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リタイアーのよもやま話

血糖値を下げすぎると、死亡率が高まる!

2010-12-31 22:13:40 | 健康

40代からの節制は寿命を縮める

 EBMが教える、「我慢型医療」のウソ

和田秀樹

 

の本にあった話である。

 


血糖値を下げすぎると、死亡率が高まる!

ところで、血圧と同様、血糖値も「下げればいい」というもの
ではないことをご存じだろうか。

食事制限やインスリン注射で血糖値を厳しくコントロールされて
いる糖尿病患者にとって、これは聞き捨てならない話だと患う。

ちなみに、糖尿病の治療で目安として値われる数値は、健康診断
で調べられる血糖値と同じではない。

健康診断で測るのは一時的な血糖状態だが、糖尿病患者が測定
されるのは、過去I~2ヵ月の平均的な血糖状態を示す。

「ヘモグロビンA1cという数値だ。日本糖尿病協会の基準
では、これを6・4パーセント以下に抑えるのが、患者にとって
良好な状態だとされている。

ところが2010年、イギリスの医学誌「ランセット」に、この常識
をひっくり返す研究論文が発表された。

『血糖値を正常近くに下げると死亡率が上がる」というのだ。

調査対象は、インスリンおよび2種類の飲み薬で治療を受けている
糖尿病患者およそ4万8000人。

開業医のカルテのデーータベースに基づき、20年近い歳月をかけて
実施された、きわめて信頼性の高い調査だ。

その結果を見ると、患者の血糖値を下げた場合、ヘモグロビンA1cが
7.1パーセントまでは、従来の常識どおり、たしかに死亡率が下が
った。

しかし、それ以上に血糖値を下げると、逆に死亡率が上がってしまう。

もっとも死亡率が低いのは、ヘモグロビンA1cが7.1パーセントの
ときだ。

それが6.0パー‘セントに下がると、死亡率が52パーセントも上昇
する。

先ほど述べたとおり、日本ではいままで糖尿病患者の血糖値を6.4
パーセント以下に抑える努力をしてきた。

このイギリスの調査結果が正しいとすれば、それは「患者の死亡率を
高める努力」だったことになる。

実はイギリスでこの研究論文が発表される2年前(2008年)にも、
アメリカで同じような調査結果が発表されていた。

「アコード試験」と呼ばれる臨床試験で、ヘモグロビンA1cを6.0
パーセント未満まで下げた糖尿病患者グループと、7.0~7.9
パーセントに保ったグループを追跡調査している。

これまでの常識なら、当然、後者のほうが死亡率が高くなるはずだ。

しかし実際には、6.0パーセント未満に下げたグループのほうが、
22パーセントも死亡率が高かった。

あまりにも「死にやすい」ことが明確になったので、当初は5年間の
予定だった調査が3年半で中止されたほどである。

イギリスの「ランセット」に発表された論文は、このアコーード試験の
結果を強力に裏付けるものだった。

二つの調査結果によって、糖尿病の治療方法は根本的な見直しを
迫られたといえるだろう。

ちなみに日本国内でも、こんな調査結果がある。

老人ホームで暮らす高齢者の耐糖能別の生存率を比較したものだ。

耐糖能とは、糖尿病の基礎検査で血糖値とは別に測られる指標の一つ。

グラフを見ればわかるとおり、正常植でも境界値でも糖尿病でも、
死亡率には大差がない。


以上。


抜粋するつもりだったが、抜粋のしようがなかった。

今回、この本を読んで一番関心が湧いた部分だ。

実は、去る6月の地域の健康診断で、この値が高いと言われた。

糖尿病予備軍だという話だ。

想定外のコメントである。

なんせ、コレステロール、中性脂肪、悪玉コレステロール等の値が
ずいぶん改善されたのだ。

どうして? である。

わたしの値は、5.3である。基準値は、~5.1%である。

検査結果のコメントが出た時は、なんとも気がかりであったが、
今回の本で、述べられている数値を見て、ほっとすることに
なった。

メタボの定義でも、現実にあわないのではという、指摘が
出てきたりして、健康診断の基準値について、信頼性が
薄らいでいるきらいもあるが、指導する立場にある者は、
しっかりしてもらいたいものである。

