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リタイアーのよもやま話

「政治家天国」イタリアのあきれた実態にメス

2012-01-30 23:33:37 | 経済

ニューズウィーク日本版

2012年世界経済の行方

にあった記事である。

ギリシャの危機は、ギリシャの政界を独占する
エリート家族が、政権に固執するための国民への
迎合が、国家を疲弊させていたのに、びっくり
したのだが、イタリアの現状について、語られて
いる記事で、大変興味深く、読めた。

 

「政治家天国」イタリアのあきれた実態にメス

国民には緊縮を説きながら公費で甘い汁を
大ナタを振るうならまず議員報酬から

 

イタリアでは昨年11月にベルルスコーニ首相が
辞任、モンティ新政権が誕生した。

危機に瀕したイタリア経済の舵を取り、2兆ユーロ近く
に膨れ上がった政府債務がユーロ圈と単一通貨ユーロ
の崩壊につながるのを阻止する-。

そんな重責を背負っての船出だ。

 モンティ首相は最近、イタリアの国会議員がひた
隠しにしてきた秘密を暴いて、彼らの怒りを買って
いる。

EUでも群を抜くイタリア議員の高給ぶりだ。

 政府の諮問委員会が先週までにまとめた報告書に
よると、イタリアの平均的な議員の月収は諸手当を
含めて約1万6000ユーロ(約160万円)と、一部
の国民の年収さえも上回る。

ヨーロッパで2番目に高いフランスより約2500
ユーロ、ドイツと比べると3400ユーロも高い。
スペイン(4650ユーロ)の4倍近く、イギリス
(6562ユーロ)と比べてもかなり高い。

 イタリアでは議員の副業も法的に認められており、
副業収入は議員だからという理由でたいてい非課税だ。

一方の国民は、居住用不動産に対する課税の復活から
ガソリン価格の高騰まで、さまざまな打撃を受け、
一層の人員削減と迫り来る労働市場の自由化に怯えて
いる。

 イタリアの肥大化した公共部門の改革は、自らの
給与返上を表明したモンティの双肩に懸かっている。

イタリアが長いこと低迷し借金漬けになっている一因が
公共部門にあるのは明らかだ。

まずは当然、議員報酬にメスを入れるべきだろう。


1期で年金は全額支給

 報告書によると、イタリアの議員は国内の交通費も
無料なのに、領収書なしで1300回まで交通費の払い
戻しが可能。

首都ローマに家があっても住宅手当が出る(非課税)。

秘書などを独自に雇わなくても人件費が給与に上乗せ
される。

議員食堂ではTボーン・ステーキやメカジキのグリルが
I皿たった数ユーロで味わえ、髪や爪の手入れも格安。

性同一性障害の議員専用の化粧室まである。

議員の家族には公務でなくても警察の護衛が付く。

一般市民は何年も働いてわずかな年金しかもらえない
のに、議員は1期務めるだけで国の年金が全額支給さ
れる。

ローマの高級ブティックの多くや携帯電話会社でも議員
割引が受けられる。そのほか、しゃれたビーチが無料で
使え、映画やオペラのタダ券が手に入るなど特権は数え
上げたらきりがない。

 報告書は政府機関のスリム化も視野に入れている。モン
ティも検討する構えだ。

人口6000万人に対し、議員は上下両院で1000人近
くに上る(アメリカの場合は人口3億1000万人に対し
議員は535人)。
  
しかしすんなりとはいかないだろう。「議員数を減らす
話は何十年も前からある」と、ロー『マ在住の政治学者、
ジェームズ・ウォルストンは言う。「でもそれは、大量に
丸焼きにされる七面鳥にクリスマスを祝えと言うような
ものだ」

  実際、イタリア議会では当面、給与削減が優先議題に
なことはなさそうだ。モンティは削減を強制するのではな
く、議員自らが給与体系や諸手当を見直すよう求めている。

 一方、議員はブログやツイッターで弁明に必死だ。独裁者
ムソリーニの孫娘であるアレッサンドラ・ムソリーニ議員は
「私腹を肥やすひと握りの連中のせいで、議員全員がツケを
払わされる」とブログに書いた。

