5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

消防「いろは」組

2016-03-06 22:13:49 | くらし
遠くから赤いパトライトが近づいてくる。サイレンも聞こえる。消防車だ。交差点の信号待ちで車線をふさいだ自動車の列の間を蛇行して、交差点で「通り抜けマス」とスピーカーで周りに仁義をを切ってから、スピードを上げて走り去った。

気温はあがったが空気の乾燥は続いているようで、こうした消防車の動きがめまぐるしいように感じる。消防署の前を通るときも、隊員たちが車両整備や柔軟体操で出動命令を待っているのに行き逢うことがある。ご苦労さまである。

3月7日は消防記念日、昭和23年に消防組織法が施行されたのが記念日の起こりだと云い、明日からは防火週間も始まるというのは、「ことばの歳時記」の金田一春彦先生である。東京生まれの先生は(江戸っ子ではないが)火事と聞くと気持ちが騒いだ方だったのだろうか。

「め組の喧嘩」という芝居があるように、江戸の「いろは組」は町火消で、江戸町人の消防組織だった。

いろは四十八文字のうち、「へ・ら・ひ・ん」の四文字を外し、代わりに「百・千・万・本」を入れて、合計四十八組。さらに、これを一番組から十番組までに小グループ分けをしたのだが、これに四番組と七番組はなかったから、実質は8つのグループであった。

「へ・ら・ひ・ん」は音感が悪いからだし、「四・七」が無いのは縁起が悪いということで外したのだろう。病院やホテルに「4や9」の部屋がないのと同じで、火消も「ひとの命にかかわる」仕事だということで縁起担ぎをしたのだろうと、金田一先生は書いている。

隣の町内には古い火の見櫓が今も残っている。

今や周辺にはビルが建ってしまい、望楼の用は果たしていない。子供の頃には、我が町にも町の男たちでつくる消防団が隣組ごとにあった。戦時下の保安活動や、空襲火災の消火活動を目的としたものでもあったのだろうが、消防署の下部組織として戦後の一時期まで活動をしていた。

これには、土地の若者たちの連帯を図る機能もあったのだから、無くなってしまった今思うと、ちょっと残念な気がする。

正月になると、厚い差子の消防マントを着け、オート三輪に積んだ半自動の消防ポンプを構えて見せる彼らの雄姿を見るたびに「格好いいなあ」と子供心に思ったものである。


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