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リタイアーのよもやま話

定年後のサバイバルを考える

2011-12-11 22:49:33 | 定年

新聞にあった村上龍氏のとある講演の内容である。
興味深かったので、一部抜粋してみた。


55歳からのハローライフ

 

定年後のサバイバルを考える

ひとりひとりの再出発

希望は自ら手に入れる

 

 

 歳を取るということは、知識と情報は増えて
いくが、体力と気力はしだいに衰えていくと
いうことだ。

まだまだ若いと威勢のいい老人も目立つが、歳
を取るにしたがってどんどん元気になっていく
という生物は、癌細胞のような特別なものを除
いて、地球には存在しない。

若いころはバックパックを背負って見知らぬ街
をいくらでも歩くことができるが、歳を取ると
そうはいかない。

できれば空調の効いた快適なホテルに泊まり、
落ち着いたレストランで食事をしたいと思う
ようになる。

 ある程度の経済力、ある程度の社会的な尊敬、
それに信頼できる家族や友人とそのネットワーク、
その3つのありがたさが、歳を取るにしたがって
身に沁むようになる。

生活するための充分なお金がなく、社会的な尊敬
もなく、また信頼できる家族も友人もいないとい
う老人は、生きるのが非常にむずかしいだろう。

 55歳は残された時聞が少なく、新しいトレーニ
ングや学習によって新しい職を得られるという可
能性は少ない。

また、格差を伴った多様化によって、リタイア後を
生き延びる戦略は個々に違ったものになる。

多様化した定年後の人生は、おおまかに、2対6対2、
という比率で、悠々自適層:中間層:困窮層、に分か
れる。

定年後すぐに生活が困窮する層が2割もいるという
こと自体、驚くべきことだが、あまり知られていない。

中開層は、社会保障の制度疲労もあり、基本的に預貯
金他の財産を取り崩しながらの生活となり、長生き
すればするほど暮らし向きは苦しくなる。

メディアはよく「定年後をどう生きるか」という特集
を組むが、実はその対象となるのはおもに「悠々自適
層」に限られるのである。

 定年後、どの層の人生も決して楽ではなく、ときに
絶望にとらわれる。

だがいずれにしろ、財政破綻寸前の国家に頼りきるリ
スクは大きく、サバイバルの戦略と方法は個人にゆだ
ねられている。

希望は、自ら手に入れなければならない。

55歳からの生き方、「格差を伴って多様化した定年後」
のサバイバルの方法を考えるためには、小説がもっとも
適していると思う。

小説は、シンプルな真実を物語の背後に織り込み、さら
に、複雑な疑問を提示できるからだ。


以上、抜粋である。


村上氏は、

生活するための充分なお金がなく、社会的な尊敬
もなく、また信頼できる家族も友人もいないとい
う老人は、生きるのが非常にむずかしいだろう。

と言ったが、このすべてが、揃う人というのは、
そう多くはいないと思っている。

「生きる」について、どのようなことを意味して
いるかを問うてみたいが。

昼間から、スーパーで所在なげな退職世代の方々を
多く見かけるが、今後このようなアンニュイな風景
が、色濃く社会にたちこめていく一方かと思うと、時代
そのものが「たそがれて」しまいそうで、頭もどうにか
なりそうで、たまらない。

彼は、

多様化した定年後の人生は、おおまかに、2対6対2、
という比率で、悠々自適層:中間層:困窮層、に分か
れる。

ということも言ったが、もしかして、このような
人生の成果も「2対6対2」、という比率である
かもしれない。

と感じている。

わたしなどは、経済的には、中間層の中くらいかな。
もちろん社会的尊敬など望むべくもなく、独身だから
家族はいないし、社交性がないから友人と言えるよう
な付き合いもない。

村上氏の「物差し」からすると、生きるのが非常に
むずかしい最悪のグループに位置するようだ。

こういうのは、気づいた時には、遅いことだから、
辛い現実である。

そういう意味では、村上氏は選ばれた存在だろう。


彼は、

多様化した定年後の人生は、おおまかに、2対6対2、
という比率で、悠々自適層:中間層:困窮層、に分か
れる。

定年後すぐに生活が困窮する層が2割もいるという
こと自体、驚くべきことだが、あまり知られていない。

と書いたが、パレートの法則というのがあるから、
おおよそ、ありうるだろうと考えていたが、「あまり
知られていない」と言っているあたり、この数値を
なんらかの手法でおさえている人がいると思うと
びっくりである。


