里山日記

NPO法人「里山を守る会」における活動の内容。
その日にあった様々な出会いと、感じたことをつづりたい。

第9期「わんぱく自然塾」卒塾式

2023-02-26 05:28:20 | Weblog

2023年2月12日(快晴) 今日は「第9期わんぱく自然塾 卒塾式」である。 穏やかで卒塾には願ってもない日和となった。

コロナ禍の中、自然塾に応募してくれた24名の小学生が、1年間(6回)苦楽を共にし、過ごした里山から巣立つ日となった。

それぞれの季節に応じ、学校も年齢も違う塾生たちが一刻も早くなじむよう、カリキュラムを構成し、全スタッフが全力で子供たちに対面し、応援したと感じている。

「わんぱく自然塾」は平成25年に第1回がスタートし、今期で9回目を迎える。

地元、関城地区では里山(五郎助山)は子どもたちの間で、認知されていたが、筑西市の各小学校ではまだまだだった。

また、単発的なイベントには参加してくれたが、そこで終わってしまっていた。

もっと深く、仲良くなれる、そして自然の中で遊ぶ楽しさをもっと深く感じるにはどうしたらよいのか?

1回よりも2回、2回よりも3回。 そうだ、年間を通じた企画を考えてみよう、ということになった。

年6回、参加費5,000円でスタートした。

私と当時事務局長だった山崎さんと二人で、市内20校を訪問し、企画書とポスターを持参し、勧誘に歩いた。

里山を守る会?、五郎助山? 関城地区以外ではまだまだ認知されていなかった。

それでも、関城西小から赴任した先生が、訪問先で出会い、職員室に招かれ、快くチラシとポスターを受け取り、「子供たちに、配布しますね。」と笑顔で応対してくれた時、涙が出るほどうれしかった。

あれから、9年が経過し、「わんぱく自然塾」は各学校に浸透し、延べ200名を超す塾生が五郎助山というキャンパスを巣立っていった。 

今、申し込み受け付け初日で定員に達する人気企画となっている。

3年連続で参加し、「里山名人」の称号を授与され、中学生、高校生となっても後輩のサポーターとして参加してくれる卒塾生も少なくない。

今回も6名の「里山名人」が誕生したが、中学生になっても参加してくれることを期待している。

さて、今回、各自でピザをつくる企画だ。スタッフも各自、つくることになった。

生地を練り、酵母で膨らませ、延ばし、トッピングをする。元来不器用な私だが、楕円形の生地にケチャプを塗り、ソー

セージを載せ、薄切りのピーマン、玉ねぎ、そしてチーズをこれでもかと載せ、ドラム缶ピザ焼き機に入れた。

焼き担当のスタッフに約5分待ってくださいと言われたが、その5分がとても長く感じた。

班の塾生たちはすでに食べ始めており、大人げないが、闘志がめらめらと沸いてきた。

私のピザがドラム缶の中から出てきた。大切にトレイに取り、「どうだ」と言わんばかりに食べている塾生の間に割り込んだ。

6つに切り、一口食べた。ちょっと生地が半焼けだ。 「ゆきじい、生焼けだとお腹壊しますよ。」と、上から目線で塾生が言った。

仕方なく、もう一度焼いてもらうことにした。席に戻ると「ゆきじい、ちょっと生地が厚かったみたいですね。もう少し伸ばさないとね。・・・」

彼のお皿を見るとすでに完食で、満足した顔で、私に言った。

(早く 言ってよ!)私はリベンジを誓った。

卒塾記念の「やまぼうし」を2本植え、塾生たちが書いた記念プレートを設置し、記念写真を撮った。

卒塾証書の授与が冒険広場で始まった。すでに保護者の皆さんが子供たちを迎えに来ていた。

一人一人が各班の担当スタッフより名前を読み上げられ、幸田塾長より証書が手渡された。

最後に「里山名人」が発表され、6名が記念バッチと証書が改めて授与された。

私の近くで5年生と思しき女の子が同じ班となった女の子に「来年も、参加しようね。」と小さい声で言うのが聞こえた。「うん」とうなずく女の子。

私の心もほっこり、温かくなった。

「わんぱく自然塾」 万歳。

 

