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リタイアーのよもやま話

秀香/最後だとわかっていたなら

2009-09-29 22:31:35 | 日記
秀香/最後だとわかっていたなら


最後だとわかっていたなら/秀香

夜、テレビ見ていたら、テレビで、秀香という歌手が、「最後だと
わかっていたなら」を歌っていた。

その歌詞のエピソード、大変興味深いものがあった。歌っている
秀香は、もともとモデルで、歌手に転じた理由を語ったが、これも
興味深いものがあった。

You Tubeで早速見つけた。ただ、途中までしか聴けない。

番組は、演歌中心の番組である。しかし、彼女の歌いぶりを聴いて、
越路吹雪を思いだした。一瞬、シャンソンに聴こえた。どうしてだ
ろう? 不思議である。

歌詞は、ノーマ・コーネット・マレックという人が自分の子供を
亡くした時に書いた詩という紹介があった。

演歌にはなり得ないのだが。

下の文章は、ネットからの引用である。

作者ノーマ・コーネット・マレックは
 
離婚時にこども二人の親権を得るも
 
前夫にこどもたちを連れ去られる。
 
手を尽くして探したが見つけられず 別れ別れに。
 
2年後 長男が水死した知らせに打ちのめされ
 
彼への思いをつづった 悲しみの詩なのだ。



聴いて、大人の音楽だなと思った。

彼女は、1949年7月20日の生まれだから、昭和24年生まれ。
同い年である。

この歳のデビュー、すごい。

しかし、彼女の美しさからすると、充分に理解できる。

写真でみる限り、とても、60歳とは思えない。

ネットの写真だと、30代にしか見えないのもある。

少しでも、秀香について調べようとした。

すると、ぞくぞく出てきた。




http://www.wendy-net.com/nw/person/195.html
(無断転載禁止だそうで、いい内容だが紹介できません。)

のホームページを見て、わたしは彼女の歌声がシャンソンに
聴こえた理由が分かった。

50歳から歌を歌い始めたそうである。

そして、15年も母親の介護をしたきたそうである。

このような生き方のできる人がいるんですね。

脱帽です。

大いに、反省しないといけません。





レット・イット・ビー/ビートルズ (シングル・バージョン)

2009-09-28 22:46:10 | 音楽
レット・イット・ビー/ビートルズ (シングル・バージョン)


Let it be

言わずと知れたビートルズの名曲。

わたしは、この曲を予備校の寮にいる時に、同じ寮生が、朝の洗面
をするために、口ずさんで、廊下を歩いている時に初めてきいた。

この時の「Let it be」の発音が、ものすごく流麗で、綺麗に響い
て、かっこよく、ショックを覚えた。

誰でも同じであるが、わたしも、英語の授業を中・高と6カ年間学ん
できた。

残念ながら、英語については、受験英語以上の思い出はなく、どちら
かと無味乾燥な言葉と思っていたし、仕方なく学んでいた。

(だから、まれに、英語が好きだという人がいるが、わたしには信じら
れない話であった。)

しかし、この時聴いた「Let it be」の響きが、美しかったこと。

この曲で、わたしは、ビートルズを意識するようになった。

以来、この曲の虜になった。

(大学に入って、LPのアルバムを知人から借りて、全曲聴くことに
なった。)

ただ、どういうわけか。

Let it beの歌詞の意味がわたしは、素直に受けいれられなくて、
綺麗な英語として、感動したわりには、どうしても、わだかまりが
拭えないのである。

ネットで、調べてみると、「 なすがままに受け入れなさい」という
訳にもなるようだが、わたしが、若かったせいかもしれなかったと
思っている。

もっとも、自分の生活信条が「 なすがままに受け入れなさい」という
ことから、かなりかけ離れているのが、根本的な原因だろう。


しかし、いろいろとわたしの気持ちの中で、齟齬がありながら、
英語という言葉がこんなにも美しいものだという感想をもった最初の曲
ということで、思い出の一曲になった。

