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リタイアーのよもやま話

二輪よもやま話ー35

2012-05-31 06:44:41 | 日記


二輪よもやま話ー35


去った5月28日(月)、AT限定解除で、教習所に通って
いたが、やっと、卒業検定に合格した。

はっきりと、メモをしていないが、3月の下旬に
申し込みをしているので、やがて、2月かかった
ことになる。

基本的に要する時間は、5時間だったので、大幅に
時間を超過してしまった。

見極めが、なかなかOKが出ない。10時間までは越して
はないと思うが、記録をとらなかったのは、残念だ。

もっとも、早くとりたいが、乗り足りないことは、
自分でも感じているので、ジレンマがあった。

乗っていることじたいに、どこかで、不安がある
のだ。

これでは、免許をとっても、路上に出て事故への
不安がある。実際に、不測の事態が起こって、事故
ったりすると、リードよりずっと重量がある分、
コントロールする自信がない。

最初、教習の様子をブログに書いていたが、途中で
やめたのは、わたしの教習の状態が、あまりにも
ひどすぎて、書く気も失せてしまったからだ。

若いころ、一度は、バイクに興味は持ったものの
その圧倒的な存在感、重量感に恐怖感も感じたくら
いなので、だいたい乗っている自体で精一杯なので
ある。

何かを、習得しようなんてゆとりは、どこにもない。

ましてや、歳もとり、身体機能は衰えて行くばかりだ。
直感的に乗れるほどの反射神経も失せている。

とにりかく、飲み込みが悪いのである。

乗っているだけで、精一杯なのに、教習の課程は、進行
していく。

許容量オーパーの情報に、溺れそうになっている。
消化不良のままに、教習が進行していく。

パソコン的に言えば、CPUが劣化し情報の処理スピード
が遅くなり、それに加えて、メモリーも少なくなって
一度に処理できる情報量が少なくなっている。

もっとも、機械であるパソコンの場合は、そういう
ことは、起こらないはずだが、たとえ話である。

若者に比べて、どうしても、そのような状況なので
ある。

飲み込みの悪いことに、指導教官に対しては、気が
引けるのだが、そこは、年を食った者の、ずうずう
しさというものが、我が身を救っている。

飲み込みが悪くて、ジタバタするのは、「折り込み済み」
とにかく、耐えるしかないと。先は、見えないけど、そう
思えるのは、老いた者の、力だろう。

やはり、続けていると、知らず知らずのうちに、五里霧中
でも、身についてくるものはあるようだ。

先ず、最初に気づいたのは、あんなに、コントロール
に苦労した。スタート時のアクセルに手こずらなくな
った。

なにしろ、スクーターのアクセルとの違いが、使い分け
られなかった。

静かで、スームズなスタートのコツが身につきつつ
ある。

クランクは1で、八の字は2、スラロームは2で、
アクセルを絞ることなく、エンジンだけのトルクに
まかせて、走ることができるようになった。

これは、ATの免許をとるときとは、違って、バイク
が自分で走っていく、という意味が分かった。

ATの場合は、これができないから、アクセルと後輪
ブレーキを併用して、似たような状況にしている。

しかし、これが当時、納得いかなかった。違和感が
生じて、生理的に受け付けないのである。

クラッチ盤が傷むようなことが、なぜ行わねば
ならないである。

昔、四輪のマニュアル車でもAT車でも、そのような
操作方法を指導された記憶がない。


教習の後半は、バイクに乗るのに、ゆとりが出て、
楽しいという気分がわくようになってきた。
それと同時に、車庫から、コースまでのバイクの
押しての移動の際、バイクが軽く感じられてきた
のには、不思議な気分がした。

「四輪マニュアル車、AT車」、「二輪のAT車、マニュ
アル車」の経験がごちゃまぜになって、収拾がついて
ないのである。それに加えて、わが「CPUとメモリーの
劣化」が、教習の困難に拍車をかけている。

