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リタイアーのよもやま話

Best of Bei Xu "So far Away"

2014-01-30 20:33:14 | 音楽

Caféを紹介する本があるのだが、海辺の
古い住宅で、Caféをやっているということ
で、病院帰りに寄ってみた。

実は、前に一度行ったのだが、駐車場が
一杯で、その時は、諦めて引き上げた。

今回は、二度目である。駐車場ががら空き
で、ほっとした。

そこで、流れていたBGMが、気に入った
ので、曲名を教えてもらった。

so far away
bei  xu

である。

実は、最初教えたもらった時、表記が
まずくて、/ bei/  xvに見えた。
You Tubeで調べても、Googleで調べても
ヒットしない。

それで、再度、出かけて行って、確かめ
たら、表記がまずかったということがわか
った。

家に帰って、You Tubeで検索したら、やっと
出てきした。

ただ、You Tubeの演奏とCaféで聴いた演奏は、
伴奏者が違っていた。

Caféで聴いた演奏は、ピアノとベースで伴奏
をしていたが、その伴奏がものすごく、ソリ
ストが完全に音楽的に圧倒されていた。

英語の発音で、気になったので、オーナーに
聞いたら、なんと中国人だと言うことだった。

You Tubeで彼女の顔を見たら、なんと、美人
である。それも、日本人にしか見えない。

so far awayは、ブルースかと思っていたら、
キャロルキングの曲だということで、彼女は、
カバーしているということだ。

そこで、You Tubeで、彼女の演奏を確認して
みることにした。

キャロルキングの演奏である。年齢を重ねると共に、ゆったりと
情感がこもってきている。基本は、ロックではなかろうか。

bei  xuの歌を聴いていると、わたし個人的には、キャロルキング
の歌より、bei  xuの歌にほれぼれしてしまう。

ユーミンの「卒業写真」と「海を見ていた午後」が、大好きだが、
わたしは、この曲は、HI-FI SET の演奏が名演だと、勝手に
評価している。

今回のso far awayも、キャロルキングより、bei  xuの
演奏の方が名演ではないかと、勝手に思っている。

ネットに訳詞があった。

So far away.
Doesn't anybody stay in one place anymore?
It would be so fine to see your face at my door
Doesn't help to know you're just time away

遠く離れて。
人は一つの場所に じっとしていられないものなのかしら。
ドアを開けたらあなたの顔― なんてことにならないかしら。
今さらわかったところでしかたない。 あなたは 遠くにいるのね。


Long ago I reached for you and there you stood
Holding you again could only do me good
How I wish I could, but you're so far away

以前は 手を伸ばせば あなたはそこに立っていた。
もう一度 あなたに抱きつくことができたら それだけでいい。
そうなれたらいいのに。 でもあなたと遠く離れてる。


One more song about movin' along the highway
Can't say much of anything that's new
If I could only work this life out my way
I'd rather spend it bein' close to you.

また1曲 旅回りの歌。
何一つ 新しいことなんて歌っていやしない。
こんな生活から 抜け出れたらいいのに。
あなたのそばで生きて行きたい。

but you're so far away
Doesn't anybody stay in one place anymore?
It would be so fine to see your face at my door
Doesn't help to know you're so far away

でも遠く離れて。
人は一つの場所に じっとしていられないものなのかしら。
ドアを開けたらあなたの顔― なんてことにならないかしら。
今さらわかったところでしかたない。 あなたは 遠くにいるのね。


Oh, so far away..
ああ 遠くはなれて


Traveling around sure gets me down and lonely
Nothing else to do but close my mind
I sure hope the road don't come to own me
There's so many dreams I've yet to find


旅回りって本当に 気が滅入って寂しいもの。
ただ 心を閉じるしかない。
旅に振り回されなければいいけれど。
私にはまだ夢がたくさんあるから。


But you're so far away
Doesn't anybody stay in one place anymore?
It would be so fine to see your face at my door
Doesn't help to know you're so far away

でも遠く離れて。
人は一つの場所に じっとしていられないものなのかしら。
ドアを開けたらあなたの顔― なんてことにならないかしら。
今さらわかったところでしかたない。 あなたは 遠くにいるのね。


Oh, so far away.
You're so far away

ああ 遠く離れて
あなたと 遠く離れてる

訳: HideS

訳は、ネットからの流用である。HideSさん、失礼。

キャロルキングの歌い方で、どこか音楽的単調さを
感ずるのだが、bei  xuの歌い方は、そのような
意味で、つけいる隙がないほど、大味になる部分
がなく、全てのフレーズの味わい深く歌い込まれて
いる。

