新聞にあった村上龍氏のとある講演の内容である。
興味深かったので、一部抜粋してみた。
55歳からのハローライフ
定年後のサバイバルを考える
ひとりひとりの再出発
希望は自ら手に入れる
歳を取るということは、知識と情報は増えて
いくが、体力と気力はしだいに衰えていくと
いうことだ。
まだまだ若いと威勢のいい老人も目立つが、歳
を取るにしたがってどんどん元気になっていく
という生物は、癌細胞のような特別なものを除
いて、地球には存在しない。
若いころはバックパックを背負って見知らぬ街
をいくらでも歩くことができるが、歳を取ると
そうはいかない。
できれば空調の効いた快適なホテルに泊まり、
落ち着いたレストランで食事をしたいと思う
ようになる。
ある程度の経済力、ある程度の社会的な尊敬、
それに信頼できる家族や友人とそのネットワーク、
その3つのありがたさが、歳を取るにしたがって
身に沁むようになる。
生活するための充分なお金がなく、社会的な尊敬
もなく、また信頼できる家族も友人もいないとい
う老人は、生きるのが非常にむずかしいだろう。
55歳は残された時聞が少なく、新しいトレーニ
ングや学習によって新しい職を得られるという可
能性は少ない。
また、格差を伴った多様化によって、リタイア後を
生き延びる戦略は個々に違ったものになる。
多様化した定年後の人生は、おおまかに、2対6対2、
という比率で、悠々自適層:中間層:困窮層、に分か
れる。
定年後すぐに生活が困窮する層が2割もいるという
こと自体、驚くべきことだが、あまり知られていない。
中開層は、社会保障の制度疲労もあり、基本的に預貯
金他の財産を取り崩しながらの生活となり、長生き
すればするほど暮らし向きは苦しくなる。
メディアはよく「定年後をどう生きるか」という特集
を組むが、実はその対象となるのはおもに「悠々自適
層」に限られるのである。
定年後、どの層の人生も決して楽ではなく、ときに
絶望にとらわれる。
だがいずれにしろ、財政破綻寸前の国家に頼りきるリ
スクは大きく、サバイバルの戦略と方法は個人にゆだ
ねられている。
希望は、自ら手に入れなければならない。
55歳からの生き方、「格差を伴って多様化した定年後」
のサバイバルの方法を考えるためには、小説がもっとも
適していると思う。
小説は、シンプルな真実を物語の背後に織り込み、さら
に、複雑な疑問を提示できるからだ。
以上、抜粋である。
村上氏は、
生活するための充分なお金がなく、社会的な尊敬
もなく、また信頼できる家族も友人もいないとい
う老人は、生きるのが非常にむずかしいだろう。
と言ったが、このすべてが、揃う人というのは、
そう多くはいないと思っている。
「生きる」について、どのようなことを意味して
いるかを問うてみたいが。
昼間から、スーパーで所在なげな退職世代の方々を
多く見かけるが、今後このようなアンニュイな風景
が、色濃く社会にたちこめていく一方かと思うと、時代
そのものが「たそがれて」しまいそうで、頭もどうにか
なりそうで、たまらない。
彼は、
多様化した定年後の人生は、おおまかに、2対6対2、
という比率で、悠々自適層:中間層:困窮層、に分か
れる。
ということも言ったが、もしかして、このような
人生の成果も「2対6対2」、という比率である
かもしれない。
と感じている。
わたしなどは、経済的には、中間層の中くらいかな。
もちろん社会的尊敬など望むべくもなく、独身だから
家族はいないし、社交性がないから友人と言えるよう
な付き合いもない。
村上氏の「物差し」からすると、生きるのが非常に
むずかしい最悪のグループに位置するようだ。
こういうのは、気づいた時には、遅いことだから、
辛い現実である。
そういう意味では、村上氏は選ばれた存在だろう。
彼は、
多様化した定年後の人生は、おおまかに、2対6対2、
という比率で、悠々自適層:中間層:困窮層、に分か
れる。
定年後すぐに生活が困窮する層が2割もいるという
こと自体、驚くべきことだが、あまり知られていない。
と書いたが、パレートの法則というのがあるから、
おおよそ、ありうるだろうと考えていたが、「あまり
知られていない」と言っているあたり、この数値を
なんらかの手法でおさえている人がいると思うと
びっくりである。
彼は、
希望は、自ら手に入れなければならない。
55歳からの生き方、「格差を伴って多様化した定年後」
のサバイバルの方法を考えるためには、小説がもっとも
適していると思う。
小説は、シンプルな真実を物語の背後に織り込み、さら
に、複雑な疑問を提示できるからだ。
と語ったが、
「ひとりひとりの再出発」「希望は自ら手に入れる」の