「議員の月収を1000ユーロに減らしても、今度は500ユーロ
に減らせと言われるだろう」

 イタリア経済の窮状を思えば、500ユーロでも多過ぎるか
もしれない。


以上。


素晴らしい記事を掲載してくれたものだと、感じ入っている。

このような記事がなくては、どうして、イタリアの経済が疲弊
しているか理解できないからである。

数日前のテレビで、公務員の特権が紹介されていた。

給料の「わたり」というのが、「出世困難手当」だそうで、

「出世困難手当」は、長年つとめて出世できない職員に払われる
温情手当て

ということのようだ。

テレビ、絵図で説明された時は、さすがに愕然とした。

それこそ、悪平等の世界だ。

考えてみれば、国家公務員の天下りも、結局は、「わたり」
であり、「出世困難救済システム」と言えよう、そうなると
天下りは、根絶しなければならない。という話しにもなる。

自分の商品価値に応じてしか、給料はもらえないはずなの
だが、これは、マルクス主義に照らしても、原理原則で
あって、組合が、そのような特権を要求したとあっては、
すべての権力は腐敗するとしか言いようがないのだろうか?


○二六二の理論
一般に組織の構成員は、
①やる気もあり、能力もある者二割。
②積極性に乏しいが指示を与えれば、やってくれる者六割。
③やる気もなく、能力も乏しい者二割から成っているという。


○二割、三割
アリは、いかにも働き者の代名詞のようにいわれるが、実際に
働きアリのなかで、本当に働くのは二割、三割ぐらいしかいな
いという。後の七割、八割は怠ける。

じゃあ、働くアリだけを別にして、精鋭集団を作れば、働き者
ばかりになるかといえば、そうでもないらしい。やっぱり本当
に働くのは二、三割りで、後のアリはウロウロと働いているふり
をしているだけになってしまう。

怠け者ばかりでも、二、三割りは働きアリに変身してしまうと
いうからおもしろい。

 

という数値があったのだが、さすがに、この数値を知った時は、
愕然としたものだ。

わたしは、仕事人間だったので、いつもそのジレンマにあった。

時折、自分の能力に疑問を感じた時などは、給料を下げてでも、
仕事の責任度を下げられたらと、思い込んだこともあったのだ
が。

このような現実を見せつけられると、ゲーテが民主義に反発し
たり、チャーチルが、民主主義に対して、好感を持たなかったの
が、分かるような気がする。

とは言うものの、民主主義の時代だったから、今の自分がある
のだが。

しかし、アメリカの1%の富裕層も、民主主義の行き着いた姿だし、
ギリシャ、イタリアの経済的惨状も民主義の行き着いた末だと
すると、一体全体、わたしたちは、このジレンマをどう克服して
いけるのだろう?

 


コメント【最悪シナリオを封印】

2012-01-30 06:33:41 | 政治

コメント【最悪シナリオを封印】 菅政権「なかった
ことに」大量放出1年と想定  民間原発事故調が追及


公文書として扱われず


東京電力福島第1原発事故で作業員全員が退避せざるを
得なくなった場合、放射性物質の断続的な大量放出が約
1年続くとする「最悪シナリオ」を記した文書が昨年3月
下旬、当時の菅直人首相ら一握りの政権幹部に首相執務室
で示された後、「なかったこと」として封印され、昨年末
まで公文書として扱われていなかったことが21日分かっ
た。

複数の政府関係者が明らかにした。

民間の立場で事故を調べている福島原発事故独立検証委員
会(委員長・北沢宏一(きたざわ・こういち)前科学技術
振興機構理事長)も、菅氏や当時の首相補佐官だった細野
豪志原発事故担当相らの聞き取りを進め経緯を究明。