この曲は、わたしのピアノの弾き方に大いに影響した。特に、前奏の
最後の一小節のコード進行に魅入られてしまった。

以後、わたしの弾く曲のエンデングにこのコード進行がいつも使われる
ようになった。

最近、近くのスーパーのファッション関係のテナントで、時折、BGMと
して、流れることがある。

すると、そのたびに、この流れる曲に合わせて、懐かしく口ずさむの
である。


ところで、「Let it be」について、ネットで検索してみた。

さすがに、インターネットの時代である。

いろいろと資料が出てきたのである。



【資料】(ネットにあった資料である。参照にしたいと思う。)

以下、その資料である。

Let it be はもともと聖書からの引用です。
聖母マリアが、天使ガブリエルに言った言葉からきています。
聖書的解釈でいうと it は神そのもので、意味的には「神のご意志を
受け入れます」という意味になります。

ビートルズの場合、その聖書の意味が基本にあって、というかほとん
どの人が知ってるという前提での歌詞ですが(Mothre Mary が
Let it be と言ったって出てきますからね)、ポール・マッカートニー
の個人的な思いと重なって別の意味も重ね合わせられてるというのが
大抵の歌詞の解釈です。

というのも、ポールが子供時代に亡くしたお母さんの名前がマリア
(Mary)で、ポールによれば、ビートルズ時代にいろいろ悩んでいる
時に、お母さんが夢に出てきたことを歌にしたと言っているからです。

そのことを知らない普通の人は、聖書的に「神のご意志を受け入れま
す」的に解釈できるし、そのことを知ってる人は、夢に出てきたお母
さんが「なすがままに受け入れなさい」とポールを勇気づけた歌だと
いうように解釈できると思います。

いずれにせよ、なすがまま、という訳は適当だったと思います。  

以上、資料より。

この資料を読んで、今までのわだかまりが氷解した。

「Let it be」は、亡くなった母親がポール・マッカートニーを
励ますための言葉だったのかも知れない。と考えたら、この言葉が、
自分なりに素直な気持ちでうけいれられるような気がしてきた。

そして、この曲が今まで思っていた曲とは、全く違う曲になった。

救いを求める曲に聴こえてきた。

嬉しい発見、感謝である。


ネット様様である。

インターネットが始まった頃、このような答えが見つかるとは思わ
なかった。

おかげで、約40年前のわだかまりが解消できたようだ。

それにしても、なんというしつこい性格なんだろう!?


夢をあきらめないで

2009-09-26 22:55:39 | 音楽
夢をあきらめないで


昔、とある職場にいたとき、人材が豊富で「どんな事でもできる。」
という充実した日々があった。


しかし、わたしが転勤することになる数年後、その盛り上がりが嘘の
ように消え去り、職場はガタガタになってしまった。

そして、その職場を去ることになる半年前に、この曲がヒットした。

わたしが、ほぼ不当人事にあうことが想定されていた。

どうにかして、そのことを避けようとしたくても、それだけの力量が
職場になくなっており、望まない人生の選択を受け入れるしかない
ことに、結論が出ていた。

わたしは、バラバラになっていく職場を、こんなことがあるんだ!と
思いつつ、「夢をあきらめないで」を一人でギターを弾きながら、
繰り返し繰り返し歌っていた。

そして、わたしは、3月の職場を去る時、すべての送別のセレモニーを
拒んで、去った。

わたしが職場を去っていく理由は、職場の誰もが知っていた。

わたしは、そのこともあって、その場に、尋常な気持ちでいる自信は
なかったし、話す言葉も残念ながら、見つからなかったからである。


変わりゆく職場に惜別の意味で、この曲を一度だけ、公の場で、
エレクトーンで弾いた。

この曲を弾きながら、不覚にも、わたしは涙が出てやまなかった。

自分でも思いがけないことであった。

誰にも語ることのできない胸のうち、この歌の主人公を、自分と重ねて
繰り返し繰り返しギターで歌って、過ごしていた。

もっとも、その後が、天国から地獄への生活で、この曲で、感傷に浸る
どころではなくなったのだが┄┄。

懐かしい曲のひとつである。

岡村孝子の歌う歌詞の言葉の一つ一つが、どんなにか、わたしの
励ましになったであろう。

尋常でないわたしの心を、この歌が支えてくれた。


この曲に出会えたこと、感謝である。





除菌ペーパー

2009-09-26 22:23:20 | 介護&エトセトラ
今日は明け方、いやな夢を見た。場面としては、現役時代の場面である。パニックになっている夢であり、疲れた。