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ふるさとの森を守ろう

2023-02-24 05:09:46 | Weblog

1月28日(土)令和4年度「ふるさとの森を守ろう」が厳冬の中、午前9時より開催されました。

コロナ禍の影響で、3年ぶりの開始となりました。 当日は須藤 茂市長始め、設楽 詠美子県議、津田 修市議会議長、小室 高志教育長、石川 剛西小校長、沼田 洋子東小校長もお忙しい中、ご臨席を頂きました。

当日は10年ぶりの寒波到来という中、企業、団体、一般の方を含め、約250名の老若男女が参加してくださり、地元に残る里山の落ち葉さらい、枯れ枝拾いを行い、環境保全に汗を流していただきました。

今回も、認定NPOコモンズさんの仲立ちで、古河市の自動車部品工場の白石製作所(有)さんの協賛金を原資として開催出来ましたことを深く感謝いたしております。

地元企業・団体では、関彰商事(株)、結城信用金庫関城支店、白石製作所(有)、保護司西区、森のようちえん、多くの皆さんにご協力を頂きました。

当会員は、午前7時30分集合でしたが、すでに焼き芋班は午前7時に、うず高く積まれた二か所の薪に点火し、その煙は森の中で狼煙のように立ち上っていました。

8時過ぎには続々と参加者の車が森の駐車場に吸い込まれるように入って行き、ついに満車となり、予備に確保したJA梨選果場に回っていただきました。

参加者は4班に分かれ、各所に設置した集積所に落ち葉を集めます。てみ、竹かご、もっこを使い、一心不乱に落ち葉をかき集め、集積所に運びます。厳冬の中ですが、次第に熱を帯び、上着を脱ぎます。「仕事はののこ」とはよく言ったものです。 

約1時間、200名を超す労働力は偉大で、森の中に降り積もった落ち葉はみるみる薄くなり、地肌が見えるほどになりました。里山は人の手が入らないと荒廃してしまいます。鳥が運ぶ木々の種も、これで芽を出すことが出来ます。キノコも生えてくるでしょう。

今回は、約5ヘクタールに及ぶ里山のごく一部の環境整備となりますが、毎年継続することで、貴重な里山の保全が計られます。白石製作所の白石一夫社長も「毎年、このイベントを続けましょう。」と行ってくれました。

ひと汗流した参加者はこの後、熟練した会員によるチェーンソーさばきで樹高15メートルのクヌギを伐採する迫力ある現場に立ち会いました。また、子供たちは会員指導で薪割り体験を行い、山仕事の一端を担いました。

約250本の焼き芋が出来上がり、一輪車に山盛りの焼き芋が会場に運ばれました。各自1本づつ配られ、思い思いの場所でアツアツの「紅はるか」をほうばりました。

また、テントの下ではこれまた熱々のトン汁がふるまわれ、冷えた体を暖めました。約3時間、3年ぶりの「ふるさとの森を守ろう」はけが人もなく、無事終了いたしました。

参加を頂いたすべての方々に感謝いたします。 地球温暖化をいくらかでも遅らせるためにも地元に残る貴重な森を守って行きましょう。 それには皆さんのご協力が必要です。来年もご参加をお願い致します。

 

 

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山入

2023-01-20 05:51:37 | Weblog

1/8日(日) 令和5年の「山入の儀」を行った。

一部会員は前日からその準備に取り掛かり、恒例の「山入の儀」に備えた。 当日は快晴となり、会員の他、森のようちえんの親子、会員でもある県議の設樂詠美子さんもお忙しい中、参加してくれた。