彼は、

希望は、自ら手に入れなければならない。

55歳からの生き方、「格差を伴って多様化した定年後」
のサバイバルの方法を考えるためには、小説がもっとも
適していると思う。

小説は、シンプルな真実を物語の背後に織り込み、さら
に、複雑な疑問を提示できるからだ。

と語ったが、

「ひとりひとりの再出発」「希望は自ら手に入れる」の
帰着するところが、「小説を書く」ことだとすると、
なんのことは、「悠々自適層」の小説を書ける才能のある
人を対象とした話しのようだ。

それからすると、中間層、困窮層については、彼の言わん
とする「ひとりひとりの再出発」「希望は自ら手に入れる」
等の話しの対象者とはなりえないようで、辛い話しである。

それはそうとして、まだ、このようなことを宣える間は、
幸せかも知らんと、昨日の忘年会の話しを思い出しては
気づいた。何しろ、村上氏は、1952年生まれ、わたし
より3歳、年下だから、今度60歳になったばかしだ。

勧奨退職をして、病院通いをしながら、老母と二人きり
の生活をしていると、彼においては、まだまだ人生の
地獄は遥か彼方で、頭上は太陽で、輝いているようだ。

定年の歳だと、感傷にひたっている真っ最中だろう。

昨日、忘年会で、地域の先輩の家庭の事情が語られた。

奥さんが病気で、デイサービスを1日、5時間受けて
いる生活を語っていたが、デイサービスの方が来ている
時間にしか熟睡できない生活で、社会的交際も不自由
な生活を目の前で、聞かされると鬼気迫る思いがして、
身の毛もよだつ。

その身だしなみが、セレブな雰囲気を醸しだしている
だけに、聞いている方は、微妙で複雑な気分になる。

そして、話す際の、高齢者特有の「舌のもたつき」が
感じられたのには、内心驚きを感じてならなかった。
これもまた、複雑な気分になってやまない。

もう一方は、奥さんがパーソンキン病が進行中で、
苦しい胸のうちを語った。本人も心臓が弱く、腰痛
持ちで、はっきりは語らないが、暗澹たる思いを
しているだろう。


今や核家族を前提とした生活を多くの国民がしている。
だから、子どもに恵まれても、老後の介護が必要な
状況になったら、多くの人には厳しい現実が待っている。

悠々自適層の人間であっても、健康な二人きりの生活
は楽しいかもしれないが、どちらかが、デイサービス
を必要とする生活が始まると、老老介護の身の毛も
よだつ生活が始まる。

そして、被介護者が、先立つことになると、今度は、
病気がちな孤独の生活が待ち受けている。

テレビで、特集をしていたが、孤独死が年間3万人と
報道されていた。

 

ひとりひとりの再出発

希望は自ら手に入れる

ということも、束の間の話しだ。

時間は、大切に心残りが無いようにしないといけない。

 「何をしても いい自由」、何かできるのか?

結局、悠々自適層の人たちの話しだが、食い込めない
ものか???

 

 


ところで、


ヤフーのニュースである。


単身女性、3人に1人が貧困 母子世帯は57%


勤労世代(20~64歳)の単身で暮らす女性の3人に
1人が「貧困」であることが、国立社会保障・人口問題
研究所の分析でわかった。

2030年には生涯未婚で過ごす女性が5人に1人になる
と見込まれ、貧困女性の増加に対応した安全網の整備が
急がれる。

 07年の国民生活基礎調査を基に、同研究所社会保障
応用分析研究部の阿部彩部長が相対的貧困率を分析した。

一人暮らしの女性世帯の貧困率は、勤労世代で32%、

65歳以上では52%と過半数に及んだ。また、19歳
以下の子どもがいる母子世帯では57%で、女性が家計
を支える世帯に貧困が集中している。

 貧困者全体の57%が女性で、95年の集計より男女
格差が広がっていた。非正規雇用などの不安定な働き方
が増え、高齢化が進むなか、貧困が女性に偏る現象が
確認された形だ


以上。

 

単身女性、3人に1人が貧困では、結婚しない女性も増
えていくということになる。

少子化問題の解決は、そう簡単に目処がつく話しではない
ことになりそうだ。

保育所の問題以前の厳しい現実だ。


ひとりひとりの再出発

希望は自ら手に入れる

には、ほど遠い人生が待ち受けている。

切ないね。

 

