5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

大鵬の行く黄泉路

2013-01-19 22:16:37 |  文化・芸術
第48代横綱の大鵬幸喜が亡くなった。

72歳だったというから、自分とはそんなに違う年齢ではない。未だ若いといえるのだろう。通算32回の優勝を果たして「柏鵬時代」を築いた名横綱で、「巨人、大鵬、卵焼き」という流行語も今となっては懐かしい。昭和がまた遠くなった。

元巨人の長島茂雄は、「圧倒的な強さと揺るぎない精神力は、競技こそ違っても、戦う者の究極の姿を示してくれました。共にひとつの時代を彩ることができたとすれば、光栄のひとことに尽きます。」というコメントを出している。

死は誰のものでも悲しいものだが、その人との係わりが深ければ、悲しみは増幅されて、なかなかに癒すことができない。まして、その人が病篤くとは聞いていなかったり、自分が病床にある時の訃報は堪える。

関森勝夫の「文人たちの句境」には、久保田万太郎のこの歌が載っている。

「粥啜る よみじの寒さ おもひつつ」

突然の訃報がもたらされた。友達だったのだろうか。そのひとが辿っているであろう黄泉への道を思いやりながら、病床の自分は粥をすすっている。

「粥啜る」という断固とした表現は、生きる意志を表わしているように思えると関森は書き、他人の死を悼みつつも、自分の体は回復中だと確認し見つめているのだという。生と死を分ける運命を思っている句である。

かまえたところは無いのだが、深いところに触れる句というのが万太郎の魅力であり愛好者も多いとあるが、自分もそんな者のひとりである。

今日の夕食は豆腐の味噌汁だったから「粥」ほどの詩興はないが啜ることは出来る。現世の夜道もけっこう冷え冷えとしていたが、黄泉路はどうですか、大鵬さん。











最新の画像もっと見る

コメントを投稿