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リタイアーのよもやま話

クールビズ

2015-08-19 23:14:47 | 生活

とある本にあった文章である。

 カジュアルな服装は、相手に対し
て親しみやすさを示すことはできる
が、敬意を払ってもらおうなどとい
う大それたことは、到底望んではい
けない。 

以上。

 本を整理して、処分するために、読
み返している。

この部分が、ひっかかった。

クールビズが、始まったことで、
ノーネクタイもあり、の時世とな
った。 

しかし、政治家のノーネクタイに、
和感を感じて止まなかったが、
この文章の通りである。 

それはそうとして、時代そのもの
がカジュアル化の真っ只中にあ
るのではなかろうか。

軽佻浮薄の騒々しい時代に辟易
している。

しかし、大方の人々はそれを良
しとしているようだ。

「敬意」という言葉は、死語に
なりつつあるのかも知れない。


一輪挿し

2015-07-07 22:58:08 | 生活

極上フルーツ搾りたて
果汁工房 果琳、フルーツバー

というのが、わたしの隣のスー
パーにできた。

何度か、飲んでみた。

ブルーベリー、ラズベリーのジ
ュースが好みである。

しかし、量がわたしには多い。
ただ、これが、一番量が少ない
のだが。

余談だが、実は、このジュース
の容器の形が気に入っている。

逆三角形の容器である。

高さ12㎝、幅8㎝、台6㎝の
容器である。

 

 一個、書斎の窓辺に置いた。
水をいれて。水が綺麗に輝く。

そのうち、この容器を一輪挿し
にすることを思いついた。

最近、わたしの部屋が、本だら
けで鬱陶しいと思えるようにな
って、なんとか本を一掃して、
気分転換をしようと思っていた
こともある。

そこで、先週から、隣のスーパ
ーの花屋で、花を買って、いけ
始めている。

よく、寂しいからといって、
ペットを飼う人がいる。

残念ながら、わたしは生理的
に動物はだめである。

 特に、家族同然の扱いするペット
は。 

理由は、子どもの頃、我が家は、
豚や鶏を飼っていた。父親が元気
な時は、うさぎも飼っていた。

 もちろん、子どもの頃、犬も飼っ
ていた。

ただ、その頃、犬は外で飼うもの
だった。

この犬が死んで寂しい思いをした
ことがある。

豚小屋や鶏小屋、うさぎ小屋を見て
いるととても、ペットを飼う気持ち
はおこらない。 

とにかく、生理的にだめである。

その点、植物は、いい。まず清潔
である。 

よく、花好きで屋敷の庭や壁を花
で、埋めつくしている人がいる。 

このような花好きには、なれない。

あまりにも、労力を使うからであ
る。

その点、一輪挿しは、手軽で楽し
める。

花瓶にたくさんの花をいけるのは
好きでない。

花のなかでも、一番お気に入りの
花を一本いけて、愛でていたい。 

その方が、花の存在感を感ずる
ことができる。

花をいける気になったのは、昔、
トルコキキョウを始めて見た時、
その美しさに溜め息をついたこと
があったからだ。

その想いは、今でも同じだ。

貴賓のある清々しい美しさ。

漂う上品さ。

そのトルコキキョウが、一輪我
が部屋で、眺めていられたら、
どんなにか、幸せで贅沢なこと
だろう。と思ったからだ。

今、トルコキキョウの入荷がない。

ということで、今は、黄色いカー
ネーションを楽しんでいる。

ちょっと、極端な表現だが、自分
の好きな女性が、静かに佇んでい
るかのような錯覚が沸き起こって
我が部屋の鬱陶しさが紛れて、喜
んでいる。

意外と贅沢な趣味かも知れぬ。なん
て、思ったりしている。

部屋に語り合える存在があるのは、
豊かな気分になる。

追記
写真を載せたいところだが、
わたしの想いを伝える写真
が撮れない。

載せた画像で、幻滅させては
と、辞退することにした。

 


寝たきり高齢者

2014-10-07 23:22:39 | 生活

とある本にあった内容である。

 

資料1

山形県藤島町で行った、40歳以上
で亡くなった方々のすべての家族を
対象にした調査を通じて、1年以上
寝たきりになった人の割合はたった
の8%ほどだということがわかった
のは、それから15年以上経ってか
らのことだった。 

資料2

高齢者の生活機能(老化)の
偏差値モデル 

5%障害

20%要支援

50%平均的高齢者

25%恵まれた高齢者

 

以上。

 

この文章は、高齢者の誰もが寝たきり
になるのではないと、主張しているの
だが。

 残念ながら、わたしの父親は資料1の
8%に該当する。 

資料2の5%にも該当している。

 