教習を開始してから、「一歩前進、二歩後退」「二歩
前進、一歩後退」か、わけのわからない状況の教習
であったが、少しずつ習得していったようで、教習
後半に、あまりにも単純な原理に、ようやく気がつく
ことになった。

なんとも、恥ずかしい話だが、とにかく二輪に乗って
いることに精一杯では、気づきようもない。

その肝心な点というのは、

マニュアル車は、ギア1と2はアクセル操作はせずとも
エンジンのトルクだけで、バイクは走っているという
ただこの一点を、活用してコースを走るという、あまり
にも初歩的なことに、気づくまでに、時間がかかりす
たのだ。

マニュアル車の操作は、結局この特性をいかに、いかして
操作するかなのだったのだ。

このことについては、指導教官にとっては、当たり前
すぎて、気づかないようだ。

でも、わたしのような、歳を食った人間には、一番
最初に身につけるべきポイントだったようだ。

この一点に気づいたことで、全ては、見えてきた。


二輪よもやま話ー34

2012-05-29 06:11:12 | 日記

二輪よもやま話ー34

最近、本屋にいくと、バイク・スクーター関連の
出版物が賑やかだ。

女性関連の特集も多くて、身長の低いわたしには、
多いに参考になる。

それは、ブームなのか、はたまた業界が煽っている
のか、定かでないが、情報が増えるのは、年老いて
二輪にのめり込んだ者としては、嬉しいことだ。

そういう意味では、幸運だ。

しかし、どういうわけか、バイクの本が賑やかな
わりには、病院を行き来して、圧倒的にスクーター
出会うことが多い。不思議だ。

それはそうと、最近、真夜中に、このバイクの騒音が
激しいことに気づいた。

ビッグスクーターではない。400以上のバイクの
排気音である。

暖かくなったせいもあるはずだが。

どうして、昼間走らず、真夜中に暴走している
のだろう。

不思議でならない。

体力が無くなったのだろう。わたしは、一端帰宅
してから、スクーターに乗ると「ムカツイテ」気分
が悪くなる。

命が縮まりそうな、いや~な気分だ。

学生時代、飛び込みのバイトで、夜中のバイトを
したが、あの疲れを思い切り濃縮したようなアク
のある不快感である。

かなり、やり手の人が、短命なのは、このような
疲労が重なって、死に至るのかもしれない。

しかし、若者は元気だ。夜中にバイクで遊んで
もしかして、昼間は仕事にいくのだろう。

昼間、走る時間がないのか、それとも、夜中だと、
車が少ないので、スピードをだし易いのか。

それとも、夜中にしか仲間が揃わないのか。

もしかして、信号も無視して。

我が県では、暴走族対応の専属白バイ隊が、できた
という記事が新聞にあったが。

どういうわけか、我が家の近辺では、夜中に騒々しい。

わたしは、できるだけ、清々しく涼しげな音で、
乗りたいのだが。

ただ、電動車の静けさは、うま味を感じないのだが。


「人脈づくり」はたぶん無意味です

2012-05-26 06:20:14 | 社会

ゆるく考えよう

人生を100倍ラクにする思考法

ちきりん
〝おちゃらけ社会派〟ブロガー

イースト・プレス


にあった話である。

ちょっと、皮肉というかパラドックスである。

以下、その内容、抜粋である。

〇「人脈づくり」はたぶん無意味です


 一時期ビジネス雑誌でよく特集されていた「人脈や
ネットワークの重要性」が、ツイッターやSNSの
普及もあって再び注目されています。

リアル社会でもネットコミユニティでも「いかに仲間を
増やすか」が重要視されているようです。

 いまだに「異業種交流会に参加しよう!」といった
古典的なアドバイスも健在ですし、ツイッターのフォ
ロアー数を増やす方法や、SNSをビジネスに活用
する方法など、雑誌でもあれこれ特集され、マニュ
アル的なノウハウ集まででています。


  けれどちきりんは、この「人脈だ、コミュニティだ、
ネットワークだ」という話にかなり懐疑的です。

 講演会でも質疑応答のときは何も聞かないのに、
講師が壇上から降りて退場しようとすると名刺交換
のために列をなす人をよく見ます。

  懇親会でも会場を駆け回り名刺を集める人がいます。
人脈づくりとは名刺集めのことかと思えるような風景
です。

 そもそもみんな、仕事や自己実現にそんなに人脈や
ネットワークを使っているのでしょうか? 