危機時の情報管理として問題があり、情報操作の事実が
なかったか追及する方針だ。

 文書は菅氏の要請で内閣府の原子力委員会の近藤駿介
(こんどう・しゅんすけ)委員長が作成した昨年3月25
日付の「福島第1原子力発電所の不測事態シナリオの素描」。

水素爆発で1号機の原子炉格納容器が壊れ、放射線量が
上昇して作業員全員が撤退したと想定。注水による冷却が
できなくなった2号機、3号機の原子炉や1~4号機の
使用済み燃料プールから放射性物質が放出され、強制移転
区域は半径170キロ以上、希望者の移転を認める区域が
東京都を含む半径250キロに及ぶ可能性があるとしてい
る。

政府高官の一人は「ものすごい内容だったので、文書はな
かったことにした」と言明。別の政府関係者は「文書が示
された際、文書の存在自体を秘匿する選択肢が論じられた」
と語った。

以下、省略。

以上。

前菅総理が、東日本が無くなるとか、首相官邸で、パニック
になって、閉じこもっている。とか、言われて、揶揄された
が、その時の事情がこれで、分かったということなのだろう。

また、アメリカが一時、避難区域を広げたり、外国人が
一斉に東京を脱出したのは、もしかして、この情報は、一部
流れていたのかもしれない。

しかし、やはり、情報捜査は免れない。

とは、言うもの、実際にあの時、この情報が公開されて
いたら、東京も日本全体も混乱して、どうなっていた
のだろう。

国家の体をなしていたのだろうか。

この情報の内容も厳しいが、これが、公開された現実も
それ以上に厳しい話しだ。

情報隠しも問題だが、不必要な混乱で、国家が機能不全に
なり、情報隠し以上の不幸を招いてしまうのも厳しい。

何が、正解だろう?

 


健康長寿の食事

2012-01-29 23:28:37 | 健康

新聞にあった記事で興味深いものがあった。

健康長寿の食事

柴田 博

第2条=勤物性たんぱく質を十分に取る

 たんぱく質は、人間の体を作る上でも免疫など
の機能をつかさどる上でも、最も基本となっている
もの。成人になった後も食物で捕われなければなら
ない。

たんぱく質は、アミノ酸という最小の単位に消化さ
れて小腸から吸収される。吸収された後、肝臓で
また合成されてたんぱく質となる。

 人間の体のたんぱく質を作っているアミノ酸は、
全部で20種類あり、このうち9種類は体内で作る
ことができないので、食物から取らなくてはなら
ない。

これを必須アミノ酸と呼び、人間に必須のこのアミノ
酸を不可欠なたんぱく質バランス良く含むのが動物性
たんぱく質だ。卵、牛乳、肉、魚のアミノ酸の含有
バランスはほぼ等しいと考えていい。

 こうした勤物性たんぱく質のアミノ酸のバランスを
100としたとき、大豆は80~60台、小麦は40台と覚えて
おいてほしい。

 動物性たんぱく質が全たんぱく質の50%に達するのが
長寿の条件。

アジアでこの条件を満たしているのは、まだ日本しか
ない。

(人間総合科学大学保健医療学部長)


以上。


10年以上も昔のことだ。サプリメントに凝りだし、エイジレスにも
興味を持ち始めた。

そういうこともあってか、動物性脂肪に対して、神経質になった。
以来、どういうわけか、動物性の肉に対して、拒否感が出てしまっ
た。

あまり、動物性の肉を食べると、大腸ガンになるという話しも
あるし、また、その他にもなんかあったような気がする。

ということで、豆腐が蛋白質だということで、豆腐さえ食べれば
蛋白質は足りたことにできるのでは。

なんて、都合のいいことを考えたりしていた。

大分昔の話だが、豆腐の上に、おかかをつければ、いいなんての
があって、それもそうだなんて、思っていたのだが、今回の資料
で、そうでなくてはいけないことが分かってしまった。


