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リタイアーのよもやま話

雇用統計という「まぼろし」に一喜一憂する愚かさ

2012-05-17 21:46:10 | 経済

ニューズウィーク日本版  2010.5.16号にあった
記事である。大変、興味深いものがあった。


以下、その記事。


雇用統計という「まぼろし」に一喜一憂する
愚かさ

実体経済の一部しか反映しない統計データよりも
 アメリカの雇用の構造的な問題を考えるべきだ

     ザカリー・カラベル(政治経済アナリスト)

 先週発表されたパッとしない4月の雇用統計は、
アメリカの失業問題は改善もしていなければ悪化も
していないことを示している。

同時にこれは、アメリカには構造的かつ慢性的な
雇用問題が存在するということの更なる証拠でも
ある。

激しい痛みを伴うわけではないし、急速に悪化する
ものでもない。

だが、近い将来どこかへ消えてなくなってくれること
も決してない問題だ。


 米政府の労働統計局によると、失業率は3月の8・
2%から8・1%へとわずかながら下がったものの、
非農業部門の就業音数が11万5000人増と市場
予想を下回った。

再就職の意欲があるのに半年以上働いていない人
(失業者全体の半分以上を占める)の数は500万人
超と、3月の調査時からほとんど減らなかった。

 「ほぽ変化なし」という言葉が繰り返し出てくるのも
今回のリポートの特徴だ。

 過去何回かのリポートもそうだが、これらの経済
統計がっくり出すアメリカ経済についての「虚像」を
打ち砕くのは極めて困難だ。

夜空に輝く星のように、経済統計と雇用統計が描く
星空は、完璧なロールシャッハ・テストのような
もの。

ロールシャッハとは、複雑な絵柄の中にウサギや
クモなど何が見えるかによって、見る人の心の内を
調べる心理学テストだ。

 経済学では、より楽観的な人は、その星空に強気の
数字を見いだして、希望を待つ。

製造業の雇用は増えたように見えるし、生産も雇用も
底を打ち、利益もじりじりと増え始めている。

 他方で悲観的な人は、同じ統計を見ても自らの弱気
な考えを裏付ける証拠を見つけ出す。

雇用創出のペースは過去2ヵ月の間に減速し、間違い
なくインフレなのに賃金は上がらず、雇用も拡大せず、
長期的かつ慢性的な構造的失業が、数百万もの人々を
苦しめている。


製品作りに人手は不要


 もちろん、ひと月だけのデータで即断はできない。
こうした統計は計算や調整を行った上でのデータであ
り、生の数字ではない。

 事情通のアナリストなら、昨年12月~今年2月の雇用
増には、クリスマス商戦向けの臨時雇用という「季節
要因」が入っていることを知っている。

そして元の統計からこの季節要因を差し引けば、新規
雇用はむしろ減っていることも。

 これらのリポートはそれでも、洞窟の壁に映った人
の影のように、実体経済の姿をある程度は反映してい
る。

あくまで一般的傾向であり、静止画にすぎないが。

それ自体に害があるというわけではないが、これらの
リポートは、雇用問題の原因は最近の金融危機と世界
不況にあるという人々の思い込みをますます強くさせ
てしまう。

 事実はまったく違う。アメリカの雇用市場は数十年
もの長い転換期のただ中にある。

2000年代半ば以降に火が付いた住宅バブルや、低金利
でふんだんに借りられる借金バブル、住宅・建設関連の雇用
急増などとともにその傾向はかき消されたが、なくなった
わけではない。

 雇用の製造業離れはもう数十年も続いており、今世紀に
入ってますます勢いを増している。

もし製造業が復活したとしても、雇用はさほど増えない
だろう。

 ロボットやジャスト・イン・タイムのような生産システム
を駆使した最新の生産現場では、高度な技術を持つ労働者が
少数いれば足りるからだ。

 つまり、雇用創出の大半は依然として家政婦やウェート
レスなどの低賃金労働ばかりということになる。

 手短に言おう。アメリカの労働力の多く(おそらく4分の
1程度)は今、まったく働いていないか、食べていくのにぎり
ぎりの稼ぎしかない人で占められている。年率2・5~3・
5%強程度の成長では、この現実を魔法のように消し去ること
はできない。

