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リタイアーのよもやま話

いつになったら、東ローマ帝国の時代がくるんだろう

2011-05-31 06:50:32 | 歴史

日本人へ
リーダー編
塩野七生

を読み返していて、突然、ひきつけられる文章に、
気がついた。

それは、下記の文章であった。

 なぜ二千年以上も昔なのに失業が社会問題化したのかといえば、
カルタゴに勝って地中海世界の西半分の覇権者になったのはよかっ
たが、その結果ローマの経済構造に大変化が生じて、中産階級が
没落したからだった。

 それによってローマ社会は富者と貧者に二分化してしまい、後者
は、プロレタリアの語源となるプロレターりと呼ばれて、大量の
失業者を出すことになる。

以上。

この箇所は、前読んだ時もアンダーラインをしていたところだが、
今日、感じたような受け止め方は、していなかった。

実は、今進行しているアメリカの歴史的状況とオーバーラップして
しまったからである。

ところで、この内容について、ネットにこのような記事があった。

以下、その記事である。

カルタゴ滅亡時に、スキピオ・エミリアヌスは「いつかわがローマ
も、これと同じときを迎えるであろう...」といった。

この時ティベリウス・グラックスは十六才だった。祖父はスキピオ
・アフリカヌスである。
ティベリウスには弟のガイウスがいる。母のコルネリアはユリウス
・カエサルの母アウレリアと並んで、ローマの女の鑑と讃えられる
女性だった。

ティベリウスが帰国した年の紀元前一三五年、ローマ史上初の
奴隷の蜂起が起きた。正規軍は苦戦を続けた。何かが狂い始め
ていた。

ローマでは経済構造の変化が中産階級を直撃していた。属州と
なったシチリアからの大量の小麦が、小規模農家に打撃を与え
ていたのだ。

やがて、土地を手放さざるを得ない状況に追い込まれて、失業
するものが増えた。結果として、兵役該当者の数が減少の一途を
辿っていくことになる。

以上。

注目は、この文章である。

ローマでは経済構造の変化が中産階級を直撃していた。属州と
なったシチリアからの大量の小麦が、小規模農家に打撃を与え
ていたのだ。

これである。

これは、まったく、アメリカの戦後史と貧困化やそれに追従
する日本の歴史とオーバーラップしてやまないからである。

歴史の専門家ではないので、ちょっといい加減だが、そのアメ
リカの新自由主義が、なんとも断末魔に思えてくるのは、不思
議な気分がする。

カエサルは、このような状況を打破せんと、試みて、殺される
ことになるが、彼こそ、歴史的状況を俯瞰していたということ
だったようだ。

ただ、この観点に興味をもったのは、実は、このローマの状況
の進行が、実はローマ帝国が解体していく原因だったのではと
思われてならなかったからである。

わたしは、高校生の頃からどうして、ギリシャやローマ帝国が
滅んでいったのかと、不思議でならなかった。

後世にて、賞賛されてやまない国家が、どうして滅びなければ
ならないのか、理解できなかったからである。

やっと、高校生の頃の疑問に、自分なりの答えの目処が出てき
たようで、なにやら嬉しい気分になる。

よく、ゲルマン人の流入に原因を求める考え方もあったが、
根幹の原因は、経済問題であったということだ。

今まで、わたしは、ヨーロッパをギリシャに、アメリカを
ローマ帝国に例えて、考えることが多かった。

しかし、退職して以来、読んできた本を通して、アメリカが貧困
化し新自由主義に向かい、金融工学などが生まれた経緯などを知
ることになったが、その理解が、今までとは、逆に、ローマ帝国
の滅亡の長年の疑問に答えをだすことになるなんて、嘘のような
話で、びっくりである。

ある意味で、ゲルマン人の流入は、今なお、世界中から生活苦
で流入するアメリカの不法難民とみなせばいいのだと、なんとも
すっきりしてしまった。

それにしても、日本の千年に一度の大地震の混乱に乗じて「とも
だち作戦」などで、弱り目につけ込んでくるし、普天間問題は、
逆戻りだ。

韓国には、北方領土に踏み込まれる。歯ぎしりして止まないが、
いつになったら、東ローマ帝国の時代がくるんだろう。

 


