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リタイアーのよもやま話

買いたがる脳

2016-03-31 21:35:02 | 読書

買いたがる脳

なぜ、「それ」を選んでしまうのか。

デイビッド・ルイス=著
武田玲子=訳

 

を読み終えた。

だいぶ前に、

衝動買いさせる技術
松本朋子著
フォレスト出版

について、ブログで書いた。

このようなこともあったので
読んでみる気になった。

本のなかで、まとまった文章が
あったので、抜粋してみた。

「買いたがる脳」はここまで
解明されている

 本書では、脳についての研究
がどのぐらい進んでいるかを紹
介するとともに、神経経済学や

行動経済学、消費者心理学の研
究成果についても解説する。そ
して、それらが広告やマーケテ
ィング、販売に活かされ、強力
な「脳への売り込み」になって
いる状況を説明していきたい。

 広告、マーケティング、販売
に携わる人たちは(そのほかに
も広く「消費者を説得する業界」
の担当者たちは)、最新の手法

や技術、その応用方法を学べる
はずである。また、一消費者と
しても、売り手による、きわめ
て強力な「消費者操作」の実態
を認識できる。

以上。

 

「衝動買いさせる技術」
なんてタイトルに、カチンと

きたのだが、この本にしても、
今回の「買いたがる脳」にして
も、おそらくだが、皮肉なこと
に、その手に乗らない人がこ
の本を読み、何かと売りつけ
られて散財し、結局のところ
収奪されている人は、読まな
いのではなかろうかと、思っ
たりしているがどうだろう。

物が売れなくなるのも困るのだ
が、見栄を張って、身の丈を超
える散財で、四苦八苦して生き
るのも考え問題だ。

本として、充実した内容となって
いて、著者の誠実さが伝わる。

お薦めできる本と、思った。


またまた、レイニーブルー

2016-03-29 21:50:58 | 音楽

またまた、レイニーブルー

先日、Ms.OOJA のレイニー ブルーと
徳永英明のレイニー ブルーを聴いて
気付くことがあった。

それは、歌われている心情の違い
である。

レイニー ブルー
もう 終わったはずなのに
レイニー ブルー
何故追いかけるの
あなたの幻 消すように
私も今日は そっと雨

と歌詞はあるのだが、
徳永英明- レイニー ブルーは

その歌われている心情としては、

実のところ、事実としては、
終わっているのだが、心情
的には終わっていない。
認めたくない終わった事実に
打ちのめされている。
彼は、泣きながら歌っている。

Ms.OOJA - レイニー ブルーは、
事実として終わっており、心情的
にも終わったと納得していいる
のだが、心の中の残り火に
もどかしさを感じている。
終わりきらないやるせなさの
中に、歌っているのでは。

どうだろう。




徳永英明 レイニーブルー

Ms.OOJA - レイニー ブルー

 徳永英明- レイニー ブルーを聴き込んでいた
時から、かなり時間を経た。

そして、当時の思いが少しずつ風化してきつつ
あり、それを認めざるを得ないだけの時間が
経った。

そういうことで、今の私には、
Ms.OOJA - レイニー ブルーの方が心地よく
響くのだろう。

 


中国、人民の蜂起が全国で勃発

2016-03-29 21:38:19 | 経済

ネットに次のタイトルの記事が
あった。

中国、人民の蜂起が全国で勃発
…共産党一党独裁崩壊の開始か、
批判運動が先鋭化

 3月16日、中国の国会に相当
する全国人民代表大会(全人代)
と国政諮問機関の全国人民政治
協商会議(全国政協)からなる
「両会」が、今後5年間の経済
政策「第13次5カ年計画」を
策定して閉幕した。議場では、
景気の底上げや環境汚染対策な
どがメインテーマとして話し合
われた。とはいえ、議論によっ
て政策が決定されるわけではな
く、実態は出来レースである。

 しかし、そんな“セレモニー”
が厳かに執り行われた人民大会
堂の外側では、為政者と人民の
間に横たわる大きな溝が浮き彫
りとなった。

 11日、黒竜江省で炭鉱労働者
ら数千人が未払い賃金の支払い
を訴えるデモを行った。これは、
全人代の黒竜江省代表団会議で
同省長が、「炭鉱労働者の給与
未払いは皆無」と発言したこと
に反発したものとみられている。