この日、急逝された監査役の白井さんの告別式と重なったため、1時間繰り下げて会式を行った。

1年間の会員・来場者の健康と無事故を祈願し、この環境が永久に引き継がれることを祈念いたしました。

「山入の儀」終了後、女性会員が心を込めて作ってくれた「雑煮」を参加者全員、美味しく頂きました。

今年もコロナ終息とはならない気配ですが、コロナと共存しながら、地元に残された貴重な里山を守り、自然の中で遊ぶ楽しさを子供たちに伝え

て行きたいと思っています。

本年もよろしくお願い致します。

 

 

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仕事始め

2023-01-05 05:28:01 | Weblog

1月4日(水) 仕事始め

今日から仕事始め。 梨の剪定作業が年内に終了し、今日から誘引作業に入った。

元旦には地元関本神社において神職による祈祷(安全祈願)を妻と一緒にお願いし、本年の安寧を祈願しました。

今年は私の年(卯年)です。 まさに様々な面で飛躍の年にしたいと願っています。

一方、訃報も届きました。長年、当会の会計監査を担っていただいたSさん(77歳)が急逝され、8日が告別式となりました。先日、ご自宅に伺

い、穏やかなお顔に接し、静かにお別れをしてまいりました。

金融機関を退職し、10年前に当会に入会し、新たな友人に出会い、五郎助山では炭部会に所属し、楽しく、充実した日々を過ごされていました。

数年前に奥様を亡くされ、一時は当会の活動も休止されていましたが、仲間たちの励ましで復活し、元気を取り戻したSさん。

突然の訃報に会員一同、落胆しています。 昨年より会員の訃報が相次ぎ、Sさんまでも失い、厳しい現実を目の当たりにしています。

1/28日「ふるさとの森を守ろう」が予定されています。 

当会の発展に尽くしていただいた方々の思いを胸に秘め、改めて当会の活動の意義を訴え続けたいと思っています。

 

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焼き芋体験

2022-11-27 05:28:40 | Weblog

11月25日(金)下妻母親クラブの親子(15名)が五郎助山で焼き芋体験を行った。

そのサポーターとして私と栗原さんが担当した。この時期、各団体から焼き芋体験の依頼があり、今回はその第一弾となる。

親子は午前9時30分の集合と聞いている。私たちは午前7時に現場に着き、事前に準備した「そだ」(間伐材の枝)を重ね、火をつけた。

美味しい焼き芋は、良質の熾火の上に並べ、均等に焼くことが肝要だ。その熾火をつくるのに約2時間を要する。軽トラ約1台分の材料が必要となり、それは枯れ木ではなく、生木の方が適している。生木の熾火は火持ちがよく、その上にアルミで包んだ芋を並べ、落ち葉を布団のように覆い、サンドイッチ状にして焼く。

遠赤外線の効果なのか、こうして焼いた芋はすこぶる うまい。

下妻母親クラブは0歳から3歳くらいまでの未就園の親子が活動している。焼き芋は今回で4回目になるとのお話しだった。

五郎助山での体験も回を重ねて、常連さんになりつつある。自然の中で親子が笑顔でじゃれ合う姿は見ていて とても微笑ましい。

紅葉に染まるこの時期、ハラハラと落ち葉が散る中での焼き芋風景は一幅の絵のようだ。

今日は朝日新聞の河合記者も取材に訪れ、親子の焼き芋風景を撮っていた。

河合さんは県西地区(筑西市)に赴任してから五郎助山で無邪気に遊ぶ子供たちの笑顔を数多く撮り、新聞に掲載されている。

同時にこうした自然の保護活動と、その中で親子や子供が自由に遊ぶ意義を新聞という媒体を通じ、主張されている。

当会の活動にも共感していただき、とても心強い。

さて、2時間ほどで予定通り熾火が出来上がり、アルミホイルで包れた芋が、想像以上に熱い熾火に戸惑いながら、お母さんと幼児によって円形に広げられた熾火の上に並べられて行く。その上に落ち葉を親子で一掴み、ふりかける。 