 


時には昔の話を(映画ver.)加藤登紀子/宮崎駿「紅の豚」水彩画集

2010-12-30 23:56:12 | 映画・ビデオ

時には昔の話を(映画ver.)加藤登紀子/宮崎駿「紅の豚」水彩画集




久しぶりに虹の豚を見た。


「時には昔の話を」は、虹の豚のエンディングの歌である。

今日は、歌詞に注意をしながら、聴いてみた。

すると、わたしたちの世代の音楽であることが
すぐに分かった。

1987年にアルバムが発売されている。

今から、23年前、わたしが38歳の頃のことだ。

歌詞の1番~3番にこのような箇所がある。

 

見えない明日を むやみに探して
  誰もが希望を託した
  揺れていた時代の 熱い風に吹かれて
  体中で瞬間(トキ)を感じた そうだね

 

小さな下宿屋に いく人も押しかけ
  朝まで騒いで眠った
  嵐のように毎日が 燃えていた
  息が切れるまで走った そうだね


あの日の全てが 空しいものだと
  それは誰にも言えない
  今でも同じように 見果てぬ夢を描いて
  走り続けているよね どこかで


以上。


今となっては、あの頃のことについては、「若気の至り」
としか言えない。


しかしである。


あの日の全てが 空しいものだと
  それは誰にも言えない
  今でも同じように 見果てぬ夢を描いて
  走り続けているよね どこかで


そう、きっと、老いていく日々にあっても、わたしたちの心の中で、
もう一人の自分は、いつまでも、走り続けているだろう。ひそかに。

それにつけても、いい伴奏をつけてくれたものだ。

忘却の彼方から、狂おしくあの時代を呼び起こしてくれる。

 

 

 

 


小惑星探査機 はやぶさの大冒険

2010-12-30 22:19:27 | 若い時に読みたかった本


山根 一眞氏の「小惑星探査機 はやぶさの大冒険」を
読み終えた。

新聞の書評欄に載っていたので、興味がわいた。

著者の山根 一眞氏は懐かしい名前だった。

15年ほど前に、彼は、モバイルコンピューターを提唱していて、
そのような技術に、いたく感動した記憶がある。

それで暫くは、PHSを通して、ノートブックパソコンで
インターネットに接続できないか、パソコン通信はできないか、
なんてはまってしまった。

このようなムードが高まり、機材が揃うようになって、素人でも
できるようになった。

しかし、素人がこのような技術にはまっても、宝の持ち腐れの
技術で、結局、いつの間にか、興味が薄れてしまった。

番号が気に入ったせいもあるが、その時以来、ずーっと、PHS
の方は使っている。

わたしが、PHSを使いはじめた頃は、携帯よりPHSがもてはや
されたが、携帯の猛烈な進歩で、PHSは絶滅危惧種になりつつ
ある。

昔の勢いを知っているだけに、寂しい気もする。

PHSの前に、ポケベルを使っていたが、こちらの方は、絶滅
してしまった。

PHSが完全に絶滅するまでは、まだまだ拘ってみたいと思って
いる。

ところで、この「小惑星探査機 はやぶさの大冒険」いい本で
あった。

人間に、そして、日本人にこんなことができるか。なんて
いう驚きの連続であった。

そして、一つの仕事に、いろんな分野の協力が必要で、その
人材が、揃っているということも驚きであった。

いい時代に、立ち会えたような気がする。


読んでいるうちに、思ったことは、小学生の高学年、中学生
高校生にぜひ、必読書にしてもらいたいと思った。

科学離れの時代にあって、このような啓発力の高い本は、ぜひ
読まれてほしいと思った。

で、あとがき、読んで笑ってしまった。

というのは、この本は、理科離れの時代にあって、ぜひ、中学生
に読ませたいとのことで、書かれたというくだりがあったからである。

本当に、若い人に読んでもらいたいと思った。

 

読んで、すごい技術の連続であった。


その中で、印象的な箇所があった。

以下、抜粋。

 

奇跡か? 努力か?


