里山日記

NPO法人「里山を守る会」における活動の内容。
その日にあった様々な出会いと、感じたことをつづりたい。

第18回里山フェスティバルを終えて

2022-10-14 06:42:26 | Weblog

10月9日(日) 第18回里山フェスティバルが無事終了した。翌日、後片付けを行い、ささやかな慰労会を開いた。

もつ煮込みと、焼きそば、ノンアルコール。 準備から本番まで数日間というより、半年前から準備は進めていた。

当時はコロナ感染者の増加で不安の中、コンサート出演者への交渉、4年ぶりということで設備、備品の確認を早い段階から検証した。

毎回、舞台の電気設備・設置に多くの時間がかかる。その担当は第1回開催当時から会員である古河市のSさんが担ってくれている。

3年前のフェスティバルは台風で中止になってしまったが、この時もSさんが中心となって電気工事を担当してくれた。

今回もSさんにお願いしようと連絡を取ったが、自宅の電話も、携帯も呼び出しているにもかかわらず、まったく繋がらない状況が続いた。

Sさんは今年82歳になる。この3年間、里山の定例作業に一度も参加されていない。 何かあったのか? 奥様を亡くされて現在一人暮

らしと聞いていたが、不吉な思いが急に広がった。そういえば、夏に送った梨の返信もなかったことを思い出し、とりあえず、自宅に

行ってみようと、朝早く出発した。 見覚えのある「S電気店」の看板が見えた。車が2台停まっていた。おそらく息子さんの車であ

ろう。 息子さんはSさんの後を継ぎ、近くで電気工事専門店を経営されている。

玄関前で恐る恐る呼び鈴を鳴らした。しばらくして引き戸が「すー」と開いた。

そこには白い髪と白いあごひげを伸ばした小柄な老人が力なく立っていた。 「あ、Sさん。お久しぶりです。」・・・・

いぶかしく私を見上げ・・・「どなた?」   「中川です。里山の中川です。」しばらく記憶をたどるように首をかしげ、「ああ、中川さん。・・」 「はい。どうも、ご無沙汰です。」「いやー、何度も電話をかけたんですが、出られなかったので、来てみました。」

「ああ、耳がどうも聞き取れなくて、出ないんです。」 「でも、中川さんの声は、よく聞こえます。」

地声が大きい私の声はいまのSさんには効果的だった。 今年、4年ぶりに「里山フェスティバル」を開催することになったこと。S さんに、また工事を担当してもらいたいこと。を ゆっくり、いくぶん大きな声で話した。

里山での過去の思い出話をして行くうち、どんよりとした目に、眼光がはっきり表れた。 

運転免許証を返上したこと。週1病院に行くこと以外、家にいること。体力が衰え、自転車も押して歩いていること。などをぽつり、ぽつり話し始めた。私もSさんが参加した昔話を探し、話題を振った。次第に笑みもこぼれ、ひところのSさんに近づいてきた。

会員には電気工事に携わった会員がSさん以外3名がいるので、指示監督するだけで良いので、何とか出ていただけないかお話しした。

「当然、送り迎えは私がするのでどうでしょうか?」 しばし、沈黙の後、はっきりと「わかりました。」と答えてくれた。

「あ、そうだ里山の材料が、倉庫にあるんだ。持って行ってくれる?」 電気工事に使う資材を保管しているという。

数十分の間に、見違えるように精気を取り戻したS さんがそこにいた。

怖いほどの変貌である。 1週間後、午前7時に迎えに来ることを約し、フェステイバルのチラシを玄関において、ほっとした思いで家に着いた。

それにしても、久しぶりに玄関で出会ったSさんを見た瞬間「これは無理だな。」と正直感じた。それが里山のことを話し始めて数十分経過すると元気なころのSさんの顔に戻り、過去の記憶がまざまざとSさんの脳裏に蘇ってきたことを実感した。

Sさんは当会が設立してまもなく入会していただき、20年余の歴史がある。

また、フェステイバルの電気工事はSさん一人で担って来た。Sさんがいないとフェステイバルの開催はあり得なかったことも事実であった。

その自信と自負はSさんの心に深く刻まれていたに違いない。

人間の 生きる! 生き甲斐、生命力、について深く考えさせられたひと時であった。

つづく。

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