動物性たんぱく質が全たんぱく質の50%に達するのが
長寿の条件。

アジアでこの条件を満たしているのは、まだ日本しか
ない。

この話しもびっくりである。

いずれによ。健康で、天寿を全うしたいものだ。


二輪よもやま話ー21

2012-01-28 23:46:33 | 日記

二輪よもやま話ー21

走行距離が、やっと、1000㎞を越して、オイル交換も済んで、
ほっとしている。

思うに、スピード感がこんなにも違うものかと、びっくりして
いる。

スクーターの時速50㎞から、緊張している。
わたしの感じ方では、車の時速80㎞くらいに感ずる。

だから、この原付二種で、スピードの勝負の話しが出てくる
が、わたしの体力では、時速80㎞以上のスピードが出る、出ない
のの比較なんて、実質的に無意味である。

恐ろしくて、出せない。

ビッグスクーターだったどうなんだろう。

このリードは、80㎞を超えると、リミッターがかかっている。
という話しだが、スタートからその80㎞までは、スムーズに
スピードがあがっていくということもあったので、スピード
に関する執着は、無意味なようだ。

PCXが、時速60㎞あたりで、一度、リミッターがかかったように
なる方が、ストレスになろう。

また、シグナスが、走行中一度をスピードを落として、再加速
する時に、なかなかスピードがあがらないという話しもあった
が、やはり、こちらの方が、ストレスになるかも知れない。

ところで、どういうわけか、このリードのエンジンの音が、
乗るたびに、違う。

勝手に、きれいな音で、スピードがあがっていく時もあれば、
リミッターがかかったようになり、スピードが上がり辛く、
音も汚くなる時がある。どうしてだろう。不思議だ。

若い時は、車にのって、スピード感に酔う気質だったが、
もう、無理だ。

スクーターのスピードが、周囲の車の流れにつられて、あがり
っぱなしになると、疲れ方がひどい。

そのうち、走行していること自体、辛くなって堪らない。

だから、スクーターのスピードは、可能なかぎり、時速40㎞
前後で、運転した方が、不用意な緊張はしなくて済むし、
風景を見るゆとりもでてくるので、好ましい。

周囲の状況を見て、どうしても、スピードをあげる場所でない
かぎり、ゆっくりしたスピードで。

その方が、疲労感のないツーリングになる。

時折、時速30㎞くらいで、呑気に走ることのできる人が、
いるが、実のところ、わたしのような年齢になると、
そのような呑気な走り方がふさわしいのかもしれない。

二輪と四輪の走行中の気分は、やはり、臨場感の違いである。

二輪と比較すれば、四輪は、ソファに乗って、移動している
ようなものだ。姿勢的にも、シートの背もたれ部分に寄り
掛かって運転している。普通に運転している分には、二輪に
比較して、気が緩んでいる。

四輪の視野なんて、中望遠のレンズで、水平方向に回転
して見ているようなものだ。ある意味で、穴蔵の中に
いるようなものだ。

その点、二輪は、水平・縦とも自由な視野をもっている。
そして、風景の中の一部としての存在感を感ずる。

走行中の違いには、いろいろとあると思うが、わたしが、
一番感ずることは、重心の動きだろう。

ジェットコースターに乗っているような感覚に違い。

二輪がわたしを面白がらせる最大の要因にひとつは、
カーブを走行する際のこの重心の変化だと思う。

とにかく、面白いのである。感覚的に。

それから、視点の位置がある。

わたしのカローラワゴンは、車高が低い、今風の車
ではない。

穴蔵にいるようなものだ。

だから、二輪に乗ってみる風景は、「見渡している」
という感覚だ。それだけに、一段と視野が広くなる。

だから、余計、臨場感が、四輪とは違うことなる。


ニューズウィーク 2012年経済代予測に、「建築界ディー
バの不思議ワールド」という記事があって、次のような
興味深い文章があった。


ハディド自身は旅を愛し、旅先で出会う驚きや興奮を人々と
分かち合うために制作に取り組んでいる。奇抜な構造は「人
々が世界を今までとは違ったものとして体験する」ための
手段だと。