M‐Vロケットによる「はやぶさ」の打ち上げの数年前、
「イオンエンジン」の開発や試験に取り組んでいた当時は、
子どもの保育園の送り迎えをしながらの日々だった。

その子どもたちもやがて成人式を迎える。

宇宙プロジェクトは、それほど長い年月にわたり情熱を維持
しなくてはならないのだ。

そして明日、ここに「はやぶさ」が帰ってくる。

この日を迎えることができたのは、奇跡なのか、偶然なのか、
努力のおかげなのか。

チ~ムの一人は「奇跡だ」ともらしていたが、國中さんは?

「うーん、奇跡だとはいいたくないですよね。やっぱり努力
でしょうね、努力です。

とても『おもしろかった』ので、みんな一生懸命努力したんです」
                           
いい言葉だ。

「おもしろい」という思いはとてもだいじ。

「おもしろい」とは好奇心をかきたてられることであり、それが文化
や文明の最大の原動力になってきた。

宇宙分野にかぎらす、日本の最先端の科学技術者たちも、モノづくり
にたずさわる人たちも、「おもしろい」からこそ努力をして世界一
の成果を手にしてきたのだ。

そういえば、「ターゲットマーカー」の開発を担当した准教授の
深井秀次郎さんが、「好奇心を持って、『あれができないか、こんな
ことができるはず』と、おもしろがる心が大切。

人工衛星や探査機、ロケットも、おもちやの開発と同じなんですよ」
と語っていたことを思い出した。

これが、宇宙科学研究所の力のもとなのだ。

はやぶさ」の地球帰還前日に、私たちが忘れかけていた大事な言葉
を國中さんからもらうことができた。

このひと言だけでも、私ははるばるウーメラまでやってきたかいが
あった。

だれもが「おもしろい」と感じてきたからこそ、「はやぶさ」は世界初、
世界一を実現できたのだから。


以上。

 

 


レアメタルそっくり、京大が新合金精製に成功

2010-12-30 21:37:41 | 科学

レアメタルそっくり、京大が新合金精製に成功
読売新聞 12月30日(木)3時6分配信

 
拡大写真
読売新聞
 超微細(ナノ)技術を駆使して、レアメタルのパラジウム
そっくりの性質を持つ新合金を作り出すことに、京都大の
北川宏教授らが成功した。

元素の周期表で両隣のロジウムと銀を材料に、いわば「足して
2で割って」、中間のパラジウムを作り出す世界初の手法で、
複数のレアメタルの代用品の合成にも成功、資源不足の日本
を救う“現代の錬金術”として注目されそうだ。

ロジウムと銀は通常、高温で溶かしても水と油のように分離
する。

北川教授は、金属の超微細な粒子を作る技術に着目。

同量のロジウムと銀を溶かした水溶液を、熱したアルコールに
少しずつ霧状にして加えることで、両金属が原子レベルで均一
に混ざった直径10ナノ・メートル(10万分の1ミリ)の
新合金粒子を作り出した。

新合金は、パラジウムが持つ排ガスを浄化する触媒の機能や
水素を大量に蓄える性質を備えていた。

以上。


レアメタルについては、尖閣諸島中国漁船衝突事件に絡んで、
中国から輸出禁止の脅しを食らって、悔しい思いをしたので、
このようなニュースがあると、狂喜してしまう。

レアメタルを全く使わないハイブリッド車用モーターが開発
されたニュースも大変嬉しかったが、自前で、これらの技術
をドッキングすることができれば、これこそ最強のモーター
が作れる。

もしかすると、水素ガスで走る車が一般化したりして┄。
いろいろと楽しい発想ができて、嬉しい。

最高に嬉しいニュースであった。

 


宝物が埋まっている場所

2010-12-30 13:43:16 | 読書

心にズドン!と響く
「運命」の言葉

ひすいこたろう


この本に、うなってしまった言葉があった。


以下、その箇所。


宝物が埋まっている場所

『星の王子さま』の本にある「かんじんなことは目に見えない」
という言葉はあまりに有名ですが、著者のサン=テグジュペリが、
戦場に向かう前に妻に残した言葉に、僕は衝撃を受けました。