以上。

ところで、

中国鉄鋼業界リストラの嵐 50
万人が対象、過剰な生産・在庫の
解消へ

というニュースがある。

中国は、世界の工場とつい最近まで、
言われていたが、労働賃金は高騰し、
あらゆるものが今や、過剰投資とな
った。


「日本製品の不買運動で、日本企
業1000社が1ヶ月で倒産する」

と豪語していたことが、嘘のような
現実となった。

考えてみれば、共産主義と資本主義
の共存なんて、あり得ないのだ。


こんな単純なことを見落としていた。

資本主義である以上、自由競争で、
優勝劣敗の世界だ。

だから、失業者が出ることは必定だ。
しかし、共産主義である以上、失業
者が出ることは、労働者の国として、
大義名分は、立たない。


いまや、共産党が、その現実の中で、
四面楚歌となりつつある。

13億の国民の怨嗟の念に権力者と
権貴資本主義者の恐怖は、いかほど
のものであろうか。


レイニー ブルー

2016-03-28 00:20:24 | 日記

再び、レイニーブルー

前回、下書きのままで、アップしてしまって
いた。

後で、気付いた。

ちと、失敗だったね。

Ms.OOJA - レイニー ブルー

この曲は、徳永英明の歌で知った。 

この演奏、途中で終わっているので、残念だ。

今は、彼女の歌い方のほうが、心地よく響く。
なんと幸運なことだろう。



徳永英明 レイニーブルー

久しぶりに、この曲を聴いて、この曲にはまり
込んだ当時を思いだす。

この曲を聴くたびに、どうして、どうして、若い
ときに出会えなかったのだと、繰り言をつぶ
やく。

かつては、もしかして、70歳くらいになると、
再会できたりしないものかと、思ったりした
のだが。

しかし、お互いの人生経験に共通項は
なく、きっと、言葉が通じ合えなくなって
いるのだと思うと、どういう運命のいた
ずらも望まない方が良いのではと、やる
せない思いがよぎる。

こういう時は、前にブログに書いたこと
を思い出す。

 

