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リタイアーのよもやま話

死後の世界は存在する

2016-05-31 22:32:26 | 日記



ネットに興味深い記事あった。

元ハーバード大学脳神経外科医
「死後の世界は存在する。
オーブに満たされて…

 死後の世界など、医学的見地
から見れば完全に否定されるも
のという持論の元に、キャリア
を築き上げてきた脳神経外科医
のアレキサンダー博士は、2008
年に細菌性の脳髄膜炎に冒され、
昏睡状態となるまで悪化した。

 絶望的とも思われていた7日
間の昏睡状態から奇跡的に復活
した博士は、その昏睡状態中に
奇妙な体験をしたと語った。

 ゼリー状の不定形なものに生
まれ変わり、蝶の羽をまとい、
紺碧の目を持つ美しい女性に導
かれて天国へ行ったというので
ある。そして、天国は以下のよ
うな場所だと語った。

・天国では言葉は必要なく、す
べてはテレパシーによってコミ
ュニケーションがとれる。・
は様々な光を放つオーブに満た
された巨大な空間。・天国は愛
が満ちあふれている空間。

 過去の膨大な臨死体験談と共
通する部分も多く、この話だけ
では昏睡状態中に脳内再生され
たイメージを語っているもので
はないかと思われかもしれない
が、このアレキサンダー博士の
場合は、その後の対応が科学的
だった。

■臨死体験者が語る死後の世界
には共通点が多い 

 博士は、「昏睡中の自分の脳の
機能状態」を医学的に調査し、昏
睡中に脳がまったく機能していな
かったことを証明し、発表してい
るのである。

 まったく機能していないという
ことは、幻覚なども含め、何かが
脳内で処理されていた事実はない
ということである。したがって、
博士が体験した天国は、脳内で勝
手につくりあげられた天国のイメ
ージではなく、実際に博士が体験
した天国そのものなのである。

 前述の博士の著書は、ベストセ
ラーとなってアメリカで死後の世
界のあるなしについて活発な答弁
などが行われたということである
が、現在博士はハーバード大学を
退職し、アメリカ各地で臨死体験
者とのコンタクトをとり、調査を
しているとのことである。

以上。

 まったく機能していないという
ことは、幻覚なども含め、何かが
脳内で処理されていた事実はない
ということである。したがって、
博士が体験した天国は、脳内で勝
手につくりあげられた天国のイメ
ージではなく、実際に博士が体験
した天国そのものなのである。

この論理変ではないか。

実際に博士が体験した天国その
ものなのである。

であるなら、実際的に脳は何らか
機能することになる。

あまりにも、初歩的な論理の飛躍
それが、ネットで大まじめに書か
れる。

解せません。 

 

ただ、思うに死に直面すると、人
間の脳では、

・天国では言葉は必要なく、す
べてはテレパシーによってコミ
ュニケーションがとれる。・
は様々な光を放つオーブに満た
された巨大な空間。・天国は愛
が満ちあふれている空間。

のような体験をして、死の恐怖
から免れるように人類の長い歴
史を通して、その形質を獲得し
たのではなかろうか。

と、思うのだが、どうだろう。

誰か、そのような研究をする
人がいないかな~。

蜷川「マクベス」を観たことがあ
るのだが、遠い昔に。

マクベスは、臨終の間際に、天国
を見ることができたのだろうか。

死者に対する最高の手向けは、
悲しみではなく感謝だ。

ワイルダー

という言葉がある。

マクベスは悲しまれるわけでも
なく、感謝されるわけでもない。

マクベスは、死ぬ瞬間、亡霊に
苛まれて地獄にいくのだろうか。


 


大切なもの 【合唱】 歌詞付き

2016-05-26 23:00:08 | 音楽

大切なもの 【合唱】 歌詞付き

You Tubeで、なんとなく合唱曲を聴いて
みたくなった。

たまたま、この曲を流してみた。

ちょっと、恥ずかしいくらい「純」な
曲だ。

このような曲を、おおっぴらに
歌うのは恥ずかしくてできないが
夜、一人コンピュータを前にして
聴きいられる時代は、幸運なこと
なのかもしれない。

舛添問題で、テレビでは騒がしく
ある。

次から次へと、あからさまになる
プライバシーには、知らされる方
が、気が狂いそうだ。

このような人格があるのだと。

彼を取り巻く政治家の右往左往
ぶりには、喜劇が作れそうだ。

シェークスピアが現代に生きて
いたら、どういう作品を作って
くれるのだろう。

それにしても、このような曲を
部活で真剣に歌っている若者
もいるのだ。

次の文章はネットからの借用だ。

シュバイツアーについてである。

20世紀ヒューマニストとして
知られている人物である。30歳
の時、医療伝道に生きることを
志し、アフリカ赤道直下の国
ボン
ランバレネにおいて、当地
の住民への医療などに生涯を捧
げたとされている。


「人生の惨めさから逃れる方法は
二つある。音楽とだ」という言葉
を残している。

とあるが、惨めな時に「神」とこな
かったのが、意味深である。

それはともかくとして、時には
このような曲を聴いて、我が心
を除染しよう。

とにかく、このような曲を真剣に
歌える若者もいるのだ。 

 


鼠、江戸を疾る

2016-05-24 20:22:57 | 読書

最近、なんとなくテレビ観た。

すると、「鼠、江戸を疾る」な
んて番組をやっていて、原作を
読んでみることにした。

結局、7冊ほどシリーズを読
んでしまった。

読んで、気になってならない
ことがあった。

鼠(次郎吉)と小袖の兄妹は、
一緒に生活しているのだが、
どうして、生活が成り立って
いるのかよく分からない。

妹は、仕事をせず、剣道の練
習にうちこんでいる。

鼠(次郎吉)が、生活のために
盗人をしている場面はない。

鼠(次郎吉)と小袖の兄妹が
日々の生活費を稼いでいる場
面がないのを、彼らの周囲か
ら疑われないという状況につ
いては、この小説の設定とし
て、違和感を感じている。

次郎吉が全く仕事をしてない
に、生活できているというの
を通常は周りが訝しく思うと
いうことになるはずだが、ど
うだろう。

今まで、佐伯、上田等いろん
な作家の作品を読んだが、い
ずれせよ、登場人物は働いて
収入を得て、生活を成り立た
せているということになって
いるのだが。