ところで、次ぎの興味深い話題もあった。


格差の見えにくい国ニッポン - Chikirin
アゴラ 11月1日(火)15時16分配信

海外にいくと「日本は格差が見えにくい国だなー」と
思います。

格差の存在自体については、「日本の格差なんて、他国
と比べれば余程マシ」という人もいれば、「いやそれは
既に幻想で、日本は他国と比べても格差の大きな国に
なった。」という人もいます。再配分前か後(社会保障
還元後)か、どの年代、家族形態で見るか、によっても
かなり状況が異なり、意見が分かれています。

でも、すくなくとも「格差の見えやすさ」については
「日本は圧倒的に(格差が)見えにくい国」なのでは
ないでしょうか。


その最大の理由は「格差と人種が結びついてない」こと
でしょう。

欧米だと、経済格差と肌の色に高い相関があるために、
格差がビジュアルにわかりやすいです。

欧米では、ゴミ収集車の作業員、格安ファーストフード
の店員、ホテルのハウスキーパーなどは、オフィス街で
スーツを着て働く人や、ホテルの受付にいる人とは、
明らかに“肌の色”が違います。だから「ああ、格差が
あるんだな」とすぐ気がつきます。

日本でもオフィスビルやホテル、新幹線車内でお掃除
担当の人に会うことはあっても、宿泊客や乗客は、“格差”
を意識することはあまりないですよね。

けれど、もしも掃除をしている人の多くが自分と肌の色が
違っていたら、その格差は圧倒的に「見えやすく」なるで
しょう。


二つ目の理由として、“職業と所得が見えやすい形で関連
していない”のもあります。前にどこかの市バスの運転手
の年収が、800万円から1000万円と報じられていま
したが、民間企業の長距離バス運転手の給与がそんなに
高いとは思えず、同じ職業でも「高所得者」だったり
「低所得者」だったりします。

また、スーツを着てアタッシュケースを持って街を闊歩
している人が、過酷なノルマに追われる英会話教材販売
員で“年収200万円で、しかも歩合給”だったりする
など、日本には、一見“颯爽としてパリッとしている
ワーキングプア”の人達がたくさんいます。


3つめの理由として“混ざり方”が違います。アメリカ
だと経済レベルによって利用する店自体が違います。

一方の日本では、ワーキングプアレベルの人と年収1000
万円以上の人が同じコンビニに行き、その奥さんは同じ
スーパーで夕食の買い物します。

そして、どっちの子供も学校帰りにマクドナルドに行く
わけです。

アメリカに留学している時は貧乏学生だったちきりん
ですが、それでもマクドナルドにはほとんど行く気に
なれませんでした。(NYなど観光客の多い大都市の
マクドナルドは例外です。)

それは味の好き嫌いの問題ではなく、雰囲気や客層、
周囲の街の様子からして「あなたが行くべきところ
ではありません」的な臭いがプンプンしていたから
です。

利用する店、生活エリア自体が、収入層によって分離
してしまっていると強く感じました。


最後に、親子の関係も日本の格差を見えにくくしている
理由でしょう。

英米だと親が成人した子供を養わないので、若年層が失業
するとホームレスになってしまいます。実際、日本でも親が
助けてくれない若者は、ネットカフェで寝泊まりし半ホーム
レスにならざるをえません。

でも日本では親が同居させてくれる場合も多いので、その分
は若者の貧困層が街で顕在化しません。

彼らは親の家に住んでいるので、少なくとも飢え死には
しないし、路上で寝たりもしないし、コンビニ強盗にも
ならない。

「見えない貧困者」として隠れてしまいます。「余裕のある
親が貧困の子供を抱え込んでいる」というのも、日本の格差
を見えにくくしている理由のひとつでしょう。


というわけでいくつかの理由により、日本はとても格差が見え
にくい国です。なので、(今の日本の格差レベルにはいろいろ
議論があるんでしょうが)、日本で格差が「見えやすくなった
時」には、突然“あっと驚くレベル”になっているかもしれ
ないとは思います。