以上。

わたしの県は、小さい県だ。そこに、本土や外国の観光客が
くる。

県は、観光立県とは言うが、到来する県外や外国の観光客の方
が、観光資源が豊かではと思っているので、なんとも複雑な
気分でいる。

とは、言うものの、観光客からすれば、わたしにとって、日常
的世界でも、それなりに非日常的なものを感ずるのだろうと
思うと、わたしも、この日常的な世界を観光客の「目」で、見
渡し、非日常的な世界にしてみたいものだという気持ちになる。

基地もあるので、若い兵隊もいて、わたしが病院に向かう
途中、結構すれ違う。

このアメリカ兵にとって、この小さい島で、青春の一時を
過ごすのだが、この狭苦しい空間で、何かしら、旅先の
思い出をつくるかと思うと、やはり、彼らの視点に立てば、
わたしは、わたしの日常的な世界に、何か発見できるのでは
と、思われたりしてやまない。

わたしは、今、リードで、農道や旧道、路地裏、旧市街地
を走り回っている。

ハディドではないが、スクーターで走り回りながら、出会う
驚きや興奮に期待している。

老親を抱えて、身動きの不自由な生活にあって、ささやかな
時間をひねり出しては、わたしの日常的な空間に、新しい発見
をと。

わたしが、スクーターを乗って走り回ると、けっこう行き止まり
にぶつかる。

原付二種のリードは、重量が114㎏である。200㎏を超すビッグ
スクーターからすると、そのような行き止まりでの、身動き
の軽さは、重宝である。

わたしが、この狭苦しい空間に、どれだけの「驚き」を探し
だせるのだろうか。

楽しみにしている。


<二宮金次郎像>勤勉精神いまは昔、各地で撤去相次ぐ 

2012-01-27 23:00:51 | 社会

ヤフーのニュースである。


<二宮金次郎像>勤勉精神いまは昔、各地で撤去相次ぐ 

まきを背負って本を読むおなじみの二宮金次郎(尊徳)
像。

戦前に全国の小学校に建立されたが、老朽化などに伴い
各地で撤去が進む。

大津市の小学校でも3カ所で破損が見つかったが、「児童
の教育方針にそぐわない」との意見もあり、市教委は補修
に難色を示す。

受難の時代を迎えた金次郎像だが、質素倹約や勤勉の精神
を伝えると再評価する動きも一方である。

大津市立下阪本小では昨夏、玄関前の像が倒れ、撤去し
た。
地元自治連合会が復元を申し出たが、学校側と協議して
復元するものの校長室への“隠居”が決まった。

教諭の一人は「努力を尊ぶ姿勢は受け継ぎたいが、子ども
が働く姿を勧めることはできない」と話す。

昨年12月の復元像の除幕式では、卒業生のお年寄り
から「子どもたちの前から消えるのは寂しい」と惜しむ
声が漏れた。

また、長等小では職員室前の戸棚に頭部だけが置かれて
いる。

壊れた理由は不明で、補修の予定はないという。

 市教委の調べでは、かつて多くの市立小にあったはず
の像も、37校のうち現在残るのは9校。銅像は戦時に
供出され、残った石像も70年代のベビーブームに伴う
校舎の建て替えで大半が撤去されたらしい。