(ここ、最近、久しぶりに、現役時代の夢を見ている。)


昨日は、夜中から何度も起き、睡眠不足であった。

さすがに、今日は、病院に行くのが、きつい。

病院についたら、父の足元に、カバーがはずされたマット類が三つほど、転がっている。

失禁で汚したようだ。見ただけで、疲れしまう。

マットは、ビニール袋で包んであるので、除菌ペーパーで汚れているのを拭き取る。

ビニールをしてない時は、家に持ち帰り、洗濯していたので大変だった。

今日は、そのマットを除菌ペーパーで拭いたあと、少し補修をした。しかし、結構時間がかかった。

なにしろ、わたしの手がアトピーなので、テープを触っての作業がつらい。

大きなセロテープで、念入りに補修した。

それが、終わって、リハビリをしようとしたら、今度は、シーツに便が付着して、汚れている。

そこで、何カ所か、やはり、除菌ペーパーで拭き取る。

さて、終わったとホッとしたのも、束の間、今度は、母の方から、被るためのシーツが、便で何カ所か汚れていると、指摘された。

さすがに、ガクッときた。

しかし、便のついたままでは、わたしたちの気分は良くないし、この便で汚れたシーツを父が被るかと思うと、可哀相でならない。

そこで、やはり、除菌ペーパーで、拭くことにした。

残念なことに、充分には拭き取ることはできない。

そこそこで、諦めるしかない。

今日は、普段よく汚れている手袋が便で汚れたないのは救われた。

この作業、病院のスタッフに見られないように作業するので、気をつかって、疲れる。

疲れてやってきたのに、今日は余分に仕事が増えて、泣き面に蜂である。

帰る時間になると、疲れて、動きたくない。大相撲を見て、しばらく時間を潰した。

今日は、帰りがけにスーパーに寄って、買い物をする日である。いつまでものんびりはできない。

それで、しかたなく、帰途につく。

帰る途中、やはり、体がバテている。そこで、途中、スーパーの駐車場で、リクライニングシートで横になって休憩、
やっといくらか疲れもとれて家の近くのスーパーに向かう。

やっと、家につく。

今日は、どこにも出かけたくない。

静養すべき日と、自分を言い含める。


撤去すれば経済は破綻

2009-09-26 21:46:23 | 経済
平成21年9月22日(火)の論壇に、「人口増加は基地の恩恵 撤去すれば経済は破綻」というタイトルで、投稿があった。

この投稿のタイトルを見たとき、大変ショックであった。

記事の内容を読んでみても、大変考えさせられる内容であった。

じつは、私自身、このことについて、うすうす感じつつあった。

しかし、この内容は、公に語ることは、タブーだという気持ちがあった。

あまりにも、及ぼす影響が大きすぎて、危険だと思ったからである。

しかし、普天間移設が現実化するにつれて、彼の気持ちも穏やかでないだろう。

浜元氏の勧めで、ウェブを検索した。

下の資料は、ウェブの資料より、今から4年前の資料である。

こんなに、前にこのような資料を公開してる人がいたとはね。

びっくりである。


【資料】
2005年12月24日
基地が無くなれば沖縄は破産する

沖縄における反基地運動が県民の総意であるように知事が述べ、マスコミも、基地縮小・撤去が県民全体の意思であるかの如く報道しているが、私にはそうとは思えない。

基地のある市町村の政治家以外の住民の本当の声はむしろ、基地との共存を願う声が大多数だと思う。

そもそも「米軍基地は県民には過重負担」というマスコミの宣伝文句が嘘くさい。私は北谷町に住んでいるが、飛行機の爆音より、深夜の暴走族や右翼の街宣車の方が、よっぽどうるさく腹立たしい。