「心を整える」勝利をたぐり寄せるための56の習慣

2011-05-30 23:51:11 | 若い時に読みたかった本

「心を整える。」
勝利をたぐり寄せるための56の習慣
長谷部誠=著
幻冬舎=出版

この本が、新聞の書評欄で紹介されていた。
その紹介が興味深かったので、いつか、読んで
みたいと思っていた。

偶然、数日前に、見つけたので、喜ばしく思い、
早速読むことにした。

彼は、この本を書いた時点で、27歳ということ
であった。

わたしは、よく知らなかったが、プロサッカー
選手ということもあって、興味深かった。

読み終わって一言。

良い本だと思った。

小学校高学年から、高校生までに、この本を読んで
おきたかった。というのが本音である。

このような本と、このような人と若い時に、出会って
いたかったものだと思っている。

そうしたら、わたしの人生も、違うものになっていた
気がする。

残念でならない。

今の若い人にも、ぜひ読んでもらいたいと願って
やまない。

普段から、読書の習慣をもち、孤独に浸かる時間を
大切にしている。と言っているが、そのことは、本の
つくりかたにも充分に伺える。

本の最初から、最後まで、丁寧に作られていて感心
しているが。

今まで、気づかなかったことがあった。

本田宗一郎氏の著書で、気に入った言葉を紹介していた。

「惚れて通えば、千里も一里」
好きなものは時間を超越する。

この文章である。

「惚れて通えば、千里も一里」この言葉は、よく知ら
れている言葉である。

このよく知っている言葉の理解が、実に浅いものだった
と感じ入ったことだ。

今回、この言葉に。

本田宗一郎氏の「好きなものは時間を超越する。」という
文章が続いたことで、全く違う感想を抱いた。

これを単純に「恋の歌」と思っていたことが失敗で、
あった。

人生において、何が、成すに値するかということも
この「感覚」であったということに、今さらに気づいて
しまった。


「惚れて通えば、千里も一里」
好きなものは時間を超越する。

本田宗一郎氏においては、車作りこそがこのことで
あったのだ。

結局、人生で、大事なことは、そういうことにつきる
ということであろう。

残念ながら、気づくのが遅すぎたようだ。

であるが、そうだとしても、果たして、わたしに、

「惚れて通えば、千里も一里」に値するものが
あったろうか。

ちょっと、心もとない。

ところで、最近、思っていたことで、今回もその思いを
再確認したことがある。

イチローを初め、マスコミを賑わす多くのアスリート
の履歴を読むと、幼児・児童期から、自分の夢や憧れ
に忠実に、突き進んできたということがある。

そのようなことが、可能になるほどに、社会が熟して
きたということと、このような生き方を支援できる家庭
(両親)が出現しているということに、わたしたちの時代
との違いに、衝撃を覚える。