担当者は「戦時教育の名残という指摘や『歩いて本を読
むのは危険』という保護者の声もあり、補修に公費を充
るのは難しい」と話す。

 金次郎の生家に隣接する尊徳記念館(神奈川県小田原市)
によると、全国的にも同様の傾向は進んでいる。

一方で、同市や東京都の小学校では像を再興する動きも
ある。

神奈川県土地家屋調査士会は10年、同県内の公立小約
860校を調べ、残存する金次郎像145体を冊子に
まとめて紹介。

また、小田原市教委は05年、金次郎の遺徳を伝える物語
を作り、児童らに配った。

 金次郎の教えが名称の由来となった報徳学園中学・高校
(兵庫県西宮市)には7体の石像や銅像がある。

今も教えは生徒の教育指針として伝わっており、同学園の
城戸直和・報徳教育部長は「理屈より実践を尊ぶ姿勢は
いつの時代にも通じる理念だ」と語る。

 尊徳記念館の小林輝夫解説員(76)は「金次郎は賢人の
名言集から学び、自分にできることに全力を尽くした。

少子高齢化で厳しい社会を背負うことになる今の子どもた
こそ、彼の姿勢に学ぶべきだ」と話している。【安部拓輝】


以上。

わたしの近辺では、この像を見たことがない。

しかし、興味深く感じている。

ネットには、次のような情報があった。

教育の場では、1900(明治33)年の検定教科書「修身教典」に
尊徳が登場し、1904(明治37)年から使用された最初の国定
教科書「尋常小学修身書」では孝行・勤勉・学問・自営という
4つの徳目を代表する人物として描かれ、また唱歌では1902
(明治35)年の幼年唱歌に現れ、1911(明治44)年の尋常小学唱歌
には「柴刈り縄ない草鞋をつくり、親の手を助け弟を世話し、
兄弟仲良く孝行つくす、手本は二宮金次郎」と歌われたそう
です。

というのがあった。

又、次のような話しもあった。

一説には1910(明治43)年鋳金師岡崎雪聲が柴を背負っている
姿の銅像を最初に製作し、これを天覧された明治天皇が気に入ら
れた事がキッカケとなって銅器製造者の商魂に結びつき数々の
外的要因が重なってなどの説があるようです。

 でも、二宮金次郎の銅像が実際に全国の小学校に建立される
要因となったのは、日本が14年戦争に突入したとされる1932
-1933(昭和7・8)年頃からで、世の中は正に国家総動員体制に
向かい国語教科書も「ハナハト読本」から皇国意識と国威発揚
の色濃い「サクラ読本」に変更され、「教育勅語」の徳目と
相まって、金次郎の勤勉・倹約等がクローズアップされ、それを
促進するため象徴化されることで国策に利用される形で銅像建
が全国展開されるに至ったようです。

 また1937(昭和12)年は金次郎生誕150年に当たることから報徳
社の働きもあったようで、尚かつ1940(昭和15)年が皇紀2600年
当たることもあって、昭和10~15年頃が銅像建立のピークだった
ようですが、戦局悪化・軍需物資不足に伴い1941(昭和16)年9月
施行の「金属類回収令」に基づき、寺の仏具・梵鐘、家庭の鍋・
釜はもちろん金次郎の銅像も例外に洩れず鉄砲や大砲の弾等に
化けたようです。

 その結果、銅像よりも石像なども多く存在するようで、敗戦時
には或る種軍国主義の象徴でもあった金次郎像は打ち壊しの憂き
にもあったようですが、金次郎自身に対するGHQの評価は悪く
なかったようです

以上。

わたしも、理由は覚えていないが、二宮金次郎像については、軍国
主義と連なるようで、若いころは、かなり反発を感じたことがある。

しかし、後日、彼の伝記を読む機会があって、大変、ショックを覚え
た記憶がある。

彼が行った疲弊した農村を建て直した業績等、一種の政治家として
の活躍を鑑みた場合、今日の日本に彼があるなら何をなしうるかと、
興味深く思うのである。

その点では、上杉 鷹山も忘れてはならないが、戦前の都合のいい
二宮金次郎像を、彼の伝記を一度ひもといてみることによって、
払拭する必要がある。

ふがいない今日の選良(?)にうんざりするのであるが、この二宮
金次郎が、本当のところどういう人物であったかということ、
日本国民が、振り返って確かめてみる必要があると感じている。

先の見えない今日の日本にあって、大事なことのひとつだと
感じているのだが。

こういう人物がいたということ、わたしたちの大きな財産で

もあるとも思うのだが。