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リタイアーのよもやま話

Keith Jarrett - Shenandoah

2009-10-29 22:36:11 | 音楽
Keith Jarrett solo - Shenandoah 1999



Shenandoah : Keith Jarrett



Keith Jarrett - Shenandoah




今日も5時半に目が覚めた。Keith Jarrett solo - Shenandoah
1999を聴いて、ストレッチをする。

そのうち、その心地よい、テンポのゆらぎに聞きいっているうちに、
何か懐かしいものを思いだした。

それは、クラシックのピアニストのアフレッド・コルトーの演奏
だった。

さっそく、コルトーの演奏を検索して聴いたら、曲は違えど、
雰囲気がそっくりだった。

間合い、息の吸いかた、さすがにびっくりした。

ジャズとクラシックの接点があるなんて。

そこで、ネットでキース・ジャレットの履歴を調べた。その経歴を
読んで、なるほどとうなってしまった。

アメリカのジャズ・ピアニスト。ペンシルベニア州アレンタウンに
生まれ、3歳からクラシック・ピアノを弾きはじめ神童といわれる。
7歳のときフィラデルフィアでソロ・ピアノ・リサイタルを開き、
クラシックのほかに自作の曲も演奏してみせる。このころから
セミプロとして音楽活動を行い、1962年、16歳にしてオリジナル曲
だけでソロ・コンサートを行う。

彼は、クラシック畑の出身だったのだ。


これは、わたしの無知だった。


そこで、今度は、キース・ジャレットのクラシックの演奏を検索
して、聴いてみた。

ベニーグッドマンのモーツァルトやウィントン・マルサリスの
ハイドン、そして、バーバラストライザンドのイタリア歌曲とは
全然違うちゃんとしたクラシックの演奏であった。

やはり、「3歳からクラシック・ピアノを弾きはじめ神童といわ
れる。」通りである。

結局、クラシックでは飽き足らず、ジャズをやったのかも知れ
ない。

今日は、本当にびっくりしてしまった。


ところで、この曲はアメリカ民謡であるという話しなので、
歌詞について、ネットでいろいろと調べた。

すると、大阪メンズコーラスの見解 ですが、大変素晴らしい
資料があった。



Shenandoah
Oh Shenandoah, I long to hear you,
Way-hay, you rolling river
Oh Shenandoah, I long to hear you,
Away, we're bound to go
'cross the wide Missouri
O Shenandoah, I love your daughter
Way-hay, you rolling river
O Shenandoah, I love your daughter
Away, we're bound to go
'cross the wide Missouri
'Tis seven long years since last I see thee,
Way-hay, you rolling river
'Tis seven long years since last I see thee,
Away, we're bound to go
'cross the wide Missouri
Oh Shenandoah, I'm bound to leave you,
Way-hay, you rolling river
Oh Shenandoah, I'll not deceive you,
Away, we're bound to go
'cross the wide Missouri


【大意】
おお、シェナンドー、おまえの流れる音を聞きたい
 *逆巻く河よ
おお、シェナンドー、おまえの流れる音を聞きたい
 *広いミズーリを横切り
 *われわれはおまえから遠く離れていく
   (以下、*印および繰り返し部分を省略)
おお、シェナンドー、おまえの流れる姿がなつかしい
おまえを最後に見てから7年の長い月日がたった
おお、シェナンドー、おまえのもとを去ってはいるが
おお、シェナンドー、おまえを忘れたりはしない
【解説】
私たち大阪メンズコーラスは、次の解釈を採用致します。
《総論》
シェナンドーは、アメリカインディアン・チェロキー族の、
「涙の道」の歌である。
《概要》
現在シェナンドーの地名が残っているのは、アメリカ東部、
アパラチア山脈の南、ヴァージニア州のあたりです。

シェナンドー川、シェナンドー渓谷、シェナンドー山脈、
シェナンドー国立公園など。そこが映画「シェナンドー」
の舞台であり、ジョン・デンバーの「Country Road」で
シェナンドー川のほとりと歌われた所です。

わかりやすく言えば、ワシントンDCから車で気軽に行ける所、
東海岸と言ってもいい所です。
アメリカ中部のミズーリ川、ミズーリ州とは全く方向違いで、
仮にミズーリ川→ミシシッピ川と川伝いに行っても、
地理的にシェナンドー川に行くのは不可能でしょう。
一般的に川を行く舟人達のシャンティーと言われていま
すが、何か気になります。

ホームページでこの疑問を投げかけている人もいますし、
この歌を訳してみようとした人は、皆一度はそのことを感じる
のではと思います。

だからこそ、シェナンドーは、「ミズーリ川沿岸に住むインディアン
の酋長の名前」にしておき、そこから新しい物語を作る方が楽です。

この歌の題名も、Shenandoah だけでなく、
Shennydore, The Wide Missouri, The Wild Mizzouryeなど、
いくつかあるようです。
ところが、アメリカの歴史を調べているうちに、次のような
史実を知りました。

