5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

白山から散骨

2016-06-24 22:11:02 | 社会
両親が亡くなって50年、先日、弔い上げの法事を行った。

今後は法事法要を行う必要はないのだが、墓守の仕事だけは続く。寺の隣の墓地に参ったが、ずらりと並んだ墓場の世話もそれぞれの家族たちにとっては大変な仕事だろう。人数の多い家庭ならまだしも、我が家のように既に老々状態にある家族は、この墓守ひとつにしても苦労の種になるのだ。

最近は個人の墓をつくらず、合同墓に葬られる人も多いようだ。気持ちは判る。自分の場合もそろそろ考えねばならないのだが、今日はこんなニュースを目にした。

「白山の山頂で登山者が散骨か」

加賀の名峰「白山」に散骨をしてもらいたい、してやりたいという故人や家族の気持ちが問題を起こしかけているという、NHK石川局のニュースだ。

先日、自然公園指導員が白山頂上付近で骨の欠片を複数見つけた。状況からして登山者が「散骨」をしたものと思われるというのだ。墓に葬らずに自然にもどす「散骨」というのも少しづつ一般化の傾向があるというから、指導員の推測通りなのだろう。

公園を管理する側としては、一般登山者たちの心理を考えて「散骨」は止めてほしいというのだが。

記事には、自然公園法の規定として「利用者に著しく不快の念を起こさせる方法でものを放置する行為の禁止」が決められているとある。「著しく不快の念を起こさせる方法で」という文言解釈はどうしたらいいのだろう。

頭蓋骨がそのまま放置されたというのなら吃驚することは考えられる。故人が日本人なら火葬が済んでいるのだ。細かくクラッシュして粉末化したものなら目にも触れず、気にすることもないと思うのだが。

骨壺から出した骨片のままを狭い山頂付近に撒いたというのがマズかったのだろう。家族や個人の意思だけが優先してしまい、相対的な社会的な視点が欠けている。これでは「散骨」は止めてほしいと云われても仕方がなさそうだ。

自分ならこんな馬鹿はしないだろう。じっくりと散骨の手段や方法を考えた上で実施するはずだ。最初から墓には入らないというのなら、焼き場での骨揚げはたっぷりとやる必要はない。どうせ管理に困るのだ。カルシウムを固めて管理のしやすい固形にするというのも方法かもしれない。

これなら山の上から遠くへ放り投げることもできる。一度でOKだし、足元も汚れないし、レンジャーにも迷惑は掛からない。固形が無理ならやはり粉末化だ。骨の量が少なければ、粉末も少ない。

山の尾根を渡ってくる風に載せて全部を飛ばしてやれば、すっきりするだろう。かくして、山好きだった故人の遺志は実現でき、弔う側の自己満足も得られ、観光客やレンジャーを驚かすこともない。

自分は山頂から散骨してもらうつもりはないが、さて、いったいどうやって自分の「リメイン」を自然に返すか。処理する側の迷惑も計算しながら、可能性を考えていこう。楽しみである。








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