顔を背けるほどの熱さを体験し、約1時間、じっくりと焼き上がりを待つ。その間、約50~60㎝の細い枝をつくり、その先にマッシュルームを付け、熾火の熱で焼き、ふうふうしながら食べていた。

今、田舎(地方)でも落ち葉炊きは見られなくなった。煙を出すとすぐに消防署に通報され、洗濯物に臭いが移るなどの苦情が来るという。

当会でも焼き芋体験の依頼があった時は、地元の消防署に「火災と間違わない申請」をし、残り火の消火には万全を期している。

かつて落ち葉炊きは冬の風物詩でもあったが、今ではなかなかできないご時世となった。そんな時、五郎助山での落ち葉による焼き芋体験は、きわめて貴重な体験となるに違いない。

各親子に出来上がった熱々の焼き芋が配られ、ふうふう言いながら顔を合わせ、笑顔でほうばる姿は何回見てもいいものだ。

私たちも1本づつご馳走になった。 とっても甘く、しっとりした焼き上がりで、満足の行く出来栄えでした。

 

明日も デイサービス・パレットという団体の焼き芋体験依頼があり、竹澤、宮本の両名がその担当としてサポートすることになっている。

11/28、12/5,12/6,12/7、12/11 と連続で焼き芋体験が続いており、五郎助山では 落ち葉から立ち昇る煙と、焼き芋をほうばる親子の笑顔を存分に見ることが出来る。

 

 

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「ふるさとの森を守ろう」開催

2022-11-10 03:45:25 | Weblog

2023年1月28日(土)(予備日1/29日)に「ふるさとの森を守ろう」が開催される運びとなりました。

認定NPOコモンズの事務局長大野さんより、本年も古河市の(有)白石製作所さんから環境保全活動への寄付があり、開催の有無の問い合わせがありました。

昨年はコロナのため中止を余儀なくされましたが、今年度は開催予定であり、早速理事会に諮り、1/28日(土)開催という決定を致しました。

当日は行政、企業、一般の方々に呼びかけ、「落ち葉さらい」、「枯れ枝拾い」を行い、返礼として落ち葉で焼いた「焼き芋」、暖かい「トン汁」を提供する予定です。また、薪割り体験、間伐体験も予定しています。

地域に残された貴重な里山の保全を、地域住民が身をもって環境保全に取り組むことで理解を深め、緑を守ることが地球温暖化を遅らせることにも繋がることを理解し合える場にしたいと考えています。

また、こうしたイベントに参加していただき、当会の活動に賛同を頂き、新規加入を促進したいと願っています。

2020年1月開催の風景

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七五三

2022-11-04 05:10:31 | Weblog

10月24~25日 神戸在住の次女 の娘の七五三のお祝いに妻と向かった。

茨城空港から神戸空港まで1時間10分。 便利になった。

孫は3歳。とても愛くるしい。 しかし、じっとしていない。目まぐるしく動き回り、当日もせっかくの晴れ着にも無頓着で、歩きづらい「ぞおり」を脱ぎ捨て、履きなれたズックで、記念写真に納まった。

和服にズック。なんともアンバランスな写真であるが、本人はにっこりご満悦。

 