1830年に、アメリカ東南部一帯に住むインディアン
諸国家に対し、ミシシッピ川の西側に移住させる法律が
制定されました。

民族間の問題もあったでしょうが、1828年にアパラチア
山脈南部で金脈が発見されたことが大きなきかけとなった
ようです。

このあたりに住んでいたチェロキー族は、1938年10月から
翌1939年3月にかけて、オクラホマまで1300キロを移動して
いきます。

その移動も、白人が武器を使った強制的で暴力的なものでし
たし、冬の気候の元、劣悪な条件の中での移動でした。

移住者総数1万数千人のうち、4分の1が死んだと言われて
います。

その行程は「涙の道」と呼ばれています。
このインディアン側の気持ちに立ってシェナンドーの
歌を考えてみますと、住みなれた美しい土地から強制的
に立ち退かされ、遠く離れていく時の悲しい気持ち、
無念の思いがこの歌を作ったのではないか、と考えました。
この方角から眺めますと、 Oh Shenandoah, I long to hear you, 
の意味もすんなり理解できます。聞きたくても聞くことができない
無念の思いです。
Away, we're bound to go  /'cross the wide Missouri
これは川を船で行くのではなく、陸路で広いミズーリ州を横切っ
て行くという、気の遠くなるような気持ちが出てきます。また、
行けば行くほど、シェナンドーから遠く離れていくという悲しい
気持ちもあります。

O Shenandoah, I love your daughter この daughter は、
シェナンドー川の自然、及び自然の恵みと考えておきたいと
ころです。
(ジョン・デンバーは、Country Road の中で、mountain momma 
母なる山 と言ってます。)

《結論》
こうやって考えていきますと、この歌は「涙の道」の歌であり、
題名は絶対に「シェナンドー」でなければいけないとなります。


【参考資料/よく演奏される歌詞を集大成したもの】
シェナンドーは、インディアンの酋長で、
ミズーリ河のほとりに住んでいた。
白人の男がインディアンの娘を好きになった
彼はカヌーに贈り物を山と積んでかよった
おお、シェナンドー、おまえの娘が好きだ
この川を超えて連れて行きたい
酋長は彼の差し出す金を軽蔑した
娘は、おまえには絶対について行かないだろう
7年間にわたりサリーに求婚し続けた
更にもう7年、願い続けた
彼女はぼくの恋人にはならないと言った
ぼくが薄汚い船乗りだから
ある日アメリカの船長がやってきて
彼女を誘惑した
彼は酋長に石油を売りつけ
娘をさらっていった


大阪メンズコーラスの素晴らしい資料に
接することができて、喜んでいる。

大変感謝したい。

ところで、キース・ジャレットはこの曲を演奏しているが、
どの歌詞をベースに考えて、演奏していたのだろうか。それが
知りたいものだ。



キース・ジャレットのShenandoahの演奏は、

Keith Jarrett solo - Shenandoah 1999
Shenandoah : Keith Jarrett
Keith Jarrett – Shenandoah
があった。