もし、本当に、基地が肉体的精神的に耐え難い過重負担になっているなら、住民がどんどんこの地域から逃げて、誰も住まない場所になっているはずである。

金武の伊芸区で「いつ弾が飛んでくるかもしれない。怖くて生活できない」という住民のコメントのたぐいを連日、マスコミが報じているが、私が住民なら、本当に命の危険がある場合には、一目散で逃げ出すはずである。多分、逃げ出さないのは、実はそれほどの危険性を感じていない証拠である。

金武町の広報紙に成人式のアンケートがあり、その中に「金武町に将来住みたいですか→いいえはH16年33%、H17年26%であったが、住みたくない理由として「基地があるから」は両年とも0人。また、金武町行政に期待すること→国際交流H16年22%,H17年24%、雇用確保H16年29%,H17年22%の結果であった。

基地の町といわれる金武町で「国際交流」が何を意味するかは自明であろう。マスコミが作り上げた「基地の過重負担に苦しみ、基地撤去を求める住民」の虚像ぶりが露呈されている。

基地反対運動というのは、基地の過重負担への反感で成り立っているような運動ではない。

その地域の住民感覚とは無関係の、よそから来た平和運動家が、自分が平和主義者であることを誇示し、美化するための政治的プロパガンダか、あるいは彼らの主義貫徹による自己満足・裏返しとしての不平不満のはけ口にすぎない。政治家や公務員組合幹部が基地や県民を利用して、自分の票稼ぎや、組織固めのために利用しているのが実態である。

辺野古沖に集まっている、基地反対運動家の8割は内地人を含めたよそ者であり、地域住民は、日当3000円で集められたエキストラ参加者である。新聞・TVで報じられる基地反対デモは、常に自治労・教職員組合などから動員された公務員関係者で占められ、その人数も主催者発表として2倍から3倍も水増しされているのが実態である。
普通の住民が何も意思表示しないのを尻目に、彼らはいかにも自分たちが県民の指導的立場にあり、県民の代表者であるかのようにふるまっているだけである。実際に現地取材している記者はこの事実を知っているが、紙面やTVでは絶対に表現できない。地方紙が実はオーナーの主義を宣伝するための媒体にすぎないことは、元上毛新聞記者の横山秀夫氏が「クライマーズ・ハイ」で描いている。沖縄のマスコミはうのみにすると危険である。残念ながら、沖縄県民自身がそのことに気づいていない。

基地経済が沖縄経済にどれほどの影響があるかを、政治家もマスコミも県民にヒタ隠しにしている。

沖縄県は自主財源が25%しかない全国一の弱体経済県である。つまり、国の補助金と借金で県経済はかろうじて生計をたてているのである。さらに、三位一体改革の補助金減らしの嵐の中で沖縄は破産の危機に瀕している。このような危機的状況を県民に広報せず、あまつさえ、県は軍関係収入は県全体の5%に過ぎないと公言している。その内訳は軍用地料880億、軍雇用員給与460億、軍関係消費500億である。

この5%には基地による公共工事や高率補助金などが含まれていない。また、民間地域にある外人住宅の建設・維持費も含まれていない。

たとえば、北谷町内(基地外)のすべての4階建て以上のマンションのうち、8割以上は外人住宅で占められていることを県民は知っているだろうか?この米軍住宅に備えられる、システムキッチン、洗濯機・乾燥機・大型冷蔵庫・エアコンなどの備品類も相当な金額であろう。これらの建設費・維持費・設備費は通常の日本人同士の取引なので5%の軍関係消費には含まれていない。軍関係収入(5%)に計上されているのは、家賃とタクシー代や中古車購入代金・飲食代など軍人の直接支払い分でしかない。基地外の米軍住宅は4000戸とも言われ、この住宅関連支出が相当な金額であり、しかも、この住宅が資本形成として、多くの関連産業の副次的な支出も生み出していることも忘れてはならない。(修繕業者・仲介業者・電気など設備業者、融資先銀行...)
いずれにせよ、5%どころではなく、実態と大きく食い違っている。

