愛知県芸文センターで開催中の「アーツチャレンジ2009」の美術展示を見に出かけた。
ホールの地下から12階まで5ヶ所のスペースをつかった若手作家の絵画やインスタレーションの展示である。パンフレットには「愛知から世界へ羽ばたくアーティストの活動の場を提供する催し」とあって、県、文化振興事業団、NHK、中日新聞の共催となっている。
71年生の38歳から85年生の24歳まで、16人が15作品を提供している。作家の年齢もあってか、POPカルチャー的ないわば軽い表現のものが多く、素人っぽい雰囲気が感じられた。見ようによっては面白いということだろうが、作家自身の考える「コンセプト」を十二分には表現できていないような気がした。
しかし、中にはしっかりした出来栄えの作品も見られる。例えばカリフォルニア在の田中香菜の「空と水と光の瞬間」は、ガラスの液体的な特徴に注目し、その伸びる特質を〈ガラスの雨〉にして再現する。糸のように細く伸ばしたガラスの雨足の先には落ちる寸前の雨粒。
11階の外向ガラス面をつかって天井から数百本の雨足が垂れ下がる。折から雨模様の雲の流れをバックに、なかなか効果的であった。熱源の使える地下スペースで吹いて作ったガラス糸を折らぬように慎重にインストールした結果だ。
8階の岸本真之の作品も面白かった。木を機械でくり抜いて、大きな独楽型につくり白い塗料を塗ったオブジェだが、眼の錯覚で回らぬはずの独楽が回って見えるのである。この錯視について説明はされていないが、誰も近くにいなかったのを幸いに、しばらく作品の周りを回って楽しんだ。
さらに、地下2階の宮永春香の〈FEITICO〉(護符)という連作。織り込んだ紐にやはり白い釉薬をかけて陶器に作り上げたもので、そういわれれば、白塗りの作品にはどこか怪しげな「お守り」効果があるように感じられる。
アーティストの中には大学で教鞭をとっている人もいて、学生がボランティアで作品説明の応援にきている箇所もあった。
伊藤孝紀の出品〈PARASOL〉では名工大の学生君から説明を受けた。都会のゴミ問題を100円使い捨てのビニール傘を使ってリユースの可能性を問い、携帯電話全盛時代に忘れられようとしている電話ボックスの存在意味を問うというテーマだという。パネルには栄町周辺の有線電話の位置がポイントされている。結構残っているようだが、これも必要なときには見つからないほどに減少したのも事実だ。
同じ2階のロビースペースでは、建築家の栗本真壱と谷川寛のコンビが作った大型の飛び出す絵本〈WONDER・BOOK〉が展示され、ここでも学生サポーターの説明があった。家型の蛇腹を動かすことで夜・昼・朝の3シーンをつくり、鑑賞者には夢の空間体験をしてもらうという企画だそうだ。
重量のある本だから総勢5人でヨイショと動かす。マニュアル感覚が素人っぽくて面白かった。この2作品は、学生とのインターラクションが出来た分、作品との距離が縮まって共感も増したような気がする。
15作品の内、10点が英語タイトルである。これも近頃の流行みたいだ。感覚的になんとなく格好良くて、判らなくても分かったような気になるマリファナ効果があるのだろう。
平日の美術館は人の動きも多くはなくゆったりと鑑賞できた。余りの時間を使って2階のライブラリーにより、視聴覚コーナーでクラシックCDを聴く。
ひさしぶりに、チャイコフスキーの悲愴を選んだ。1954年4月21日、NHK交響楽団のライブである。指揮は、初めての来日をしセンセーションになったHVカラヤン。図書館だから、ついでにスコアも借りて、おたまじゃくしを眺めながらの鑑賞である。50年前のモノラル演奏だがN饗の演奏はなかなしっかりしたもの。流石、魔術師のカラヤンである。
芸文センターを楽しんだ一日だった。
ホールの地下から12階まで5ヶ所のスペースをつかった若手作家の絵画やインスタレーションの展示である。パンフレットには「愛知から世界へ羽ばたくアーティストの活動の場を提供する催し」とあって、県、文化振興事業団、NHK、中日新聞の共催となっている。
71年生の38歳から85年生の24歳まで、16人が15作品を提供している。作家の年齢もあってか、POPカルチャー的ないわば軽い表現のものが多く、素人っぽい雰囲気が感じられた。見ようによっては面白いということだろうが、作家自身の考える「コンセプト」を十二分には表現できていないような気がした。
しかし、中にはしっかりした出来栄えの作品も見られる。例えばカリフォルニア在の田中香菜の「空と水と光の瞬間」は、ガラスの液体的な特徴に注目し、その伸びる特質を〈ガラスの雨〉にして再現する。糸のように細く伸ばしたガラスの雨足の先には落ちる寸前の雨粒。
11階の外向ガラス面をつかって天井から数百本の雨足が垂れ下がる。折から雨模様の雲の流れをバックに、なかなか効果的であった。熱源の使える地下スペースで吹いて作ったガラス糸を折らぬように慎重にインストールした結果だ。
8階の岸本真之の作品も面白かった。木を機械でくり抜いて、大きな独楽型につくり白い塗料を塗ったオブジェだが、眼の錯覚で回らぬはずの独楽が回って見えるのである。この錯視について説明はされていないが、誰も近くにいなかったのを幸いに、しばらく作品の周りを回って楽しんだ。
さらに、地下2階の宮永春香の〈FEITICO〉(護符)という連作。織り込んだ紐にやはり白い釉薬をかけて陶器に作り上げたもので、そういわれれば、白塗りの作品にはどこか怪しげな「お守り」効果があるように感じられる。
アーティストの中には大学で教鞭をとっている人もいて、学生がボランティアで作品説明の応援にきている箇所もあった。
伊藤孝紀の出品〈PARASOL〉では名工大の学生君から説明を受けた。都会のゴミ問題を100円使い捨てのビニール傘を使ってリユースの可能性を問い、携帯電話全盛時代に忘れられようとしている電話ボックスの存在意味を問うというテーマだという。パネルには栄町周辺の有線電話の位置がポイントされている。結構残っているようだが、これも必要なときには見つからないほどに減少したのも事実だ。
同じ2階のロビースペースでは、建築家の栗本真壱と谷川寛のコンビが作った大型の飛び出す絵本〈WONDER・BOOK〉が展示され、ここでも学生サポーターの説明があった。家型の蛇腹を動かすことで夜・昼・朝の3シーンをつくり、鑑賞者には夢の空間体験をしてもらうという企画だそうだ。
重量のある本だから総勢5人でヨイショと動かす。マニュアル感覚が素人っぽくて面白かった。この2作品は、学生とのインターラクションが出来た分、作品との距離が縮まって共感も増したような気がする。
15作品の内、10点が英語タイトルである。これも近頃の流行みたいだ。感覚的になんとなく格好良くて、判らなくても分かったような気になるマリファナ効果があるのだろう。
平日の美術館は人の動きも多くはなくゆったりと鑑賞できた。余りの時間を使って2階のライブラリーにより、視聴覚コーナーでクラシックCDを聴く。
ひさしぶりに、チャイコフスキーの悲愴を選んだ。1954年4月21日、NHK交響楽団のライブである。指揮は、初めての来日をしセンセーションになったHVカラヤン。図書館だから、ついでにスコアも借りて、おたまじゃくしを眺めながらの鑑賞である。50年前のモノラル演奏だがN饗の演奏はなかなしっかりしたもの。流石、魔術師のカラヤンである。
芸文センターを楽しんだ一日だった。
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