ちきりんが思いつく「人脈が重要な仕事」は、保険
販売の営業員くらいです。

 本当は人脈が多いことより、本人が魅力的である
ほうがよほど意味があるはずです。

  魅力的な人の周りには自然に人が集まるので、人脈
なんて簡単につくれるからです。

「自分が知っている人が多い」状態ではなく、「自分
を知っている人が多い」状態のほうが効率がよいです
よね。


 人脈やネットワークとは「結果としてついてくるもの」
であって、それをつくるためにわざわざ努力するような
ものではありません。

  そんな時間があったら自分が好きなことに集中し、その
分野で「すごく魅力的」といわれる人を目指したほうが、
将来きっと役に立つでしょう。

以上。


テレビで放映された内容で、新入社員を採用する場合、
その人のSNSの情報で、その人柄を調べて、採用の
資料にしたいというのがあった。

今度は、そういうことがあるので、就職指導をする専門家
は、SNSで友人を一杯作りなさいと指導しているようで
就職のための方策として、友人を作ることを「ノルマ」
としているようである。

それを、嬉々として、学生がやっていたのだが。

このテレビの放映を見て、笑ってしまった。

若者が、示し合わせて、就活として、「友達ごっこ」を
演じて、企業の就職担当者を待ち伏せている。

問題は、その中身も示し合わせて、方便だったり、上げ底
であったり、あることない事、もっともらしく、装ったら
これは、喜劇の世界だ。

なんにも、力のない学生が、メッキを施して、後で、
ばれたら、どうするのだろう。


ところで、千田琢哉氏は、こう言っていた。
それを読んで、ギョッとしたが、真実でもある。
しかし、力のない人には、できない話だ。


〇友達
友達を増やすのをやめる。

友達はがんばって作るものではなく、一人で
がんばっていたら勝手にできてしまっている
ものだ。

物心ついた頃から私たちは「友達をたくさん作りなさい」
と洗脳されて育てられてきた。

 学生時代には「友だちだけは大切にしなさい」と言われ、
社会人になったら「同期だけは大切にしろ」と言われ続けて
きた。

 現代人に精神的に参ってしまう人が多いのは、こうした
間違った価値観を強要する社会に原因があるのではないか。

 最初に就職した損害保険会社の新入社員研修でこんなこと
があった。

 会社史上最短出世コースを歩んでいるスーパーエリート
課長が心構えを話してくれた。

 「同期は大切にしろというのは嘘だ。まず自分を大切に
しろ。

自分を大切にできないヤツに他人を大切にすることなどでき
ない。
自分が強くならなければ、弱いヤツに手を差し伸べることは
できない。まずは自分が強くなれ」

 私が2週間の研修で今でも記億に留めているのはこれだけ
なのだ。

 その後この言葉の意味を確かめるために、自分でも実際に
試してみたが一点の曇りもなく真実だった。

 現在の拡は当時の課長の年齢を大幅に超えてしまったが、
今でも私にとって彼は師匠だ。

 社会人の最初にこんな大切なことを教えてもらって本当に
ラッキーだった。

 友達を増やす努力は無意味だ。

 友達はがんばって作るものではなく、一人でがんばっていた
ら勝手にできてしまっているものなのだ。

 親友がいない寂しい人間ほど数でごまかそうとするが、数を
増やせば増やすほどに寂しくなっていく。

 友達を増やすのをやめると一気に自由時間が増えて、本当に
大切な人にだけ時間を費やすことができる。

 これ以上に有効な命の時間の使い方が他にあるだろうか。

以上。


ちきんは、こう言った。

「自分が知っている人が多い」状態ではなく、「自分
を知っている人が多い」状態のほうが効率がよいです
よね。

眼から鱗が落ちる話だ。しかし、人は、なかなかそうは
考えない。

これがね。難しい。

変化する社会に、主体的に判断し行動できるような人間
には、誰もがなれない。

幕末の坂本龍馬のような人材には、誰もがはなり得ない。

 