置いていかなければならない宝物を
持っていることを、天に感謝したいく
らいだ。

サン=テグジュペリは、語ったようで
ある。

これから戦場に向かわんとするいま、
いつ死ぬかもしれない。
もう妻とは2度と会えないかもしれない。

その瞬間に、現実を嘆くのではなく、
妻と出会えたことに感謝しているの
です。
 
そして、実際にこれが本当に永遠の
別れになってしまうのですが、サン=
テグジュペリは、死ぬかもしれない
その直前にも、そこに幸福を見出し
ている人だったのです。

と、このようなことが書かれている本
があったが、失う前に、失うには素晴
らしいものがあることを知り得ていると
いう言い回しは、妙なものである。

失って知る大切なものという言葉は、
よく聞くのであるが。


ただ、いい言葉である。

失って、引きずる気持ちを美しくなだ
め、癒してくれる言葉であるような気
がしてならない。

この言葉を充分に理解し、感じるには、
時間が幾ばくかかかりそうである。

置いていかなければならない宝物を
持っていたことを、天に感謝しながら、
は、老いていけたら、幸せかもしれない。

どれだけ多くのものを置いていけるかが、
実は、自分の人生に納得できることかも
れない。

 昔、夜な夜な徘徊して、食事しBGMを
聴いて過ごした多くの喫茶店は、ほとん
どが残っていない。

おぼろげに、想い出の中にしか残ってい
ない美しい時間は終わった人生の向
置いていくしかない。

置いていかなければならない宝物を
持っていることを、天に感謝したい
くらいだ。

サン=テグジュペリ に感謝である。

と、書いたのだが、残念ながら、
現実は、サン=テグジュペリ の
境地には、達しがたい。
 

Ms.OOJA - レイニー ブルーで、
最後まで聴けないので、島谷ひとみ
で聴いてみることにしよう。

 島谷ひとみ / 「レイニーブルー」【Studio Live Movie】

徳永英明の歌声だと、あまりにも切々と
歌うので、時間を巻き戻されるようで、
辛いものがある。

その点、 島谷ひとみ の歌声は、思い出を
遠い昔のこととして、距離をおいて響くので
聴きやすい。

今、Ms.OOJA - レイニー ブルー のCDを
注文中である。

あとで、彼女の歌声で、遠い過去を優しく
愛おしく、振り返ってみよう。


君たちには明日ない

2016-03-26 07:24:34 | 読書

君たちには明日ない

垣根涼介

新潮文庫

を読み終えた。

だいぶ前、隣のスーパーの本棚
に「大人の時間」なんて書かれた
帯びのついた本が、何冊か並ん
で陳列されていた。

気に入った作家の時代ものの小
説を読み尽くしていたので、な
んとなく気が向いた。「大人の
時間」という文字に惹かれたか
もしれぬ。

この本は、シリーズになって4
冊であるが、面白くて、完読し
てしまった。

その感想を書きたいと思ったの
だが、本の解説にいい文章があ
ったので、それを紹介したい。

わたしを魅了した要点を、書き
切ったように思えるからだ。

書いていたのは、藤田節子氏で
ある。

長い引用は気になるが、藤田氏
と垣根氏の宣伝になると思って
容赦してもらいたい。

 一つは言葉選びの適確さだ。
一見文学的な紋切型表現はどこ
にもなく、事物や現象を正確に
記述する独自の言語感覚と語彙
の豊富さが感じられる。だから
こそ、体言止め、短文改行、助
詞抜け等々の禁じ手が、作品と
しての格調を落とすことなく、
リズム感とスピード感を作り出
し、物語を疾走させていく。

 二つ目は、作家としての物の
捉え方、描き方についてだ。効
率優先の社会はいかん、グロー
バリズムはけしがらん、リスト
ラに名を借りた不当解雇は許さ
ん、で小説は成立しない。リス

トラ業務(本来のリストラクチ
ャリング-再構築-ではなく、
ただの首切り)をアウトソーシ
ングするという企業倫理も何も
あったものではない世界で、汚
れ仕事の最前線に立つ社員の話
を、何とも前向きな物語に仕立
て上げるということ自体が、作
家としての体力のいる事である。
読者からは、不謹慎、現実の深
刻さを認識していない、という
非難も飛んでくるだろうに、い
い度胸をしている。


 何より主人公は、ドラマやマ
ンガのように、実はどこかの大
物と繋がりがあったり、特命課
長であったりというスーパーマ
ンではない。ただの社員であり、
たかが社員であり、その動きも
できることも限定されている。
その中でどうやって、小説に仕
立て上げようというのか? そ
れが小説になっている。しかも
主人公の本来の業務の範囲内で。
主人公だけではない。登場する
他の社員についても、組織の中
で仕事を通して、上司と対立し
たり、部下を陥れたり、サラリ
ーマン人生から転落したり、新
しい道を切り開いたりしていく。
決して心理的、情緒的なものを
ストーリーの推進部分に使って
逃げを打つということをしてい
ない。既存の多くのビジネス小
説、企業小説が、肝心なところ
に来ると、背広を着た時代小説
のように、情緒的な結着をつけ
るのと対照的だ」

 長くなるのでここまでにして
おく。

 主人公、真介は、企業の人事
部からリストラ業務を請け負う
会社、「日本ヒューマンリアク
ト」の社員で、この連作短篇で
は毎回、業種も会社も異なる様
々なリストラ対象者が登場する。

 さてこの話の前提となってい
るリストラ業務請負会社だが、
そもそもそんな会社があるのか、
という疑問を持たれる読者もい
るだろう。

 少なくとも私は聞いたことが
ない。ヘッドハンティングを装
い、だまし討ちのような形で、
自己都合退職に追い込む組織は
あるが、あくまで一種の犯罪行
為であって、表立って、そうし
た看板を掲げてはいない。

 設定部分でいかに大嘘をつく
か。それが小説の面白を決定す
る。しかし嘘が大きければ大き
いほど、細部のリアリティーの
積み重ねが重要になる。

「資本金一千五百万 従業員十
五名 主要取引先 トヨハツ自
動車 香嶋建設 ニショナル 
真潮社(!?)……」

「日本ヒューマンリアクト」が
乗り出しだのは、典型的な隙間
産業だ。

〝いかがわしい名前の、さらに
いかがわしい顔つきの首切り職
業集団〟

 あり得ないが、あっても不思
議はない、もしあったら、どん
なことが起きるだろう。

以上。

藤田節子氏の解説の文章である。

人の褌で相撲をとるのもなんだ
が、素人の下手くそな文章にた
よるより、プロの力を借りた方
が、私の感想を十分に伝えるこ
とができる。

この本についた帯びに書かれて
いる文章は、こうである。

おとなの時間

天国にひとりでいたら、これよ
り大きな苦痛はあるまい。

          ―ゲーテ


本当は、どんな仕事がしたいの
か。

リストラ請負人が、あなたの心
に問いかける。

山本周五郎賞受賞

全ての働き人に捧ぐお仕事小説!
就活生、天活生に読まれていま
す!!

である。

私は、小説の時代設定が、現代で
ある作品は、私の日常に突き刺さ
るものがあって、辛いので30年
以上、避けてきた。しかし、今回
読み始めると、作品に引き込まれ
て、シリーズ作品4冊を一気に読
んでしまった。

驚いている。

私としては、まずは大学生の必
修教養本として薦めたいのだが。