こんな話なんて、歴史に残る芸術家の話だと思っていた
からだ。

こういう時代が来たんだと、そう、家庭の力がものをいう
時代がきたんだと。

なんとなく、このような人生を展開できた人たちに
羨望の念を覚えるが、多くのわたしたちの世代には、
望むべくもないことだったことも事実である。

とはいうものの、羨まくてしようがないものだ。

ところで、不思議なことは、なぜ二世議員は疎まれている
のだろう。


夢でないのが、やっかいだ

2011-05-29 23:01:10 | 定年

退職して、5年目になった。日々の生活で、自分の
体から力が抜けていっているような気がする。

疲れやすくなったようである。

ちゃんと、計画的に筋力トレーニングをしているが、
どうしてだろう。

努力をあざ笑うように、自分の体が萎えていく。

少しばかり、腹は出てきたものの、現役時代より
筋肉はついているはずだが。

仕事をしていた頃、出勤時、大通りに出る際、目の
前を退職しただろうと思われる年配の人が、弁当か
なんか持って毎日歩いて、横切っていった。

わたしは、健康のために、ウォーキングを兼ねている
とみたが、しかし、数年経つと、その顔が熟年の表情
から老人の表情に変わっていったことに気づき、驚い
た。

そして、いつしか、その人は、見かけなくなった。

どうしたのだろう。


わたしの努力をあざ笑うように、老いは、容赦
をしないようである。

わたしも、かの人のくちかと、不安がよぎる。

現役時代、退職生活が輝いて見えた。

しかし、それは、隣の芝生が青かっただけだ。

現実は、賽の河原で、石積みをしているような
ものだ。

寝たきりの高齢者は、失ったものの大きさにショック
を覚え、未来のない現実に、絶望し、葛藤と怒りに
疲れはて、精神は失速し、意識は薄れ、全てを忘却の
彼方に置いていってしまう。

いや、忘却そのもの忘却してしまう。

未来のあることが、どんなにか生きることに、力
を与えてくれることであろうことか。

 

思うに、人の住まなくなった家が、朽ち果ていく
ように。

いくら、筋力トレーニングをした体も、現役を引退した
者たちの無為な日々で漂泊するような精神では、生命の
宿らない筋肉かも知れない。

退職して気づいたことがある。

いつも見慣れた風景が、退職と同時にまったく違う風景
になった。

消費期限の過ぎた夥しい数の所在投げな高齢者が、わたし
の視界を埋めつくす。

今後、この風景がエスカレートしていくかと思うと、
長寿社会の悲しい現実にうろたえてしまう。

国そのものが立ち枯れしそうだ。

こんなはずではと、叫んでみても、池塘春草の夢をみる
ことが叶わない現実に、懊悩してしまう。

長寿化が、少しでも不死に近づくかと、期待に浮かれた
のは何時の日のことであっただろう。

現実は、三途の川べりを疲れ果てるまで、歩き回って
いるようなものだ。

退職者というレッテルをもらったとたん、今まで見て
いた風景が突然消えた。

誰彼もが、一人で、とぼとぼと三途の川べりを、所在
なげにあてもなく歩き回っている。

そんな、ばかな話が、と言いたいのだが。

夢でないのが、やっかいだ。

 


原罪の『贖罪』

2011-05-27 12:15:13 | 

インタネットにあった資料である。


以下、その記事である。


【紀元前63-紀元313年】

 セレウコス王朝に代わってローマ帝国がこの地域に
権力を広げると、ダマスコに陣どっているローマの
将軍は、ハスモン王ヒルカノス二世に限られた権限
しか与えませんでした。