両親も想定内なのか、動揺する様子もない。天真爛漫を絵にかいたような孫である。

久しぶりにお会いした婿さんのお母さんとも話が弾み、孫を囲み、笑顔の1日だった。

翌日、婿さんが借りてくれたレンタカーで全員で淡路島に行き、展望台に登り、雄大な大阪湾と瀬戸内海を一望した。

淡路島特産の玉ねぎをベースにしたお土産を買い、空港で孫にほっぺにチューをしてもらい、帰路についた。

今度は茨城で孫に会えることを楽しみにしている。

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フェステイバルを終了して

2022-10-17 05:13:32 | Weblog

10月9日(日)フェステイバル本番。午前7時にSさんを迎えに行く。当然のように、作業服に身を包み、準備万端 私を待つSさん。

前日(8日)の最終準備が終了し、帰路に着く途中、「充実した一週間だったなー。」とSさんが独り言のようにつぶやいた。

私は黙ってハンドルを握っていたが、その言葉に様々な思いが駆け巡った。そして(無理を承知でSさんにお願いして良かった。)と思った。

当日は暑くもなく寒くもなく、絶好のフェステイバル日和となった。

4年ぶりの開催であり、コロナ禍から決別する思いもあり、何としても雨だけは降ってくれるなと、祈っていた。

初めて、自分のご先祖さんにまでお願いした。

この日、来賓者へのご挨拶、全体の進捗状況の確認、コンサート出演者との打ち合わせ、焼きそば、カレー、ピザの状況。出店頂いた関係者への挨拶など、くまなく会場を動き回っていた。

Sさんは舞台の裏側で電気関係の保守を一手に引き受けてくれていたが、労をねぎらう時間も取れなかった。

Sさんはちゃんと昼食をとってくれたのだろうか。私自身カレーを頂いたが、それが何時だったかも覚えていない。

お陰様で、過去最高の人出だったようだ。

午後4時すべての日程が終了した。

約1時間でテント、案内板、旗、テーブル、椅子、の撤収が魔法のように終了した。

いつものことながらそのスピードとチームワークのすごさに感嘆した。

明日、残りの作業(舞台解体)と、反省会(慰労会)を行うことを約し、Sさんを乗せ、一足先に帰路についた。

「明日の反省会に出てくださいね。」と言ったが、悩んでいる様だった。

「今日は仲間とゆっくり話す時間も取れなかったので是非出席してくださいよ。」とお願いしたら、「わかりました。」と答えてくれた。

この1週間 Sさんとの交流を通じ、人は必ず老い、そして体力も低下し、気力も低下するという、当たり前ではあるが、まもなく自分にも訪れるということを実感した。

一方、仕事は、年齢と体力に合わせながら続けるべきであり、人との交流を遮断してはならないと改めて思った。

当会の設立目的は、地元に残る里山の保全と、子供たちの遊びの場として整備を図り、青少年の健全育成に寄与する。と記されている。その考え方に共感した人々が会員となり、日々活動している。 長い方は20年を過ぎています。

Sさんもその一人でした。しかし、様々な理由からその交流が途絶えてしまったのです。

しかし、自分の仕事が人の役に立ち、気心知れた仲間との交流再開により、Sさんの心に何かのスイッチが入り、かつての姿を呼び起こすという現実を私は目の当たりにしました。

そして当会の活動が、子供たちの自然体験のサポート、来場する方々へのサポートにとどまらず、会員同志の交流の場であることを再認識しました。

当会に加入するまで、それぞれの人生を歩み、それぞれの友達がいましたが、当会に加入することにより、新たな生きがい、新たな友人を得る機会に繋がると確信します。

園児や小学生との交流イベント多い当会は、会員の老化防止に特に役立ちます。

設立20年余を過ぎた当会ですが退会する会員が極めて少ない原因はこの辺にあるのではないでしょうか。

今後も無理をせず、和やかな組織づくりに努め、老若男女、そして親子が集う場所として活動を継続したいと願っています。

Sさんには今回のフェステイバル参加を機会に、様々なイベントに参加していただくべく、お迎えに上がる予定です。

里山の大きなイベントが終了し、米、梨の収穫も終えて、しばし旅行に出かけたいなと思っています。

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里山フェスティバルを終えて 続き

2022-10-15 05:15:51 | Weblog

10/1(土) 今日はフェステイバルの準備の日である。自宅に預かっている舞台の電気工事一式を軽トラに載せ、待っている筈のSさんのところに向かった。1週間前、「午前7時に迎えに来ます。」と言って別れたが、一抹の不安があった。

はたして私との約束を覚えていてくれるか、という不安である。確かにあの時、「わかりました。」と自信に満ちた落ち着いた声で言ってくれたが、「どうも、このところ、物忘れがひどく、この部屋に何に来たかわからなくなり、仕方がないので元のところに戻るんですよ。」「そんなことがしょっちゅうで嫌になります。」

