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リタイアーのよもやま話

浅田真央が、優勝した

2014-03-30 23:47:37 | 日記

先日の試合で、浅田真央が優勝した。

ショート、フリーとも本人の納得の演技だった
ようで、嬉しいことだ。

今回、特に、ショートの演技は、今での不器用さを
払拭するいい演技になった。

キム・ヨナが、2010年バンクーバーオリンピッ
クで、金をとった時の演技を思い出した。

今回の浅田真央の演技のどの瞬間を見ても、演技
が音楽になっている。

ジャンプに入る前も、ジャンプの瞬間も、ジャン
プを終了した後も、ジャンプからジャンプへ移動
する際も、

旬の演奏家の名演奏のような素晴らしい出来ばえ
だった。

演技が音楽の名演を聴くような様であった。

ただ、やはり、キム・ヨナと浅田真央は、全く
違うアスリートであることを再認識してしまった。

よく、草食系とか肉食系とかいう表現があるが、
そのような異質性である。

今回、浅田真央の演技に女性のもつ、「たおやかさ」
が、満ち満ちていたのは、大変魅力的で好感が持て
た。

この変は、キム・ヨナの「色気」とは、違うので、同等に
比較するのは、困難だと思う。

結局、浅田真央は「女剣士」なのである。今回、
その女らしい「たおやか」な表現ができるゆとり
のある演技で、従来の真央を超えることができた。


これこそ、浅田真央にまち続けていた内容だ。


ネットでは、韓国がまた、難癖をつけて、騒いで
いる。

次回、18年冬季五輪は平昌だが、開催国の韓国
がどのような競技運営をするのだろう。興味深い
ものだ。

ところで、ネットに次のような記事があった。

プルシェンコ 真央を祝福「我々の競技を次の
レベルに押し上げた」

エフゲニー・プルシェンコ(ロシア)が29日、
浅田真央(23=中京大)が日本人最多となる
フィギュアスケート世界選手権優勝を果たした
ことを自身のツイッターで祝福した。

 「3度の世界チャンピオンおめでとう」とし
「2回の美しいトリプルアクセル…とても誇り
に思っているし、我々の競技を次のレベルに押
し上げてくれたことに感謝する」とつづった。

以上。

この文章に

「2回の美しいトリプルアクセル…とても誇り
に思っているし、我々の競技を次のレベルに押
し上げてくれたことに感謝する」とつづった。

というのがあるが、

帝王プルシェンコは、浅田真央が、フィギュア
の歴史を変えた。と評価しているのである。

アスリートとして、これ以上の栄誉はないのでは
なかろうか。キム・ヨナは、いずれ、人の記憶
から消えていくだろう。

浅田真央は、フィギュアの歴史に残る存在になる
ということだ。

「英雄は英雄を知る」という言葉があったが、彼
女の評価は、ウリジナルというコンプレックスの
塊の有象無象の輩に、できるはずはなかろう。

身びいきの韓国国民も、その歴史の力に、抗う
ことはできまい。時が経つのを、待つのみだ。

ところで、今回、浅田真央に、人間が目標を持つ
ということは、どういうことなのか。ということ
を多いに教えられた。

バンクーバーの後、一からやり直すという
とんでもない挑戦をやってのけた。

わたしは、跳べない浅田真央を見たとき、
彼女は、もう終わりだと思ってしまった。

しかし、彼女は、その挑戦をやり遂げる
ことができた。

そこに、わたしは、彼女にリスペクトせざる
を得ない。

浅田真央のいた時代に、めぐり合わせていて、
幸運だったと思う。

素晴らしいヒロインに出会えたものだ。

彼女のこれからの長い人生に、祝福があることを
願う。


優しい時間

2014-03-28 22:48:17 | 音楽

今日、新聞を読んでいたら、わたしの
先輩方の活躍している様子があった。

昭和22生まれが中心となっている活動
である。

わたしは、この昭和22生まれには、ずっと
コンプレックスをもち続けてきたが、このニ
ュースで、再度思い知らされてしまった。

結局、彼等はわたしたち団塊の世代の
勝ち組であり、わたしなどは、その「さく
ら」のような人生だったかもなんて、時々、
思ったりもする。 

前にブログで書いた
グローバル・スーパーリッチの中で、興
味深い文章があった。

革命的変化に便乗して勝者になれるかど
うかは、適切な能力、適切な性格、適切
な社会的立場を、適切なときに持ってい
るという幸運に恵まれていることが条件
になる。

成功の80%は、そこにいることで決まる。

以上。

これは、金儲けの話だったが、別の分野でも
言い得ていることだと感じている。

結局、わたしは、そういう意味で、上記の
文章のどこにも当てはまらない存在だった
のだと、観念するしかないのだろう。

彼らの展開した人生のどこにも、わたしの
人生が遭遇することはなかったという事実
に愕然するものがある。

それは、そうと
夜も更けて、石川啄木の短歌を思いだした。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ
来て 妻としたしむ