 今はかなりの数の企業がひと握りの労働力で数十億㌦もの
利益を上げる時代。

だがそれは、もはや彼らが提供する製品を作るのに人間が
必要でなくなったからだ。

 それでも多くの企業は、自社が必要とする技能を待った
労働者を見つけられずに苦労している。

一方では数千万人の労働者が標準以下の仕事をし、より良
い仕事を求めているというのに。

これもまた、いま期待されている程度の経済成長で解決
できるような問題ではない。

 最大の過ちは、政府の政策が雇用問題を景気循環の問題
だと定義したことだ。

景気が悪くなれば失業は増えるが、景気さえ好転すれば失業
も解消するというのだ。

大恐慌以降今日までの雇用問題のほとんどすべてがそう
だったように。


格差はこれからが本番だ


 選挙シーズンには、誰が危機をもたらしたのか、と責任
のなすり合いが盛んになる。

 

だが、最大の過ちは、米政府が雇用問題を景気循環の問題と
定義したことだ

景気さえ好転すれば失業も解消?

 

近年の変化はそんなに甘くないアメリカの雇用市場は4年
以上前から移行期にあり、それが今後何年も続くだろうと
いうことは誰も認めようとしない。

政府は転換期の痛みを和らげることもできるのだが、まずは
問題の核心を正しく把握しなければ何も始まらない。

 大統領選を前にしたこの政治の季節、毎月の雇用統計は
熱い政治討論の種になってきた。

だが構造問題やそれに対する解決策が議論されることはまず
ない。

受けが悪く解決の難しい問題にはあえて触れないという暗黙
の了解だ。

せいぜい、雇用訓練や教育を提案するぐらいだろう。

 構造問題を無視することは、選挙にはプラスかもしれない。

だがアメリカは将来の国益を左右する問題に何の手も打た
ないまま時間を無駄にすることになる。

それは最新技術がもたらす貧富の差の拡大や、加速する
グローバル化、アメリカやヨーロッパ諸国など世界の中心
だった大国が新世代の新興国に太刀打ちできるか、といっ
た問題だ。

雇用統計に一喜一憂している場合ではない。       


以上。


大変、興味深い記事である。

これまで、堤 未果氏や広瀬隆氏の本を、このブログで
取り上げたきた。

これらの本とセットで読み合わせた方がいい内容である。

この記事で、次の箇所がある。


 雇用の製造業離れはもう数十年も続いており、今世紀に
入ってますます勢いを増している。

もし製造業が復活したとしても、雇用はさほど増えない
だろう。

 ロボットやジャスト・イン・タイムのような生産システム
を駆使した最新の生産現場では、高度な技術を持つ労働者が
少数いれば足りるからだ。

 つまり、雇用創出の大半は依然として家政婦やウェート
レスなどの低賃金労働ばかりということになる。

 手短に言おう。アメリカの労働力の多く(おそらく4分の
1程度)は今、まったく働いていないか、食べていくのに
ぎりぎりの稼ぎしかない人で占められている。年率2・5~
3・5%強程度の成長では、この現実を魔法のように消し去る
ことはできない。