さらに、県民に広報されないが、那覇ぶんかてんぶす、沖縄こどもの国(こども未来館)、北谷ニライセンター、嘉手納水釜町営住宅、嘉手納町マルチメディアセンター、沖縄市コザミュージックタウンなど、これらは基地関連の国庫予算で建設されている。
防音工事のように基地との関連が明らかな公共工事以外にも、多くの基地関連予算があることを県民には知らされていない。

特に沖縄にとって大事な収入が軍用地料850億である。この軍用地料の850億という金額は、経費が固定資産税以外かからない金額なので、実質的には、その10倍程度つまり8500億の重みがあり、県全体の観光収入4000億など比較にならない高額なのである。

実は沖縄企業の所得申告で第1位は沖縄電力の144億であり、以下100位までの全企業の所得合計ですら830億にしかならない。

沖縄の上位100社全部集まっても、軍用地料分すら稼げない。それが沖縄経済の実態である。ちなみに、プロミスというサラ金会社の所得(利益)は、880億であり、プロミスは全国36位の番付である。沖縄の産業基盤の弱さを改めて実感できるだろう。

さらに付け加えると、軍用地が沖縄の民間資本形成にどれだけの比重を占めているかも大事である。
たとえば、沖縄でレストランを建設・開業した人の、その元手や建築借入金の担保の原資は何であろう。銀行を調査すれば分かることだが、沖縄の中小・個人事業の資本形成に軍用地が関わっている比率は極めて高く、軍用地に依存した経済構造が既に出来上がっている。

もし、軍用地資本が減耗すれば、新たな事業形成が絶たれるだけでなく、軍用地担保貸付(その総額は計り知れない巨額であろう)が一挙に不良債権化し、中小・個人事業の倒産が相次ぎ、銀行ですら経営破たんに陥るだろう。事業資金だけでなく、無論、個人の住宅資金の原資ともなっている。

建築などへの資本投下は10年超えの償還を前提にしており、その前提の上に多くの関連産業が成り立っているのである。これらの資本の不良化の影響は連鎖的に横に広がり、縦には長期間の影響を及ぼし、致命的な打撃をもたらす。しかも打撃は民間だけではない。例えば、金武町の歳入に占める基地関連収入は、明確な直接収入だけでも35%あり、町税(事業・給与所得、固定資産税)の中に埋もれている基地関連収入分も合わせると40%は優に超えるはずである。

沖縄には日本の米軍基地の75%が集積していることは、たびたび報道されるので、よく耳にする。そして、それが著しく不公平だとマスコミが喧伝するのであるが、沖縄の高率補助金のことはどれだけ、知れ渡っているだろうか。
たとえば、道路保全に沖縄は国から95%の補助をうけるが、他府県は70%以下である。他の例を挙げると、学校建設整備では85%対50%、漁港整備は90%対66%、公営住宅建設75%対50%、水道施設整備75%対33%、空港整備95%対66%と続き、ほとんど全産業分野に及んでいる。

この高率補助は沖縄振興措置法によるものであり、県は表向き、基地があることのの見返りでないという立場であるが、本土復帰後33年経過した現在では、復帰直後の格差是正というより、どう見ても、基地対策費的な補助金であることは明白である。他府県から見れば、明らかに不公平なこの高率は基地の存在があるから許されているものであり、基地が撤去されれば、必ず、不公平との大合唱が沸き起こることは必至であろう。

補助率の削減は公共事業そのものの削減になり、多くの貧しい県民が生活苦にあえぎ、路頭に迷うことが確実である。負担軽減が目標のはずの基地返還は、実はより過酷な経済苦境という結果を確実にもたらすのである。