もしかすると、キャロルキキングとbei  xuでは、
コードが違うかもと思ったりするが、そこまでは、
わたしの耳では聞き分けられない。

歌詞は、片思いの内容ではと思っている。

ドアを開けたらあなたの顔― なんてことにならないかしら。
今さらわかったところでしかたない。 あなたは 遠くにいるのね。

いい歌詞ではないか。

わたしは、空耳だが、昔、夕闇に彼女のハイヒールの音が
聞こえてきた。

今でも、時折、ブティックの前で、彼女に似合うドレスや
バッグを探したり、お似合いの時計を探したりすることが
ある。


この心情を表現するのに、わたは、やはり、bei  xuのブルース風
の歌い方の方が似つかわしいと思うのだが。どうだろう。

片思いの「引きずった感情」を表現するのに。

諦めるしかないのに、諦められない。

今どきのストーカーには、きっと理解できない心情かとも
思ったりするのだが。 

生まれ変わるということがあるなら、わたしは、20代に
彼女と出会うことができたらと思っている。 

 bei  xu、よくぞブルースで歌ってくれた。

 である。


「大人の流儀」

2014-01-27 22:25:26 | 読書

30代から輝きたい人が、
20代で身につけておきたい

「大人の流儀」

千田琢哉

ぱる出版

を読み終えた。

 

本の帯の表には、
タブーから逃げるな。

タブーこそ幸せの種。

30代から輝きだす人
20代で終わる人
その差はわずか1%。

1%の差は天文学的な

違いを生む。

 

そして、裏には、次のようにある。

〝一流〟と呼ばれる大人になるため
の「80の作法」

第一章 仕事の流儀
「20代は仕事がすべてである」と割り
切ってみると、見えないものが見えて
くる。

第二章 組織の流儀
これほど人間観察眼を磨くのに、最適な
環境は存在しない。とことんしゃぶり尽
くせ!

第三章 上司への流儀
圧倒的な能力で上司を超えると、いちいち
上司にムカつかなくなる。

第四章 後輩への流儀
自分が先輩にやってきたことが、そっくり
そのまま後輩から返ってくる。

第五章 趣味の流儀

趣味と仕事を分けない生き方もあることを
知っておくと、人生観が一変する。

第六章 お金の流儀
「お金持ちになって人生を謳歌したい!」
って、堂々と言えないから苦労するんだ。

第七章 友情の流儀
まず自分が自分と親友にならなければ、他人
と親友になんてなれない。

第八章 この世で一番勇気のいるのは、世界
で一番好きな人に「好き」だと伝えること。

以上である。

 

この中で、「1%」「一流」という言葉が出て
くるのだが、わたしは一種の「帝王学」だと
思う。

昔、30代始め、人生に行き詰まって、中国
ものを読み始めた。その時、伊藤肇という人
を知り、彼の本でこの「帝王学」という言葉
を知った。

帝王学そのものは皇帝が学ぶであるもののは
ずだが、当時の使われ方は、リーダー学であ
ったように思っている。

大きな組織、会社や国のリーダーたるものと
は、という意味で書かれていたように覚えて
いる。

その流れの中で

あなたの「死にがい」は何ですか?
草柳大蔵
福武書店

という本に出会い、今でもずっと手元にある。
今回の「大人の流儀」がこの本とダブって思い
だされてきて、本棚から探してみたら、その
片隅に立てかけてあった。

わたしは、この本を二度購入した。

最初に購入した本が、行方不明になり、再度
県都の今では、無くなった5階建ての本屋の
文庫コーナーで、やっと見つけた。

1985年の11月の出版である。et cetera。

今回の千田氏の本を読んで、昔読んだことのあ
る本を思いだしてしまった。懐かしい話である。

わたしは、帝王学という言葉出た当時、パラド
ックスを感じてしまった。

それは、帝王学という限られた人が知るべき情
報が、出版を通して遍く世に広まるという矛盾
である。

それから、草柳氏の本は

人生を朱新仲の「五計説」で考えてみる
ということになっており、


こちらだって、どちらかというとわたしは、リ
ーダー論に思えてならない。その当時としては。

この本もやはり、パラドックスを感じぜざるを
得ないものがあった。

今回の千田氏の本も、とまどいを感じてしまう。

一流の者同士で、語り継がれるべき内容が、出
版ということで、遍く知れ渡るというパラドッ
クスである。

今日、このようなパラドックスが甚だしくなっ

てきているように思われてならない。情報化社
会なるがゆえの。

特に、インターネット社会になって、この傾向
は、助長され、この広い世界が、かつての小さ
な村社会のように、それぞれの胸の内が、さら
けだされてしまう社会になってしまった。

知的節操が無くなったということなのか。

およそ、千田氏の本は、一人こっそりと読まれ
るものだと思う。

「人の心を読む」なんて、本を人前で読めない
のと、同じである。


それにしても、わたしのような凡愚の者には、
いい時代かも知れぬ。

「大人の流儀」で、語られる一流の人たちの世
界という雲の上の話が、本さえ買えば知り得る
のだから。

本としては、良い本であると思う。説得力のあ
る文章が続く。

著者が言うように、20代で読みたかった本であ
る。

わたしは、この本「大人の流儀」を読むよう人
であれば、伊藤肇の「現代の帝王学」「左遷の
哲学」等

そして、草柳大蔵の
あなたの「死にがい」は何ですか?