以上。


格差の見えにくい国ニッポン、うすうす気づいていること
ではあるが、けっこうまとまった話しで、いい勉強になる。


こういう話しがあった。

でも日本では親が同居させてくれる場合も多いので、その分
は若者の貧困層が街で顕在化しません。

彼らは親の家に住んでいるので、少なくとも飢え死には
しないし、路上で寝たりもしないし、コンビニ強盗にも
ならない。

「見えない貧困者」として隠れてしまいます。「余裕のある
親が貧困の子供を抱え込んでいる」というのも、日本の格差
を見えにくくしている理由のひとつでしょう。

という話しは、いつの日か大きな問題になりそうだ。


「余裕のある親が貧困の子供を抱え込んでいる」という話し、
余裕のある親達が死に絶え、貧困の子どもが、人の親となる
年齢になった時、取り返しもつかない「負のスパイラル」が
出現してしまう。

現在では、死んだ親の年金を横領して、捕まる子ども達が
いるが、年金生活をしている親のすねをかじっていた子ども
たちが路頭に迷う時代がくると言えるだろう。

そうでなくても、まともな世帯を持っている子ども夫婦が、
親の金銭的援助を前提とした生活をして、何の疑問も
持たない人がいるようだが、このような人たちも、親の
死によって、生活設計に狂いが生じ、苦渋を味わうことに
なると考えられる。


格差の見えにくい国ニッポン。

いずれにせよ。後々のことを考えると空恐ろしくなる話し
である。


いよいよもって、


定年後のサバイバルを考える

ひとりひとりの再出発

希望は自ら手に入れる

アメリカの話ではないが、1%の富裕層の話しになる
のかしらん?


不眠

2011-06-13 11:43:41 | 定年

昨日の日曜日は、自治会の清掃日、各班ごとに、清掃
をした。

朝起き掛けに髭をそり、頭を洗い、早々と朝食をすませ
本来は、9時からだが、8時頃から自宅の周りを片づけ、
8時30分頃から、作業にでる。

だいたいうちの班は、この時間あたりから、作業が始ま
っている。

わたしは、自分の車を持ち出し、集めたゴミを集積所まで
運ぶようにしている。

清掃終了後、この集積所まで、疲れた体で、人力で運ぶのが、
ことのほか辛いからだ。

「根きり」を持ち出し、歩道の雑草取りをする。

この方が手際よく、除去できるからだ。

しかし、この「根きり」が、重たくて、作業の終わるころ
には、立ったり座ったり、下半身が悲鳴をあげている。

そうはいうものの、反省会が終わるのが、10時半頃で、
時間としては、程よい時間で切り上げることができた。

午後は、少しばかり、ベットで休んで、病院に出かけた。

車を運転しながら、いろいろと考えた。

結局、退職者の生活には、「どこかに向かう」ということも
「何かが成る」ということもない生活だ。

このような生活が延々と続く。不毛の生活が。気が遠く
なる。

車を走らせていると、路上では、そのような人々が行き交
っている。

そして、そのうち、忽然とその人々が、わたしの視界から
消えたのに気づく。


夜は、疲れが出て夕飯を食べた後は、体がだるく、クーラ
ーの入ってない部屋で、コンピュータの前に座るのは、
とても、気が向かない。

それで、10時過ぎ頃には、就寝することにした。

夢をみて、よく寝たなとトイレに出かけ、廊下の時計を
見ると、なんと12時である。

その後、再び寝るのであるが、結局、2時間おきに、目を
覚ますことになった。

取り敢えず、定時の6時には、起床し庭にでる。

外は、日はまだ昇らず、南西の涼しげな風が吹いている。

昔のとある日に感じたような、風景にも似て、少しばかり
不思議な光景である。

家の前は、隣のスーパーの駐車場である。

朝のウォーキングかと思われる人が、通りすぎていく。

なんとなく、その気になり、スーパーの駐車場を軽く
一回り歩いてみる。

体の左半分の調子が奇怪しい、ほっておくと、歩行障害か。

筋トレだけでは足りないのか?

