腹違いの姉が亡くなった。
一緒に生活したことがないので、普
段は兄弟の数にカウントすることも
ない状態だった。
一度、病気見舞いをしたら、「知らせた
くなかった」と言われた。
それから、何年、経ったろう。
時折、思い出しては、気を病むこと
の繰り返しだ。
姉は、自分の死後、家族には知ら
せるなと厳命したようだ。
知人・友人・同級生等で、火葬等の
死後処理は済ませ、49日を目前に
して、姉が死んだ話が伝わった。
厳命された友人達にしても、まさか
のことだ。
伝わった情報は、5月27日(土)が
49日で、散骨を行うということだった。
行ってみて、確かめたら、49日は、
水曜日に終わったと言うことで、
本日の27日(土)は、散骨式だと
いうことだ。
そこは、山奥の人里離れた場所
我が県の本島で一番最後に電気
・電話がはいったとういう所だ。
島を横断する県道の途中から
山間に向かって、車が一台しか
通れない道が続く。
折れ曲がった道を心細くも不安な
気分になりながら、車を運転する。
集落の終わり近くに彼女の家が
あって、数十人の人々が集まっ
ていた。
その中で、私の家の近くに住む
私の同級生の兄が彼女の同級
生であり、姉の母方の親戚と
いうこともあって、この会場に
来ていて、声をかけてもらった。
彼も、特に、話したこともなかっ
ので、私の方が戸惑ったが、
いろいろ状況を説明してくれた。
彼にも死後処理については、
一役かってもらったようだ。
病気の姉の世話をしていただ
いた方々を紹介していただき、
お礼を述べることができた。
彼女の住んでいた家に入り、
中の様子を見る。
「すごい」の一言である。
友人が集まって、建ててくれた
ようだが、茅葺きの天井を見ると
穴が空いている。
屋根と壁は隙間があるので、
台風の時は、風も雨も吹き込む。
冬は北風が、室内容赦なく吹き
込む。
地面は、土間で、湿気で、
土がふやけている。
2部屋ほど、板をしいている。
全く掃除も手入れもしてない
汚れ放題。
その荒んだ様からは、とても
まともな生活をしていたとは
思えない。
この劣悪な環境では、いずれ
病気になるのでは思うほど。
今振り返ると、寝具があった
か、記憶がない。
あまりにも人間らしさの感じら
れない荒れたこの場所に彼女
は、何十年生活してきたのだ
ろう。
私が、ただ長男ということだけ
で、親父の家に同居している
生活からすると、どうして、姉弟
こんにも違う人生を選択する
ことになるのだろうと、言いよう
もない絶望が過る。
家族に知らせるなと厳命された
ことに対して、大きなショックを
覚える。
このような家族って、いったい
何なんだろう。
家族の葬式をできない家族って
何なんだろう。