である。

このような夜は、「優しい時間」の響きで、
穏やかならぬ我が心を、静めるとしよう。





Cafe

2014-03-26 23:12:11 | 社会

わたしの県では、Cafeブームのようだ。

Cafe
に関する本が何冊も出版されている。


紹介の写真と文章につられて、何冊か買っ
てきて読んでいるのだが、その内容で、
とても、信じられないものが、多々ある。

わたしは、1月末に、本島の北端をまわっ
たのだが、その北端の過疎も極まる過疎の
地に、他県からやってきて、手作りで建物
建て、Cafe
やセラピーを始めた人がいる。

地元の人間としては、誰もが逃げ出す過疎
の地で、他県から移り住むということじたい、
まったく理解できないのだが、そこで、商
売をしようという心意気に、圧倒されてし
まう。

 

ネットで、検索してみると、けっこう現代
風のいかしたホームページになっている。

 

過疎の地と、最先端のセンスがなんとも、
わたしの理解を超えて、共存している。

 

わたしの県では、けっこう、多くの他県者
が、移り住んで、Cafe
を経営しているが、
地元の人間の感覚では、商売をはじめよう
なんて、気にならない場所で、一旗あげよう
と、果敢にも挑戦している。

 

わたしの感覚のほうが、時代遅れになって
いるのだろうか。

 

なんとなく、切なくなってしまう。

わたしの人生で、彼等ほどの挑戦と勇気が
あったのだろうか。

 

彼の行動力をうらやましく思うと同時に、
我が身の卑小さを知らされるようで、なん
ともやり場のない思いがわき起こってやま
ない。

 

なんとも情けなや。

 

我が身の卑小さを突きつけられて、うろたえ
るばかりだ。

こんな寂しい日は、ベイ・シューが似合う。

"Both Sides Now" Bei Xu 4th で、わが心をしばし
慰めて、眠りにつくことにしよう。

明日、いいことがあったらいいのだが。

 

 


「未練」と「悔い」

2014-03-25 22:53:58 | 読書

リッツ・カールトン
至高のホスピタリティ

前リッツ・カールトン日本支社長
人とホスピタリティ研究所所長

角川oneテーマ21
角川書店

を読み終えた。

その中に、興味深い内容があった。

「未練」と「悔い」は似ているようで
違います。未練は何をやっても必ず残
ってしまうもので、これはもう仕方あ
りません。しかし、同じように残って
しまうものだとしても、悔いは可能な
かぎり残してはいけないものだと思う
のです。

なぜなら、悔いてしまうことの中に、
本来の使命のようなものが秘められて
いるからです。

 私は2009年にホテル業界から引退
しましたが、35年間ホテルマンとして
の生活を送り、そのうち20年間はリッ
ツーカールトンに勤務しました。根っ
からのホテルマンです。

 行政にチャレンジするためにホテル
を辞めたわけですが、これほど住み慣
れた業界から別世界に行くというのは、
最初は自分でもちょっと考えられない
ことでした。

たしかに、行政に興味はありました。
でも、ずっと憧れていた世界、という
ことではないわけですから、やはり悩
みもしました。

 あのときに考えたのは、「未練は残る
か? 悔いは残るか?」ということで
した。


 35年もの長きにわたって身を置いて
いた業界を去るのですから「どう考えた
って未練たらたら、それはもういっぱい
残ることは間違いない」と思いました。

 一方で、「でも、今辞めても悔いは残ら
ない」とも感じていました。

 そして最終的に、「後悔しなければそれ
でいい」と考え、辞めることを決意した
のです。

 後悔は、こういった進退を決めるよ
うな重要な場面にはつきものですが、
そうではない日常の些細な場面でも、
ちょくちょく起きることです。


 読みたい本があるのに積読状態のま
まになっていたり、会いたい人がいる
のに会えないままだったり、行きたい
研修があったのに行けないままになっ
ていたり……。

忙しくて時間がとれなかったとか、遠
慮し過ぎて行きそびれたなど、理由は
いろいろありますが、まさに「後悔先
に立たず」です。

 時間が取り戻せるなら何をやってみ
たいか?

