5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

異文化研のアレルギー

2016-03-21 22:02:17 | PC・インターネット
昨日のこと、お仲間の一人から「ツイッターが送出できない」とメール相談が来た。

美人の先生がいるという年寄向きのパソコン教室は終了したから、尋ねるところが無いのだという。自分の都合優先で、忘れたころに一方的な連絡をしてくる。

勝手なものだが、ツイッターに付き合ってくれる高齢者に文句など言えない。

画面の状況など細かく尋ね返し、ネットで似たトラブル事例の検索をしてみると、どうやらブラウザのメモリの使いすぎらしい。

マイクロソフトのIEには、メモリオーバーでアプリが停まってしまう現象が現れるらしい。ウインドウズ10に装備された「エッジ」という新しいブラウザを使うのが良いとアドバイスをした。

今朝見たツイッターのTLには彼のテストツイートが載ってきている。旨くいったようだ。

そのツイッターだが、今日で満10年になるという。

世界中がお祝いツイートをし、ツイッター側も動画のツイートでサンキューを返している。プロモーションの絶好の機会が来たというわけだ。

自分がツイートを始めてすでに5年が経過した。

アイデア出しの手段として「ゴミ箱モデル」というのがある。アイデアのヒントになりそうな個人個人の雑多な知識や思考を、つぎつぎにアイデアボックス(ゴミ箱)に投げ込んでゆき、後で箱から出して解析してみると、まとまりの良いアイデアではなく、奇抜なアイデアが出来上がるというもの。

メンバーによる「集合知」である。

そんな「ゴミ箱モデル」がツイッターで実現できれば、当時、ややマンネリ気味だった研究会活動の刺激になるかもしれないと思ったのだ。

スタートした当初はそれでも皆がツイートを送り、これなら旨くゆくだろうと思ったのが束の間、ひと月もしないうちに一人減り二人減りとツイートが減って、今では自分を含めて4人のツイッタラーを残すのみという意外。

サラリーマン的体質から抜け出せていないのか、プッシュ型のメールには即反応する彼らも現金なものだ。儀礼的で定型なやりとりが「ゴミ箱」にも「集合知」にもなることはない。それに「ゴミ箱」も「集合知」もあとで整理して纏め上げる面倒が残る。だからイヤなのかもしれない。

団塊世代の多く(お仲間の多数派)はどうやらSNSに対するアレルギーがあるようだ。スマホも使いこなすというレベルにはいかぬままで結局は定年を迎えた。

しかし、彼らはいっこうに平気で、メールの酒会案内(ツイッターではない)は今でも続いている。要するに「酒が飲みたい」訳なのだが、その案内メールも正月からは来なくなった。幹事の判断で、どうやら除籍処分にされてしまったらしい。

ならば、こちらはツイッターで頑張るしかあるまい。最後の一人になっても続けてやろう。ジャック・ドーシー、君も頑張ってくれ。




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