ニューズウィーク日本版
2012年世界経済の行方
にあった記事である。
ギリシャの危機は、ギリシャの政界を独占する
エリート家族が、政権に固執するための国民への
迎合が、国家を疲弊させていたのに、びっくり
したのだが、イタリアの現状について、語られて
いる記事で、大変興味深く、読めた。
「政治家天国」イタリアのあきれた実態にメス
国民には緊縮を説きながら公費で甘い汁を
大ナタを振るうならまず議員報酬から
イタリアでは昨年11月にベルルスコーニ首相が
辞任、モンティ新政権が誕生した。
危機に瀕したイタリア経済の舵を取り、2兆ユーロ近く
に膨れ上がった政府債務がユーロ圈と単一通貨ユーロ
の崩壊につながるのを阻止する-。
そんな重責を背負っての船出だ。
モンティ首相は最近、イタリアの国会議員がひた
隠しにしてきた秘密を暴いて、彼らの怒りを買って
いる。
EUでも群を抜くイタリア議員の高給ぶりだ。
政府の諮問委員会が先週までにまとめた報告書に
よると、イタリアの平均的な議員の月収は諸手当を
含めて約1万6000ユーロ(約160万円)と、一部
の国民の年収さえも上回る。
ヨーロッパで2番目に高いフランスより約2500
ユーロ、ドイツと比べると3400ユーロも高い。
スペイン(4650ユーロ)の4倍近く、イギリス
(6562ユーロ)と比べてもかなり高い。
イタリアでは議員の副業も法的に認められており、
副業収入は議員だからという理由でたいてい非課税だ。
一方の国民は、居住用不動産に対する課税の復活から
ガソリン価格の高騰まで、さまざまな打撃を受け、
一層の人員削減と迫り来る労働市場の自由化に怯えて
いる。
イタリアの肥大化した公共部門の改革は、自らの
給与返上を表明したモンティの双肩に懸かっている。
イタリアが長いこと低迷し借金漬けになっている一因が
公共部門にあるのは明らかだ。
まずは当然、議員報酬にメスを入れるべきだろう。
1期で年金は全額支給
報告書によると、イタリアの議員は国内の交通費も
無料なのに、領収書なしで1300回まで交通費の払い
戻しが可能。
首都ローマに家があっても住宅手当が出る(非課税)。
秘書などを独自に雇わなくても人件費が給与に上乗せ
される。
議員食堂ではTボーン・ステーキやメカジキのグリルが
I皿たった数ユーロで味わえ、髪や爪の手入れも格安。
性同一性障害の議員専用の化粧室まである。
議員の家族には公務でなくても警察の護衛が付く。
一般市民は何年も働いてわずかな年金しかもらえない
のに、議員は1期務めるだけで国の年金が全額支給さ
れる。
ローマの高級ブティックの多くや携帯電話会社でも議員
割引が受けられる。そのほか、しゃれたビーチが無料で
使え、映画やオペラのタダ券が手に入るなど特権は数え
上げたらきりがない。
報告書は政府機関のスリム化も視野に入れている。モン
ティも検討する構えだ。
人口6000万人に対し、議員は上下両院で1000人近
くに上る(アメリカの場合は人口3億1000万人に対し
議員は535人)。
しかしすんなりとはいかないだろう。「議員数を減らす
話は何十年も前からある」と、ロー『マ在住の政治学者、
ジェームズ・ウォルストンは言う。「でもそれは、大量に
丸焼きにされる七面鳥にクリスマスを祝えと言うような
ものだ」
実際、イタリア議会では当面、給与削減が優先議題に
なことはなさそうだ。モンティは削減を強制するのではな
く、議員自らが給与体系や諸手当を見直すよう求めている。
一方、議員はブログやツイッターで弁明に必死だ。独裁者
ムソリーニの孫娘であるアレッサンドラ・ムソリーニ議員は
「私腹を肥やすひと握りの連中のせいで、議員全員がツケを
払わされる」とブログに書いた。
「議員の月収を1000ユーロに減らしても、今度は500ユーロ
に減らせと言われるだろう」
イタリア経済の窮状を思えば、500ユーロでも多過ぎるか
もしれない。
以上。
素晴らしい記事を掲載してくれたものだと、感じ入っている。
このような記事がなくては、どうして、イタリアの経済が疲弊
しているか理解できないからである。
数日前のテレビで、公務員の特権が紹介されていた。
給料の「わたり」というのが、「出世困難手当」だそうで、
「出世困難手当」は、長年つとめて出世できない職員に払われる
温情手当て
ということのようだ。
テレビ、絵図で説明された時は、さすがに愕然とした。
それこそ、悪平等の世界だ。
考えてみれば、国家公務員の天下りも、結局は、「わたり」
であり、「出世困難救済システム」と言えよう、そうなると
天下りは、根絶しなければならない。という話しにもなる。
自分の商品価値に応じてしか、給料はもらえないはずなの
だが、これは、マルクス主義に照らしても、原理原則で
あって、組合が、そのような特権を要求したとあっては、
すべての権力は腐敗するとしか言いようがないのだろうか?
○二六二の理論
一般に組織の構成員は、
①やる気もあり、能力もある者二割。
②積極性に乏しいが指示を与えれば、やってくれる者六割。
③やる気もなく、能力も乏しい者二割から成っているという。
○二割、三割
アリは、いかにも働き者の代名詞のようにいわれるが、実際に
働きアリのなかで、本当に働くのは二割、三割ぐらいしかいな
いという。後の七割、八割は怠ける。
じゃあ、働くアリだけを別にして、精鋭集団を作れば、働き者
ばかりになるかといえば、そうでもないらしい。やっぱり本当
に働くのは二、三割りで、後のアリはウロウロと働いているふり
をしているだけになってしまう。
怠け者ばかりでも、二、三割りは働きアリに変身してしまうと
いうからおもしろい。
という数値があったのだが、さすがに、この数値を知った時は、
愕然としたものだ。
わたしは、仕事人間だったので、いつもそのジレンマにあった。
時折、自分の能力に疑問を感じた時などは、給料を下げてでも、
仕事の責任度を下げられたらと、思い込んだこともあったのだ
が。
このような現実を見せつけられると、ゲーテが民主義に反発し
たり、チャーチルが、民主主義に対して、好感を持たなかったの
が、分かるような気がする。
とは言うものの、民主主義の時代だったから、今の自分がある
のだが。
しかし、アメリカの1%の富裕層も、民主主義の行き着いた姿だし、
ギリシャ、イタリアの経済的惨状も民主義の行き着いた末だと
すると、一体全体、わたしたちは、このジレンマをどう克服して
いけるのだろう?