病院には、多くの寝たきりの患者がい
て、皆己が死を待つ日々だ。

寝たきり患者の余命は、予測しがた
いのものだと、感じ入るようになっ
ている。想定外のことがよくあるの
だ。 

前の病院では、20年とか30年と
かという介護歴の人がいて、驚きを
感じたのだが、わたしの父も今の様
子からして,あと10年は、元気か
も、なんて思うと、20年の寝たき
り歴ということになるかと、思った
りしている。

寝たきりであっても、できるだけ世
話して、心地よい思いをして、もら
えたらと思ったりのするのが、家に
いては、母親のヘルパー業だ。

 動きの取れない状況は、口にした
くはないが、追い詰められた感があ
る。

今日、最近、亡くなった父親の義理
の姉の49日にいってきたが、子孫
繁栄とあって、法事が家族だけで、で
きるのは、羨望の念がわいてやまない。

残念ながら、わたしの場合は、事情が
あって、わたし一人で、葬式をする
ことになるのだが、絶望的だ。

萩本欣一氏は、著書で、子どもの
分まで、運を使いこんでしまった
と、子どもたちに語ったそうだが、
わたしの父親も、子々孫々の運
も一人で使い切った人生だった
ので、人知れず葬式をするわけ
には、いかないのではと、葛藤
するばかりだ。

時折、新聞で、自分の親の葬式をほっ
たらかして、刑事事件になるのだが、
核家族した時代、子どもの方が経済
的に逼迫していたら、他人事ではな
い。

若い時に、まったく理解できなかっ
たこと、人が死ぬのが、こんなに難
しいことだったとは。

そういう意味では、戦後民主主義は、
核家族を生み出し、自由かってに生
きて来れたのは良いが、その「落ち」
が、かなりしんどい。

まさに想定外の結末で、愕然として
しまう。

今は、

素敵なホテルのコーヒーラウンジの
上質な空間で、我が心を慰め、
そのラウンジに流れる清き時間に
我が身を晒し、喧騒で疲弊した魂を
清め、我が身を奮い立たせて日常
に舞い戻る日々だ。

願わくば、今日より明日、明日より
明後日、そして、今年より、10年後
に、わたしが賢くなり、状況が好転
するように、祈るばかりだ。

 


疲労

2014-04-17 21:39:16 | 生活

 とある本に、次のような言葉があった。

 疲労

仕事、遊びどちらも言えるが、疲れを
ためるというのはスケジュールのミス。

限られた体力の中で最高の結果を出す
には、スケジュールに想像力を加える
必要がある。

マラソンのペース配分と同じ。「疲れて
いるから休もう」「元気だから頑張ろう」
では最高の結果は生まれない。

以上。

 

この言葉に出会った時に、「なるほど」
と頷いた。

現役時代は、あまりの忙しさに、愚痴る
わけにもいかない状況にあって、悲しき
かな「霞を食って生きている」なんて言
ったり、「24時間営業の年中無休」とか、
嘯いたりしていた。

しかし、退職前になると、体力の限界を
不承不承認めざるを得ないことが、起こ
りつつあった。

3日ぐらい残業が続くと、翌日からは体が
悲鳴をあげるのを無視するわけにはいか
なくなった。 

眼底出血を起こしていたので、そのまま
仕事をしていたら、どうなっていたのか
わからない。

 幸い、勧奨退職をして、その難は逃れた
はずだ。

しかし、退職して、64歳にもなると、た
いしたことでなくても、やりつけないこ
とが、3日ほどでも続くと、のぼせたり、
頭痛がしたり、簡単に疲労が蓄積するよ
うになった。

悲しいかな。退職する時は、55歳以上は
年をとらない。なんて、意気込んでいたが
どうにもならないのかなんて気もわいて、

心細いものを感じている。

ところで、

久しぶりに、今週は体調が芳しくなく、日
々を無為に過ごしている。

今日あたりから、少し回復しているが、明
日は、どうなるのだろう。

父親の更地の草刈りをしないといけないが、
どうにも体がついていかない。

今日、少し疲れがとれて、気分が回復して
いる中、ふと思ったのだが、夢中になって
いるうちに、どうも、「オーバーペース」の
生活になってしまうようだ。本人も気づか
ぬうちに、オーバーヒートになって、ダウ
ンしてしまうことのようだ。

悲しきかな。「夢中」いう言葉が、「死語」
になっていくのかもしれない。

現役時代は、30~40代までは、やらざるを
得ないたいていの仕事は、ありたっけの時
間と金と体力を注ぎ込めば、なんとも成り
得る。

なんて、意気込んでいたが、そのうちに、

渾身の力を振り絞っては、自分の体が壊れ
てしまうことを認めざるを得ないことが、
起こるようになった。

 

