5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

さやいんげん

2018-09-17 21:37:11 | たべもの

7月末から猛暑日続きだったのが、お盆の時期は少し気温がさがった。ちょうど1ヶ月前の8月17日の最高気温は31.6度、最低気温は22.8度、平均湿度は38%だったとある。日中は真夏日の暑さだが湿度は低く空気は乾燥し、夜は気温が下がって過ごしやすかった。

どうして8月17日なのかといえば、坪内稔典先生の「季語集」に秋の季語のひとつとして「莢隠元」が入っており、高村光太郎の日記が引用されていたからだ。

昭和21年8月17日の光太郎の日記には「晴、猛暑、風なし。畑のもの水を欲しがってゐる」と書かれてあり、この日の作家の朝食は、冷や飯に味噌汁、ぬかみその胡瓜と茄子。みそ汁の実はじゃがいも、胡瓜、煮干し、莢隠元、大根の葉で、「いんげん柔らかにてよろし」とあるのだという。「畑のもの」というのだから、光太郎は自分の畑で野菜を栽培していたようだ。胡瓜と茄子も前日にその畑から獲って漬けた自家製だ。柔らかいといった「莢隠元」は昼飯でも煮て食べている。

終戦から1年後、光太郎は岩手県花巻の西郊。稗貫郡太田村山口というところに住んでいた。(現在は花巻市に組み込まれており、高村光太郎記念館がある)粗末な小屋で独居し、農耕自炊の日々を過ごした。山中独居は63歳から7年間続け、その間には頼まれて村の分教場で講話などをしたこともあるという。

坪内先生も莢隠元がお好きのようで、胡麻和えが好物だとある。我が家の場合、莢隠元は母親が好んで食したから、子供の頃の夏の食卓には頻度よく登場した。家人はどうやら莢豌豆の方が好きのようで、最近ではもっぱらこちらを食している。

光太郎の日記で、東北の戦後の食生活の一旦が垣間見られる。どんな些細なことでも、記録に残しておく意味はあるのだろう。

「隠元豆の爆ぜては莢の裏綺麗」ふけとしこ(2003)




最新の画像もっと見る

コメントを投稿