そんなことを話していた。「私だっておなじですよ。」と返したが、もし忘れていたらどうしようと思いながらSさん宅に急いだ。

約束の5分前に着いた。玄関は閉まっていた。呼び鈴を鳴らしたが、返答がない。「Sさん、中川です。」と大きめに叫んだ。

と、「おはようございます。」と倉庫の方から声がした。そこには作業服を着て、背筋を伸ばしたSさんが立っていた。

(ああ、よかった。)思わず、自分の顔が緩むのを感じた。

「今日の作業動道具を載せてくれますか?」指先をたどると、3段に重なった様々な作業道具が整然と並べられ、Sさんの強い決意を表していた。

我に返り、急いで軽トラに載せたが、結構な重さで、今のSさんにはちょっと大変だろうなと感じた。

助手席に乗り、きちんとシートベルトを締め、厳しい表情で、前を向いていた。 途中、いろいろな話をした。時々、後ろを振り返り、荷物の位置の確認をしているようだ。(さすが、職人だな。) すっかり、昔のSさんに戻っていた。

お互いの緊張がほぐれたころ、「いやー、実はSさんがもし、今日のことを忘れていたらどうしよう、と思っていたんですよ。でも、よかった。よかった。」と正直に話してしまった。

Sさんはしばらく無言でいたが「実は2日前、カレンダーに大きな赤い丸が付いているのを見つけて、何だろうとのぞき込んだら、里山・作業と書いてあって、「そうだ、忘れちゃまずい」と思い、印をつけたことを思い出したんです。」 と、これまた 正直に話してくれたのだ。

「そうだったんですね。」 (危なかった。)と思ったが、改めて「老いる」とはそういうものだと思った。

忘れ防止のため、カレンダーに印をした Sさんに改めて敬意を表したい。

五郎助山には7:20分に着いた。まだだれもいなかった。Sさんは3年ぶりの五郎助山をあちこち歩きまわり、のんびりする気配もなかった。

積んできた資材をコンサートの舞台周りに下ろし、一休みしましょう、との声にやっと休んでくれた。

続々と仲間が集まり、女性会員が入れてくれたお茶をすすりながら、今日の作業分担を確認した。

久しぶりに会うSさん。3年間の変貌を知らない会員は以前と変わらぬSさんの姿を見て今までと同じように接していた。

そしてSさんも体力は落ちたが、以前と変わらぬ仕事ぶりで、てきぱきと指示を出し、事前に太い配線が完了していたこともあり、午前中に、ほぼ予定の工事は完了してしまった。

昼食の時間となった。Sさんを探すと古株のNさんのそばにいた。寡黙な方であるが、やはり昔から気心が知れている方のそばが居心地がいいに決まっている。

昼食が終わり、Sさんを自宅に送るつもりで、車を回すと、舞台の飾り付けが終わっていないようだから、手伝って行くという。

久しぶりの体力仕事で、疲れている筈なのに、大丈夫か、と思ったがその真剣なまなざしに、「わかりました。終わったら声をかけてください。」と車のエンジンを切った。

82歳、しかも3年間、ほとんど外にも出なかったSさんが、突然昔のSさんに戻ったことが信じられなかった。

しかも、自分の仕事を完了し、他の班までの仕事を手伝える体力と気力はどこから来るのだろう。

仕事を終え、送る道すがら、「疲れたでしょう。今日は早く休んでください。」「次回は開催日 前日の10/8日ですが、大丈夫ですか?」

「はい大丈夫です。」とSさん。

自宅に着き、重い作業道具を下ろし、私を見送ってくれたSさん。その顔は少しの疲れも見せなかった。

続く

 

 

 

 

 