しかし、今や、渾身どころでは┄。

現役時代からすれば、雑用でしかない仕事
でも、2、3日続くと、もうだめである。

限られた体力の中で最高の結果を出す
には、スケジュールに想像力を加える
必要がある。

というが、

この歳で、「限られた体力の中で最高
の結果」とは、どういうことなんだろ
う。

10年後の自分は、今の自分より、かっこよく
ありたいのだが。どうしたもんだろう。

 こんな弱気の日には、「優しい時間」で、夜がくれるのを
まつしかない。

 


『食べログ』掲載は「営業妨害」か「表現の自由」か…

2014-03-14 06:29:31 | 生活

ヤフーのニュースである。

前にも、この記事が掲載された記憶が
あるのだが、興味深いものがある。

食べログ』掲載は「営業妨害」か
「表現の自由」か…“秘密の隠れ家
バー”怒りの提訴、異例の法廷闘争


膨大な数の飲食店の中から、希望にぴった
りな一軒を手軽に探せるグルメ情報サイト
「食べログ」。料理の感想など利用者の声が
掲載され、店の実態が分かると評判の口コ
ミサイトで、アクセス数は1カ月に5千万
件以上に上る。そんな超人気サイトからの
店舗情報削除などを求め、大阪市内のバー
が大阪地裁に民事訴訟を起こした。このバ
ーのコンセプトは「秘密の隠れ家」。一見し
てバーとは分からない外観と、非日常的な
店内とのギャップが売り物だ。バー側は「掲
載され秘密性の演出が台無しになった」と
訴え、食べログ側は「表現の自由」などと
争う姿勢を示す。飲食店にとって宣伝にも
なるはずの人気サイト…

以上。

前に読んだ本のなかで、入り口がわからない
店とかいって、このニュースのような秘密の
隠れ家的な店があるらしい。ということを知
った。

普通は、いかにアクセスしやすいかということ
を店としては、考えるものだが、その逆に、な
かなか辿り着けないのが、店の魅力だというの
である。

この話を知った時は、頭が変になりそうだった
が、かえってこのほうが店は盛況のようだ。

いろんな人がいるものだ。

しかし、自分しか知らない穴場があるという気
分を満たせてくれるのが、きっといいのだろう。

そういう意味では、穴場はあまり人には知られ
たくないものだ。

ところで、そのような気持を、わたしにも理解
できるような感じが最近している。

実は、ホテルのコーヒーラウンジをまわるよう
になって、やがて、1年ほどになる。

今、大変気に入っているところが、見つかって
ブログに書こうかと思ったが、そうもいかない
ことに気づいた。

あまり、人に来られても困ることに気づいたの
である。

このホテルのコーヒーラウンジについての魅力
をまとめたら、次のようになった。

丘の上より、日常を眼下に望み、市井の喧騒
の届かぬ上質な時間が流れる。

である。

ということで、このようなキャッチコピーで
ブログを書こうかと思ったら、これを見て、
客が増えたりすると、「市井の喧騒に満ちた
憂鬱な時間が流れる場所」になることに気
づいた。

ということで、良いところが見つかったと宣伝
はしたいが、かといって、わたしの心地よい時
間が無くなるのは、これは堪らない話で、ブロ
グに書くことを思い止まることにした。

実は数日前、久しぶりに日航系のホテルのコー
ヒーラウンジに出かけていった。

このホテルはわたしの家より、距離にして20㎞
ほど、車で西に向かったところにある南欧風の
建物で、ガーデニングに気を配っている。

そのため、ホテルのあちこちで、花を愛でるこ
とができ、素敵なホテルだが、そのコーヒーラ
ウンジで、ビジネスの話が時折、聞こえたり、
近隣の人々が集まりきては、懇親会などをして
いて、日常の生活感が、飛び込んでくるのであ
る。

そのとたん、気分は非日常から、日常に呼び戻
され、げんなりしてしまうのだ。

 

ところが、わたしの秘密にしたいホテルは、そう
いう意味で、先程のホテルとは全く逆のイメージ
で、日常の生活感が、コーヒーラウンジに乱入して
くるようなことはなく、純粋に静かで上質な時間
を堪能することができる。


ホテルの敷地内も全くイメージは逆で、もちろん、
建物もその内部のイメージも全く逆である。

いずれにせよ。静かに本を読むのに、これほど、
ノイズのない場所は、他に見つけることはでき
なさそうなのだ。

丘の上より、日常を眼下に望む。
市井の喧騒の届かぬ上質な時間は、ここにありて、
われは一人書と遊ぶ。

である。

一人で、探し回って、訪ねくる者だけの特権
にしたい。ということで、ブログで紹介する
ことを断念することにした。

車で、40㎞ほど、北上し、そう頻繁に通える
ものでもなく、やはり、非日常的な場所である。