自宅近くまで戻ると、先程ウォーキングかと思われた
人は、弁当を3個、ぶら下げて戻ってきた。

ウォーキングだったのか、朝飯を買いに出かけたのか。

どうなんだろう。

どうしてだろう。不眠である。睡眠のリズムが崩れ
る。

何度も何度もとりとめのない夢をみている。

そして、目が覚める。

悪事を働いた人間はどんな夢をみるのだろう。

毎晩、悪夢に苛まれているのだろうか。


昔、蜷川マクベスの芝居を見たら、こういうのがあった。


気丈だったマクベス夫人が夢遊病で苦しんでいた。毎夜、
眠りながら歩き回り、まだ手から血のにおいが消えない、
血のしみが消えないと、深いため息をついている。

悪夢のなか、夫人がもらす寝言から、お付きの者たちは、
王夫婦が犯した大罪を知って、おののく。

その場面を見た時、わたしは、衝撃を覚えのだが。

悪事を働いた人が、このマクベス婦人のように、悪夢に
苛まれるのだったら、なんとも残酷な人生だろう。


それにしても、とりとめのない夢で、熟睡することの
ない夜が続く。

昼間は、ボーッとして一日が過ぎていく。

夜は、晩酌して、睡眠薬がわりに寝るとすれば、認知症
は、必至の話だ。


600万人を越す団塊の世代、パレートの法則が生きて
いれば、順調な退職生活者は、20%。残りの80%は
どのような退職生活をしているのだろう。

昔、読んだ本の中では、国にも家族にも誰にも援助を
うけずに、自分の力だけで、老後の生活ができるのは、
1%という数値があった。

その資料を、とって置かなかったので、残念ではあるが。

家族のない、地域との関わりもない、乏しい年金の生活で、
「どこかに向かう」ということも「何かが成る」という
こともない気が遠くなる不毛の生活が延々と続くと
思われし人が、隣りのスーパーあたりで、見受けられるが
ある日、忽然と姿が見られなくなる。


人生の上り坂を生きるのも、大変ではあるが、下り坂を
生きるのも容易ではない。

上り坂は、その苦しみも、上るもの同士で、手を携えて
いけるが、下り坂は、皆一人で、よろけながら降りてい
く。

「まさか」とは、このことだったようだ。

睡眠薬でも必要になったのか?





夢でないのが、やっかいだ

2011-05-29 23:01:10 | 定年

退職して、5年目になった。日々の生活で、自分の
体から力が抜けていっているような気がする。

疲れやすくなったようである。

ちゃんと、計画的に筋力トレーニングをしているが、
どうしてだろう。

努力をあざ笑うように、自分の体が萎えていく。

少しばかり、腹は出てきたものの、現役時代より
筋肉はついているはずだが。

仕事をしていた頃、出勤時、大通りに出る際、目の
前を退職しただろうと思われる年配の人が、弁当か
なんか持って毎日歩いて、横切っていった。

わたしは、健康のために、ウォーキングを兼ねている
とみたが、しかし、数年経つと、その顔が熟年の表情
から老人の表情に変わっていったことに気づき、驚い
た。

そして、いつしか、その人は、見かけなくなった。

どうしたのだろう。


わたしの努力をあざ笑うように、老いは、容赦
をしないようである。

わたしも、かの人のくちかと、不安がよぎる。

現役時代、退職生活が輝いて見えた。

しかし、それは、隣の芝生が青かっただけだ。

現実は、賽の河原で、石積みをしているような
ものだ。

寝たきりの高齢者は、失ったものの大きさにショック
を覚え、未来のない現実に、絶望し、葛藤と怒りに
疲れはて、精神は失速し、意識は薄れ、全てを忘却の
彼方に置いていってしまう。

いや、忘却そのもの忘却してしまう。

未来のあることが、どんなにか生きることに、力
を与えてくれることであろうことか。

 

思うに、人の住まなくなった家が、朽ち果ていく
ように。

いくら、筋力トレーニングをした体も、現役を引退した
者たちの無為な日々で漂泊するような精神では、生命の
宿らない筋肉かも知れない。

退職して気づいたことがある。

いつも見慣れた風景が、退職と同時にまったく違う風景
になった。

消費期限の過ぎた夥しい数の所在投げな高齢者が、わたし
の視界を埋めつくす。

今後、この風景がエスカレートしていくかと思うと、
長寿社会の悲しい現実にうろたえてしまう。

国そのものが立ち枯れしそうだ。

こんなはずではと、叫んでみても、池塘春草の夢をみる
ことが叶わない現実に、懊悩してしまう。

長寿化が、少しでも不死に近づくかと、期待に浮かれた
のは何時の日のことであっただろう。

現実は、三途の川べりを疲れ果てるまで、歩き回って
いるようなものだ。

退職者というレッテルをもらったとたん、今まで見て
いた風景が突然消えた。

誰彼もが、一人で、とぼとぼと三途の川べりを、所在
なげにあてもなく歩き回っている。

そんな、ばかな話が、と言いたいのだが。

夢でないのが、やっかいだ。

 


人生の資産

2010-04-23 11:43:32 | 定年
「失敗の心理」を科学する

しまった!