孔子は、言った。

四十五十にして聞こゆること無くんば、斯れ亦た畏るるに
足らざるのみ。(論語)

孔子は、40歳50歳に至るまで世の中に認められない人は、
結局あまり大きな仕事は生涯できないと言っている。

つまり、世間の人に見えるよい仕事を、40くらいまでに
成し遂げなければだめだと説くのである。

これは、30代の仕事が非常にキーになることを意味して
いる。

であるが、

これが、なかなか厳しい。

自分の職場で、何かの事で、このようなボジションを獲得
するのも、何十年がかりの話だ。

ところで、現代型うつ病の若者、どういう人生が待っている
のだろう?

職場や社会の重荷になっていることを理解しているのだ
ろうか。

人脈にされるような人間どころではなく、人脈から
外される人間となっていくのだが。

わたしの自治会では、自治会活動を運営するために、
各班で、輪番制で役割分担をしている。

なかなかなり手のないその仕事で、係の選出では
苦労するのだが、その選出において、全く相手に
されない家庭がある。

話によると、教員の家庭だが、子どもの頃、家庭内
暴力で、地域の噂になっていたようで、そのような
ことから、何十年たった現在になってもその評価が
ついてまわっているようだ。

地域に全く相手にされない家庭というのもある
ようで考えさせられる。

人脈の該当者から外される人間もいるいうこと
だ。

人生は、難しい。

 

 

 


地震による深層崩壊、空から電磁波で探る新手法

2012-05-26 06:09:03 | 技術

ヤフーのニュースである。


地震による深層崩壊、空から電磁波で探る新手法

 

地震で深層崩壊が起きる危険性の高い地点を、上空から
電磁波を当てて発見する手法を、香川大の研究チームが
開発した。

 従来は地盤を深くまで掘削しないとわからなかったが、
新手法は広い範囲を高い精度で効率よく探査できる。

自治体による対策の強化が期待される。

 深層崩壊の現場は、斜面の岩盤が多数の深い割れ目で
細い板状に破砕されており、もろい岩盤が地震でドミノ
倒しのように崩れたことがわかっている。

 香川大の長谷川修一教授(地質工学)らは、こうした
場所は割れ目が空気を多く含むので電気を通しにくいこと
に着目。

深部まで届く電磁波を上空から放射して探査し、電気の
通し方から崩壊の危険度を割り出す技術を開発した。

高知県室戸市の山地で実際に探査し、危険地域を抽出。

その場所を現地調査すると、もろい岩盤が確認できた。


以上。


とんでもないことを考えつくものだ。

もし、人工衛星から、探査すれば、日本全国の危険個所
が分かるということかも知れない。

が、「知らぬが仏」ということもある。

身近に、そのような危険場所があることを知った住民、
これはこれで、大変だ。

「余命いくら?」なんて、言われるようなものだ。

引っ越ししようか、い続けようか。それが、問題だ。

昔、未来学という言葉があって、大変魅力的な響きを
持っていたが、いつの間にか、聞かなくなった。

が、昨今の地震の話題のように、関東直下型地震や東南海
地震等、確実に来ると言われるが、これはこれで、ある
意味で、未来を知りうるということで、未来学と同じだ。

かつて、「世紀末騒ぎ」が幾度もあったのだが、この
地震のように、逃げようもない災害が、未来に待ち構え
ているとなれば、われわれの生き方、考え方そのものが
根底から、ひっくり返ろうというものだ。