帰着するところが、「小説を書く」ことだとすると、
なんのことは、「悠々自適層」の小説を書ける才能のある
人を対象とした話しのようだ。
それからすると、中間層、困窮層については、彼の言わん
とする「ひとりひとりの再出発」「希望は自ら手に入れる」
等の話しの対象者とはなりえないようで、辛い話しである。
それはそうとして、まだ、このようなことを宣える間は、
幸せかも知らんと、昨日の忘年会の話しを思い出しては
気づいた。何しろ、村上氏は、1952年生まれ、わたし
より3歳、年下だから、今度60歳になったばかしだ。
勧奨退職をして、病院通いをしながら、老母と二人きり
の生活をしていると、彼においては、まだまだ人生の
地獄は遥か彼方で、頭上は太陽で、輝いているようだ。
定年の歳だと、感傷にひたっている真っ最中だろう。
昨日、忘年会で、地域の先輩の家庭の事情が語られた。
奥さんが病気で、デイサービスを1日、5時間受けて
いる生活を語っていたが、デイサービスの方が来ている
時間にしか熟睡できない生活で、社会的交際も不自由
な生活を目の前で、聞かされると鬼気迫る思いがして、
身の毛もよだつ。
その身だしなみが、セレブな雰囲気を醸しだしている
だけに、聞いている方は、微妙で複雑な気分になる。
そして、話す際の、高齢者特有の「舌のもたつき」が
感じられたのには、内心驚きを感じてならなかった。
これもまた、複雑な気分になってやまない。
もう一方は、奥さんがパーソンキン病が進行中で、
苦しい胸のうちを語った。本人も心臓が弱く、腰痛
持ちで、はっきりは語らないが、暗澹たる思いを
しているだろう。
今や核家族を前提とした生活を多くの国民がしている。
だから、子どもに恵まれても、老後の介護が必要な
状況になったら、多くの人には厳しい現実が待っている。
悠々自適層の人間であっても、健康な二人きりの生活
は楽しいかもしれないが、どちらかが、デイサービス
を必要とする生活が始まると、老老介護の身の毛も
よだつ生活が始まる。
そして、被介護者が、先立つことになると、今度は、
病気がちな孤独の生活が待ち受けている。
テレビで、特集をしていたが、孤独死が年間3万人と
報道されていた。
ひとりひとりの再出発
希望は自ら手に入れる
ということも、束の間の話しだ。
時間は、大切に心残りが無いようにしないといけない。
「何をしても いい自由」、何かできるのか?
結局、悠々自適層の人たちの話しだが、食い込めない
ものか???
ところで、
ヤフーのニュースである。
単身女性、3人に1人が貧困 母子世帯は57%
勤労世代(20~64歳)の単身で暮らす女性の3人に
1人が「貧困」であることが、国立社会保障・人口問題
研究所の分析でわかった。
2030年には生涯未婚で過ごす女性が5人に1人になる
と見込まれ、貧困女性の増加に対応した安全網の整備が
急がれる。
07年の国民生活基礎調査を基に、同研究所社会保障
応用分析研究部の阿部彩部長が相対的貧困率を分析した。
一人暮らしの女性世帯の貧困率は、勤労世代で32%、
65歳以上では52%と過半数に及んだ。また、19歳
以下の子どもがいる母子世帯では57%で、女性が家計
を支える世帯に貧困が集中している。
貧困者全体の57%が女性で、95年の集計より男女
格差が広がっていた。非正規雇用などの不安定な働き方
が増え、高齢化が進むなか、貧困が女性に偏る現象が
確認された形だ
以上。
単身女性、3人に1人が貧困では、結婚しない女性も増
えていくということになる。
少子化問題の解決は、そう簡単に目処がつく話しではない
ことになりそうだ。
保育所の問題以前の厳しい現実だ。
ひとりひとりの再出発
希望は自ら手に入れる
には、ほど遠い人生が待ち受けている。
切ないね。
ところで、次ぎの興味深い話題もあった。
格差の見えにくい国ニッポン - Chikirin
アゴラ 11月1日(火)15時16分配信
海外にいくと「日本は格差が見えにくい国だなー」と
思います。
格差の存在自体については、「日本の格差なんて、他国
と比べれば余程マシ」という人もいれば、「いやそれは
既に幻想で、日本は他国と比べても格差の大きな国に
なった。」という人もいます。再配分前か後(社会保障
還元後)か、どの年代、家族形態で見るか、によっても
かなり状況が異なり、意見が分かれています。
でも、すくなくとも「格差の見えやすさ」については
「日本は圧倒的に(格差が)見えにくい国」なのでは
ないでしょうか。
その最大の理由は「格差と人種が結びついてない」こと
でしょう。
欧米だと、経済格差と肌の色に高い相関があるために、
格差がビジュアルにわかりやすいです。
欧米では、ゴミ収集車の作業員、格安ファーストフード