ジョセフ・T・ハリナン
栗原百代 訳

講談社を



この本に書いてあったことで、反省させられる
ことがあった。



以下、本の話である。



人生の資産

「人を幸せにするものは何か」を年10年以上研究してきて、
同僚とともにひとつの結論に遠した、とデイヴィッド・シュ
ケイドは語った。


人生の資産はお金ではなく時間である。

新天地へ移るとか退職するといった大きな人生の転機に起こる
大きなまちがいに「時間の過ごしかたを変えない」ことがある。


シュケイドがテキサス州に往んでいたとき、この考えをぴたりと
言い当てたバンパーステッカーを目にした。

「そんなにニューヨークが好きなら、州間高遠道30号線を東へ
どうぞ(ニューヨークヘ行けば?)」


つまり、テキサスに移り往んだなら、テキサスの風物を楽しむこと
を学ぶベきなのだ。

NYのようにおいしいベーグルが食べられるとか、LAのように
美しい海岸が楽しめると思ってはいけない。

ロデオやNFLのダラス・カウボーイズに熱中したり、西テキサス
の広大な空間を愛でたりすることだ。

さもなければ、みじめな気持ちになるだろう。

本書に記してきた多くの発見と同様に、これも当たり前のことに
思えるかもしねない。

私にとってはそうだった。シュケイドにそのことを言った。

「たしかに常識です」とシュケイドはうなずいた。

「でも人は常識どおりには動きませんからね」


人生を精巧につくり直すためには、決意と自制が求められる。

退職者の多くが仕事に逆戻りしてしまうのはそのためだ。

彼らが犯す過ちは、やろうと考えていた新しいことではなく、
これまでと同じことをするのに時間を費やしてしまうことだ。

シュケイド自身の経験では、数年前にテキサスからカリフォ
ルニアに移り往んでからは南カリフォルニアの暮らしがもたら
す恩恵をたっぷり味わおうと決めていた。

たとえば、以前よりゴルフをよくやっている。

家にテラスをしつらえ、海に沈む夕日を眺めている。

日曜の朝には妻と浜辺を散歩する。

シュケイドはやがて気づいたという。

結局のところ、人の幸せは、どこに往むかで決まるのではない。

時間をどのように使うかだと。

そのことを忘れていることが、人生で最大の「まちがい」では
なかろうか。


以上、本の話である。




この話、定年病気味の者として、耳に痛い話である。



人生の資産はお金ではなく時間である。

新天地へ移るとか退職するといった大きな人生の転機に起こる
大きなまちがいに「時間の過ごしかたを変えない」ことがある。




つまり、テキサスに移り往んだなら、テキサスの風物を楽しむこと
を学ぶベきなのだ。

さもなければ、みじめな気持ちになるだろう。



人生を精巧につくり直すためには、決意と自制が求められる。

退職者の多くが仕事に逆戻りしてしまうのはそのためだ。

彼らが犯す過ちは、やろうと考えていた新しいことではなく、
これまでと同じことをするのに時間を費やしてしまうことだ。



結局のところ、人の幸せは、どこに往むかで決まるのではない。

時間をどのように使うかだと。

そのことを忘れていることが、人生で最大の「まちがい」では
なかろうか。


という風に簡潔に抜粋したが、多いに反省させられる。


「テキサスに移り往んだなら、テキサスの風物を楽しむことを学ぶ
ベきなのだ。」が、どうしたらいいのか分からないのが、これまた、
最大の問題なのだ。

退職生活は下手すると、どこを見ても、死ぬまでの暇つぶし以上の
ことがないのが、最大の問題だ。






自分の本音って?