 ユダヤ側はこの新政権を喜んで承認したわけではなく、
その後数年間、しぱしば反乱を繰り返しました。

ハスモン王朝の過去の栄光を取り戻そうと、紀元前40年、
アンティゴヌス・マッタティヤが最後の試みを行ないま
した。

しかし3年後、彼は敗北して処刑され、ハスモン家の支配
は終わり、イスラエルはローマ帝国の属国となりました。

 紀元前37年、ヒルカノス二世の顧問の息子でヒルカノス
二世の娘婿であったへロデが、ローマによってユダヤの王
に任命されました。

へロデは外交間題には何の権限もありませんでしたが、国内
間題には無限の権力を与えられ、ローマ帝国中の東方にお
ける最強の君主となりました。

 ギリシア・ローマ文化の熱狂的な崇拝者であったヘロデは、
多くの建築事業に着手しました。

カイザリアやセバステの都市造営、ヘロディオンやマサダの
要塞がそれです。

へロデはまた、神殿を改修して当時の最も荘厳な大殿堂に
造りあげました。

 しかしこれら多くの業績にもかかわらず、へロデはユダヤ
民衆の信頼と協カを勝ちとることはできませんでした。

 紀元前4年のへロデの死後、ヘロデの後継者たちは主に民衆
の抵抗のため徐々に衰えていきました。

そして紀元6年、ついにローマ帝国の直接支配下におかれま
した。

厳しく冷酷なローマ支配に次第に耐えられなくなり、ローマ
皇帝ネロの晩年、ユダヤ人は反乱を起こしました。

 しかし70年、エルサレムは完全に破壊され、73年ユダヤ人
の最後の要塞であったマサダも陥落する結果に終わりました。

以上。


この資料を参考にと、取り出してきたのは、イエス・キリストが
どのような状況で、殺されたかということを調べたかったからで
ある。

実は、ある程度想定したのであるが、当時のイスラエルには、傀儡
政権があったのではという思いがあったからである。

このような文章があるが、

ギリシア・ローマ文化の熱狂的な崇拝者であったヘロデは、多くの
建築事業に着手しました。カイザリアやセバステの都市造営、ヘロ
ディオンやマサダの要塞がそれです。

へロデはまた、神殿を改修して当時の最も荘厳な大殿堂に造りあげ
ました。

 しかしこれら多くの業績にもかかわらず、へロデはユダヤ民衆の
信頼と協カを勝ちとることはできませんでした。

以上。

結局、ヘロデ王は、占領国家のローマにすり寄る傀儡政権であり、
自国国民を収奪していたように思われる。

カイザリアやセバステの都市造営、ヘロディオンやマサダの要塞、
最も荘厳な大殿堂を作るために、ユダヤ民衆が塗炭の苦しみを味
わったのではなかろうか。

このような記述がある。

そして紀元6年、ついにローマ帝国の直接支配下におかれました。

厳しく冷酷なローマ支配に次第に耐えられなくなり、ローマ皇帝
ネロの晩年、ユダヤ人は反乱を起こしました。

以上。

結局は、イエス・キリストは、イスラエルの国のローマ帝国
支配という不幸な時代に生まれたのである。

だからこそ、当時のイスラエルは、予言者を待ち望んだの
だろう。

民衆は、本当のところ、モーゼの再来を願ったのではないか。

このような時代に、傀儡勢力となった聖職者に対して、反発
したのは当然理解できることである。

しかし、傀儡の勢力にしては、不穏な動きをする者、ローマ
帝国のご機嫌を損ねる存在として、目障りな存在であったで
あろう。

結局、ローマ帝国がなかったなら、イエス・キリストは、誕生
していないということである。皮肉である。

傀儡勢力の保身のために、彼は殺されたのだ。

死んだイエス・キリストには、政治がわからなかったようだ。

例えは悪いが、連合赤軍と権力とのスンタスいう意味では
さして変わらない。

暴力革命を志向しなかっただけの話で、傀儡勢力にして
みれば、目障りだっただけの話である。

だから、イエス・キリストもキリスト教も、ローマ帝国
の帝国主義が生み出したものである。

イエス・キリストは、イスラエルの救世主として期待された
のだが、実際は、殺されたので、救世主で期待されたことを
成し遂げることはできなかったと、いうのが、わたしの彼の
理解である。

だから、彼の宗教的主張が、地元イスラエルで広まること
なく、他国、わけても、ローマで大きく普及したこと、
キリスト教となって、展開されたことは、皮肉であると
わたしは見るのである。

ユダヤ人を救うことは、できなかったし、イスラエルを救う
こともできなかった。

イエス・キリストは、期待された使命を全うすることはできな
かったのである。

イエス・キリストが、ユダヤ人以外の人間を救うのはわたしに
とっては、筋違いだという気がしてならない。

それにしても、モーセは、ユダヤ人のエジプトでの400年の
奴隷生活からユダヤ人を救いだしたことからすると、


AD132年の「バルコフバの反乱」の後には、遂にローマは
ユダヤ人をイスラエルから追放(ガルート)し、以後約18
00年の長きにわたってユダヤ人は各地に離散(ディアスポラ)
することになった(ネットより引用)。