をセットで読んだ方が、より生きてくると、
かってに思っている。

 

千田氏のパラドックス

彼の本の一部に、こういうのがある。

組織の流儀
サラリーマンの延長戦上に社長はない。
社長は新入社員の頃から社長。

意外なことに目の前の仕事をひたすら

がんばり続ければ、ひょっとしたら自分
は社長になれるのではないかと密かに思
っている人がいる。

断言しよう。

今の仕事の延長上に社長はいない。
社長になる人間は、新入社員の頃から
社長の考え方を持っている。

たまたま組織に残ったらその会社の社長
になり、
人生の時間の無駄だと判断したら途中で
ぬるま湯から飛び出して自分で会社を創
って社長になるだけの話だ。

どちらが上かという問題ではなく、
そもそも考えているステージが違うのだ。

本人が意識しているか否かは別として、
社長になれる人は最初から決まっている。

王様の奴隷の延長線上にあるわけではない。
奴隷の延長線上にあるのは奴隷のリーダー
だけなのだ。

以上。

千田氏は、語った。

彼は、

30代から輝きたい人が、
20代で身につけておきたい

「大人の流儀」

と語ったが、

30代から輝く人は、10代の頃から
周りの10代とは、すでに違うと
思うのだ。

世界的なアスリートのほとんどが、
小学校の頃から、オリンピックで
金を取ることを夢みている。

わたしの後輩で、一目をおかざるを
得ないような後輩は、皆わたしを
追い越して、出世していった。

それにしても、である。

凡愚のものは、しっかりした二流、三流
になるために、そして、身の程にあった
より良い人生を展開するために、この本
は、読まれるのもありではと、つくづく思
いながら、読み返している。

できれば、高校生の時に、加藤諦三の
「俺には俺の生き方がある」ではなく、
この本が読めていたら、違う人生が展開
できたかもなんて、思わんこともない。

良い本である。高校生にお薦めしたい。

いや、わたしたちでも、時代が、どのよう
に流れていくのか、知るために、読まれ
ても、良いのでは感じている。

時代の足手まといにならんためにも。

┄┄である。





 


愛燦燦 岩崎宏美

2014-01-26 22:08:28 | 音楽




振り返れば、激変する時代に振り回され、多くの人々が
不条理で不本意な人生の結末を強いられたやに思われ
る。

森村誠一氏は、

老後が存在し、余生を過ごすためには条件がある。

それは、社会構造の中に組み込まれて人生をおくって
きたか、そうでないかだろう。

自分からその日暮らしの職業を選んだ人や、あるいは
自分の意志で定職につかなかった人、自由と引き換えに
社会構造の中に組み込まれることを拒んだ人などの場合は、
余生はない。

と言ったのだが。

どんなに誠心誠意、一生懸命で、生きても報われない人々が
多くいたことも事実だ。

どれだけ、多くの個人経営の店舗がつぶれたのだろう。

生涯積み上げてきたものの、自分の老いと共に、朽ちて
いく様を、目の当たりにして、悲しみで、胸も張り裂けん
ばかりだったのではなかろうか。

どれだけの会社が倒産したのだろう。
どれだけ多くの家庭が、想定もしない不条理な人生を
強いられたのだろう。

ビートたけしは、著書で、自分の人生の幸運に驚いた。

わたしも、退職までたどり着いたのを振り返れば、時代が
凡愚な己に味方してくれたことが、多かったとつくづく、
思うばかりである。


「何をしてもいい自由」に、戸惑う毎日も、実は、時代が
味方してくれた幸運の結果であり、自分の幸運に感謝
しなければならないことだろう。

その幸運に、報いるために、惜福の工夫をもって、運を
浪費しないように、愛おしむように、日々精進していく
ことが肝要かも知れぬ。

こんなに思いにふける日は、岩崎宏美 の愛燦燦 の
歌声が、似つかわしく思われてならない。

岩崎宏美の「愛燦燦」の歌声は、数々あるが、この
演奏が、一番柔和で、かつエレガントで綺麗な三連符
の演奏をしているように思われる。

彼女のそぞろ歩きでもしているようなリズムと、過ぎた
日々を愛おしむような歌声と相まって、心地よく、響い
てやまない。

我が人生の幸運に、感謝したいものだ。


いつやるか?今でしょ!