基地撤去を叫びデモ行進をする人々は、ほとんど自治労・教職員・出版労連など、日々の経済戦争と無縁で失業の心配もないノー天気で、県内の民間賃金水準の2倍以上の恵まれた高所得を得ている公務員関係労組員たちが大部分である。彼らの基地反対のシュプレヒコールは、中小零細の低賃金で細々と生計を立てている弱者の声を打ち消す、傲慢な、戦闘機以上の爆音の如く響く。

「基地を撤去すれば、その跡地に立派な商業施設ができ、基地より経済効果は大きい。基地があるのは、むしろ経済損失なのだ。」と主張する政治家や経済学者がいるが、とんでもない愚論である。その立派な商業施設とは、北谷町美浜地区や那覇市新都心地区を例にあげているのであるが、県民の購買力・資本力が乏しい中で、多くの地区が同時に発展できるなど有り得ない話である。そのような主張は、ねずみ講・マルチ商法の詐欺師の「どんどん会員が増えても破綻しない」というだましの詭弁以外何ものでもない。

成功している跡地利用でも20年以上の歳月と、莫大な資本投下が必要だったことを思い知るべきである。沖縄には遊休地・工業用地・住宅分譲用開発地区が今でもたくさんある。どんなに企業誘致を宣伝しても、さらには法人税の減免などを行っても、参加企業が集まらず、失業者を救えていないのが今の現実なのである。豊崎プロジェクトや糸満市潮崎埋立地などの住宅分譲も空き地ばかりが目立っている。

しかも、最近の傾向として、本土業者が大規模な不動産事業を展開し、沖縄人の古い物件を駆逐する勢いとなっている。飲食店・小売店でも本土系のチェーン店が県人経営者を圧迫している。折角の沖縄の開発予算が県外事業者のために使われ、県民は低賃金の労働者となって、彼らのおこぼれに甘んじるしかないのだ。狭い県内のパイですら、県外企業から侵食されようとしていて、皮肉にも県内大規模プロジェクトがその契機とさえなっている。
 
逆に基地がいかに魅力的な就職先と県民に映っているかは、軍雇用員の募集倍率が20倍を超え、その専門予備校すら複数あることでも明らかである。基地が嫌われ者だった戦後から60年を経過し、基地を有用な語学習得の場・国際理解の場と考える機運が育ちつつある。この芽を軍雇用員8000人とともに摘んでしまってよいのであろうか。

跡地利用の目途もないまま、基地が返還されたらどうなるか?管理できない不動産はあっという間に荒れ果て、生活困窮者ややくざが住み着き、犯罪のたまり場と化し、だれも近寄れない、それこそ基地以上に怖いゴーストタウンになるであろう。大量の空き地ができるため、一般の土地価格が暴落し、担保価値も下落し、不良債権化が拡大し、一層の経済悪化を招くであろう。さらには、泡瀬埋め立てをめぐる騒動のように、跡地利用について、さまざまな圧力と横槍とが入り、計画そのものが夢物語で終わるかもしれない。

基地は存在しているがゆえに、その基地が担保となり、補助金なり補償金が保証されるのである。一旦、返還されてしまえば、担保が無くなってしまうのである。「返還後は跡地利用に補助金支給をします」と約束させても、担保がない約束などあてにできるだろうか?

言葉は悪いが、基地は沖縄にとって大事な人質である。国が本当に目論んでいるのは、基地を国有地の北部に移し、中南部の軍用地料をはじめとする基地関連経済負担を軽減することである。

国の経済負担軽減なのであって、沖縄の負担軽減なのではない。グアムに1兆円を投じて基地を移設すれば、中南部に毎年2000億を支払う5年分で済むから、安上がりと国は算段しているに違いない。

基地が返還されれば、確かに爆音が聞こえない静寂な地域が取り戻せるであろう。しかし、その静寂は経済的な破滅死が蔓延する暗澹たる静寂に他ならない。 


以上、浜元氏の勧められるままに、ネットで、検索した資料のうち、わたしなりに、衝撃的なと思われる資料を引っ張りだしてきた。


このような資料を見て、衝撃がありすぎ、どうしていいのか分からないというのが、現在の心境である。