とある本にあったことである。
風が吹けば桶屋は儲かるのか?
現実においては真っ白も真っ黒
もなく、すべては灰色で、そこに
濃淡かあるだけです。
「風が吹けば桶屋が儲かる」と
いう諺がありますが、この場合は
どうでしょうか。風が吹けば埃が
立つ。埃が立つと目を患う人が多
くなる。すると目が見えない人が
多くなる。
目が見えなくなった人の中から三
味線弾きが出る。三味線弾きが多
くなると三味線の需要が増える。
三味線の皮は猫のものなので猫の
需要が増える。町から猫が少なく
なる。
するとネズミが増える。増えたネ
ズミは風呂桶をかじる。だから桶
屋が儲かる……。
ちゃんとした論理です。
しかし数学的に考えてみると
どうでしょうか。風が吹くと埃
が舞い上がる。これが90%正
しい、すなわち0.9とする。と
ころがその次に、埃が目に入っ
て目を患う確率は10%、すな
わち0.1くらい。その中から目
が見えなくなる人となると、0.
001ぐらい。その次の三味線
弾きになるとまた0.001で
各ステップを全部かけていくと、
おそらく確率は一兆分の一以下
になるでしょう。
要するに、現実には風が吹いて
も桶屋は儲からない。
長い論理は危うい
このように一般の世の中では、
長い論理というのは非常に危険
なのです。すべてのステップは
灰色だから、小数のかけ算を何
度もすることとなり、信憑性は
どんどん下かっていきます。一
般に我々は、「これはこうでしょ、
だからこうでしょ、だからこう
でしょ」と論理を長々と展開す
る人を見ると、白けてしまった
り、「なんかおかしいぞ」と感じ
たりします。長い論理というも
のを本能的に警戒しているか
らです。
「長い論理は危うい」というこ
とを、人々は本能的に分かっ
ている。灰色に灰色を何度も重
ね合わせているのが分かるから、
聞いているうちに眉に唾をつけ
たり、胡散臭いと思ったりする
のです。
長い論理は使えない。だから、
現実において論理のリーチは極
端に短い。ワンステップしかな
いような論理が幅を利かせてい
る。
例えば、なぜ小学校で英語を
教えるなどということになった
のでしょうか。「国際人」がら
みです。
ここで国際人とは、海外でも人
間として敬意を受けるような人
間、ということにいたします。
こんな論理です。「小学校で英語
を教える→英語がうまく話せる
ようになる→国際人になる」。た
ったツーステップです。凄くわか
りやすい。
だから国民は大喝采で支持する。
ところが最初のステップが正しい
確率は0.1以下です。アメリカ
人でも国際人と呼べる人は10人
に1人はいませんから、次のステ
ップも0.1以下です。かけると
0.01以下となり、信頼性のな
い論理となります。こんなに短い
ステップでも危険なのです。同じ
ツーステップでも、「小中学校で
国語を強化し読書を奨励する→
人間の内容が充実する→国際人
になる」の方がはるたに信頼性
が高い。
しかし、論理というのは通っ
ているとなぜか快感が得られる
ので、聞いたとたん、それに酔
ってしまう。
各ステップの信頼度を量的に
考えようとしない。
以上。
わたしも、けっこう理屈っぽい
人間だから、この内容を読んで、
驚いている。
このような数値的な判断の仕方
が、どれほど正しいのか、数学
については、疎いわたしでは、
なんとも、反論も肯定もしがた
いのだが。
それにしても、この論理の半分
でも正しいとしても、理屈っぽ
い考え方は、考え直さないとい
けないかもしれない。
面白い考え方ではないか。