「泣かないで。未知のものは発見しようとすると美しいものだ。
僕は国のために戦うつもりだ。僕の目を見ないで。だって僕は
君の涙を見る悲しみと義務を果たす喜びで泣いているのだから」

そして、こう続くのです。

置いていかなければならない宝物を持っていることを、天に感謝
したいくらいだ。

ーbyサン=テグジュペリ

これから戦場に向かわんとするいま、いつ死ぬかもしれない。もう妻
とは2度と会えないかもしれない。

その瞬間に、現実を嘆くのではなく、妻と出会えたことに感謝しているのです。
 
そして、実際にこれが本当に永遠の別れになってしまうのですが、
サン=テグジュペリは、死ぬかもしれないその直前にも、そこに幸福を
見出している人だったのです。

いつだって幸福はいま、ここにある。
あなたに見つけてもらうのを待っているのです。

以上。


この中で、


「置いていかなければならない宝物を持っていることを、天に感謝
したいくらいだ。」

と言っているのだが、最初、この文章を読んだ時、
この文章の意味するところが、よく飲み込めなかった。

「これから戦場に向かわんとするいま、いつ死ぬかもしれない。
もう妻とは2度と会えないかもしれない。

その瞬間に、現実を嘆くのではなく、妻と出会えたことに感謝
しているのです。」

ということなのである。

普通は、戦場に出かけていく夫も残される妻も、不条理な現実に嘆き
悲しむのである。

通常の生活においても、相思相愛の者が、一緒になれない現実に
は、嘆くのである。

しかし、よくよく考えてみれば、そのようなかけがえのない愛しい存在
が自分の人生にあったということは、そういう出会いが無かった人生
に比較すれば、何とも充実した人生であったであろうということだか
ら、不条理な現実といえども、感謝に値する人生として、喜ぶべき
ことだろうということかと思った。

戦争による生き別れ、死に別れということが、逆に、愛しい存在を
鮮烈に気づかされることになったということであろうか。と、
思った。


しかし、である。

ウィキペディアによると、飛行機乗りとしては、さして、能力が
あったわけではないのに、執拗に戦場に身を置こうとしたのは
理解できない。

その経歴を見ると、けっこう自分勝手な身の振る舞いが目立つ。

仲間のパイロットの間では反感も強かったようであるが、経歴に
身勝手さが、出てくるぐらいだから、兵士としては、どんな
人間だったのだろうか。

自分に都合のよい職場を求めて、コネや策を巡らして、立ち回る
姿は、彼が残した名言とは乖離がありすぎて、尋常なる性格とは
思えない。

作家としての知名度が、その我が儘を許したのかもしれない。


ネットで、彼の名言なるものが、アップされていた。


「砂漠が美しいのは、
 どこかに井戸をかくしているからだよ……」

「手に入れたものによってと同様、
 失ったことを惜むもの、
 手に入れたいとのぞむもの、
 喪失を嘆くものによっても、
 導かれ、授乳され、成長させられる」

「人間であるとは、まさに責任を持つことだ。
 自分には関係がないような悲惨をまえにして
 恥を知ることだ」

「犠牲とは、おまえをなにものからも切断することなく、
 逆におまえを富ますものだ」

「『われわれは服従すべきでしょうか、
  それとも戦うべきでしょうか?』
 生きながらえるためには服従すべきであり、
 存在しつづけるためには戦うべきである」

「真の意味でぼくを豊かにしてくれたのは、
 ぼくが受け取ったものより
 多くのものを与えた場合だけだった
 ということを認めなければなりません」


これらの名言を見ると、どうも、わたしの理解を超える
世界に住んでいるような気がする。

彼は、この名言で述べた信条のもとに、戦場に乗り込んで
いったのだろうか。

どうだろう?


それにしても

「置いていかなければならない宝物を持っていることを、天に感謝
したいくらいだ。」

これは、いい言葉だった。