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第18回里山フェスティバルを終えて

2022-10-14 06:42:26 | Weblog

10月9日(日) 第18回里山フェスティバルが無事終了した。翌日、後片付けを行い、ささやかな慰労会を開いた。

もつ煮込みと、焼きそば、ノンアルコール。 準備から本番まで数日間というより、半年前から準備は進めていた。

当時はコロナ感染者の増加で不安の中、コンサート出演者への交渉、4年ぶりということで設備、備品の確認を早い段階から検証した。

毎回、舞台の電気設備・設置に多くの時間がかかる。その担当は第1回開催当時から会員である古河市のSさんが担ってくれている。

3年前のフェスティバルは台風で中止になってしまったが、この時もSさんが中心となって電気工事を担当してくれた。

今回もSさんにお願いしようと連絡を取ったが、自宅の電話も、携帯も呼び出しているにもかかわらず、まったく繋がらない状況が続いた。

Sさんは今年82歳になる。この3年間、里山の定例作業に一度も参加されていない。 何かあったのか? 奥様を亡くされて現在一人暮

らしと聞いていたが、不吉な思いが急に広がった。そういえば、夏に送った梨の返信もなかったことを思い出し、とりあえず、自宅に

行ってみようと、朝早く出発した。 見覚えのある「S電気店」の看板が見えた。車が2台停まっていた。おそらく息子さんの車であ

ろう。 息子さんはSさんの後を継ぎ、近くで電気工事専門店を経営されている。

玄関前で恐る恐る呼び鈴を鳴らした。しばらくして引き戸が「すー」と開いた。

そこには白い髪と白いあごひげを伸ばした小柄な老人が力なく立っていた。 「あ、Sさん。お久しぶりです。」・・・・

いぶかしく私を見上げ・・・「どなた?」   「中川です。里山の中川です。」しばらく記憶をたどるように首をかしげ、「ああ、中川さん。・・」 「はい。どうも、ご無沙汰です。」「いやー、何度も電話をかけたんですが、出られなかったので、来てみました。」

「ああ、耳がどうも聞き取れなくて、出ないんです。」 「でも、中川さんの声は、よく聞こえます。」

地声が大きい私の声はいまのSさんには効果的だった。 今年、4年ぶりに「里山フェスティバル」を開催することになったこと。S さんに、また工事を担当してもらいたいこと。を ゆっくり、いくぶん大きな声で話した。

里山での過去の思い出話をして行くうち、どんよりとした目に、眼光がはっきり表れた。 

運転免許証を返上したこと。週1病院に行くこと以外、家にいること。体力が衰え、自転車も押して歩いていること。などをぽつり、ぽつり話し始めた。私もSさんが参加した昔話を探し、話題を振った。次第に笑みもこぼれ、ひところのSさんに近づいてきた。

会員には電気工事に携わった会員がSさん以外3名がいるので、指示監督するだけで良いので、何とか出ていただけないかお話しした。

「当然、送り迎えは私がするのでどうでしょうか?」 しばし、沈黙の後、はっきりと「わかりました。」と答えてくれた。

「あ、そうだ里山の材料が、倉庫にあるんだ。持って行ってくれる?」 電気工事に使う資材を保管しているという。

数十分の間に、見違えるように精気を取り戻したS さんがそこにいた。

怖いほどの変貌である。 1週間後、午前7時に迎えに来ることを約し、フェステイバルのチラシを玄関において、ほっとした思いで家に着いた。

それにしても、久しぶりに玄関で出会ったSさんを見た瞬間「これは無理だな。」と正直感じた。それが里山のことを話し始めて数十分経過すると元気なころのSさんの顔に戻り、過去の記憶がまざまざとSさんの脳裏に蘇ってきたことを実感した。

Sさんは当会が設立してまもなく入会していただき、20年余の歴史がある。

また、フェステイバルの電気工事はSさん一人で担って来た。Sさんがいないとフェステイバルの開催はあり得なかったことも事実であった。

その自信と自負はSさんの心に深く刻まれていたに違いない。

人間の 生きる! 生き甲斐、生命力、について深く考えさせられたひと時であった。

つづく。

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