なんか、昔の未来学の方が、人間に都合のいいことばっ
かり考えていたようで、幸せだったのかも知れない。


<管理職>短命?…00年ごろ境に死亡率急上昇

2012-05-25 22:30:59 | 社会

ヤフーのニュースである。

【ニュース1】
<管理職>短命?…00年ごろ境に死亡率急上昇
 30~50代の男性のうち、会社役員や部課長ら
「管理職」と医師や教員ら「専門・技術職」の死亡
率が2000年ごろを境に急激に高まり、事務職など
「その他の職種」の平均を上回っていることが分かっ
た。働き盛り世代の身辺にどんな危機が迫っている
のか。【大槻英二】(毎日新聞)

 


【ニュース2】
出世街道を下りる独身者たち ワーク・ライフ・バランス
は既婚者だけの問題ではない

 アン・マリー・ボウラーさんは先週、仕事を終えて、
友人とオープンカフェでの食事を「陽が沈む前に」楽し
んだ。

最近、ボウラーさんはチャリテーゴルフの集まりに参加
するため、会社を抜け出した。また夕暮れ時に、時間を
かけてセントラルパーク内を自転車で走るのが好きだ。
(ウォール・ストリート・ジャーナル)
[記事全文]


以上。

これらのニュースや、今までにもニュースになった「自殺者
4年間で2.5倍」、「新型うつ病の増加」「ニートの増大」
「契約社員の増大」「パラサイトの増大」「生活保護の増大」
等が意味することは、今日の資本主義国としての日本に
「のびしろ」が無くなり、行き詰まりを示すものではなかろ
うか。


前回、ブログで紹介した記事があった。

ニューズウィーク日本版  2010.5.16号にあった
記事である。大変、興味深いものがあった。


以下、その記事。


雇用統計という「まぼろし」に一喜一憂する
愚かさ

実体経済の一部しか反映しない統計データよりも
 アメリカの雇用の構造的な問題を考えるべきだ

     ザカリー・カラベル(政治経済アナリスト)

これである。

 

この記事で、次の箇所があった。


 雇用の製造業離れはもう数十年も続いており、今世紀に
入ってますます勢いを増している。

もし製造業が復活したとしても、雇用はさほど増えない
だろう。

 ロボットやジャスト・イン・タイムのような生産システム
を駆使した最新の生産現場では、高度な技術を持つ労働者が
少数いれば足りるからだ。

 つまり、雇用創出の大半は依然として家政婦やウェート
レスなどの低賃金労働ばかりということになる。

 手短に言おう。アメリカの労働力の多く(おそらく4分の
1程度)は今、まったく働いていないか、食べていくのに
ぎりぎりの稼ぎしかない人で占められている。年率2・5~
3・5%強程度の成長では、この現実を魔法のように消し去る
ことはできない。

 今はかなりの数の企業がひと握りの労働力で数十億㌦もの
利益を上げる時代。

だがそれは、もはや彼らが提供する製品を作るのに人間が
必要でなくなったからだ。

 それでも多くの企業は、自社が必要とする技能を待った
労働者を見つけられずに苦労している。

一方では数千万人の労働者が標準以下の仕事をし、より良
い仕事を求めているというのに。

この文章である。

このアメリカで先行する社会現象こそ、日本にも起こって
いることであり、本質的な病根ではなかろうか。

わたしたち日本の中流階級が崩壊する真っ只中に起こって
いることの現象として、いろいろなニュースとして、知ら
されるているということではなかろうか。

とある本に「70億人のサバイバル時代」とタイトルが
躍った。

 誰もが、「生き馬の目を抜く」猛スピードの毎日に
振るい落とされないように、生きている。

契約社員だけが、ボーダーレスのラインにいるわけ
じゃない。

正社員も、誰もが、背伸びをして、青息吐息で生きて
いる。

誰もが、悲鳴をあげながら、生きている。