消費期限終了

リタイアーのよもやま話

暑い

2009-06-30 21:57:19 | 日記
暑くなったものだ。

時間があるからといって、コンピュータの前に座るのも辛くなってきた。

今、夜の9時半を過ぎたが、コンピュータのある部屋の温度計が、31度を示している。

父親の土地が草ぼうぼうになって、見苦しいので、昨日から、草刈り機で、草刈りをしている。

普段は、野良作業なんてやらないので、こんな暑い日の作業は、短時間で汗だらけになる。

良く頑張って、1時間もすれば、午後の病院に出かける体力なんて残らない。

たった2日で、一休みである。

今日の午後、病院からの帰宅の際は、体調が思わしくなくなってきた。やはり、である。

外に出かける体力はないので、家で休むしかない。

とはいうものの、取り立ててやることがない。

あまり暑いので、居間に置きっぱなしのコンピュータを自分の寝室に移動して、使うことにした。

寝室は、隣の母親の部屋からクーラーの冷気を、扇風機で送っているので、心持ち涼しく感ずる。

自分のコンピュータを置いている部屋に比べると、やはり、楽である。

これで、やっと、コンピュータに向かって、いられる。

ところで、年金暮らしの人って、どのくらいの人がクーラーを心置きなく使用できるのだろうか。

年収のどのくらいの人から、クーラーを不自由なく夏場に使えるのだろう。

なんて、最近考えることがある。

わたしの身近で、クーラーなしの生活をしている人も結構いるような気がするのだが。

わたしが、就寝時にクーラーを使うようになったのは、昨年の夏からだ。

それまでは、クーラーなしの生活をしてきた。

最近は、夏場の蒸し暑さに耐えるだけの根気も体力もなくなってきた。

昨年から、たまりかねて、隣の母親のクーラーの冷気をわたしの寝室に送り込んで、涼をとるようにした。

明け方などは、寒いくらい時もある。

とりあえず、クーラー一台の稼動で、済ませることができて、ラッキーなような気もする。

できうれば、クーラー一台の稼動は、これからも、不自由することなくありたいものだ。

母親の健康管理上も、クーラーの稼動は、続けなければならない。

暑い。暑い。が、少しでも、衰弱しないように、心がけねば。

重信房子のニュースを思い返してみて

2009-06-30 12:30:32 | 日記
重信房子の先日のニュースで、後になって気付いたことがあった。

「支援団体が発行する冊子に原稿を書くなど忙しいが、世の中を変えたいという思いは変わりません」

 革命を目指す思想に変化はないが、還暦を過ぎた。「体調は悪い。戦場では何度も捨てては拾った命。銃弾に当たってよいと思っても当たらないこともあるし、逆のこともある。人にはそれぞれ定められた命があると思っている」

と言っているのだが、よく考えてみれば、彼女は、ちゃんとした社会で、就職をしたことがない。つまり、社会に参加したことがない。70年から今日まで、どれだけ社会が変化してきたかを彼女はしらない。

とりとわけ、彼女が就職しなかったということは、労働者としての
経験がないということだ。

彼女は、左翼である。わたしには、彼女が労働者としての経験
をなくして、革命を語るのは、解せない。

革命は、労働者を賃金奴隷から開放するための手段であったはずだ。

労働者の経験のない者が、労働者の開放を語るのは、彼女には
悪いが僣越な行為というような気がする。

そういう意味では、大学を卒業し、日常の生活にはいっていったわたしたちは、その間、時代の流に取り残されまいと、それぞれの職場を通じて、必死になって生きてきたはずだ。

わたしも、凡俗ながら労働者の矜持については、拘ってきたつもりである。
そのために、身の程をわきまえず、背伸びをした人生になってしまった
気もする。

だから、本質的な意味で、彼女が時代を理解できているとは思われないのである。

彼女は「戦場」と言っているのだが、世界的に見れば、彼女の戦場は、非常に特殊なローカルの世界の話しである。地域戦争である。勿論、不条理な不幸にあると思うが。

わたしたちが経験した社会は、実質的な意味では、経済的な全面戦争に近い。

わたしは、彼女のこの戦場体験が、現代社会の理解にはつながらないし、グローバル化した世界の理解にもつながらないと思う。

彼女の世界観は、1970年以前の社会がベースになっていると考えている。

まだ、社会が発展途上にあり、その背景にあって、左翼の神話が成り立っていた時代の話しである。

今となっては、彼女の革命は、それこそ、全く根拠のない「見果てぬ夢」の最たるものだという気がする。

卒業し、社会に入っていったわたしたちは、就職した。文書一つにとっても、ガリ版で印刷する時代からスタートしてきた。

録音でも、オープンリールの時代だ。

今や、メールをやりとりする時代、音楽もインターネットでダウンロードする時代。

直接、アメリカ、ヨーロッパとテレビ画面で対話する時代だ。

ましてや、ブログで誰でも、世界的に情報を発進する時代。

個人で、動画でも、静止画でも、世界に情報を発進できる時代。

子どもが、その力量を超えて、携帯電話で大人と同等の情報を弄んでいる。

根拠のない自信を振り回し、世紀末へと走る。

子どもが大人になりきらないのに、その力量を超えて、振る舞っている時代だ。

わたしたちが就職し、そして現在まで、その間に技術革新が進み、社会構造が、「原風景」からどんどん遠ざかっていってしまい、自分自身の生活感情から遥かに乖離し、戸惑いのままに日々を過ごしている。