 慌ただしい毎日の中にあっても、ふ
と立ち止まり、自分自身にそう問いか
けてみる。そのような時間を大切にし
てほしいと思います。

 

以上。

 

「未練」と「悔い」について、高野氏が

いろいろと述べている。

普段は、この言葉の違いについて、考え
たことはない。

しかし、わたしたちは、人生の折々に判断
する機会があるものであり、このような視点に
ついて、整理された考え方をもっている
ことは、大事なことかもしれない。

 

ところで、何かを判断する際に、いろいろ指針
を集めている。

次のようなものもあった。

〇選択(の基準)
あきらめるか、あきらめないかの選択の基準
は何か。

あきらめても何かを得られるなら、あきらめ
ればいい。

何も得られないようなら、あきらめないほう
がいい。

ゴルフをあきらめても、とくに得られるもの
はなかった佐藤氏は、どうしてもゴルフをや
りたかったのだろう。

そういうときは、無理と思っても簡単にあき
らめないほうがいい。

〇判断基準
キーワードは「ときめき」だ。

「モノを捨てるか残すかの判断基準は例えば
洋服なら触ってみて、持っていて幸せかどう
か。

つまり心がときめいたら残す、ときめかなか
ったら捨てるようにするのがベストです」

以上。

ところで、

今日、本屋に立ち寄ったら、森村誠一氏の「健
康に生きる覚悟」という本があって、その表紙
に「人生前半は、リハーサル。後半こそ本番。」
と書かれていた。

わたしもそのような考え方でいたい方だ。

なにしろ、前半の人生があまりにも不本意な
人生だったと思っていて、なんとか取り返し
たいという気持でいるからだ。

ずばり、未練も一杯あるし、後悔も一杯ある。

ということで、このまま人生が終わっては、
堪らない。「断腸の思い」と言うには、大げ
さであるが、とにかく、このまま死ぬには、
忍びがたい思いで一杯である。

 人生後半の本番を悔いのないものにする
のに何を選択すべきか。それって、何だろう
か。


サマセット・モームは、

思い煩うことはない。
人生に意味なんぞはありはしないのだ。

と言ったり

私が確信できることがたった一つある。
それは確信できることはほとんどないという
ことだ。

年老いていくのが耐えがたい理由は、肉体や
精神の衰えではなく、記憶の重さに耐えかね
ることである

と言ったりしていて、冷や水を浴びせられる
思いだが。


彼は、次のようなことも言っている。

おかしなことに人生では、最高のものしか受け
付けずにいると最高のものを得られる場合が多
い。

とりあえず、人生に期待をしてみたいものだ。

死ぬ時に、自分の死に、納得して死んでいきた
いものだ。

 


優しい時間 - 明日~インストゥルメンタル・ヴァージョン

2014-03-24 22:12:31 | 

佐村河内守氏の偽ベートーベン騒ぎが、
マスコミで騒がれて、久しい。

理解できないのは、こんな嘘は、いずれ

ばれるということが理解できなかったの
か、全くこれまた理解できない。

佐村河内守氏は、著作権を主張するらし
いが、彼は作曲をしたことがないから、

そのようなことが言えるのだ。素人は
困る。

彼の主張が通るのだったら、音楽大学に

作曲科という専攻はいらなくなる。

この騒ぎにうんざりしているのに、また
また世間をびっくりさせたかのSTAP
胞騒ぎ。

小保方晴子の実態が分かるにつれ、あまり

にも、幼稚すぎて、情けなくなる。

科学者としての資質に欠ける。

こちらの方も、いずれ嘘とばれる論文をど
うして公にしたのか、まったく、理解でき
ない。


佐村河内守氏の行為は、クラシック音楽界
を辱めるものであり、小保方晴子氏の行為
は、科学、学問の世界を辱めるものである。

 

特に、小保方晴子氏の論文については、いず
れ、ばれるはずのその行為を未然に踏みとど
まれなかった関係者の知性に、絶望してしま
う。

ところで、ネットにあった内容である。

 

事件の背景に迫っているのは『現代』。

 

 論文の共著者で再生医療の第一人者、笹井
芳樹氏(理研幹部)らの焦りがあったのではと
いう。

 

 〈「山中教授のiPS細胞に、再生医療研究の
お株を奪われ(中略)iPS研究は2014年度に
は年間約150億円もの予算が(中略)。非iPS
派の研究者たちの中には、インパクトのある大
発見をしなければ、自分たちの研究が尻すぼ
みになってしまうという恐怖があった可能性が
あります」(理研関係者)〉

 

以上。

山中教授が、少ない予算をなんとかしよう
とマラソンに参加して、寄付を集める苦労
してきたが、笹井芳樹氏は、それをなんと
思うのだろうか?


こんな「やらせ」、いずれ、身の破滅になる
と思い至らなかったことについて、あまりに
も悲しくなる。

テレビのつまらなさにも、絶望しているが、
ここまで、なると、ひきこもりになっしま
いたい。

 
いやだ、いやだ、これが、インテリの所業とは。

 

寂しいよね。

 

 


優しい時間 - 明日~インストゥルメンタル・ヴァージョン

この世の中、救われるものがないではないか。

なんて、気持ちになって、寂しさにかられた日は、
こんな曲を聴いて、わが心を慰めたい。