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リタイアーのよもやま話

老いてできなくなったこと

2009-04-29 09:57:04 | 定年
老いてできなくなったこと。それは、自分に鞭打つことである。

誰かが言ったのであるが、人生には「まさか」の「坂」があるそうである。

全くその通りで、悪運と分かってても、突っ込むしか選択しがないという時があるものである。

本当に、「まさか」の「坂」としかいいようがない時がある。

そのような時、若ければ、我が身に鞭打ち、我が身をぶん殴りながらも立ち向かうことができる。

しかし、老いて、我が身が耐用年数を超えてくると、悲しいことに、渾身の力を振り絞ってなんて、意気込んだりすると、振り絞った力で、我が身が砕けそうだ。

鞭打つなんて、とてもとてもである。

自分で自分の体に、ご機嫌をとらないとやっていけなくなってしまっているのだ。

そして、それが、自分の情熱の足を引っ張っている。

夢を蹴散らしているのだ。

歯ぎしりするばかりである。

2009-04-29 09:09:56 | 定年
昨日は、夕食後なんとなく疲れていて、食後の片づけをやる気が起きない。

少し、休憩して、手を着けた。

その後、コンピュータに向かっても、疲労感があるので、普段より早めに寝た。

しかし、3時半頃になると不快感と若干の頭痛で目がさめた。

また、不愉快な夢をみていた。

こんな感じで、のぼせと頭痛で目を覚ましたのは、30代前半に一度ひどい気分で目が覚めたことがあったが、あの日以来、そのようなことが起きるようになった。

それでも、たまに起きるので、そんなに、生活に不便をきたしているわけではなかった。

しかし、退職してからは、頻繁にそのようなことが起きるようになった。

だんだんひどくなる一方だ。寝るのをとがめられているような気がしてきた。

さすがに、今日は思った。勧奨退職をしたことを自分で納得はしていなのかもしれない。

退職して以来の日々のことをふりかえると、理屈としては、やめておいて良かったということは、それだけのやるべきことはあったのだから、十分に納得している。

しかし、自分の本音としては、仕事を止めたくなかったのかもしれない。

ただ、続けることに、あまりにも、リスクが大きいと思っ
たから止めたのだが。

理屈では納得しても、感情的には、納得していなかったということかもしれない。

もし、父親が病気になっていなければ、自分のライフワークをもっと納得のいくところまで、やっていけたのは事実であるから。

そういう意味では、やり残した思いがある。

しかし、このことを口にしては、母親にショックを与えるだけだし。

けっして、口外できるものではない。

それから、退職することによって、「群れ」を失ったことが、だいぶ堪えているような気がした。

もともと非社交的な性格ではあったが、それでも、人間として「群れ」の中にいることは、必要だったということかしれない。

人は、自分で思ったよりも、群れとしての存在かもしれない。

そういうことだから、デパートでウロウロしている退職組と思われる人達がいるのだろう。

私の家の隣は、デパートである。そのようなこともあって、よくデパートに出かける。

退職して間もない頃は、今までの生活習慣があって、よく外食をしていたので、デパートに頻繁に通った方である。

そのようなこともあって、退職者が時間をもてあまして、デパートに入り浸りであるのをよく目にしていた。

否応なく、彼らを観察するのであるが、様子からして、ただ単純にデパートに来なければ、時間をもてあましてしようがないのである。

いわゆる暇つぶしにいるだけである。

病人のいる自分からみて、ある意味でうらやましい気もするのであるが。

彼らが人と交流する必要があって、来ていることでないことは、彼らの動きや目線で容易に分かることである。

ただ、暇つぶしにひとごみの中にきているだけである。

だから、人は群れが必要だななんて思ったりしている。

彼らに、なんとなく同情するような気もしていたが、どうやら、人ごとではないようだ。

結局、自分も同類ではないか。

退職してから、まともに、他人と話しをしたことがない。

最初、そんなものだと思っていたが、人見知りでも、時折の会話は、その人にとって、結構な気分転換であったということかもしれない。
しかし、退職者にとっては、現役時代にあたりまえであったことが、あたりまえではなくなる。

考えてみれば、私だけのことではなく、退職者は大方みな同じである。

とはいえ、この退職者に欠落したものは、人間にとって、たいそう重要なものであるようだし、なんとかしなけばという気がしてきたが、。しかし、そう簡単にこれは、解決できそうにない。