ところで、自民党から民主党は政権担当能力がない。と言い切られているのだが、現実の社会に責任をとることは大変厳しいことだと思う。

民主党が政権をとったとしても、政権を担当するだけの閣僚を用意することができるのか、100年に一度の大不況と言われている現在、人気に相応する政策を実施することができるか、大いに疑問でもある。

勿論、現在の自民党の既得権をむさぼるような体質は、困りものだが。

ところで、彼女の革命って、なんだろう。

現実の政治がどんなにか、不自由なものであるかを知っているだろうか。

すべての経済は、バブルに通じるという人がいたが、わたしたちは、この悲しい現実の中で、所与の原風景を背負い、それぞれの時代を生きていかなければならないと思っている。

だから、どんなにか、現実の政治は困難なものであろうかと思うようになった。

彼女は、現代の「浦島太郎」でもあると思うのだが、分かっているのだろうか。
いや、もしかして、分からずに天寿を全うする方が幸せかも知れない。

重信房子の人生って、何だったんだろう。

そして、わたしたちの人生も何だったんだろう。


再び、死ぬときに後悔すること 25 について

2009-06-29 22:56:45 | 読書
前回もこのテーマで文章を書いた。

この本をざーっと読んでみたが、最初本のタイトルをみた時の印象とはかなり違う感想をもった。

本屋を立ち寄る時に、この本を見かけたら、ちょっと覗いて貰えたらという気持になった。

もしかすると、気に入って貰える人もいるかなという感想をもった。

押し付けはしないが、機会があれば、どうでしょう。



「あとがき」より、抜粋してみました


この本では、私が遭遇してきた「後悔」のうち代表的なものを25挙げた。深い共感をもって読んでいただけたものもあれば、私はそうは思わない、そんな項目もあったろう。
 
それが普通だと思う。実際に、人によって死を前に後悔する内容はまったくもって異なっているから、感想は違って当然なのだ。

けれども、その後悔の内容には類似性があることに私は気が付いて、この本を書いた。

残念ながら、死を前に後悔が一つもない人はいないだろう。

人は完璧な存在ではないがゆえに、結局どんなに一生懸命準備をしたとしても、後悔がない最期など迎えようがないのかもしれない。
 
けれども、「後悔がないように」と普段から考え、ここまで列挙してきたことに一生懸命励んだらどうだろうか。

おそらくそうでない場合と比べて、まったく違う人生が、まったく違う道が眼前に広がるのではないだろうか。

死期が迫るとき、人は必ず自分が歩んで来た道を振り返る。

その道こそが、己の財産そのものであり、その道が納得のいく道であれば、微笑みをもって見納め、その先に足を踏み出すことができるだろう。

体の苦痛は進歩した医療で取り除くこともできる。けれども、終末期はそれまでの人生の集大成である。

やり残した宿題を、人生という先生は決して見逃さない。
その最終課題の前に、多くの人は苦難を強いられた。

やり遂げた人もいれば、最後まで課題を解決できず、辛い最期を迎えた人もいた。私は後者も救いたい。

しかしそれには私の力だけでは、どだい無理なのである。

何より各々の人生の所有者である皆さんが、後悔が少ないような人生にしようとひたすらに歩むことがなければ、私は全ての魂を救うことはできない。

もちろん神ではない私は、全ての人を救うことができないのを知っている。

けれども、そのようになって欲しいと心から願っている。

東国原知事の発言大丈夫かな

2009-06-29 22:22:51 | 社会
彼は、「今のままでは(支持率が高い)民主党が圧勝してしまう。民主党のファシズムになってしまう」と強調。「これに対抗するために自民党が生まれ変わらなければならない」と述べている。

しかし、彼の投票には、民主党の票もはいっていたはずである。

以下資料

東国原知事は、所属政党は無所属ということである。しかし、各マスコミによる出口調査では無党派層だけでなく各政党支持層からも一定の票を獲得したことが伺える。


一般な見方として、彼は、革新系無所属のポジションだったと思うのだが。

彼は自分の票田についての理解が足りないのではないか。




また、こうも述べている。

FNNスーパーニュースに出演し、「民主党で出馬する方が、早く改革できるのでは?」と問われたのに対し、「党としての経験が蓄積されていることを重視し、自民党が下野することになっても民主党で出馬することはない」と発言し、相対的に自民党を支持していることを示唆した。

となると、
官製談合事件で逮捕された当時の現職知事安藤忠恕と同じポジションに彼自身が逆戻りすることになると思うのだが。

それにしても、自分の選挙民を裏切る発言だが、分かっているのだろうか。

それに、民主党は、まるで、次回の衆議院選挙で圧勝できると思い込んでいるが、取らぬ狸の皮算用という言葉を知らないようだ。

民主党の参議院での圧勝の社会的背景と現在の状況は、全く違うはずだのに、馬鹿馬鹿しくて見ていられないのだが、東国原知事分かっているのだろうか。

それにもまして、民主党の幹部の皆さん、なにか間違えてはいないのだろうか。

浮かれ過ぎと思うのだが。まるで、すでに政権をとっているかのような態度、大丈夫かい!?

読書

2009-06-29 21:33:59 | 読書
私自身のことになるが、一つの講演会やセミナーのテーマについて、どれくらい勉強すればよいかふり返ってみると

※実務書などを中心に10冊読むと、まずまずの内容になる。

※30冊について勉強すれば、その分野において十分に合格である。

※100冊について勉強すれば、自分なりの理論や新説を打ち出せる。

5冊ぐらいでは、けっこう勉強している人がいるので、ひょっとすると恥をかくことになる。

どの本から抜粋したか、記録が残っていなので、著書名は不明です。