2010-02-05 11:15:49 | 定年
わたしが、20代の頃、まだ学生だったような気がするが、どういうわけか、45歳くらいに退職したいと思っていた。

はっきりした理由は、分からないが、労働を厭う気が、どこかにあったかも知れない。いや、人見知りをする性格だったからかも知れない。

実際に仕事についても、どこかで、退職の日を待ちわびている自分があった。

ところが、不当人事を食らって、あまりの忙しさで、眼がおかしくなった。

光が、眩しくて、裸眼で生活できない。サングラスをかけて、日夜生活をしていた。

時折、ゆとりができると良くなったりしていたが、ある日、それが慢性になった。

さすがに、このままでは、目が潰れて、仕事を止める日がくるのではと思ったら、焦った。

今まで、何度もいざとなれば、仕事を止めたってかまわないと思ったが、いざ仕事を止めるのではないかと、思ったら、仕事にしがみつく自分に、びっくりしてしまった。

情けなくなってしまった。

それ以来、自嘲し、自重するようになった。

わたしが54歳の時、父親が、突然寝たきりになった。そのため、仕事の合間をぬって、父親のリハビリをするために、病院に通うことになった。

この両立が厳しく、退職を考えていたが、躊躇するものがあった。

しかし、この職場に5年ということで、転勤の年を迎え、これ以上、厳しい生活をしていると、身内の誰かが、病気になって、不思議でないと思い勧奨退職することにした。

病人が増えると、本当に最悪の事態になってしまうからだ。

この最悪の事態だけは、避けたいと思った。

客観的にみると、退職してから、父親の代わりにいろいろと仕事をしてきたので、良かったかも知れない。

仕事と両立できる内容ではないからだ。

しかしである。

どうしても、自分の現状に苛立ちがわく。

最近、現役時代の夢を見る。

実は、今日も明け方にそのような夢を見て、途中で、覚めた。
若干、のぼせて頭痛がする。不快感を感じる。

このような体調の時は、ストレッチをして、筋肉の緊張をほぐし、血液循環をよくしなければならない。

着替えをしながら、頭によぎったことがあった。
昨日、夜、本屋で立ち読みした文章だ。

それは、とある実業家の著書である。

彼の友人が、若くして、大金を稼ぎ、リゾートにひっこみ、遊び三昧の生活に入ったが、すぐに飽きて、仕事に復帰したそうだ。

そして、エピソードが追加された。

アメリカで、若くして大金を得て、退職生活に入った人は、早々と死んでしまうそうだ。という文章であった。

このエピソードは、他の著者の本でも、読んでおり、読むのは二度目である。

このブログでも、ずっと前に書いた記憶がある。

そのことを思いだしながら、突然、頭をよぎったことがあった。

「わたしは、仕事がしたいのだ。」ということであった。

それは、昔の現場に戻りたいと言うこととは、違うものだ。
昔の職場、わたしの力量を超えるほど、厳しい職場になってしまっている。

わたしたちの世代の古い体質では、ついていけないくらいの状況になってしまっている。

どのような職場でも、時代と共に、変化していく、だから、キャリアを積めば積むほど、現実は、自分の持っていた体質と、職場の状況とが乖離していく。

だから、再度、古巣に立ち戻ることは、不可能だ。無理すれば、今度は、その乖離のストレスで、身も心もボロボロになってしまう。

「仕事をしたい。古巣にもどるということではなく。」というのが、どうもわたしの今の本音のようだ。

その方が、何かしら、自分の今の気持がすっきりする。

わたしは、いよいよ退職を意識する歳に近づくにつれて、定年退職した後、タクシーの運転手でも、警備員でもいいから、仕事を続けたいという気持があった。

あまり、背伸びをしなくてすむ仕事であると思ったからである。

現実は、父親の病気で、勧奨退職をし、リハビリのため、病院通いの生活となった。

経済的には、父親のささやかな資産があるので、その管理をしながら、生活をしている。

だから、およそ、退職した同僚の中では、金銭的には、ゆとりがある生活だろう。

しかしである。面白くないのである。

ところで、「仕事をしたい」という希望は、どうなるだろう。

現実は、午後から病院通いの生活だ。今の生活でも、午前中に、日々の雑用をするだけで、精一杯だ。病院の行き帰りの途中、車で仮眠をしている。

仮に病院通いから開放されたとしても、一端退職した人間が、再就職するなんて、現在の社会情勢からして、とても、不可能だ。

自分の本音は、分かったが、如何せん身動きがとれない。

もしかして、退職した人の中に、何%か、わたしと同じく、仕事はしたいものだと思っている人がいるかも知れない。

するとなると、悠々自適の老後は、軟禁状態の生活と変わらない。

なんと、不健康な第二の人生だろう。

どこかしら、病んでしまいそうだ。