5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

春の昼

2018-03-31 20:38:55 |  文化・芸術

NHKのドイツ語講座で「日本人はなぜ電車の中で居眠りができるのか」というドイツ人の疑問をテーマにしていた。どうやら彼らは公共交通機関では少し緊張しながら乘るのが常らしい。安心して「こっくり」出来る日本のセキュリティはひょっとすると羨ましく思えるのかもしれない。今日の電車の中でも窓から入る陽光の暖かさにつられて、あちこちで舟をこぐ乗客の姿が見られた。

春たけなわの昼間のことを「春昼」と書いて「しゅんちゅう」と読ませるらしい。春の季語だ。坪内稔典先生の「季語集」に載っている。明るく、あたたかく、のどかで、とても眠くなるというのだから、まさに電車内の光景というわけだ。春霞がただよう気候であれば、愁いや倦怠が生まれるし、なんとなくもやもやした気分にもなると先生は云い、中村草田男のこの句を引用している。

「妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る」

妻がいない男には、山口誓子のこの句がある。

「妻ゐねば松葉を燃やす春の昼」

この「春昼」は大正時代から使われる新しい季語らしい。だから昔の句には現れてこないのだ。芭蕉や一茶、明治の子規にも、こうしたもやもや気分を表す昭和の俳句の作り方はしなかったのだろう。昔は「春日」が「春昼」に近い言葉だったのだろうと坪内先生は云う。だが「春の昼間」というのと「春の光」というのは、ぴったり同じではない。

「うらうらに照れる春日に雲雀あがり心かなしもひとりし思へば」

これは万葉集の家持の歌だ。雲雀のあがる春の日だが、明るいだけに人の心には却って孤独感が深まるのだというが、電車の動きに合わせて眠る乗客には、倦怠はあっても、愁いや孤独は感じられないようだ。平和なものである。

「春昼に体をいれて立てており」

緊張してウトウトできない在留ドイツ人の車内での無理な立ち姿勢を詠んでいるような、あざ容子のこの句の感じも可笑しい。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