もとは、同じ音源だと思うのだが、わたしには、どうしてか、
三つとも少しずつ違った印象を受ける。

不思議だ。

それはそうとして、Shenandoah 1999がわたしは、ものすごく
気にいっている。

理由としては、ゆったりした演奏だ。

しかし、不思議なことに、You Tubeの画面のあるデータからは
秒単位のわずかな長さだが、Shenandoah 1999が短い。

ピアノ音色が柔らかくなっている。

ピアノの音と音の間、又、音の余韻に情趣がある。

つまり、ピアノの音の消え方に表情があるのが、
感傷的な雰囲気で引きずり込まれる。


回想的で、一人つぶやくような演奏は、遠い過去を振り返る
ような情趣に満ち、人生を振り返るようで、気にいっている。

このような音楽をこのような聴きかたができるのは、
歳をとって良かったかも知れない。

このような曲に出会うと、未来は、亡くなったが、振り返る
ものがあるのも悪いことではないような気がしてくる。

今聴いているような聴き方は、若い時には、理屈では聴い
ても、感情的なものが伴わないと思うからだ。

ところで、アメリカは、残酷だ。チェロキー族だけではなく。

アフリカから黒人を奴隷として、強引に強制移住させた。
彼らもチェロキーにされた。

しかし、日本のアイヌもある意味で、チェロキーだ。

満州に侵略した日本軍もチェロキーを強いてきた。

日本だって、残酷なことをしてきたものだ。

北方領土のもと住民だって、チェロキーだ。

勿論、沖縄で軍事基地のために、土地を強制接収された人々
もやはり、チェロキーだ。

誰かの不幸の上に、誰かの栄光があるのは、寂しい気もする。








冬のボーナスは過去最大の減少率 東証1部上場企業

2009-10-28 23:41:57 | 経済
ヤフーのニュースである。
1 冬のボーナスは過去最大の減少率 東証1部上場企業

2 法人所得>20兆円減少、過去最大の下落幅
 08年度

3 インフルで休校・閉鎖急増、最多の1万4千施設

このようなニュースがあったのだが、このことが、日本の経済、国民生活、今後の政治にどれほどのダメージを与えるか不安でならない。

政権交代になったものの、どうなることやら。

アトピー

2009-10-28 23:30:55 | 健康
手がアトピーとなり、皮膚科で診てもらって、だいぶ日数が経った。

幾分か、良くなった。

自分では、金属アレルギーかな?と、勝手に判断して、時計を変えたりしたが、一向に完治しない。

ということで、何か分かればと、今日は再度皮膚科に出かけた。

医師から何か教えて貰おうと、話しを切り出したが、結局、指先を酷使する職業の人に、このような症状があるということであった。

一種の職業病ととれそうな感じだ。

どうも、これは、完治しないようで、一生付き合っていかないとという雰囲気だった。

どうしたら、完治するかなんて聞くと、仕事をしないで下さい。なんて、言われたが、わたしの歳で、そんな隠居生活みたいなことできる訳がない。

なんせ、無職の身分に苛立っているのだから。とても、無理だし、現実問題、無職で苛立っているものの、父親のわずかであるが、資産管理のために、肉体労働が、待ち構えている。

とても、とてもである。

医師から薬を処方されたが、問題は、副作用である。
これで、健康に支障があるのではと思い悩むのであるが、なんとか、薬に頼らない自然治癒の方法を探さねばならない。

昔、過労で、瞳孔が開きっぱなしになって、日夜サングラスをする生活をしていた。

ひどい時には、暗闇のシーツが眩しかったし、夜も対向車のライトが眩しくて、サングラスをして、車を運転していた。

そのような生活を5年くらいしていた。

その後、生活にゆとりも出てきたのだろう。
今では、退職したこともあって、瞳孔が異常になって、サングラスをすることは殆どなくなった。

ということで、指のアトピーもいつか、完治すればと期待したい。

いつのことだろう。



ホームにて / 中島みゆき

2009-10-27 22:16:57 | 音楽
ホームにて / 中島みゆき


You Tubeで何か聴きたいと思った。すると、この「ホームにて」を
思いだした。

1977年6月25日の発表だったんですね。

上京し、7年ほど学生生活をした後、帰郷して数年経った頃に聴い
た思い出深い曲です。

地元では、電車等がないこともあって、この歌を聴いてると、上京
時の生活とオーバーラップして、こみあげてくるものがあります。

上京した時、鹿児島から東京まで、立ち続けであった時代でした。

今となっては、おぼろげですが、立ち続けで、一晩過ごし記憶が
あります。


ホーム

朝の登校時のホーム
古本屋を歩き疲れて帰り道のホーム

夜アルバイト帰りのホーム
遠出をしてわくわくしていたホーム

演奏会帰りのホーム
慌ただしく出勤していく人々の行き交うホーム

真冬の凍えるようなホーム

大都会で、孤独を実感する空間
自分が旅人であることが身に沁みる空間

あんなに大勢の人がいるのに、誰もが
見ず知らずの人たち、不思議な空間

多くの夢を抱えたきたはずなのに、誰とも
かかわることのない不思議な人ごみ

孤独な群衆が錯綜する空間、それは、ホーム。

地元に帰って、生活はすべて自家用車の生活。

あのホームの色、匂い、雑踏等、みんな忘れてしまいそうだ。

時折、学生時代に住んでいた町、昔、歩き回った町
に出かけてみたいという誘惑に駆られる。

しかし、寝たきりの父親、老いた母親のもとを離れて動きま
わるのは、ままならない。

退職後、趣味に旅行にという人々もいるが、今のわたしには
、残念ながら、身動きがとれない。

でもいつの日か、いつの日か、わたしにも旅に出れる日が来らん
ことを┄┄。



「ホームにて」

昔、この曲のようなゆったりした時間があったような気がします。

その後、情報社会、インターネット等、とんでもないスピートで
時代は暴走している。

わたしたちの手に余るほどに。

自分達で作ってきたはずの社会なのに、わたしたちは、その社会
に蹴散らされている。

そして、途方にくれているのだ。


「ホームにて」

1970年代前後の雰囲気も彷彿させて止まない懐かしい曲と思っ
ています。

いい曲がありましたね。良かった。