彼が、このユダヤ人の運命を阻止できなかったことは、彼は、
メシアを語ることはできまいと思うのだが。

ネットにこのような文章があるのだが。

このイエス・キリストの磔刑による死は、齡ハに、人類の始祖で
あるアダムが犯してその時まで続いていた原罪の『贖罪』であっ
たと解されている。

一神教の世界観では、人間は生まれながらにして罪深い存在と
定義され、他者を傷つける利己心や動物的欲望、神への反抗心と
いった原罪を背負っていると考えられている。

その悪なる行為や欲望の起源は、神に逆らって知恵の実を貪った
アダムの原罪にあるのだが、イエスが十字架刑によってその罪を
贖ったというのである。

以上。

このイエス・キリストの磔刑による死は、齡ハに、人類の始祖
であるアダムが犯してその時まで続いていた原罪の『贖罪』で
あったと解されている。

このようなことがあるが、

わたしとしては、腑に落ちない。

イエス・キリストが死んだからといって、神が嫌う知恵が
ついてしまったという現実は変わらないからである。

神は、アダムとイブに知恵がついたことを怒ったのである。

ところで、創世記には、こうある。

しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。
それを取って食べると、きっと死ぬであろう。


なぜ、アダムとイブは、死ななかったのか。

エデンの園を追放された後のユダヤ人の絶望的な運命を
鑑みた時、アダムとイブは、エデンの園で、神が言った通り
死んだ方が、本人たちも続く子孫にとっても幸せでは
なかったろうか。


先に、このような文章があったが、


一神教の世界観では、人間は生まれながらにして罪深い存在と
定義され、他者を傷つける利己心や動物的欲望、神への反抗心
といった原罪を背負っていると考えられている。

その悪なる行為や欲望の起源は、神に逆らって知恵の実を貪っ
たアダムの原罪にあるのだが、イエスが十字架刑によって
その罪を贖ったというのである。

このような解釈、理解できない。


人間は生まれながらにして罪深い存在と定義され、他者を傷
つける利己心や動物的欲望、神への反抗心といった原罪を背負
っている。

というのだが、

アダムとイブは、神によって創造された時は、善悪の知らない
存在だったのである。

問題は、善悪を知るようになったから、悪事はしないように
なるはずだのに、現実は、人間が原罪といいたくなるような
おぞましい人間になったのは、その木の実は、謀略で植えた
としかいいようがない。

はっきり言って、イエス・キリストの出現を待望したのは、
自分の罪をアダムに転嫁し、そして、キリストの死を、生贄と
して、助かろうというさもしい考えであり、つまり、自分の
罪悪感から解放されようという忌わしい企みにしか過ぎないし、
宗教的指導者としてイエス・キリストに並ぼうという自分の
野心を満たそうという卑小なる行いにすぎない。

もし、イエス・キリストが救世主なら、ヨーロッパの植民地
政策に加担し、アフリカやアジアを収奪するようなことは
起こらないはずだ。

本来、ユダヤ人のメシアと期待されていながら、後世にて、
キリスト教が、ユダヤ人虐殺をおこなったが、彼は、安直に、
ユダヤ人以外の救世主と崇められたことを、どう考えるのだ
ろう。


全能の神よ。どうして。

2011-05-25 11:42:24 | 

全能の神よ。

あなたは、創世記において、地球上の最初の人間である
アダムとイブを作った。

とうぜん、この世の中には、彼らの子孫であるユダヤ人と
宗教しかないはずである。しかし、どうして、ユダヤ人は、
異教徒のエジプト人の奴隷になったのでしょう。

その後、どうして、異教徒のローマ帝国の支配下に置かれ、
世界に離散していく運命になったのでしょう。

2004年現在、全世界人口60億余、ユダヤ人は約1480万人、
という話があるが、なんで、こんなに少ないのでしょう。

58億以上の人間が、異教徒ですが、どうして、あなたではな
い神を信ずる人々が、この地球上におおくいるのでしょう。

あなたは、創世記において、地球上の最初の人間である
アダムとイブを作ったということだが。

どうして、でしょう。