の店員、ホテルのハウスキーパーなどは、オフィス街で
スーツを着て働く人や、ホテルの受付にいる人とは、
明らかに“肌の色”が違います。だから「ああ、格差が
あるんだな」とすぐ気がつきます。
日本でもオフィスビルやホテル、新幹線車内でお掃除
担当の人に会うことはあっても、宿泊客や乗客は、“格差”
を意識することはあまりないですよね。
けれど、もしも掃除をしている人の多くが自分と肌の色が
違っていたら、その格差は圧倒的に「見えやすく」なるで
しょう。
二つ目の理由として、“職業と所得が見えやすい形で関連
していない”のもあります。前にどこかの市バスの運転手
の年収が、800万円から1000万円と報じられていま
したが、民間企業の長距離バス運転手の給与がそんなに
高いとは思えず、同じ職業でも「高所得者」だったり
「低所得者」だったりします。
また、スーツを着てアタッシュケースを持って街を闊歩
している人が、過酷なノルマに追われる英会話教材販売
員で“年収200万円で、しかも歩合給”だったりする
など、日本には、一見“颯爽としてパリッとしている
ワーキングプア”の人達がたくさんいます。
3つめの理由として“混ざり方”が違います。アメリカ
だと経済レベルによって利用する店自体が違います。
一方の日本では、ワーキングプアレベルの人と年収1000
万円以上の人が同じコンビニに行き、その奥さんは同じ
スーパーで夕食の買い物します。
そして、どっちの子供も学校帰りにマクドナルドに行く
わけです。
アメリカに留学している時は貧乏学生だったちきりん
ですが、それでもマクドナルドにはほとんど行く気に
なれませんでした。(NYなど観光客の多い大都市の
マクドナルドは例外です。)
それは味の好き嫌いの問題ではなく、雰囲気や客層、
周囲の街の様子からして「あなたが行くべきところ
ではありません」的な臭いがプンプンしていたから
です。
利用する店、生活エリア自体が、収入層によって分離
してしまっていると強く感じました。
最後に、親子の関係も日本の格差を見えにくくしている
理由でしょう。
英米だと親が成人した子供を養わないので、若年層が失業
するとホームレスになってしまいます。実際、日本でも親が
助けてくれない若者は、ネットカフェで寝泊まりし半ホーム
レスにならざるをえません。
でも日本では親が同居させてくれる場合も多いので、その分
は若者の貧困層が街で顕在化しません。
彼らは親の家に住んでいるので、少なくとも飢え死には
しないし、路上で寝たりもしないし、コンビニ強盗にも
ならない。
「見えない貧困者」として隠れてしまいます。「余裕のある
親が貧困の子供を抱え込んでいる」というのも、日本の格差
を見えにくくしている理由のひとつでしょう。
というわけでいくつかの理由により、日本はとても格差が見え
にくい国です。なので、(今の日本の格差レベルにはいろいろ
議論があるんでしょうが)、日本で格差が「見えやすくなった
時」には、突然“あっと驚くレベル”になっているかもしれ
ないとは思います。
以上。
格差の見えにくい国ニッポン、うすうす気づいていること
ではあるが、けっこうまとまった話しで、いい勉強になる。
こういう話しがあった。
でも日本では親が同居させてくれる場合も多いので、その分
は若者の貧困層が街で顕在化しません。
彼らは親の家に住んでいるので、少なくとも飢え死には
しないし、路上で寝たりもしないし、コンビニ強盗にも
ならない。
「見えない貧困者」として隠れてしまいます。「余裕のある
親が貧困の子供を抱え込んでいる」というのも、日本の格差
を見えにくくしている理由のひとつでしょう。
という話しは、いつの日か大きな問題になりそうだ。
「余裕のある親が貧困の子供を抱え込んでいる」という話し、
余裕のある親達が死に絶え、貧困の子どもが、人の親となる
年齢になった時、取り返しもつかない「負のスパイラル」が
出現してしまう。
現在では、死んだ親の年金を横領して、捕まる子ども達が
いるが、年金生活をしている親のすねをかじっていた子ども
たちが路頭に迷う時代がくると言えるだろう。
そうでなくても、まともな世帯を持っている子ども夫婦が、
親の金銭的援助を前提とした生活をして、何の疑問も
持たない人がいるようだが、このような人たちも、親の
死によって、生活設計に狂いが生じ、苦渋を味わうことに
なると考えられる。
格差の見えにくい国ニッポン。
いずれにせよ。後々のことを考えると空恐ろしくなる話し
である。
いよいよもって、
定年後のサバイバルを考える
ひとりひとりの再出発
希望は自ら手に入れる
アメリカの話ではないが、1%の富裕層の話しになる
のかしらん?