 今はかなりの数の企業がひと握りの労働力で数十億㌦もの
利益を上げる時代。

だがそれは、もはや彼らが提供する製品を作るのに人間が
必要でなくなったからだ。

 それでも多くの企業は、自社が必要とする技能を待った
労働者を見つけられずに苦労している。

一方では数千万人の労働者が標準以下の仕事をし、より良
い仕事を求めているというのに。

以上。

この箇所については、現在の日本でも進行している現象
であろう。

いずれ、中国もこのような現象に襲われるだろう。

先行するアメリカは、経済が発展し、上昇した労賃に
耐えきれず、中国等の安い労働力にシフトしたという
現実がある。

いや、自国の労働力では、利潤の追求で「うま味」が
無くなって、のびしろのある外国の安い労働力に資本
はシフトしていったのだ。

が、しかし、これは、いつの時代でもおき得る経済発展
のパラドックスである。

ニュートンの特集に、「まもなくやってくる100億人
時代」という特集があって、その38~39ページに興味深い
グラフがある。

それは、世界の地域別の2100年までの人口の推移のグラフ
である。

2053年頃に、アジアの人口がピークになる。そして、
2100年に向かって、人口が減ってくる。

2011年頃から、アフリカの人口が増え始め、2100年に
向け、アジアを追い越さんばかりに増えていく。

この統計を見ると、梅棹忠夫氏の「文明の生態史観」
を思いだす。

これらの地域の膨大な人口と先進国の労働者との
間で、サバイバルゲームが行われるとなると、ザカ
リー・カラベル(政治経済アナリスト)氏の叫びは、絶望的
だ。

もちろ、人ごとではない、それは、日本の未来
でもあるからだ。

昔、共産主義が盛んな頃、「世界同時革命」という
今となっては、とんでもない「妄想」があったが、
今、世界中が資本主義経済で被われんとしている。

アフリカが資本主義最後のフロンティアなんて言われ
る時代になった。

不本意な表現だが、もし、天国で彼らが、今の世界
の状況を見ると、失神するかもしれない。

もしかすると、「文明の生態史観」なんて、機能
しなくなる時代になっているかもしれない。もう、
地球規模で、「のびしろ」が無くなっているのかも。


同じく、ニュートンの記事の中に、次のような
興味深い内容事があった。

 


〇イースター島の悲劇

イースター島は、南太平洋に浮かぶ周囲58キ㎞ほどの
小さい火山島だ。

香川県の小豆島とほぼ同じ大きさである。周囲には目立っ
た島もなく、まさに絶海の孤島だ。

  イモ類中心の農業やイノシシなどの家畜を飼育、漁業な
どによって島は栄え、最盛期(15~16世紀)には島の人口は
少なくとも7000を超えた。

島の各地には、「モアイ像」とよばれる宗教的な意味合い
を持つ巨大を石像が、いくつも建てられた。

  ところが土地の生産性が落ち、食料難におちいった結果、
部族間の争いがおき、人口は激減した。

  1722年にオランダ調査団が島を訪れたときには、島民の
数は3000人程度に減っていた。その50年後には2000人程度
まで減少し、非常に困窮した暮らしをしていたという。


以上。


もちろん、現在がそうであるわけではない。
ウィキペディアによると、

島内 [編集]島の人口は約4000人。島内には、チリ海軍が駐留し、
数ヶ月に1度は物資とともに海兵隊もやって来る。

鉄道は敷設されていないが、主要道路については舗装されており、
島内の主な交通手段としては、乗り合いバスもしくはタクシーが、
主な公共交通手段として、島民や観光客に利用されている。

観光客には、レンタカー、レンタルバイクも利用されることが
多い。

島内には、レストラン、ホテル、ディスコ、ガソリンスタンド、
ビデオレンタルショップ、学校、病院、博物館、郵便局、放送局
(テレビ局3局、ラジオ局1局)等の施設が整っており、島の暮ら
しは至って現代的である。


だそうである。

しかし、「まもなくやってくる  100億人時代」になれば、地球
規模の「イースター島の悲劇」が、起こらんともかぎらない。

その時、やはり不本意な表現だが、天国のマルクスは、俺の
出番がやはり、やってきた。なんて、胸が高鳴るのだろうか。

それとも、「猿の惑星」の猿のように、人間の愚かさを繰り
返さないようにと、引きこもって生きるのだろうか。

いずれによ。

ザカリー・カラベル(政治経済アナリスト)は叫んではみたが、
これまでの人類の歴史の中で、繰り返し起こった出来事で
あって、今だ、解決策を見いだしたことは無かったのでは
なかろうか?

しかし、アメリカだけの問題ではない、全ての先進国の共通
する運命であり、絶望である。

彼女の叫びが、人類の断末魔でもあると思うのだが。

このことを、わたしたちは、超えていけるのだろうか。