いや、もしかすると解決できない問題かもしれない。

さて、どうしたものか。

ほっといていては、自分の神経がどうにかなってしまいそうだ。


世界は豊作貧乏に

2009-04-28 13:06:29 | 読書
「人生の軌道修正」で、和田秀樹氏は語る。

「セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長によれば、1990年代半ばから、少なくとも先進国では生産が消費を上回り、生産者より消費者のほうが強くなったのだそうです。」

「人生の軌道修正」で、和田秀樹氏は語った。



この文章を見て、びっくりした。実は、私も髄分前から同様なことを考えていた。

私の場合、例えば、自動車。日本のメーカーだけでも、世界の需要を満たすことができるのではと、思ったりしたものだ。

つまり、世界は豊作貧乏になっているのでは。ということであった。

そして、この文章を読むにあたり、やはり、世界の金融危機は、起こるべくして起こったのだと、思った。

そして、世界の金融危機がそう簡単には、解消することはないだろうと、思った。

今回のメキシコ発のインフルエンザが、もし、世界的規模の未曾有の大流行になったりすると、消費の低迷が金融危機に、さらなる追い打ちをかけ、不況がより長引くかもしれない。

ふと、思い出したこと

2009-04-27 22:40:12 | 定年
ここ数日前から、今まで考えたことのないことが頭にちらついた。

それは、現役時代にいろいろとしんどい思いをしたことである。

よくよく詳細にふりかえれば、不条理だらけの毎日だったのである。

歯ぎしりばかりしていたはずだが、そのことがすっかり頭の中から抜け落ちていた。

溢れくる無職であるという苛立ちの感情で、今まで覆い隠されていたことなんだろう。

しかし、ふと、思い出したのである。

現役時代の仕事上の厳しい事が数々あったことを。

言葉は、同じ言葉を使っているようだが、言っていることが、必ずしも同じとは限らなくなった。

そう、猛烈なスピードで時代は変わり行き、我々が当然だと思った価値観の世界は、遥か彼方の後方の地平線のそのまた遥か彼方へと見えなくなってしまった。

この激しく変化した時代についていくのに、気が狂いそうなのだ。

もはや通用しなくなった自分の本来の考え方を押し殺し、エミュレーションにエミュレーションを重ねて、概念を読み替え、なんとか時代の流れに、ついていこうとしている。

時代遅れのパソコンのCPUをチューンナップし、メモリーをつめるだけつんで、ハードディスクを増設し、ファンを特注して取り付ける。

そして、無理やりに、新バージョンのOSを走らせる。

その上、エミュレーションソフトを積んで強引にアプリケーション動かしているパソコンではないかと、我が身を疑う。

フリーズしっぱなし、いつハードディスクがクラッシュしても不思議でないパソコンみたいな自分。

そう、ラジレターは、穴あき。たえず水をたさければならない。

エンジンオイル漏れ、ピストンリングもシリンダーもすり減り、スピードもパワーも出ず。休み休みで、1日中走らなければ、目的地なんてつかない。

だましだまし運転しているオーバーヒート寸前の車みたいなものだ。

そう、これが、実は現役時代の自分の姿だったのではないか。

空中分解寸前のリタイアーだったはずだ。

眼底出血で済んで、幸運だったはずである。

こんなに無理していたはずだのに、なぜ、今の無職の身

分に苛立ちを覚える。

あの生活に、何かあったのか?
あの不条理だらけの生活に、何があったんだろう┄┄?

そう、あの厳しい生活にあって、私は何かを積み重ねていた。

私費を散財して。

積み重ねていたはずだという思いの部分に、後ろ髪を引かれているかもしれない。

そう、それは、私の「真摯さ」の証明であり、私の矜持の根源だった。

しかし、もうそれも、住む世界が変わってしまったリタイアーの生活には、輝かない。

このことも事実だ。

さて、どうしたものか?

疲れて早くねたが

2009-04-26 03:10:37 | 日記
昨日は、なぜか、疲れを感じたので、早く寝ることにした。11頃だ。

寝る前に、2時頃目を覚ますかな。それとも、頭痛で目が覚めるかな。と思いながら、寝た。

すると、ごちゃごちゃした夢を見て、ムカツキ感と軽い頭痛で目が覚めた。

トイレに入る前に、玄関の時計を見たら、4時に見えた。

コンピュータを起動しながら、念のために血圧を計る。何度か繰り返し、計っているうちに、時計が3時前になるのに、気付いた。

(血圧は、122~86 脈拍は、69だ。)

結局、最悪のパターンになった。

ふと思った。私が寝たきりになったら、1日中、このムカツキ感と頭痛に苛まれてベットで横たわっているのか。

まいったね~。