2014-01-26 20:32:26 | 読書

いつやるか?
今でしょ!

今すぐできる45の自分改造術

東進ハイスクールカリスマ講師
林 修 

宝島社

を読み終えた。

本としては、ハウツウっぽく、啓発本

である。

若い人ならともかく、わたしが読んで
いると公言するのは、ちと恥ずかしい。

どうしてか、啓発本はこの歳になっても
読みたくなるほうで、自分でも不思議だ
が、人と話をしない性格のわたしは、こ
うでもしないと、人並みの知恵がつかな
いような気がしている。

実際に、読んだからといって、今さらと
いう気もするのだが、今まで気がつかな
かったことを教えられることが、多々あ
るので、気持ちいいものがある。

本の表表紙の折り返しには、

努力不足なのではなく
考え方の間違いのせいで
うまくいかない人へ
ちょっと考え方を変えると
人生が大きく変わります!

と書かれている。

わたしが、興味を持つ理由は、
東大生というものは、どういう考え方を
するのだろう。

知的エリートという者たちは、どういう人
たちなのだろう。

ということが分かるのではという期待が
持てたからである。

国のトップをいく人々の世界は、凡俗な
わたしなどでは、接点はありえないし、
知り得ないことだが、この本で、彼らの
世界に触れることができるのではという
期待が持てたからである。

そういう意味で、良い本だと思っている。

できればこの内容を、中学3年の時に、
読みたかったものだと思った。


オイラも66歳だ。「生きる」ってことにもうそれはどの執着はないよ

2014-01-24 20:54:18 | 読書

ビートたけしが、「ヒンシュクの達人」で
言っていたことだ。

 

 オイラも66歳だ。「生きる」ってことに
もうそれはどの執着はないよ。大人になるっ
てのは、自分の限界を知るって意味じゃない
かって思うんでさ。

 これから先、これまでの自分にできなかっ
たことが突然できるようになるわけではない
し、逆に自分にできることはだいたい見当が
つくようになったわけでね。だから今後の人
生に過度な期待をするってこともないんだよ
な。


 その点、若い頃はそうはいかないよね。最
近、昔の自分を振り返って無性に恥ずかしく
なるんだよな。女にモテようとバンドをやっ
てみたり、ジャズ喫茶で働いてみたり、洒落
たレストランに通ってみたり、仕事で虚勢を
張ってみたり……。それは全部、自分っても
のの限界が見えてなかったからなんだよね。


「オレはまだまだこんなもんじゃない」って
期待するから、執着する。それが「若さ」な
んだよ。

 「若い」つてことがいかに恥ずかしいこと
だったか、それがわかるのが大人の男なんじ
ゃねエかって思うね。

 自分の限界がわかって、「できること」と
「できないこと」が判断できるようになると、
自然と胆が据わる。「人はいずれ死ぬ」という
当たり前のことを受け入れられるようになっ
て、少々のことでは動じなくなる。この歳に
なって、ようやくそんな気がしてるんだよな。

以上。

 

ビートたけしは、幼少の頃、筆舌しがたい貧し
さを経験している。

しかし、才能を発揮し、これまた、わたしのような
凡俗な者の理解を超える筆舌しがたい贅沢、酒
池肉林の生活を経験している。(大分変な言葉づ
かいなのだが、洒落としたい。)

彼は、

自分の限界がわかって、「できること」と
「できないこと」が判断できるようになると、
自然と胆が据わる。

と言っているが、

わたしのよう者からすると、「できたこと」が
一杯あったはずで、羨望の人生である。

しかし、彼の経験した貧しさには耐えられない
し、時代を味方にする才能もないので、羨望す
るというのは、よく考えてみると、まことに、
失礼なことなのだろう。


彼は、

「できないこと」が判断できる

と言ったのだが、

何だかんだ言っても、やはり、できることも
多々期待できる人生のはずだ。

わたしのような凡俗な者からすると。

こんな話を彼がすると、神妙な気分にさせら
れてしまうが、そこは、雲の上の存在、真に
受けるのもどうかと思ったりしないこともな
い。

それはそうとして、「若さ」ついての、コメ
ントは、同感できる話で、何かしら、彼に
親しみを感ずるものがある。

それにしても、森村誠一氏は、「何をしても
いい自由」といったが、ビートたけしは、

その才能、周囲がほっておかないので、やる
ことは尽きないはずだ。

才能ある者と、凡俗な者の第二の人生は、
雲泥の差のあることだろう。

やり残した思いがあるのだが、何をやり残し
たのか思い当たらないのが、なんとももど
かしい。