルバーシュに乗ること。
ここって実は物凄く重要なことを示唆してるんじゃないかと思うんですが、それってここまでエウレカの変化を素直に喜んでいた僕なんかにはかなり衝撃的でした。
これまでエウレカの存在については第19話「アクペリエンス・2」あたりから、コーラリアンサイドにも人間サイドにも振れることができる存在なんじゃないか?と考えてきたので、今回のノルブ師の「コーラリアンとしてはの力を失い始めている」という言葉はそれを裏付けるものになりました。
確かに、エウレカは一度第19話で自分の変化に戸惑い、変化することを拒絶してコーラリアンサイドに振れる=スカブ・コーラルに取り込まれるんですが、その後の展開はご存知の通り、レントンとの初々しいコミュニケーションにつながって、徐々に、いや、急速に人間サイドへ振れていってます。
#ここ最近、エウレカが戦闘に対して極端に恐れを抱いたりする描写を入れていたのは実は計算だったということですね。
詰まるところ、ノルブ師が急いだ方が良いと言っていたのは、エウレカが人間化しつつあり、コーラリアンとしての属性を失いつつある、つまり、ニルバーシュに乗って「何か」を実現するためには、エウレカは人間になっちゃいけない、コーラリアンのままでいなくてはならない、少なくとも「何か」を成すまでは。
#何か?というのはグレートウォールの先、すなわち「未来」を繋ぐことじゃないか、と思っているんですがどうでしょう。
これは僕にとっては結構衝撃というか、いくつか考えていたエンディングのうちの一つにこれがあったんで、どうなるんだ?とドキドキです。
ここからは僕の完全妄想範囲なんですが、
最後の最後の瞬間で、エウレカはレントンを生かすために、もしくは何かを成すために自分の意思でコーラリアンであることを選択するってことになるんじゃないか?
つまり、コーラリアンの世界に戻ってしまうんじゃないか?なんて考えたりしていたんです。
もちろん、それまでにエウレカがコーラリアンの属性を保っていれば良いのですが、それはカタルシスを感じるならば、最後のシーンで選択を迫られるとか、あるんじゃないかという思いがずっとあったんで。
これはアネモネについても同じことで、エウレカとアネモネは二人でコーラリアンの世界に戻る、そういうのもありじゃないかなと思っていて、レントンとドミニクがエウレカとアネモネをあのサイドカーで二人を探して旅に出る、そういうのもありじゃないか、とか考えているわけですが、その辺は僕の勝手な妄想なんで、全く信じないで頂きたいのです(笑)。
やっぱり『金枝篇』でいうところの「金枝」にあたるのがニルバーシュなんだろうなぁ。
王と女神を繋ぐ結婚のシンボルとして「金枝」が象徴的に用いられるんだから、やっぱりニルバーシュはそれに該当するのか。
ノルブ師とサクヤの物語は「時機を逸した」とあったように、サクヤが人間化してしまった、もしくはそれに抗うかのように何かをした結果魂魄ドライブになってしまった、ということなんでしょうか。
とにかく、今回のニルバーシュが複座の理由は、ストレートに語られただけに個人的にはかなり衝撃的でした。
■信じる力は現実になる
もう一つのポイントとしては今まで意図的に伏せられていた魂魄ドライブと、トラパーのことについて言及されたことですね。
ここはSF的要素の強い部分なんで、多少難しい表現になっていましたが、「思考や意思は力を持つ」というのがポイントでしたね。
実はこの部分がこの物語の大きな伏線というか、テーマになっているんじゃないかと思っていて、第2話「ブルースカイ・フィッシュ」でレントンは、
あの時 オレはあの子を助けたいって思った
そしてそのことを
その思いを信じろってニルバーシュに言われた気がしたんだ
だからオレは信じてみたんだ
信じることで彼女を助けられるって思ったんだ
それがその証明になるって思ったから
と語っていて、そのレントンが信じたもの、それはダイアンの言葉で、そのダイアンの言葉とは、第1話「ブルーマンデー」で語られた、
信じていればきっとまた会える
本当に、本当に信じることができたら
信じる力は現実になるから
そしたらレントンはきっと空も飛べるし
大事な人も助けられるし
それに私にもいつでも会える
だから私を信じて
私を信じて良い子でいるのよ
につながってきてるんですよ。
トラパーっていうのはSF的に思いが物理的なエネルギーになるってことを今回表現しているんですが、それはやっぱり物語を構成するうえでのギミックでしかなくて、本当のところは「信じる力は現実になる」というテーマ部分に相当していると思うんですよね。
やっぱりこれを観て、エウレカセブンという物語は最初の第1話~第3話のレントンの旅立ちを描いたところに物語として収斂してくるんじゃないかと思います。
#それだけ第1話~第3話は秀逸だったと、僕は思います。
意外と難しい話をしているようで、その実、伝えたいこと、テーマ部分は結構ストレートに持ってくるのがエウレカセブンの特徴。
こういうところを難しい言葉で誤魔化さないつくりがきっと僕はこの作品が好きなところなんだと思います。
■そしてアドロックへ
第3クールの起承転結の「結」にあたるのは、これまでタメにタメられてきたアドロックとエウレカの話になりそうですね。
うわー、ドキドキだ。
実はこれも、第3話「モーション・ブルー」でエウレカがこんなことを言ってるんですよね。
君ってやっぱり面白いよね
君みたいな人間 久しぶりだよ
君みたいな人間に 昔会ったことがあるの
君はその人間にそっくりだね
行こう 早くしないと波が行っちゃうわ
ここで既に伏線を張ってあったんですが、当時はあれはアドロックなのか、ダイアンなのか?と考えていましたが、これでアドロック決定っぽいです。
第1話を振り返ってみると、レントンが父親に対して持っている屈折した想いが分かるんですが、それはこれまで結構色んなところで表現されてきました。
そして極めつけが今回。
これは今までのレントンとは明らかに違う反応でした。
これまではアドロックと比較されることを嫌っていたレントンでしたが、今回のデューイの演説によって、かなり動揺しているんで。
一体父は何をやっていたのか?
それを知っているのがエウレカ。
もう次週ドキドキだなぁ。
同じく第1話で、エウレカはこんなことも言っていて、
知らないものは信じられないから
それに信じたからと言ってどうにかなるわけじゃないじゃない・・・
信じすぎちゃったことで不幸になることもある
信じることが辛いこともあるんだよ
ここが単なるブラフで終わるのか、それともきっちりとアドロックに重なってくるのか?
この辺も楽しみなところです。
また、少年の成長物語として父親越えはやっぱり熱いストーリーだと思うんで、第4クールはバッチリそれを乗り越えて欲しいなと。
エウレカセブンの第1話~第3話までって、レントンの旅立ちを描いているんですが、物語の起点になっているところなので、第4クールに入る前にもう一度見ておくと良いんじゃないかな、と思います。
やっぱりあの第3話までの流れは秀逸だったと思うんで。
それにしても、ニルバーシュの複座の理由、当たり前と言えば当たり前なんだけど、辛いなぁ。
さあ、どうなるんでしょう?
交響詩篇エウレカセブン DVD第7巻 2006/1/27発売 超・感動の第23話~第26話を収録 この巻は絶対お勧めです!! チャールズとレイ、最高でした |