コロナ罹患発表、10日は全国で1886人(延410943人)の感染と121人(累6739人)の死亡が確認されている。一日の発表としては最多の死者だ。
愛知県では114人(延24962人)の感染と5人(累465人)の死亡が発表された。感染者が減ったから緊急事態宣言はそろそろ終わりだという声もあるが、死者が高止まりの状態なのだから医療現場の問題は解決したというわけではない。緊急事態に変わりはなかろう。
昼の電車は結構空いていた。中京競馬場前の駅が近づくと若い車掌は「まもなくチュウキョウ競馬場前です」と頭高アクセントで「チュウキョウ」を繰り返した。
前にもこのブログで書いたが「三河」を頭高アクセントで発音された時に感じる気持ちのザワザワ感がまた湧いた。先週が最終回だったNHKの大河ドラマ《麒麟がくる》でも光秀殿は頭高アクセントで力んでいた。我が耳には「美川」と聞こえる。「憲一じゃない」とツッコミたかった。
「チュウキョウ」はアクセントなし、「ミカワ」は後高で発音してもらいたいと三河人は願うのである。
「ことばの歳時記」で金田一春彦先生も、関西アクセントと関東アクセントを比較する「ゆき」という項を入れている。
地唄の「雪」は東京でも頭高の関西アクセントで唄われる珍しい例だ。義太夫だと大阪風の尻高で「去年のアキのわずらひに、、、」とやるのだが、長唄になると東京風の「標準アクセント」で「アキ」も節つけられているという。
豊後節系の浄瑠璃で唄われる常磐津では「春夏秋冬」がすべて頭高アクセントで、関東・関西の中間を行くし、清元は長唄同様にほとんどが関東アクセントでやる。
だが清元の場合、「月」「雪」「花」「色」だけは関西アクセントで唄う約束だいう。これは「そうしないと色っぽくないから」という邦楽博士吉川英史氏の説だとある。
文章で書いても耳で聴いた感じは伝わらないだろう。それにしてもややこし約束である。高低アクセントが日本語の特徴だというのだから、正しい日本語を話したいと思う日本人たちはもう少し自分が使うことばのアクセントについて考えてみる必要はないのだろうか。
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